でもカナダにいる妹とは毎日mailの交換をしています 60才を越えてこの様な事が実現するとは思いもよらない ことでした。
貴方様の様な大学院生の方々が、いろいろな国々の人達と 手を繋いでこれからの素晴らしい明るい社会を作って下さる ことを希望します。
コーラさんの言うように日本人はとても内気で、特に英語に関してはコ ンプレックスがあるので、海外に友達と作りたいという気持ちがあって もそれを実行する人は少ないのが現状でしょう。 私もはじめは自分の言いたいことが、相手にきちんと伝わるのか不安で した。英語の文法書や辞書を調べながら、メールを読んだり送ったり。 それが面倒になってしばらく返事を書かなかったりもしました。 でもそんな時、必ず彼らから「元気ですか?何かあったの?」というメ ールが届き、またPCに向かうのです。 今では、辞書を調べることもほとんどなくなりました。
日本の学校にも今どんどんPCが導入されています。 私は、それを使って海外の学生とメールを通じて交流するような授業を すればいいと思います。 受験のための英語教育も大切かもしれないけれど、海外の友達から自分 あてに届いたメールを辞書や文法書を調べながら読む方が、きっと楽し いしそこから学ぶこともたくさんあるはずです。 私は、自分の体験を通してそう感じます。
文化は、それぞれの国・民族の歴史的・自然条件(地形 産物・政治。。。。。。)の結果の氷山の一角で、絶えず 変化しつづけているものと私は思います。 何事も、相手の歴史的背景が必ず有るのです。 今後とも、多くの日本の知り、理解し手、そして、いろいろな 意見」をお聞かせ下さい。
今でさえ、外人さんを見かけることは珍しくなくなりましたが、わたしが子供の頃 などは、とても珍しく、外人さんを見ると、わざわざ親に報告して、話題にのぼるほどです。ですから 、どうしても、当たり前の光景としてインプットされていない外人さんには、どうしても構えてしまう ところがあると思います。
内気な日本人でも、日常に当たり前に存在し、身近に感じ、接するチャンスがある ものだったら、苦手とは思わないと思います。そして、ほとんどの日本人が日本語 onlyで 人生のほとんどを生活していて、特別な思いや仕事での必要性にせまられなければ、ほとんど使うチャンスがありません。ですから、学校教育の問題がしばしばとりあげられ、もちろんそれもそうなのですが、必要のない使わないものはおのずと後回しになってしまうのが普通です。
これは余談ですが、先日あるレストラン(そこは場所がらのせいか日本人でないひ とが半分以上しめていました)でランチを食べていたら、隣の席で日本人とアメリカ人のビジネスマン が話しているのが(英語で)耳に入ってきました。
日本人「日本語を勉強しないの?」
アメリカ人「しないよ。」
日本人「なんで?せっかく日本にいるのに。」
アメリカ人「I speak English.」
これはどういうことでしょう?
日本人の内気な性格:その通りです。私も子どもの頃から内気な性格が強く悩んでいます。 初対面の人ばかりではなく、日頃顔をあわせる知人との会話でも、 気持ちよく話しを楽しめることは多くありません。
日頃から、ニュースやゴシップを収集することへの根気や努力が足りないので、 日常的な会話のネタが少ないのが原因の一つかとも思います。 また、ある話題に自分がついていけないときに味わう「落ちこぼれ感」や自分の無知 感を味わいたくないという防御反応もあると思います。 この防御反応が会話における消極的姿勢を招き、「内気」という形をとって現れるの ではないかと思います。
ただし、自分の専門分野のネタは興味をもって集めています。 例えば、大衆薬のかぜ薬や漢方薬の中にもオリンピックのドーピング禁止薬物が含ま れていることなど、とても興味深く、また一般の人達にも興味あるはずだと思うので すが、この話題を出しても相手は興味を示さず、すぐに話題をそらされてしまう事が 多いのです。シラケてしまいます。
話題がかみ合わない、話しが弾まないときに感じる気まずい雰囲気(シラケ)に日本 人は敏感なのではないでしょうか?シラケを克服するテクニックを身につけていない のではないでしょうか? 会話を始めなければ、シラケを味わう危険はないから、話しかけないということにな ります。
わたしは本当のアメリカを知りません。誰かのフィルターを通したアメリカは数 多く見聞きしていますが、その中でも、よく行われているように見受けられる 「パーティ」は、知らない人同士が親しくなるのにいい機会を提供しているよう な気がします。日本における「宴会」とは違うように思われますが実際のところ はどんなものなのでしょうか。
でも、今は若いときより自意識過剰ではなくなって来ているので、だいぶ知らない 人とも気軽に話せるようになってきました。年をとることもいいものです。こんな メールも書いてみるのですから。これからは、ペンフレンドを探した昔の心を思い出 してみようと思いました。
私も、世界中の全く知らない人との会話がメールを通じてできたらいいな、 とは思っていたのですが、なかなか、メール上で知り合う機会がなく、また やはり、顔の見えないメール上でのやり取りに不安感というものを、抱いていました。 でも、今日は思い切ってメールを出してみました。 全く知らないひとだからこそ、肩の力を抜いて素直な気持ちで、率直な会話を 楽しむことができ、世界中の人たちと交流ができたなら、私も今の漠然とした 狭い世界から一歩でも抜け出せるような、そんな気がします。
日本人にはやはり「仲人」というものが必要なのかも知れませんね。 中学時代に近所に住んでいたカナダ人の英語の先生は、いつもニコニコ笑いかけてくれ、 いつも目線は中学生の目線で、私の目をじっと見ていろいろな楽しいお話を聞かせて くれました。 日本人は、見知らぬ人と出くわすと、貝のように無口になり、恥ずかしさで緊張して しまい、ぎこちない態度をとってしまいます。どうしてもアメリカ人や、他の国の人のように、 フレンドリーな態度で接することができないのです。文化や、生活習慣の違いだけで 割り切ってしまえばそれまでなのですが、やはり、これからは日本人もリラックスして もっと周りに目を向けて、見知らぬ人にも何気なく声を掛けてみるくらいの寛容さも 必要なのではないかと思います。(これは私の希望的観測にすぎず、なかなかこのよ うにうまくはいかないと思うのですが。。。。) そんな、”内気”な日本人には(私も含めて)電子メール上での全く未知の人と会話 することがフレンドリーへの貴重な一歩になればと思うのです。
大学生の時新宿でアルバイトをした時、私は、多くのアジア人と一緒に仕事をした 経験があるので英語に関してはアレルギーは無いのですが、私の高校時代(山口県 立山口高校)の英語の授業の話にあるように、教室の前の黒板に英作文を書かしと いて、英語の教師が考えている表現と一致しないと言う理由で「これは、×」と評 価しただけで、私が書いた英作文を御丁寧に全部消去し、英語教師の教科書(教師 だけが持っているMannual)に書き込まれている英文を黒板に書き始めたので す。
数学や化学は当然答えは一つしかありませんが、英語は語学なので答えは一つでは ない筈。表現方法に関しては自由な筈。特に英作文に関してはなお更。こんな英語 の授業じゃ、学生と英語、日本人と英語との距離は開くばかりです。 この様な英語教育なので、英語コンプレックスを持ち、「英語は完璧でなくても通 じる」って事を忘れてしまっているのでしょうね。 余談になりますが、黒板に書かれた英作文を消される様な英語能力しか持ち合わせ なかった私の日本大学薬学部の入学試験の英語の成績は全受験生のなかで2番だっ たそうです。何故なら、日本の私立大学の入学試験のほとんど選択問題「マークシ ート方式#だからです。設問中に必ず答えがあるから、面倒臭い作業ですが、全部答 えに当てはめて見れば自ずと答えが見えて来るのです。これも、日本英語教育のブ ラインドじゃないでしょうか。
教科書だけじゃなく、コーラさんの佐賀県伊万里市での海外との交流からの英語教 育は大賛成です。インターネットの日米間の「仲人」として、これからも、頑張って下さい。
今、日本の英語教育は中学からですが、授業の一番初めに「何故英語を学ぶのか」を はっきり生徒と教師で話し合うべきだと思います。私がのぞむのは「選択制」ですが。
私は英語教育は受けたい人間だけ受ければいいとおもっています。 やりたくもないのに無理に教えたって頭には入らないと思いますし。
ワープロやパソコンが出はじめた頃には、なにが何でも自筆が一番と思ってい た私です。ところが、ワープロを始めると、手書きより便利なことがいろいろわ かり、必要に応じて使うようになりました。そして、 今や、電子メールに関心をもち、ちょっとずつやってみようかなという気になっ ています。
全く知らない人と交信できること、電話や手紙以上に速く届くことなど、大き な魅力が私にはあります。