飾り棚の上の暦に関する舌足らずな注釈
消滅した暦が置き残した不確かなメッセージにはさまざまな想像力をかきたてられる。バビロニア暦。大インカ暦。フランス革命暦。ロシア皇帝暦。時の流れは改暦によってこれまでとはべつのメロディーを奏ではじめるが、それでもむかしの余韻までが完全に抹殺されるわけではない。ふつうの手続きを経て編まれた歴史のなかには収まらない秘めやかな囁きが聞こえてくるのだ。天駆ける精神はどこに墜死したか? 鳥たちが飛び去ったあとで樹々の梢はどう顫えていたか? 涸れた湖のそばで息絶えた狼はどんな眼をしていたか? これらの問いに力強く答えてくれるものは何もない。それは記録されなかったか、もしくは記録されたとしてもどこかに葬り去られてるからだ。いまとなっては残念ながらすべてが想像だけに委ねられる。

言うまでもなく暦はいつも勝者のものだった。それは時間までをも制した支配の証なのだ。時の流れはその支配軸もなかに規定される。日常の営為も戦地でのスケジュールもこのなかに組み込まれる。いかなる暦で暮らすのかはどのような体制のもとで生きるかの重要な目安なのだ。しかし、暦の変更にともなうすさまじい混乱はこれまでのところ記録されていない。それはどの暦もほぼ天体の動きを基盤とし、狩猟や農耕の方法と密接に結びつき、どうゆう暦で暮らそうと日々の生活にさしたる不自由はないからだろう。支配の論理は一見ニュートラルな天文学の陰にすっぽりと身を隠せるのである。暦法に変更はこうして安泰に行われてきた。

今日、ほぼ世界中で通用している暦はグレゴリオ暦である。これはローマの終身執政官カエザルの定めたユリウス暦を改変したものだ。日本では西暦と呼ばれている。400年とすこしまえローマ教皇グレゴリオ13世は改暦問題委員会を召集した。世にいうニケア会議である。ここで討議されたのは主として二つだ。ユリウス暦で生ずる朔ぼう望月の長さについての誤差の修正。ユリウス暦にに混入してきた教会暦のなかのユダヤ教的残滓の一掃。つまり、ニケア会議は天文学と政治力学が同時に検討されたのだ。その結果としてのグレゴリオ暦は声高ではなかったにしてもキリスト教的価値の世界制覇を宣言したものなのである

だが、このグレゴリオ暦に完全浸食されてない広大な地域がある。言わずもがな、中東イスラム圏だ。コーランは言う。「天地創造の日、神の啓典に定められたところによって、月の数は12であり、そのうち四ヶ月は神聖月である」しかし予言者ムハンマド存命のうちには暦法は確立されなかった。これを行ったのは第二代のカリフ・ウマルである。彼は予言者ムハンマドがメッカからヤスリブ(のちのメジナ)へ根拠地を移した日を紀元とする太陰暦であるべきことを命じた。遷都を意味するヒジュラがこの暦に命名される。こうしてできあがったヒジュラ暦はいまむグレゴリオ暦に対抗しうる最大の暦法である。

暦の歴史を眺めると、それは太陽暦と太陰暦の対決の歴史と言ってもいい。もちろん、ふたつを融合させたバビロニア暦やヒンズー暦などの太陰太陽暦も存在するし、天体の動きとは直接関係を持たないアイヌ暦やイロコイ暦などの自然暦もある。だが、いまや大勢は太陽暦と太陰暦だ。大げさな言いかたをすれば、現在の中東情勢は太陽暦と太陰暦の鬩ぎあいなのだという見かたもできなくはない。すなわち、グレゴリオ暦の世界制覇をヒジュラ暦が阻んでるという表現すらも可能なのである。

太陽暦と太陰暦の相克はイランにおいてはしかし、他のイスラム地域ほど単純ではない。イラン・イスラム革命はグレゴリオ暦のなかで生みだされた近代主義への否定だった。だが、イラン帝国暦が廃止されたあと採用されたのはイスラムの太陰暦ではなくジャラリ暦である。これはセルジューク朝マリク・シャーの称号ジャラル・ウ・ダウラ(国家の栄光)に由来する太陽暦だ。この暦法は900年ばかりまえに彼の命令によって詩人にして著名な天文学者ウマル・ハイヤームが完成させたものだが、イスラムのなかの少数派シーア派の主力となったペルシア人はヒジュラ暦ではなく民族的伝統たるジャラリ暦を選んだ。そして、イランのなかの少数民族と呼ばれるクルド人バルチ人ヒジュラ暦のもとで暮らし、ペルシア人支配に抗しつづけてている。荒っぽく対置させればこうだ。グレゴリオ暦の世界制覇に対抗するヒジュラ暦。スンニー派優位のイスラム教の中でシーア派主力のペルシア人の民族的伝統たるジャラリ暦。ペルシア人支配を撥ねのけようとするクルド人たちのヒジュラ暦。太陽暦と太陰暦の確執はイランにおいては概ねこのように進行している。とは言うものの今日イランで生じてる様々な事象は暦そのものとは直接には何の関係もない。時の流れについての枠組みに異議を申し立てる方法はこれまで発見されてこなかったし、今後もそれは夢想されもしないだろう。暦の改変は歴史の勝者に限られるのだ。飾り棚の上に置かれてる暦法辞典を取り出して不遜にも若干の注釈を試みたが、硝煙のなかで闘ってる連中はいまのところそんなものには何の興味も示さないにちがいない。

砂のクロニクル