メールがすべてだとは思いませんが、日本の場合コネが物を言うようですから、「仲 人」が必要なのでしょう。しかし「仲人」がいてもすべてうまく行くかと言えば反対で す。見合い結婚にしても恋愛結婚すら「性格の不一致」で離婚する人が多いのは、その 良い例ではないかと思います。 要するに相手を思いやる気持ちを忘れず、お互い知り合う努力をすることだと思いま す。
一般的に私達日本人はご指摘のとおり内気で何かきっかけが無いとなかなか仲良く なれず、小さなグループに固まってしまいます。きっかけを必要とする国民性のくせ にきっかけを掴むのが下手です。その割に意外と他人のことは気になるようです。 たまたま隣の席に座った人が必要以上に話し掛けてくると何か身構えるところもあ ります。
ところが、電子メールの場合はお互いに姿が見えない為か意外と気軽に仲良くなれ るところがあると思います。
英語のメールについては短いものならまだしも、長いものになるとまだまだコンプ レックスあると思います。本当は外国の方がたどたどしく話す日本語のように私達も 間違いを恐れず英語にチャレンジすべきかもしれませんね。もちろん上手な方も大勢 いますが。
最後に、子供達が楽しそうにメール交換をしていたのなら、貴方は立派な仲人で す。
コーラさんがおっしゃるように世界中の人と簡単に話せるようになったらとても楽し いと思います。でも、私の場合でいうと、外国のホームページは読めません。メール交換をしように も相手をどのようにさがしたらよいかわかりません。実際にお互いが対面しあってい れば身振り手振り表情で言葉がわからなくても交流はできますが、英語がわからない 、日本語がわからなければメールも読めません。だから、インターネットで外国の人 とどのように交流できるんだろうと考えてしまいます。今回コーラさんのような投書 がでて、アドレスがあって、初めて、外国の方にメールをだすことができました。 それから、大学や企業では回線をつなぎっぱなしにしてインターネットを自由に好き なだけ使えるところが多いようですが、一家庭ではまだ、経済的にそこまでできない という面もインターネット普及に影響していると思います。
日本人の英語コンプレックスと非社交性については確かにコーラさんのおっしゃる通 りですね。でも、昔に比べて日本人も少しずつ社交的になってると思います。
英語コンプレックス、確かにありますね。もちろん私も(^^ゞ。 Coraさんは日本人の内気な性格があるとおっしゃっていますね。 もちろんアメリカ人に比べると内気だと私も思います。
でも、もう一つ大事なことがあると思います。 日本人は、自分の考えを言葉にして表現するという訓練(教育)を 受けていない、ということも大きいと思います。 ですから、英語どころか日本語できっちり話すことがなかなかできないんです。 母国語でこれですから、英語となるともうどうしようもありませんね。
・・・とえらそうに言っている私も、言葉で気持ちを表現することが苦手です。 特に面と向かってですとねぇ・・・・・。
私は夏休みにインターネットを始めたばかりです。でもいろいろ な人と話ができるので、おもしろくて、仕事のじゅんびもわすれる くらいです。
外国の人にはまだメールを送ったことがありませんが、コーラ さんの文を読んで、ぜひ送ろうと思いました。
日本人もすぐに友だちにはなれませんが、時間がたつと友達に なれるでしょう。
インターネット活用程度の差を通じて、日本人の特性、とくにアメリカ人と比較して のそれを論じておられ、大変興味深く読ませていただきました。
ご指摘のように、日本人の英語コンプレックスや内気な(内弁慶な)性質は、インタ ーネットを通じてのものに限らず、コミュニケーションを妨げています。だから「仲人 」が必要か、といえば、私は100%賛成することは出来ません。「仲人」は、あくま でも仲人で、最終的には「仲人」なしでコミュニケートできることを本旨とすべきもの だからです。補助輪付き自転車にいくら上手に乗れても、それで自転車に乗れることに はならないように、「仲人」や「補助輪」は、あくまでも自立に向かっていく過渡期の ものとしてとらえるべきでしょう。だから、「日本人のコミュニケーションには『仲人 』が必要」というコーラさんの立論は、視点は面白いのですが、過渡期のものを、永続 的な本質として認識している点で、ややミスリーディングだと私は思います。
さらに、日本人のコミュニケーション下手の原因として、私が考えるところでは、日 本の教育制度による影響も、かなり大きいと思います。最近はやや緩和されてきたよう ですが、日本の中等教育(中学・高校)は歴史にしても科学にしても、事項の暗記が中 心であり、自分で考える余地は非常に少なく出来ています。このため、普段から、自分 の頭で考え、価値判断する(あらゆることについて、自分の意見を持つ)という訓練が 、全然出来ていません。だから日本人は、英語が出来るとか出来ないとかではなくて、 自分の意見を求められることそのものに、戸惑ってしまうようなところがあります。つ まり、「日本語でいいよ」といわれても出来ないわけで、不得意なのは英語ではなくて 、意見表明そのもの、さらにそのベースにある自分の頭で思考することなのです。
余談になりますが、いま国を動かしている霞ヶ関の高級官僚達は、こういう暗記暗記 の試験でいい成績を取ってきた人達なので、マニュアルのないもの、パターンから外れ たものへの対処が出来ず、変化の早い世の中に柔軟に対応することも出来ないので、こ の国はどんどん悪い方向に行っています。
また、教育に限らず日本の社会では、異質なものを排除する傾向が強いと思います。 「出る杭は打たれる」ということわざに象徴されるように、この社会では目立つモノ・ ヒトがあると、みんなでよってたかって、つぶしにかかります。個性を伸ばそうとする のではなく、それを平均化しようとする圧力が働くのです。だから、面白くもおかしく もない人ばかりが、量産されていきます。人から聞いた話ですが、アメリカに転勤した 日本人会社員が、子供が学校で出された作文のテーマが「I am different」だったのを 見て、大変ショックを受けたそうです。何でも平均化したがる没個性社会と、「自分は この点でこれだけ人と違う(ユニークだ)」とアピールすることを奨励する社会とは、 ネガフィルムとポジフィルムほどの違いがあることを、身をもって知らされたわけです 。
英語力や恥ずかしがりだけでなく、自分で考える訓練をさせない学校教育や、「周囲 と同じ」をもって是とする社会の風潮などが、コーラさんの感じる違和感の、基底にあ るように思えます。
たまたま今日の朝日新聞家庭欄に −「書きたがる人々」続々− という記事が ありましたが、どこか一方通行的で「交流」にまで行っていないような気がします。
私事ですが、2年前にパソコン通信を、3カ月前からインターネットをしていますが 30年間も会社勤めをしたためか、個人的な交流の無さに唖然としている始末です。
私はアメリカに行ったことも住んだこともないので、日米間のインターネット 上の文化的な違いがどんなものなのかわかりませんが、せっかくパソコンとい う便利な機械を持ち合わせておきながら、それを生活の一部として十分に活用 できている人は、日本にはまだまだ少ないように思われます。
その理由として、パソコン用語の難しさがあると思います。 説明書を読んでも何を言っているのか分からないことがよくあります。 老若男女を問わず、誰にでも分かりやすくすることが、インターネット活用の 普及につながるのではないかと思います。
わたしは毎年9月から12月まで、宮城県の施設で外国人に日本語も教えています。 生徒さんは、やはりCoraさんがやってらっしゃったような英語指導助手(ALT)の方々が 多いです。せっかくたくさんの、外国人と知り合うことができるのに、わたしの英語がへ たなので(彼らの日本語はBiginners'class)友達になっても、なかなか細かいことまで 伝えることができず、残念に思っています。Coraさんはどのくらい日本語ができるので しょうか?どこで勉強されましたか?
初対面の人に対して、日本人が内気(恥ずかしがり屋)だというのは、わたしも同感 です。わたしの日本語教室に来る生徒さんたちは、初対面同士でもすぐにうちとけて話 をしているので、感心させられます。わたしは、旅が好きでひとりでいろいろなところ に行きますが、旅を面白くするのは何といっても、知らない人々との出会いです。ひと りだからこそ、いろいろな人と出会えるのですが、ひとり旅をする日本人は他の国々に 比べると少ないような気がします。
わたしも2〜3年後には外国の幼稚園で働くことのできるよう、英語の勉強を続けて います。一度しかない人生、この目でいろいろな世界をみて、いろいろな人に出会いた いと思います。
しかし、英語で話しかけることに抵抗はありません。 「何を言っているかわからない」と言われたり、無視されることもありますが、 ほとんどの人は私の英語を一生懸命聞いてくれたし、わかりやすいように ゆっくりしゃべってくれました。
むしろ問題は、日本人が側にいるときです。 側にいる日本人が気になって、英語が話しにくくなってしまうのです。
日本でのことですが、電車の中で外国人の女の子に英語で話しかけたことがありま す。2人で乗ってきたのですが離れた席しかあいてなくて、別々に座りました。 ひとりは私のとなりに座ったので、もうひとりの子と私が席を替われば となりどうしで座れると思ったのです。
その子たちの母国語が何かわからなかったので、どう言おうか迷ったのですが 「Could I change to your seat.」(だったと思います) と話しかけたのです。
席を替わると、すぐ近くに座っていた女性2人が「Could I change to your seat. やて。」 などと話しているのが聞こえました。 意図はわかりませんが、英語が間違っているという意味に聞こえて いやな思いをしました。
このような経験が重なると、日本人の前で英語を話すことがいやになります。
そこでは、社交性ということはあまり必要ではありませんでした。むしろ社交的な人 物は「男として重みに欠ける」と、批判的な目で見られたものです。そして今の日本 では、我我の世代が中間管理職以上のポストに就いています。部下の人間性を評価す る立場にいます。ともすれば、従来通りの価値判断で部下を評価する性向を否定でき ない面もあります。
でもこれからは変わってくると思います。自分の存在は自分で示さなくては、他人 に認められないし、自分を理解してくれる人を多く持たなければ競争にも負けてしま う時代です。従来通り内気であれば何も出来ないことに気づいている若者が多くなっ てきています。
そして、経済のグローバル化の進展からみて、英語が出来なければ、大した事は何も 出来ないことを痛感している若者がおおくなってきています。 そんなことで、これからの日本は大いに変わっていくものと思います。
インターネットも繋げて世界中の人と、交流をする事も状況としては可能です。 しかし、まだ日本以外への接触はした事が有りません。 理由は簡単明瞭、日本語しか解らないからです。
学校で習った英語等は、殆ど何の役にも立たず、勿論、当時は今の様に 海外へも自由に行ける時代が来るとは、思って居なかったので こんなもの(英語の事)習って何になるのか?と思って居ました。
私は良く言われるように、完全な英語コンプレックスです。 横文字が並んでいるのを見ただけで、もうやる気を半分無くしています。 日本語で難しい事が書かれていても、辞書を片手に理解しようとしますが、 英語だと、最初から諦めてしまいます。