壷の中の男 1999.3


暗くジメジメした土間の部屋。広さは12畳くらいで、四方はコンクリートの壁
に囲まれている。天井は普通の高さである。北側の壁の、手も届かない
ような高いところに、小さな明かり取りの窓がひとつついている。窓という
よりはただの四角い穴、といったほうが正確な表現だろう。その部分だけ
壁がくり貫かれている。その窓はほぼ正方形で、30Cm四方くらいの大きさ
だ。その窓から、昼下がりの、ぼんやりとした日の光が部屋の中に差し込
んでいる。その日の光にかかわらず部屋の中はとても暗い。部屋の中に
ある物の色がかろうじて判断できるくらいの明るさだ。窓の向こう側は白く
曇った空が見える。部屋の中はジメジメはしているが、それほど不快とい
う程のものではない。寒くも暑くもない。心持ち肌寒い風がその窓から時
折吹き込んでくるが、シャツ一枚でも特に不満を感じない程度のものだ。
土間の床もぬかるんではおらず、素足でそこに立ったら、水分を含んだ、
ひんやりとした土の感触が足の裏に気持ち良く伝わってきそうな、そんな
様子である。部屋の中にはほとんど何もない。南側の壁の近くに非常に
大きな、焦げ茶色の壷がひとつある。大人が一人十分余裕を持って入
れる程にその壷は大きい。その壷には剥げかけた白いペンキで大きく
”GRIEF”と描いてあるのが見える。一人の男がその壷の中に入ってい
る。その男は壷の縁に両手を掛けて、壷の中でしゃがんでいる。そして
その部屋にある小さな窓をぼんやりと見ている。男の表情に苦痛はみて
とられない。しかしそれはまた、「幸せ」という表情からはかけ離れたもの
だ。それでいて、その表情が悲しみに満ちているか、というとそれほどで
もない。男の表情はまた、一見抜け殻のように見えないでもないが、よく
観察すると、その中に何か固い意思のようなもの ----- それは炎のよう
なものではなく、何か硬い岩のようなもの ----- そういったものの存在を
見出せる。男の両目は部屋の窓に焦点が合っているが、しかしその曇り
空にはまったく意識していないようだ。そしてその男はぶつぶつと独り言
をしている。

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ただ、誰かに話をしたいだけともいえるし、だから、返事をもらわなくたっ
て、全然構わないんだよ。この5年間、ずっと同じことを堂々巡りで喋っ
ているのは知ってるよ。どうしてこの穴から抜け出せないかも、実は
わかっているんじゃないかと思っている。
ただ、喋れば、君は聞いていてくれるかもしれない。
反応は何もなくても、聞いていてくれるんじゃないかと思う。
これは、ひょっとして神に向かって喋っているのと同じことなんだろうか?
しかし、喋ることによって俺は一体何を得るのだろう?
それは単に時間を無駄にしているだけじゃないのだろうか?
さっきも言ったじゃないか、俺はこの穴から抜け出せない原因を知って
いるかもしれないってね。
この穴は実はそんなに深いものではない。
この穴は実は現実逃避の穴なのだ。
そうさ、実は簡単なことなんだ。環境を変化させるだけのことなんだ。
現実逃避の穴。現実逃避の穴。
その現実逃避の穴は実は何も深くはない。
その現実逃避の穴はただ醜いだけである。

それでは何故?
現実逃避の穴に入り込むことが全然良いことではないことは百も承知な
のに、それなのに何故そこから脱出しようとしないのか。その現実逃避
の穴の中には何か特別なものが隠れていたりするのだろうか?
よく考えてみるんだ。その穴の中にいて、何を待っているのか。
その穴の中には理想があるはずはないではないか。
その穴の中にある”悲しみ”とは一体本当の悲しみなのだろうか?

仮にその”悲しみ”が偽だったとする、そしてその現実逃避の穴の中
にそれでも住み続けるということは一体何を意味するのだろうか?

いや、そうではない。問題がそんなことであるはずはないのだ。
どうもこの穴に長く入りすぎているようだ。この穴に入っていると
良からぬことばかり考えてしまって何も生産できなくなる。
例えば昨日もこんな意味のないことを考えたではないか‥‥

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俺には今人生の選択肢がいくつあるだろう。軍人。聖職者。病人。軍人に
なるというのは中々良い考えだ。これまでの問題を一切解決してくれるに
違いない。ただし、”どこ”の軍人になるかは注意深く選択せねばならない。
実際何時実戦に投入されるかわからないくらいの政情の不安なところに
入隊せねばならぬ。見かけだけの軍人になっては何も意味がないのだ。
なぜなら軍人になることの目的は機械になることなのだから。ところで聖
職者というのはどうだろう。あるいは修行僧とかなんとかでも良いのだ
が‥ 果たして俺に神を信じる能力はあるだろうか?神を信じることがで
きなくては、これを実行することはまったく目的を達成できない。すなわ
ち、自分自身を100%神に捧げることができなくては意味がないのだか
ら。それができなくては、俺は狂ってしまうに違いない。俺は狂っている
のではない。いや狂ってしまうことは実はある意味理想ではある。ただし、
問題は狂ってしまうまでの過程だ。俺は狂人になるにはあまりに俗物す
ぎるところがある。狂人になるまでの過程はとても耐え難いものに違いな
い。俺にそれを耐えて待つことができるようにはとても思えない。きっと
その過程で俺はもっと最悪な正常人になるに違いない。そしてその時、
死ぬこともできずまた、今のようにも考えることができなくなってしまって
いたとしたら‥ まてよ‥とすると第三の選択肢、病人というのは実際可
能なのだろうか?俺が今正常であることは間違いないが、半病人的な
様相を醸し出してることもまた事実である。これを利用して病人になって
しまおう、というのがその計画ではあるが‥ 問題はこうだ。もし、あの
治療とかいうやつが本当に実際に俺を治癒してくれるのであれば、まっ
たく問題はない。しかし、俺はあんなもの鼻っから信じちゃいない。信じ
ていない、というのではなくて、俺のケースには適応できないに違いな
い、ということだ。連中の治療方法では俺は治癒されない。だからこそ
俺はあんなものに莫大な費用をかける気にはさらさらならないし、その
ために費用を捻出する努力をする気にもならないのだ。俺は病人を装
わなくてはならない。ふん、ところで俺にはこういう期待もある。病人を
装っている内に本当に病人になってしまうのではないか、ということだ。
これは比較的実際ありそうに思えるし、それほど苦痛と努力を伴うよう
にも思われない。ただし問題はあるな。俺がこれを実行する決意をした
として、もし実際実行したとしても、まず金がかかる。そして世間的には
その時点では認められないというのも問題だ。本物の病人になってしま
うまでには、俺は金だの生活だのの心配をせねばならないではないか。
俺が本当に病人になれるという保証はどこにもないし、それにどれくら
いの時間がかかるかも、まったくわからないではないか。

ときに、罪人というのはどうだろう。罪と罰のラスコーリコニフのように
殺人を犯して ----- その殺人はひょっとしたら”社会にとって有益"に
成り得るかもしれないのだし‥ それが俺自身にはまったく利益をもた
らさないにしても ----- その懺悔に長時間を費やすというのは、中々
うまいアイディアではないだろうか?俺はラスコーリトニフと違って、
その罪の最初から懺悔の意志を持つことができるに違いない。いやしか
し問題は、俺が現代に存在していることだ。何もかもがあの頃とは違
いすぎる。しかも、そもそもその標的を見つけ出すことが一体可能な
のだろうか?いや、それだけではない。あの男は結局「他」に頼った
のだ。あの哀れな売春婦無しでは矯正することができなかったでは
ないか‥ すなわち、あの男は環境に助けられたのだ。あれはあの男
の努力によるものではない。そして「環境」というのがもし”神”にもたら
されたものであるだとしたら‥ いや、問題の中心点はそこにあるので
はない。しかしどうだろう。今時イワン・デニィーソヴィチと同じような境
遇になることはほとんど不可能ではないのだろうか?時代が違いすぎ
る。するとこれはあまり良いアイディアではないかもしれない。そもそも
俺は社会を巻き込んでの大波乱を起こす程の玉ではない。仮にそん
なことができたとしても、そこに到達するまでに動機を維持できるとは
とうてい考えられない。俺の動機は社会的なものでは全然ないのだ。
非常に個人的なものだ。しかも、それは客観的なものではなく、実に
主観的なものだ。俺は俺自身を実験対象にするつもりなぞではなく、
ただ、俺の今入っている壷に蓋をしたいだけなのだ‥

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つまり、問題は現実逃避の穴の非脱出性だ。つまり、俺の目的はただひ
とつ、「楽になる」ということにほかならない。そこにいては楽になれないこ
とはもうわかっていることであって、だから楽になる方法を考えているわ
けだ。もちろん、楽になることは容易ではないから、いかに楽に楽になる
かを考えているわけだ。ところで俺はこの「楽ではない状態」を楽しんで
いることがないだろうか?これは重大な問題だ。人は基本的に二重人格
性を持っている。この「楽ではない状態」が”より”楽ではないほど -----
そしてそれは”より深い悲しみ”でなくてはならない ----- 俺は悦に入る
ことができるのだ。いや、これは正確な表現ではない。俺の”悲しみ”な
どというのは、実は大したものではない。というよりむしろ、俺は悲しみと
は反対方向に位置しているとさえいえるのだ。そしてだからこそ、俺は悲
しみを求める ----- 悲しみの中に美を求めるのだ。ああ!俺はいまだ
かつてこの事実を自分に向かって暴露したことがあるだろうか!この醜
い、腐臭を放つ事実を!そして最も醜いことは、実際に俺が本当の悲し
みに遭遇した時、それは、俺の想像していたような何物 ----- すなわち
美 ----- などというものとは恐らくかけ離れていて、それはただの苦痛
でしかないのだ!悲しみは第三者からの視点でのみ美に成りうるのだ。
それは当事者にとっては苦痛以外のなにものでもない‥
しかし俺はここで”悲しみ”というやつを二種類に分類しなくてはならない。
でなければ完全に俺というものを説明することができない。悲しみは苦
痛である ----- すなわちその悲しみとは痛みを伴うもの。ところが、俺
の中にはもうひとつの悲しみが存在する ----- それは痛みではなく、恍
惚感さえ抱合する悲しみ ----- その悲しみは”一個”を超えた、霊長類
として、この世界の一部分であることを意識することに起因する悲しみ
----- それは純粋に美と言って差し支えないのではないのだろうか?そ
れが美だろうがなんだろうが、俺がそれに酔っていることは事実だ。だ
からこそ俺はこの壷から抜け出せないでいるのだ。ところで、俺はこの
二種類の悲しみを混同もしているし、混同させようともしているな。俺は
”ただの苦痛”というやつを身を持って良く知っている。知っているはずだ。
それなのに俺が運良くその苦痛を持っていない時、俺はその苦痛を背
負うことに憧憬すら抱いている。これは一体何を意味するのか?俺が
実際その苦痛を持った時、俺はただただそれから開放されたいだけな
のに、何故また俺はあえて進んで十字架を背負うことを望む?つまり俺
はそれが実際に俺の身に降りかかったら嫌で嫌でたまらないくせに、進
んで十字架を背負うことを仮にも”美しい”とでも思っているのではないだ
ろうか?いや、それは実際美しいことではないのだろうか?”そういうこと
になっている”のではないだろうか?そして、それが”美しい”ものである
のならば、それはもう一種類の悲しみ ----- すなわち、美だろうと思わ
れるもの ----- と共通点を持つことになる。しかし問題は先ほども言っ
たように、苦痛は、実際それを受けた時、苦痛としかとらえがたい -----
少なくとも俺の俗物性からでは。俺は十分に俗物である。俺はそのこと
を知っているから、あの哀れな売春婦 ----- キリストの象徴 ----- に
自分が成るなんてことは考えられない。ああ!この嘘つきめ!俺はあ
の天使に対してなら俺が哀れな売春婦になってみせるだろうことを、自
分自身に向かって宣誓したくらいなのだ。なんという愚劣だろう!
少し脱線がすぎるようだ。開き直ってしまえば、俺は楽になりたい。そし
て、俺は楽になる方法を検討していたわけだ。ところが、その楽になる
方法というのは現実からは少しかけ離れているきらいがある。やって
やれないことはないが、それを実行するのは並み大抵ではない動機を
必要とする。しかし、別のもっと建設的方法 ----- それは違ったところ
に努力を必要とする。そしてそれは”一般的には賞賛されるべく方法”な
のだ。だが、その努力をしたくがないが故に俺は別の方法へと惹かれて
しまう。しかも、その”より良い”であろう方法を実行することは、俺のこれ
までの人生を否定することにもなってしまうからだ!つまり、その建設的
方法を実行することは、これまでの人生で俺が主張してきたことは、「間
違いであった」、ということを認めることにほかならない。どうしてこの二
つの苦痛を簡単に受け入れられよう?いや、苦痛は二つではないのだ。
もうひとつある。それは、この”まともな人間”になることへの報酬が、ま
たなんと苦痛を与えられていることである、ということだ。これは神の業
ではないのか?神を持たない俺が、どうして進んで磔になることができ
よう?!しかしこれらのことはいくら考えても堂々巡りだ。問題は俺はど
うしてもこの現実逃避の穴から抜け出さなくてはならない、ということだ。
俺はひょっとすると本物の病人になる過程を少しづつ進んでいるのだろ
うか?いや、そんなのはたくさんだ。


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部屋の中はすっかり真っ暗になっていた。明かり取りの窓の外には何も
見えない。ただの闇があるのみである。男は考えることに疲れて、壷の
中に座り込み、ぐったりしていた。そのうち、男に睡気が訪れ、彼は眠っ
てしまった。





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