こひつじと木
「こひつじさん、こひつじさん。あなたのお友達はいったいどこへいってしま
ったのかい。」大きな木は聞きました。こひつじは答えました。「わたしには
友達なんていないの。わたしはいつも、ひとりなの。」大きな木は言いました。
「おお可哀相に。それでは、わたしの下でゆっくりお休み。」こひつじは、大
きな木の下で小さく丸まりました。「少し寒いわ。」あたりはもう、深く青い
闇につつまれていて、星はなく、強い風が吹いていました。「びゅう、ガサガ
サガサ」大きな木はうなりをあげました。「大きな木さん。わたし怖いわ。そ
んなに怖い音をたてないでください」しかし、何も答えは返ってこないで、大
きな木は相変わらずうなりをあげていました。こひつじは涙でいっぱいでした。
風がびゅうびゅうとふいて小さなこひつじの目を襲いました。それはもう、目
が痛くてあけられないほどだったのです。でも、こひつじは、まばたきもしま
せんでした。目をつぶったら、涙がこぼれてしまう。そうしたら、こひつじは
もっと悲しくなってしまうのです。こひつじは一生懸命目をあけて果てしなく
続く暗い草原の、そしてたった一本だけある大きな木の下で震えていました。
遠くに白い光が見えました。こひつじは目をこらして見てみたけれど、その光
はあまりに遠くて、ぼうっと点にしかみえませんでした。「ねえ、大きな木さ
ん。あの白い光はいったいなんなのかしら。」大きな木は相変わらず、びゅう
ガサガサガサとうなりをあげるだけでした。こひつじは、その白い光が何なの
かどうしても知りたくなりました。「大きな木さん。わたしあの白い光が何な
のか確かめに行くわ。だからさようなら。」こひつじは冷たくこわばった自分
の身体にぐっと力を入れて立ち上がりました。「寒いわ。」こひつじが大きな
木の下を離れると暗く、果てしなく続く草原は青白く光っていました。それは
雪でした。雪がふっていたのです。それはとても冷たい雪でした。びゅうびゅ
うと吹く強い風に乗って雪が少しづつ草原を白くしていました。こひつじはま
た目を凝らして、さっき見えた白い光をさがしました。それはさっきほどはっ
きりとは見えませんでした。その遠くに見える白い小さな光は、今にも草原に
降り積もっている雪に溶けこみそうだったのです。「わたし急がなくてはなら
ないわ。」こひつじは歩きはじめました。冷たく強い風は、こひつじに向かっ
て、刺すようにぶつかってきました。こひつじは一生懸命歩き始めました。は
やく行かなければ、あの白い光は見えなくなってしまう。うなりをあげる強く
冷たい風で、こひつじの耳はちぎれそうなくらい冷たくなっていました。こひ
つじは歩きました。だんだんとはっきり見えなくなってきている白い光に向か
って。こひつじの足は草原にふり積もった雪と、強く冷たい風との両方にさら
されて感覚がなくなるくらい冷たくなっていました。こひつじは歩きました。
こひつじの小さな体の、その体を包み込んでいる毛にも少しづつ雪が覆ってゆ
きました。白い光はだんだんと近づいてきました。それは光ではなく、白い石
かなにかのようでした。こひつじはしっかりと歩きました。一歩一歩歩くたび
にその白い石かなにかに近づいてゆきました。「きゅっきゅっきゅっ」ふと気
がつくと、風はさっきほど強くは吹いていなくて、こひつじが踏みしめている
草原とそこに積もっている雪が音をたてていました。こひつじはうれしくなり
ました。そして、もっと一生懸命歩きました。白い石はもう、すぐそこに見え
ました。とうとう白い石にたどりつきました。それは白い大きな墓石でした。
不思議と、その白い大きな墓石のまわりだけ雪は積もっていませんでした。
「こひつじの仲間たち、ここに眠る」白い大きな墓石には、そう刻んでありま
した。こひつじは心の中で三回声をあげて読みました。そしてその墓石の前に
ゆっくり座りました。風はすっかりやんで、雪もなく、空には月が見えました。
月は笑っているように見えました。こひつじは夢を見ました。かたく険しい岩
山を駆け上っている夢でした。こひつじの体に白くやわらかな毛皮はなく、足
は長く、引き締まった筋肉がつき、そう、自分はカモシカになっているのです。
そして、より遠くの険しい岩山へ登ってゆくのです。それは夜で、風はなく、
大きな月が青白く光って、こひつじの足元を、遠くの険しい岩山を照らしてい
るのです。崖から崖へと飛び移り、声をだそうとすると「キーン」という音が
遠くへ響いている。うれしくもなく、悲しくもなく、ひとつの頂に駆け上ると
キーンと声を響かせ、次の頂へと飛び移って、岩山を駆け登ってゆく。こひつ
じは自分で岩山を駆け上りながら、また遠くからそんな姿を同時に眺めていて、
それはとてもしあわせなのでした。こひつじは目を覚ましました。あたりはや
はり青白くて、草原には雪が積もっていました。目の前の白い大きな墓石には
「こひつじの仲間、ここに眠る」と刻んでありました。こひつじは立ち上がり
ました。そして大きな木のあった方へ歩きはじめました。大きな木はまだきっ
とさっきの場所にあるに違いない、と思ったのです。