回想、女体の神秘について


                      written by カメ山カメ吉

 少し子供の頃の事を書いてみましょう。  小学1年生の頃まで私は、今ではちょっと考えられないような環境で生活してお  りました。  昭和30年代ですから、もう30年以上も昔のことになります。  どんな生活かといいますと、電気、ガス、水道のない、恐ろしく貧しい生活であ  ります。井戸すらなかったので、炊事は全て川の水を使い、山から取ってきた薪  で火を炊いていましたし、夜の明かりはランプだけでした。  もちろんテレビなどはなく、娯楽(?)はラジオのみ。  野山を駆け回ってカエルや蛇、ハチの巣を取ってきてはオヤツ代わりに焼いて食  う、なんてぇ、凄まじくも楽しい幼年期を過ごしていたのです。  信じられないかもしれませんが、便所すらない掘っ立て小屋で暮らしていたんで  すね。  もちろん畳の部屋などはなく、土間が一つに板の間が二つ。隙間から地面が見え  るような板の間にゴザを敷いて、その上にセンベイ布団を並べて寝ていました。  どうしてこんな生活をしていたかというと、父親のわがままというか、身勝手さ  からなんですよ。  本人はあまり話したがらないので、死んだ祖母から聞き出したところでは、若い  頃政治家(どうせ市会議員とかのレベルでしょうが)をめざしていた親父は選挙  違反で捕まって断念し、大志を抱いて東京に行ったようなんです。  で、なんだか知らんけどセールスみたいな事を何年かやってて、やがて都会の暮  らしに疲れて帰京しました。  その後職を転々と変え、ある日突然何を思ったのか富士見町の川沿いにある人里  離れた山の中での生活を始めたわけです。  そこでどんな仕事をしたかというと、川原の砂利取りでした。  人を何人か集めて零細企業を作り、砂利を取って生計を立てていたのですね。  周りには見事に民家などなく、ちょっと登ったところに温泉宿が一軒有るだけで  した。  この温泉宿のおかげで、風呂に不自由しなかったのが唯一の救いでしょうか。  宿には私と同い年の子供もいたので、時々はテレビも見せてもらえました。日本  初のテレビアニメ、「鉄腕アトム」が始まった頃ですね。  大きな台風が来て掘っ立て小屋の屋根が飛ばされてしまい、宿屋に避難したこと  などもいい思い出です。  とても笑っていられる状況ではないのに、その友達と一緒に寝られるのが嬉しく  て大騒ぎをしていたのですから子供はたくましい。  思えばその温泉宿のお風呂が、私と女体との遭遇の場所でありました。  母親や兄キと一緒に女湯に入っていたのですが、風呂に入る度に宿泊客の女性の  裸を腐るほど見ていたのに、何にも感じませんでしたね〜。  今思うと実に勿体ないはなしですが、漠然とあの人太ってるとか、痩せてるとか  思うだけだったですから、当然とはいえ当時の私には性欲とか性別というモノは  存在していなかったという事になります。  ただ一つ、嫌だった事があります。  頭を洗うとき四つ這いで洗面器に頭を突っ込まされるんですよ、母親に。これが  とても恥ずかしかった。  四つ這いになるとおケツの*が丸見えになるじゃないですか。幼心にも、おケツ  の*を他人に見られるのは屈辱でした。  しかし、相手が異性だからという理由ではなかったので、これも性の認識とは別  のものでしょうね。  当時の事で覚えているソレ関係の出来事が有ります。  保育園の保母さんが家庭訪問に来まして、我が家のあまりのみすぼらしさに呆れ  たというか、驚いていたのですが、トイレを貸してくれという事になったときの  事です。  我が家のトイレはといえば、凄まじいことに、小屋の入口の脇に一斗缶を一つ置  き、その前にムシロを垂らしただけのものだったんですよ。  一斗缶が一杯になると、小屋の前に作っていた畑にまくんですね。  さすがにその保母さんは、この簡易トイレで用を足す事は出来ませんでした。  幼かった私は、なぜだろうと不思議に思ったものです。  それから、小学1年になってから私のお友達の女の子が遊びにきたこともあった  のですが、やはりトイレをという事になり、簡易トイレを見て目を丸くしました。  お手本に私がソレにオシッコをし、こうやってやるんだよ、と促すと、本人は結  構嬉しそうだったのですが、小さい子だから一斗缶が跨げないんですね。  仕方ないので、庭先の畑のすみっこでオシッコをさせました。  私はそれを、横でずっと見ていた記憶があります。  畑の土の上を、チョロチョローっとオシッコが流れて行き、顔を見合わせて笑い  ました。  見ているこちらにも、見られているあちらにも羞恥心はなかったですね。  その子は次の日学校で、「カメ吉ちゃんの家のお便所って面白い」と言って他の  友達に自慢していましたっけ。  それを聞いた友達が何人も、「こんどオレにもさせてくれよ」とか言うものだか  ら、何だか照れ臭かったものです。  酷い貧乏暮らしではありましたが、子供というのは無邪気なものなのか、毎日は  けっこう楽しかったので、そんなものだと思って暮らしていると別に恥ずかしく  はなかったですね。  あの貧乏暮らしを恥ずかしいと思ったのは、ずっと後のことです。  親父が(母親も)あの生活をどう思っていたかは知りませんが、私が小学2年生  になる時にその川原の掘っ立て小屋を引き払い、諏訪に戻る事になりました。  私の担任か兄キの担任だったかは忘れましたが、先生が訪ねてきて、親父と母親  相手に「こんな生活は子供たちのためにならない……」というような事を長々と  話していたことを覚えています。  諏訪に戻ったカメ吉一家は、取りあえず住むところがないので、しばらくは祖母  の家に居候する事になりました。  国道に聖火ランナーを見にいった覚えがあるので、ちょうど東京オリンピックの  年になるのかな?  その頃の記憶に、「お医者さんごっこ」があります。  悪ガキAとBが楽しそうに話していたんですよ、「お医者さんごっこというとて  も楽しい遊びがあるんだ」と。  どんな遊びかまったく知らなかったのですが、「お医者さんごっこ」という響き  はとてつもなく意味ありげで、楽しいとなると参加してみたいじゃないですか。  で、連中に「オレも仲間にいれてくれよ〜」と頼んだわけです。  すると、「絶対に誰にも言わないと約束するなら仲間にいれてやる」というので  すね。  もちろん二つ返事で約束しました。  さて、その当日、確か土曜日の午後でした。  私はウキウキソワソワしながら現場に出向きました。  悪ガキAの家だったのですが、親は仕事で居ませんでした。  皆で家中の戸を締め切りにして、いよいよお医者さんごっこの始まりです。  お医者さん役がAで看護婦役がB、保育園に行っているAの妹が患者の役でした。  私にあてがわれた役はといえば、なんと次の患者です。  Aの妹とは顔見知りだったのですが、まさかこんな子供を患者にするとは思って  いなかったので、ちょっとがっかりしたものです。  妹は特に嫌がるふうでもなく、「それではお腹を診ましょう」と言うAの指示通  りに、服をまくってお腹を出しました。  真っ白いお腹に血管が青く透けているのを見ていると、いかにも秘密の遊びをし  ているという気分が盛り上がってきました。  Aはいい調子で、「それではシリツを始めましょう」とか言いながら自分の妹の  腹をいじります。  Bも調子を合わせて、「センセイこの辺はどうしましょう」とかいいながら脇腹  なんかをいじりまくる。  妹はくすぐったいので、腹をくねらせてキャハキャハと笑っていました。  それが終わると、次は私がセンセイの役でした。  AやBに言われるままに、取りあえず患者の腹をいじりました。  Aが深刻な顔で「どうですセンセイ?」なんて言うんだけど、どうもこうも、子  供の腹をいじくってて面白いわけがない。  それでも連中の機嫌を損ねるとマズいかと思い、「これはジュウショウですね〜」  と調子を合わせるんだけど、何だかアホらしくなってきました。  そのうちにAが、「それではパンツをおろしましょう」と言い出して、妹が嫌な  顔して「パンツはやだ〜」と言うものだからAはちょっと困って「それではパン  ツはいいです」と言いました。  センセイ役の私は、仕方ないので再びお腹のシリツを続けるのですが、ちっとも  面白くない。  気まずい空気を察してか、Aが「な、お医者さんごっこっておもしろいだろ?」  と一人ではしゃいでいました。  私が「あんまり面白くない」と言うと、「パンツを降ろせば面白いんだけどな〜」  と言って何とか妹を説得しようとする。  しかし妹は「パンツはやだっ」と突っぱねる。  「なんで嫌なんだよ〜?」とAが聞くと、妹は「カメ吉ちゃんがいるから」と答  えました。  「なんでオレがいると嫌なんだよ〜?」と私が聞くと、ちょっと考えてから、  「わかんないけどやなの」と答えました。  アホらしくなった私は「つまんねぇの、オレもう返る」と言って帰ってきました。  他愛もない子供の遊びですが、もう少し粘ればお医者さんごっこの神髄を垣間見  る事が出来たかも知れません。  残念ながらこんなつまらん遊びはないと思ってしまったので、二度と参加するこ  ともなく、私のたった一度のお医者さんごっこは保育園児のお腹をいじくり回す  だけで終わりました。  考えてみればこの頃も、近くの銭湯に通っていたのですが、女風呂に入るのが嫌  で嫌で、父親が帰ってくるのを待って連れて行ってもらったのを覚えています。  性に対する自覚が芽生えたのか、同級生がみんな男風呂に入っていたので自分だ  け女風呂に入るのが恥ずかしかったのか、よく分かりません。  その翌年、小学3年になる時にもう一回転校しました。  転校した先でもやはり、悪ガキ連中と仲間になり、泥だらけになって野山を駆け  ずり回っていたのですが、ある日このグループを二分する一大騒動が起こったの  です。  仲間の一人のSというヤツが、田圃のアゼ道でヌード雑誌を拾ったのですね。  で、グループのボス的存在のKと二人で眺めていました。  他の三人が駆け付けると、Sはそれをそそくさとカバンにしまったのです。  「なんだよ、オレにもみせてくれよ」とせがむ残りの三人。  しかしSは「こんなところでこんなモノを見てるのがバレたらえらい事になる」  とかなんとか言って、見せてくれませんでした。  バレるって、周りには人っこ一人いない田圃のド真ん中ですよ。まったく呆れた  のですが、「見終わったら順番に見せてやるからよ〜」というSを信じてその場  は引き下がりました。  しばらくしてそのヌード雑誌はボスのKに渡り、次に誰に回るのかと思っていた  らまたSに戻ったようでした。  で、Tというヤツが姑息な手段に訴えました。自分の兄キの隠していたエロ雑誌  を持ち出し、Sに貸して、引き替えにそのヌード雑誌を貸してもらったらしいの  です。  SとKとTはやたら大人びた口調で、「ああいうの見るとチンコが熱くなるんだ  よな〜」とか話していましたが、この「チンコが熱くなる」という感覚が当時の  の私にはまったく分かりませんでした。  ともあれ、これで完全に私ともう一人のNが除者にされた形になりました。  Tが勝ち誇ったように「お前らもみせて欲しかったら何か代わりのモノを持って  来いよ〜」などと言うものだから、私とNはプンプンしてSをなじったりしたも  のです。  「なんだよ、お前順番に見せてくれるっていったじゃないかっ」と。  Sはさすがに気がとがめたのか、「Tには内緒だぞ」と言って私とNに分け前を  くれました。  その分け前とは、セコいことに、切り取られたヌード雑誌の一ページでした。  Tからエロ雑誌を貸してもらった手前、引っ込みが付かなくなったのでしょうが、  かといって私やNとももめたくない。それで適当なページを分けてやればいいだ  ろうと思ったのでしょう。  私がもらったのは白黒のヌードグラビアで、Nがもらったのも白黒のヌード。ど  ちらもそんなに凄いものでは有りませんでした。  私とNはその日二人で帰り、途中のアゼ道でお互いにもらったページを見せっこ  したのですが、実につまらん代物だったですね。  「これ見るとチンコが熱くなるのか?」と私が言うと、Nは「ならねえよな〜」  と言いました。  そのグラビアは、数日カバンの中に隠して持ち歩いていたけれど、親に見つかっ  たらマズいと思って結局捨ててしまいました。  このNというヤツにはなかなか可愛い妹がおりまして、その子にも一つ思い出が  あります。  鉄棒とかゴム飛びが得意な活発な女の子でした。  近くの公園で遊んでいたところ、その妹が鉄棒をやっていまして、スカートだっ  たものだから後回りの連続をやっている最中にスカートが鉄棒に巻き付いて取れ  なくなってしまったんですね。  他の女の子達がキャーキャー騒いでいるので見てみたら、鉄棒に巻き付いたスカー  トが完全にぎっちりと絞られてしまい、パツンが丸見えになっていました。  白いパンツだったですが、小学生の、それも低学年の女の子のパンツなど別にど  うという事もなく、ただ鉄棒から半分ぶらさがったまま動けないのが見ていて可  哀相でした。  私やNも含め、悪ガキ連中で駆け付けて、なんとかしてやろうとしたのですが、  その妹が「来ないでーっ」と言うのです。  周りにいた他の女の子も口を揃えて、「男子はあっちに行っててよ!」と目を吊  り上げて言うのです。  「だって、取ってやらなきゃ可哀相じゃないか」とか、「スカート脱がせばいい  んじゃないのか」とか口々に私達が言うと、「いいから男子はあっちに行きなさ  いよ」と、女の子達は前に立ちはだかって皆で妹のパンツを隠します。  この、女の子達の行動が不可解でなりませんでした。  パンツを隠す暇があったら助けてやればいいじゃないか、と、私はそう思ったの  ですが、気が付くと当の妹は顔を真っ赤に染めていました。  それを見て、その子が恥ずかしがっているのだと初めて気付いたわけですが、や  はり不可解でしたね。  たかがパンツくらい見えたって、それが何だってんだ? てなもんです。  パンツ見られるのが嫌ならスカートなど穿かなければいいのに、とも思ったもの  です。  その当時の私はスカートめくりの常習犯で、近所の女の子を散々泣かせては親に  言い付けられて殴られたりしていました。  なぜまくるのかと言われると、面白いからでした。女の子がキャーキャー言うの  が面白くてやっていただけで、別にパンツが見たかったわけではありません。  まくられるのが嫌ならスカートなんか穿かなければいいのにと、いつも思ってい  ました。  この辺りの感覚はいまでも続いています。  女性のミニスカートはとてもいいものですが、座ったり階段上ったりするときに  隠すのはいただけません。  穿いてるなら隠すな! 見られたくなければミニなんか穿くな! 声を大にして  言いたいところであります。  考えてみると、私はあの頃からまったく進歩してないのかも知れませんね。  私が初めて「女の子」を意識したのは、小学4〜5年の頃だったと思います。  同級生の皆と公園でワイワイ遊んでいたら、J子という女の子が突然駆出したの  ですね。  何するんだろうと思って見ていたら、公園の隅っこでしゃがんでズボンとパンツ  を降ろしたのです。  で、オシッコを始めました。  ジャーーーーッ いい音が響きました。そのお尻が真っ白で、ドキドキしたのを  覚えています。  女の子のお尻は白い! 目にも鮮やかな真っ白いおしりが今でもくっきりと目蓋  の裏に焼き付いています。  しかし、「チンコが熱くなる」事はありませんでした。  中学に進んだ私は、残念ながらクラスが別になってしまったのですがその一件の  せいか、すっかりJ子が好きになっていました。  しかし、まだ「チンコが熱くなる」という感覚は分かりませんでしたね。  中学の1年だったか、面白い記憶が有るので書いてみましょう。  悪ガキ仲間にHというのがおりまして、こいつがやたらと「お○○こ」という言  葉を連発するんですよ。  もう、ところ構わず、周りに誰がいても平気な顔して「このお○○こヤロウー」  なんて怒鳴る。  私は、この「お○○こ」というのがはっきり何であるのかは知りませんでした。  でも、人前で口にするのははばかられるというのは薄々感付いていまして、Hに  それとなく「デカい声で言わないほうがいいんじゃないか?」と忠告しました。  するとHが言うことには、  「お前、お○○こが何だか知ってるか?」  「よくは知らないけどさ〜」  「いいか、お○○こってのはだな〜、まぐその事なんだぞ」(馬糞ですね)  「え〜、違うだろう〜」  「違わねえよ〜、ウチの父ちゃんがそう言ってたもんっ」  Hは何を言っても聞かない。  おそらくは、ヤツの父親が苦し紛れに口から出任せを教えたのだろうと思います  が、無責任といえば無責任ですよね。  何も知らないHは、その後も「お○○こ、お○○こーっ」と連発しまくり、担任  に怒られたりしていました。  その担任にしても、親父の言うことを信じて疑わないHに「お○○こってのはま  ぐその事なんだぜ〜」とあっけらかんと言われて、困り果てておりましたっけ。  いつかはHも真実を知ることになったと思いますが、きっと恥ずかしかったでしょ  うね〜。  ちょっと同情してしまいます。親が嘘を教えてはいけません。  もう一つ面白い話があるので書いてみましょう。  男子数人で視聴覚室の掃除をしている時の事でした。  隣のクラスの一人にませたヤツがいて、突然変なことを言い出したのですね。  「お前たち、女のアソコがどうなってるか知ってるか?」とかなんとか。  「知らないよ。見たことないから」と答えたのは私です。  「よ〜し、それじゃあオレが女体の神秘を教えてやろう」  ヤツは得意満面で、黒板におかしな絵を描き始めたのです。  +−−−−−−−−−−−−−−−−−+  こんな感じの絵でした。  |        ×        |  皆さんお分りになりますか?  |    \       /    |  |     \     /     |  このおかしな絵がヤツに言わせる  |      \・・・/      |  と「女体の神秘」なのだそうです。  |       \ /       |  「いいか〜、女はな〜、穴が三つ  |        |        |  横に並んでるんだぞ」  |        |    黒板  |  ヤツは自慢げに言いました。  +−−−−−−−−−−−−−−−−−+  大笑いじゃありませんか。  ヤツが後年、かなり恥ずかしい思いをしたのは想像できますが、その当時私はまっ  たく無知でして、この妙ちくりんな絵を見ながら「へ〜、女のアソコってこんな  ふうになってるのか〜」と素直に感心したものです。  しかし、いくら考えても穴が三つ並んでいるというのが納得いかない。  一つはオシッコで、もう一つはウンコ。だったら三つ目は何なんだ? ウンコと  オシッコの他に何か出るもの有るのかいな? と悩んだわけです。  で、そのませたヤツに聞いてみたけど、そいつも良くは分からない。  気にし始めると気になって仕方ないので、さらに何人かに聞いてみる。  すると、一人知ってるヤツがおりました。  小学校の途中に京都から転校してきたというヤツで、ちょいとノッペリした御公  家ふうの、我々田舎者とは一味違う雰囲気のAというヤツでした。  こいつなら京都育ちだから知っているかもしれない(なぜ京都なら知っていると  思ったのか追求されると困るのですが……)と思ったのが正解でした。  「お前、知ってるか?」私はオズオズと聞きました。  「何を?」とA。  「女体の神秘さ……」  「あ〜?」  「あのさ〜、女のアソコって穴ぼこが三つ有るんだって?」  「ああ、知ってるさ」Aはニヤリと笑いました。  「横に三つ並んでるんだってよ」  「横じゃないよ。縦に並んでるんだ」  「え〜? 横じゃねえのか〜?」  「ああ。そんな事も知らないのか」  「ところでよ〜、真ん中の穴は何なんだ?」  「子供を作るんだよ」  「え〜? 子供を作る? どうやって?」  「生殖行為に決まってるじゃないか」  「なんだ、それ?」  「結婚して子供を作るんだよ」  「子供って、作るものなのか?」  「そうだよ。楽しみだな」  「何が?」  「だからさ〜、生殖がさ」  「う〜ん、よく分からないな〜。生殖ってなんだ?」  「子供を作る行為さ」  笑ってしまいますが、これ、記憶は薄れているものの、中学校の教室の片隅で交  わされた当時の会話のほぼそのまんまです。  中学2年生くらいまで、私は何も知らなかったのですね。  男と女が結婚すると、奥さんのお腹が自然に膨れてきて、やがてパチンと破裂し  て中から桃太郎のように子供が生まれてくる、くらいに思っていたのです。  あまりにも無知な私に、その友人Aは「百科事典をくまなく見るように」と教え  てくれました。  キーワードは言うまでもなく「生殖」です。  その他にも「月の室とか、子の宮なんてのも調べてみな」と教えてくれました。  Aのくれるヒントをもとに、手持ちの辞書とか家にあった小学館の百科事典など  を網羅して、やっと私も「女体の神秘」の実態と、生殖行為なるモノの概略に辿  り着くことが出来ました。  純情な(ホントだぞ)私にとって、その実態はかなりショッキングなモノでは有  りました。  人間がそんな事をするというのが信じられず、まさにケダモノの所業としか思え  ませんでした。  考えてみれば、それまで「えっち」なんていってもせいぜいがオッパイ揉んだり、  おケツを撫でたりするくらいなもんだと思っていて、それでも充分に嫌らしいと  思っていたので、その後に「あんな事」とか「こんな事」とか、さらには「あ〜  んな事」とか「こ〜んな事」まで控えているのだと知ったら、もう大変です。  「大人はなんて酷いことをしているんだ! 大人は汚い!」てなもんですよ。  しかしまあ、そのウチにほっといてもモンモンとする日々がやってくるわけでし  て、毛は生えてくるわ皮はペロりと剥けるわ、ふざけて買った雑誌の『ポケット  パンチ』に出ていた関根恵子さんのヌード写真なんかを見ていて「チンコが熱く  なる」のを体験したりするし、当時流行り始めたポルノ関係の雑誌を俯せで見て  いてチンコから変なものが出てきた、なんてえ体験も無事に済ますことが出来、  順調にケダモノへの道を歩き始めるに至ったわけであります。  まったく、百科事典で垣間見た生殖行為なるモノの事を考えると、目が回りそう  な気がしたものです。  この「熱くなったチンコ」を「月の室」に「入れる」、ですからね〜。  どんなに素晴らしいのだろうと考えると、夜も寝られないほどでした。  SM雑誌との出会いもこのころでしたか……。  よくつまらん笑い話にありますが、書店の店頭でFMとかSFとかの雑誌だとば  かり思って手に取ったのが最初です。  『SMマガジン』という雑誌でしたが、大袈裟な言い方をすれば、ソレを見付け  た時の戦慄はいまでも忘れられません。  開いたらいきなり縛られた女性の写真がドーン、ですからね〜。  これは何なんだ? と首を傾げながらパラパラとページをめくり、一つ作品を読  みました。  スキンヘッドのスケベ親父が旅行中の女性を拉致して、好き放題にいたぶりまく  る、という内容だったと思います。(我ながらよく覚えているものだ……)  その女性はあまりのショックで断崖から身投げし、行方不明という事になります。  女性の妹が姉の行方を探しに来るのですが、姉と同じようにスケベオヤジの毒牙  に掛かってしまいます。  こんなのあるの〜? とぶっ飛んだ私はさっそくその雑誌を購入しました。  家に帰って隠れて何度も読み直し、ゾクゾクしたものです。  緊縛とか、蝋燭責めとか、浣腸とか、まさに信じられない代物のオンパレードに、  世界が引っ繰り返ったような気がしたものです。  目眩く倒錯の世界、ってヤツですか。スゲ〜な〜、こんな目茶苦茶な世界がある  のか〜と、夢中で読み耽り、グラビアはもちろんのこと、小説から広告まで穴の  あくほど読み返しました。  こんな凄い代物を独り占めにするのは勿体ないので、さっそく学校に持って行っ  て、放課後悪友連中を集め「オレよ〜、凄え本見付けたんだぜ〜」と大威張りで  見せびらかしたのですが、カバンにSM雑誌を入れて持ち歩く中学生というのも  今にして思えば冷汗モノです。  それからしばらくの間、私のクラスではSM雑誌が大流行したのですが、買いに  行くのはいつも私でした。買い込んだソレらを読み飽きたら悪ガキ連中に回すわ  けです。  『SMセレクト』『SMファン』『SMマガジン』……私の青春期に彩りを与え  てくれたSM雑誌の御三家です。  『SMスナイパー』が出たのはもう少し後ですね。  やがて工業高校に進むことになりますが、同じ中学から行ったヤツなんかも居ま  して、「SM雑誌の買い出し係り」という私の役目はそのまま続いたのでありま  す。  気前のいい私は読み飽きたブツはどんどん貸し出しました。そのまま返ってこな  くても構わないし、溜まると隠し切れなくなるので欲しいというヤツにどんどん  上げてしまいました。  クラスで一二を争うガリ勉連中が、放課後の教室でSM雑誌を食い入るように見  つめ、「欲しかったらやるぞ」と私が言うと嬉しそうにカバンに仕舞う姿は、い  や〜、微笑ましいものでしたよ。  書店によってはうるさ型のジジイなどもおりまして、ガクランでエロ雑誌を買い  に行くと「学生がこんな本を買って……」などと小言を言われる事も有りました  が、そんな事は知ったことではない私は、その後も買い漁りました。  高校生の分際で、「団鬼六は悪くないけど、ちょっとねちっこいよな〜」などと  蘊蓄を垂れていたのですから、いい気なものです。  男カメ吉、春真っ盛りでありました。

© 1996 カメ山カメ吉

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