電子メールの件ですが、私(66歳)のメール仲間は日本と米国に沢山居る わけですが、特に日本人の場合には、三十代、四十代が大半です。五十代に なりますと激減、六十代では・・・数えるほどしか居りません。 これは、これで別の理由があるようです。例えば、キーボード恐怖症、パソ コン恐怖症、電子機器恐怖症等々です。
それはともかくとしまして、私たち、私と妻(61歳)は来月26日から米 国の南東部七州を車で、南部三州を大陸横断鉄道で、旅行をすることになっ ています。
何故、米国なのか?とよく日本人に聞かれるのですが、南東部、南部の田舎 には昔、私たちが小さかったときに、日本にもありました hospitality が、 色濃く、はっきりと、あるからです。それは、あまりにも有名な Southern Hospitality としてです。凄い魅力です。
勿論、6年間の教育で英会話が身に付かないのは、私自身の努力が たりないためです。でも、習った英語を使うチャンスが全く無い状態が もう14年も続いているのです。また、日常生活は日本語しか使いません。この状態 で、英語の知識を維持するのは困難だと思います。
そして、私のような人が、日本にはとても多いのではないでしょうか。 英語のネイティブスピーカーに出会えるのは、日本でも首都圏や、大きな大学の周 辺だけです。少なくとも、私の住む周りには一人もいません。
会話は、相手を目の前にして必然的に話すから上達するのです。一人で英語の文章を 理解しようとすると、膨大な時間がかかるのです。
注目すべき事実があります。日本人は虫の音を聞くとき、左脳に電流が流れます。 しかし同じ音をアメリカ人が聞くと、右脳に電流が流れます。つまり、日本人はこの 音を「言語」として聞き、アメリカ人は「環境音」 ととらえているわけです。本人は意識していないけれども、脳の判断は異なる状態。 これは、ながい文化の歴史の違いが作った現象と言われています。それが本当かは分 かりませんが、この、脳の働く場所が違う という事実は、日本人の英語コンプレックスに何か関係があるような気がしてなりま せん。
覚えられない英語のせいで異文化交流に障壁があるなら、ハードとソフトでとりあ えず乗り越えよう、というのが私の考えです。インターネットに 関して言えば、もっと簡単に翻訳できるソフトや、それに対応できるスペックを備え たハードウェアで、スタートラインに並ぶ。異文化交流や英語への興味・理解は、そ ういった環境が整ってからはじめて可能になると思っています。その上に、コーラさ んのような「仲人」さんがいてくださったら、最高です。
英語の苦手な日本人でも、心の中では交流したがっています。そのために必要な ハードとソフトの出現を、私は待っているのです。
インターネットを始めたばかりのころは、メールアドレスを人に 教えるのを少しためらっていました。 電話番号や住所を見ず知らずのひとに公開したりしないでしょう? だから、Eメールのアドレスも同じくらいの慎重さは必要かと思ったのです。 でもそれほど慎重にする必要はないみたいですね。 今はもっとメール友達を増やしたいと思っています。
最近は高校でもインターネットを導入していますが、これはどうかな?と 思います。それは、日本国内でインターネットをしている高校がほとんどで、 世界を巡って・・・という様な実態ではない様に思えるからです。日本国内で インターネット(以下ネット)をしているのもいいですが、英語がネックに なっていて「誰かがすれば私も」「一緒にやらない?」という様な事に なっているのじゃないかなと思います。確かに私も海外とはしていない理由が 「英語」ですが、ただ単に英単語を知らない理由以外に、学生の間の英語の 授業にも問題があるように思います。学校で習った英語は「英会話」ではない からです。実際必要なのは「英会話」ですが、どうして英会話という授業が ないのか不思議です。文法も大事だと思いますが、本当に必要性がある のでしょうか?
ネットは、いつでもネットできる環境であれば、情報が入手できる。便利 いいですね。しかし、これでいいのでしょうか?私はどちらかと言うと 最新の物に興味があるせいか「デジタル派」ですが、家族は「アナログ派」です。 絶対にどちらがいいとはいえません。どちら一長一短。しかし「電磁波」は 見逃せません。「デジタル」社会になっていますが、「電磁波」など 未知の世界もあります。「別に大した事ないな」案外、誰もがこう思っている でしょうが、後で困るのは自分です。知らず知らずの間に少しずつ影響を 受けているのです。頭痛、眩暈、吐き気などが電磁波の影響によって私には 出ていると思います。これからもデジタルの方向へ進んで行くと思いますが 未来的には「アナログ」に戻ると信じています。コンピュータが手放せない 時代になれば人間がコンピュウータに侵されるでしょう。
情報化社会。情報を得るにはコンピュータでなくてもいいのじゃないか。 しかし、現在ではコンピュータが主流ですね。いつの日か、コンピュータじゃ なく、情報をコンピュータの様に得られる様になればいいと思います。
インターネットの利点は、TVや本と違って、どんなに田舎に住んでいても、等し く情報を得ることができ、また自分が情報を発信できることでしょうか。
日本人が英語を話さないのは、ずばり話せないからです。確かに、中・高校と6年 間は英語を学習しているはずなのに・・です。自分が”Hello”と言った言葉 をアメリカの人々が、はたして”Hello”と理解してくれるかが、とても不安 だからです。日本にいる外国人の方々が、(我々からすれば)「よくわからない日 本語」を一生懸命話していれば、我々も一生懸命に耳を傾けます。それと同じこと をアメリカでは、アメリカ人が我々にしてくれるのに。日本人はへんてこりんな「 英語」を聞かれるのが恥ずかしいのです。日本には昔「恥の文化」というものがあ りましたから。
パソコンやインターネットが普及しても、日本人の性格が、ワールドワイドなものに なっていないんだと思います。 つまり、インターネットの普及が早すぎて、日本人 はちょっと、ついていけないんじゃないでしょうか。 私もそうかもしれません。 気持ちの切り替えと、ネットの発達にちょっとしたギャップが生じているのかもしれ ません。
インターネットは、一歩パソコンの外にでればそこは世界とつながっているんです。 そういう、基本的なことを、今一度考えてみるいい機会になりました。 ありがとうございました!!
話さなければ意志疎通がない旨はよーく理解できるものの、インタ ーネットを使ってという箇所は少々疑問です。コーラさん自身が経 験済みだとは思いますが、日本のプロバーダー環境が整いだしたの はここ1、2年。光ファイバーや鋼線を使って1Mbps以上の速度で繋 ぐなどという米国の状況とはいささか環境が違いすぎるような気が します。日本の場合、市内通話も無料じゃないですしね。
コーラさんのように朝食時がメール確認の時になるまでには、日本 はもう少し時間がかかるような気がしますが、いかがでしょうか?
もっとも、E-mailの普及も時間の問題ですから、間違っていようが 稚拙であろうが、話す姿勢が大切なことだけは確かですよね。
その理由として、Coraさんご指摘の、英語の苦手意識は大きいと思います。 それ以外に、基本的な問題があるのではないでしょうか?
1.Computerに対して、日本人全体では、まだまだ一部の人が使うもの
という考えがあること。家庭の主婦や老人層では、Computerを使う
人は少数派です。
2.社会人は仕事としてComputerにふれる人は多いのですが、その人
達の多くは、E-mailで未知の人と意見交換するという考えが無い。
3.小学校・中学校のComputer教育が充分でない。
4.日本人は、自分の意見をまとめ、発表する訓練が極端に少ない。
以上、いくつかの問題があります。 しかし、10代・20代・30代を中心にInternetを使っている人は、急増し ています。かれらは、外国に出かけることも多く、外国の人との交流にも 関心が高い。この層を中心に、きっかけがあれば、Internetを使った、 異文化交流は日本でも、速いテンポで広がると思います。