仙台市在住の大学院生です。

知らない人に電子メールを出すのは初めてです。 日本人は、知らない人と話をするのが苦手であるというディクソンさんの 意見に全く同感です。文章を読んでもっと知らない人とも積極的に 交流なさいと励まされたような気持ちになりました。 心の奥では、誰とでも気軽に話しがしたいと思っているのですが、 なかなか難しいですね。

知らない人と気軽に話しが出来ないのは、自分側だけの問題では ないような気もします。話し掛けた相手も同じように心を 開いてくれないとコミュニケーションになりません。 特に都会では、他人に対する無関心という事もあり 知らない人に対して心を閉ざしている人が多いと思います。 また、最近はいやな事件も多いので、無条件で他人を信用する事が 難しくなっているということも一つの原因だと思います。 そんなことを考えずに誰とでも気楽に話が出来る社会になれば いいですね。そのためには、やはり自分から積極的に話し掛けるという 姿勢が大切なのでしょうね。いろいろな事を考えさせられました。



私は二十四歳の女性です。社会人です。私は、メールを初めてまだ一ヶ月も経たないので すが、主に友人とのやりとりに使っています。

 pcを買おうと思ったきっかけは、私の周りでpcを使う人が増えたことが理由の 一つにあげられます。メールは、本当にいいなぁと思います。電話のように時間を気にせずにつなげるこ ともできますし、今まで無口だった人や、普段喋っている友人でもこんなことを考え ていたのかと改めて感じることができるから。そして、私もいつもと違う自分を出せるような気がします。  

 今、インターネットでして見たいことが二つあります。一つは仕事を探すこと(国 内外で)、二つ目は世界中の人とインターネットを通じて話をしたいと言うことで す。二つ目には情報を得たいという意味も含みます。 いずれは、やり方を覚えてやろうと思っています。

 私も世界に興味があります。そこで、海外に行ったりもしましたが、日本にいると なかなか他の国の人たちと交流する場が少ないように感じるのです。今までに日本に いて、友達になりたいと思ったこともあったのですが、最近はあきらめ気味です。 と言うのも、何度かがっくりきたことがあったのです。それを気が弱いと思うか内 気だと思うか分かりませんが、私は傷ついてしまったのです。

   たとえば、私は顔が幼いので、外国の方から見たら子供に見えるのかもしれませ ん。そのため、ある程度は接してくれますが、大人としての扱いを受けていないよう に感じることがありました。年相応の考えを私は持っていますし、私はもう大人なのでハイティーンに対するかのような扱いを受けますとがっくりしてしまうし、もうしゃべりたいと思いません。

 同じ人種でも(日本人同士でも)育った環境によって考え方が違ったりしますよ ね。なので、やっぱり、世界各国によって考え方も違うと思うのです。全く理解不可 能なときもあると思います。しかしまた、違う人種でも考え方が似ていたり、気が合うとかそういうこともあると思います。後はその人同士の問題になると思うのですね。なので、私が受けた態度も私としゃべっていてもおもしろくなかったとかそういうことだったんだろうな、と思うようにしました。 なぜか、あんまり外国の人に会えてしゃべろうという気がしなくなってしまいまし た。欧米の方は特に見かけで判断するところはないでしょうか。年齢なども気にしてい らっしゃる方も多いような気がします(特に女性は・・・)。

 ところで、私は日本人の中では社交的な方だと言われています。私の高校は、社交 的な人が多くて、全く知らない人とでもすぐに友達になれる雰囲気がありました。誰 とでも気軽にしゃべれて、挨拶も交わせます。大学に入ってからも私は同じように人と接しようとしました。しかし、挨拶をしたクラスメートからは「この人誰?」という視線が返されたのでした そのとき以来クラスメートと言っても挨拶をしなくなったのです。

 私は傷つきやすいのでしょうか。私が出会った人がたまたまそういう人たちだっただけで、判断を下すのは危ないことかもしれませんが、確かに日本人には知らない人との挨拶など、そういうやりとりが 苦手な部分があるのかもしれません。でも、私のようなことがきっかけで内向的になってしまう場合もあるのではないでしょうか。

 逆に外国の方でも私の大学のクラスメートまではいかなくても一つ壁を作っている ような人もいなくはないでしょうか。



鳥取大学農学部獣医学科6年です。 確かに、日本人はインターネットに限らず他人とcommunicateすることが苦手で あると思われます。苦手と言うより好まないのではないかと思うことがありま す。

私は、様々な世界を見たくて一人で旅行することが好きなのですが、外国に行く とすれ違うだけの人と、目が合うとほほえみ合い挨拶することが自然に出来ま す。しかし、日本でこれをすると、戸惑われるばかりか、愛想のいい奴とよく思 われないことさえあるようです。

でも、私は思うのです。日本人も本当はいろいろな人と話し分かり合いたいと思 っていると。ただ素直に自分を表現することが苦手なだけだと。短歌や俳句など のように直接気持ちを読むのではなく、遠回しに表現することを昔から良いとさ れているのも一つの理由ではないでしょうか。

異文化交流を研究されている方には、かなり幼稚な意見を書いてしまいました が、私も社交的でありたいと思いながら、社交下手な日本人の一人であるので少 し意見を書いてみました。



私は東京の田舎、町田で精神科クリニックを営んで いる者です。私 はインタ−ネットの0.5年生です。

アメリカでは日本人以外といってもいいでしょうか、多くの英語圏以外の人が、英文 法などくそ食らえと、いわゆるブロ−クン・イングリッシュで平気でしゃべっている というのに、日本人は文法の事ばかり気にしています。数人で会話などしている際、 頭の中で英文で意見がまとまった時には、既に遅し、話題はすでに先に進み別の事に 変わっているといった案配です。はじめに言葉ありき!その後に文法が出来たという のに。

日本人は内気!そうです。日本人に多いといわれている視線恐怖や赤面恐怖なども、 わざわいしているのではないでしょうか。こういう私も英米人に手紙を書く時には文 法が気になり、文章を書くのが億劫になりますが、韓国の友人にE-mailを出す時には 文法など気にせず、ブロ−クン・イングリッシュで平気なのです。 それにしてもインタ−ネットのために、情報交換はとても便利になりましたネ。



本当に日本人は他人とのコミュニケーションが下手だと思います。私もその中の一 人ですが、25歳にもなるのに、人付き合いが下手で日々勉強中といった感じです。 日米間の交流の仲人として頑張ってください。応援しています。



私も道で困っている外人に何か手助けしようとして躊躇することが よくあります。 どう声をかけていいかわからないからです。 これは内気というのとは又違うと思うのです。 もし声をかけてもわからなかったらどうしようとか恥ずかしいなどと余計なことを考 えてしまうのです。 又、日本人同士でも見知らぬ人に声をかけるのは何か不審に思われる 事が多いのです。 仲介なしで人と話すことが出来れば世界が広がっていくでしょう。 もっとも私自身は誰とでも気軽にしゃべる51歳のおばさんです。



e−mailをはじめて約8ヶ月くらいたちます。 まだ私は国外へe−mailを送った事もなく、東京近郊の友人 との通信ばかりです。 もちろん海外の方とe−mailを・・・というのは憧れてはいますが 知り合いもなく、英語力もないと思います。 英語は、日本人ならではの中学からの学校英語のみで、映画 をみるたびに「字幕無しでみれたらなあ・・・」と思います。 私をはじめ、日本人は文法ばかり気になってしまい、言葉が浮 かびません。間違ってしまったら・・・という恥ずかしい意識も強く あるせいかもしれません。 私は、海外旅行が好きなので、毎回自分の英語力の無さと、 思いきりの無さに後悔してしまいます。

そこで、3年前から英会話を習い始めました。 ただ、最初の2年間は先生が日本人だったので、つい日本語を 使ってしまい、全然力がつかず、外人恐怖症のままでした。 今年から英会話の学校を変えて、今は外国の先生に教わって います。やはり慣れないせいか、毎回ドキドキです。 週に1回のレッスンでは、やはり難しいです。 もっと習うにも、お金がかかります。 外国のお友達でもいたらなあ・・・としみじみ思います。



横浜在住、25歳です。

日本人は、確かに、初対面の人に対するよそよそしさがあるかと思います。 私がいま、住んでいる関東地域などは、 電車に乗って、隣の人に話しかけるのは、ずうずうしくて失礼な事のように感じ てしまいます。知らない人から突然話しかけられることを干渉されているように 感じる人が多いのではないでしょうか。 しかしながら、 隣にいるのが赤ちゃんだとしたら、しかも、こちらをじっと見詰めてたとしたら、 つい相手をしたくなってしまいます。 多分、相手が無防備で自分に危害を与えないとわかっているからなんでしょうね。

確かに日本人は、コミュニケーション下手です。 しかし、 私は、もっと、いろんな人と知り合いになりたいと思っています。 メールって、もっと、いろいろな人と(海外の人も)知り合いになれる一番簡単 な手段なんだなと、コーラさんに教えてもらえた気がします。 ただ、英語は、とても苦手です(笑)



私は山口県に住む者です。コーラさんのようにパソコンを自在に操ることは私には まだまだ難しく、まして海外とのメールのやりとりなど多分今後も経験することは ないんじゃないかと思います。何故なら一つは英語が苦手だからです。それでも中 学生の頃は、アメリカ人の方と首っ引きでエアメールのやり取りを頻繁にやってた のですよ。10年間くらい文通を続けたのですがその人の結婚で、(日本人の女性 とでした)いつしか疎遠になりました。今思うと中学の英語の先生の授業が楽しく 、また大変熱心な方でしたので、あの頃が一番外国に(特にアメリカやイギリスに )興味と憧れを抱いていたように思います。それとインターネットとかしていると 、自分の知らないうちに情報が流れて行くような気がして、まったく素性のわから ない人とのやり取りが不安な面があります。



私は大阪に住む46才の専業主婦です。今朝の朝日新聞であなたの記事を読んで まったくそのとおりだと感じまし た。この夏、家族でアメリカへ旅行したのですが、アメリカの雰囲気がいっぺんに大 好きになってしまいました。どうしてアメリカに住んでいる人たちは、あんなに明る いのでしょう。朝起きたときからとっても気持ちがハイテンションなのです。エレ ベーターに乗っても「Good Morning」と気軽に声をかけあい、まるですべての人たち と知り合いなの?って思ってしまいました。また、周囲の人達にとても気をつかうの ですね。写真を撮っているときにその前を無意識に通る人は絶対にいませんでした。 皆撮り終わるまで待っていてくれるのです。レストランでも、子供を大声で泣かさな い。ほんとうにマナーが良いのに感心しました。 日本人が見習わないといけない所がいっぱいあるのに気ずきました。 これだけ国際的になっても、まだ日本人は自分の殻に閉じこもるのが好きなのでしょ うか?電車やバスの中でも、隣あわせた人と気軽に話せたらどんなに楽しいでしょう か。 皆日本人は気難しそうな顔をして座っていますよね。まあ、眠っている人が多いです し。 今、私は上達しないながらも英語を習っているのですが、先生にもこういう話をする と、「アメリカ人はとても話好きだから、何でもいいから話しかけるといい。」とい う様に言われました。なかなか英語がうまく話せないということが壁になって、勇気 がでませんが、これではいけませんね。次にまた外国へ行くチャンスがあれば、内気 の殻を破って、外国の人達と少しでもしゃべれたらいいな、と思っています。 影ながら、あなたのことを応援しています。 私もインターネットを通じて世界中の人達と話せるようになりたいと思います。



私は1996年7月から1997年7月までの1年間、イギリスに滞在し、のち1カ月半ほどニューヨー クに滞在したことがあります。その際、家族とは主に電話とファックス、また学校の教 授とは主にEメールで連絡をとりあっていました。アメリカ人に比べて日本人がEメール を含むインターネットを上手く利用できていないのは、ご指摘の通り、英語の問題もあ ると思います。海外のコンピュータには日本語の辞書など入っていませんから、せいぜ いがローマ字表記になるでしょうし(現に私の友人のうち何人かはそうでした)、まして や相手が日本語の通じない相手となると、しり込みしてしまうことが大いにあると思い ます。パソコンそのものの普及が米国に比べてまだまだ遅れているという現状も考えら れますね。費用とそれに見合うだけの見返りが期待できるかは、手に入る情報の価値を どの程度と見積もるかにもよりますから。その点では、日本人は米国人ほど情報という ものの価値をまだまだ認識できていないように思われます。もう一つ、確かに米国人の ほうが社交的であるというご意見はその通りだと思います。ただ、その場でカンタンに 知り合いになれる代わり、次に会ったときロクに覚えていない、ということも米国人に は多いですね(個人的体験からの判断ですが)。格別な印象を残さない限り、仕方のない ことかもしれませんが、その点はどう思われますか。電車やバスのなかでの気軽なコ ミュニケーションは日本人は確かにとりにくいかもしれません。さらに、あなたが「外 国人」であってみればなおさらかもしれません。住んでらっしゃる場所にもよりますが、 私の地元でも日本人以外の人種を見かける事はめったにありませんから、たまに外国人ら しき風貌の人を見かけると、遠巻きにして「ガイジンや」とささやいている人を見かけ ますから。

長々と書いてしまいましたが、「日本語可」と書かれたせいで、メールが随分と届いた のではありませんか。完璧ではない英語ででも、私は平気でメールなり手紙なり書きま すが、多くの日本人は「エーゴ」というだけで身構えますからね(日曜日の20時からの 「さんまのからくりTV」をご覧になったことはありませんか。「KARAKURI FUNNIEST ENGLISH」というコーナーにその一端をうかがうことができますよ)。とりとめのない内 容になってしまいましたね。貴方の研究の何らかのご参考になれば、と思いました が・・・THANKS FOR YOUR TIME AND GOOD LUCK IN YOUR STUDY!



私は外資系の会社に勤めているので、常日頃から日米のコミニュケーションの違いに ついて考えさせられています。特に人数が多い時のミーティングでアメリカ人は活発 な発言をするのに対して、日本人はほとんど発言しません。出席している日本人はそ こそこ英語がしゃべれるので、これは言語の問題とは思えません。そこでわかったこ とは、アメリカでは、学校の教育で発言する機会が多く、プリゼンテーションの教育 まであるのに対して、日本の教育は先生の意見を聞くのが主で、たまに発言を求めら れても、先生が期待している意見以外は、誤っていると扱われるせいではないでしょ うか。

この同一性を求める集団心理はもちろん社会の反映です。政治家でも属している政党 と異なったあるいはその人独自の発言は見られません。これが学校であるグループと 異なったものを排除しようとする行動、すなわち、いじめの元になっているのだと思 います。又社会でもこの異なったものを排除しようとする行動はよく見られます。こ の行動真理を変えるためには、異文化との交流が一番だと思います。海外旅行や海外 での生活をした人が増えてくると社会の異文化に対する抵抗感がなくなると期待して いたのですが、団体旅行や現地での日本人村での生活と、やはり異文化を排除した行 動が目立ちます。外国人が自宅の周りに住み始め、交流が始まればそれも良いかもし れませんが、まだほとんど周りには、外国人は住んでいません。

そこで、現在期待しているのがインターネットです。これは非常にたくさんの人が簡 単に異文化に触れるいい機会だと思います。どのような形で異文化と交流するかは各 人のインターネットへのアクセス内容によると思います。ただし、最近では、すばら しい技術の進歩により日本語だけでも十分インターネットが使え又、自動翻訳ソフト まで出てきたので、またもや、直接異文化に触れる機会がなくなりつつあります。

PS.そうゆう意味でもこのメールは英語で書くべきだったのかもしれませんね。



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