インターネットの利用における文化的な相違、確かにあるように思います。ただ
、その点に関する考察に日本人の英語コンプレックス、及びその背景にある日本人
の内気な性格を想定されているのに、果たしてそういいきれるものかどうか、私自
身は疑問を抱いています。
おそらく、英語の問題はこの相違をもたらす主要な要因でしょうが、社交的、内
気といった一般論としての性格の相違よりは、教育上の問題との関連が大きいよう
に感じます。私自身、高校時代にアメリカの高校に一年間交換留学生として在学し
ましたが、自分の受けた教育がいかに「話すこと」及び「書くこと」に弱いかを思
い知らされたものです。そのとき元来社交的な私が一時的に非常に「内気」になっ
たのを覚えています。
また、ネットの活用の差は、日本でインターネットが一般的になったのが、アメ
リカに比べて非常に日が浅いことなどとも関連するように思います。「使い方」を
知らないために活用し得ていない人が多いのかもしれません。そしてその活用のた
めには最初は「仲人」的な人が必要なのかもしれません。
最近メールを使う人が、それでも増えてきたんですよ。
高校時代の友達とメールのやりとりしてます。
今まで全然連絡とかなかったのに、やっぱり
手紙を書くより手間が省けて便利なんですね。
アメリカから帰ってきて随分経ちました。
英語を書くのは、毎日とは言わないけど、結構
書いてるので、英語を忘れるスピードはゆっくりに
とどめていられると思いますが、話す方が相手も
いないので、徐々に話せなくなってるんじゃないかと
思います。
帰ってくる前は、何とかして英語を話す友達を作るぞ!
と意気込んで未だ何の実行も出来ていません。
都会にはたくさん機会もあるんだろうけど。
(私は滋賀県に住んでいます。)
この間いとこに付き添ってNOVAに行きました。
私はロビーで待っていたんですけど、
英語を学ぼうとしている人が結構いて少し驚いたかな。
日本人の英語に対する苦手意識は確かにあります。
でも、それと同時に頑張ろうとしてる人もたくさん
いるんですよね。(私もその一人か)
もっともっと外国の方と知り合える機会があれば、
この苦手意識もなくなっていくと思うのですが・・・
せっかくのアメリカでの経験を忘れてしまわないためにも、
自分なりにこれからも努力するつもりです。
メールソフトのほんのちょっとしたこ
とが、メールから遠ざけているのではないでしょうか。周りに経験者が一人もなく、マ
ニュアル通りにやってもことごとく送信に失敗する、そういう経験が長く続きました。
次第に仕事のメールが頻繁に送られるようになってきても、返事は電話、FAX、時には
郵便で済ませていました。ところが、私の外国人の友人達は、普段は筆無精なのに、いっ
たん電子メールの便利さを知ると、私にまで電子メールの世界に引きずり込もうとする
ではありませんか。そして、今年、友人の娘が日本に来ることになり、その連絡が最初
だけは手紙でしたが、私のメールアドレスを知るや、後の連絡はすべて電子メール。そ
れも旅行しながらのものですから、郵便では時間的にも連絡が不可能になり、とうとう
試してみました。どうやったらできたのかは自分でも分からないのですが、兎も角送信
は成功。それ以降、仕事の連絡と、外国の友達への連絡は電子メールを使うようになり
ました。確かにこの素早さは魅力的ですが、それでも通信ソフトの<なぜ>は多すぎま
す。先日もオランダの友人に出した電子メールが、宛先人不明で戻ってきたというメッ
セージと同時に彼女からの、返事が送られてきた。まだ当分こんな状態は続きそうです
が、ここまでくれば、この便利さも、この不思議さも楽しむよりほかないでしょう。
それにしても、海外では、少なくとも私の友人の多くが当然のこととして電子メールを
やり取りしているのは驚きでした。日本では、私の世代でパソコンを持っている人が少
なく、いまのところ、友達とのメールの交換などは夢のまた夢のようです。
でも私は、感情的には相手を考えて選んだ便せんと封筒を使い、ペンで手書きで、選ん
だきれいな切手を貼って手紙を出すのが楽しいし、ましてや外国からはきれいな切手を
貼った手紙を郵便受けに見つけるのは最上の喜びです。
私は、群馬県の公立高校で
英語の教員をしています。私の勤めている高校にもAETがいます。
現在は、全県下の公立高校に最低一台は、インターネット接続可能な
コンピューターが配置されています。英語部などは、それを駆使して、
前のAETと連絡をとったり、姉妹校の生徒と連絡を取り合っているようです。
私は36才のOLです。モバイルツールでMAILを始めて一年半位になりますが、見知らぬ人とのやり取りは考えた事がありません。友人は皆仕事をしているので、時間帯を気にせず情報交換が出来る場として利用しています。近頃は、ネット上の恋愛なども一部ではやっているようですが、私自身は
恋愛はアナログの世界が良いと思っているので、全く興味ありません。ただ、日本人の社交下手は確かだなと思います。私は、一年半前まで貿易事務をしていたので、欧米、アジア各国のスタッフと毎日のようにTELEX,FAXを通じて英語のコミニュケーションを取っていましたが、いざ、実際に会って話すと日常会話がスムーズに出てこないことを実感しました。仕事の会話は出来ても、それ以外のことを話したくても単語力不足なのです。話せたら楽しいだろうなとは思うので、インターネットで世界の人と話しをしたら、英語のトレーニングにもなって良いのではという気はします。
私(JF)も最近
インターネットに興味を持ち始め、アメリカにいる日本人の友達や、以前
勤めていた会社の同僚とメールのやり取りをしています。ここ数年でインタ
ーネット、電子メールが企業のみならず私達一般庶民にもひろがりだし、手軽
に使えるようになった事はとても嬉しいことです。ただ私もあなたの言う内気
な日本人の一人かもしれません。以前オランダから一度メールがとどいたこと
がありました。日本にも来た事があるという、日本文化に興味を持ったオラン
ダ人でした。私も中学のころから英語は大好きな科目だったし、最近まで
英会話学校にも通い、是非英語で外国人と自由にコミュニケーションを取りた
いと思っていたので、メールが外国から届いていた時はとても嬉しかったのを
覚えています。けれども私が返事を書いたのはたった2回に終わってしまいま
した。文法的にも正しい英語を使って手紙を書こうと思うと、私にはとても
時間がかかり、楽しいはずのコミュニケーションが、そうでなくなっていった
のです。確かに正しい英語でなくても、通じるのかもしれませんが、見ず知ら
ずの人に、いい加減な英語のメールを送りつけるのは、悪い様な気がし、そし
てあんなに英語を使いたがっていたのに、結局何も出来なかった自分にあきれ
ていました。あなたから見れば、まさに私は典型的な日本人ですね。今では
もっと肩の力を抜いてコミュニケーションを楽しめば良かったと後悔していま
す。ただインターネットは確かに簡単に異文化の人と接点を持つことが出来ま
すが、私達のように英語を使いこなせない人にとって、相手の顔を見ずに
文字だけでコミュニケーションをとるのは少し不安を感じることもあります。
英語に対するコンプレックスだけでなく、コンピュータの上のある意味、無機質
な文字もそう感じる一つの理由だとおもいます。とにかく私ももっと異文化
との交流にたいし、気持ちをもっと楽に持とうとおもいます。身構えていては
分かり合えることも、分かり合えなくなってしまいますよね。なかなか自分
を変えることはむずかしいけれど、その手助としてインターネットと付き合っ
ていきたいです。
私は、アメリカの方とメールのやり取りをしていますが、日本語のわからない相手にとっては、どこまで通じているかわからないせよ、私のちんぷんかんぷんの英語でやり取りをしないわけにはいきません。もちろん、やり取りは楽しいものですが、話が深くなればなるほど、細かいところまで伝えるのは、とても難しくなります。実際、あなたが何を言いたいのかわからないと言われたときはショックでした。だから、やっぱり英語は完璧な方がいいんですよ。
確かに、日本人(私も含めてですが)は英語に苦手意識があって、さらに内気な性格が邪魔をして、ネットを十分生かしきれていないと思います。ですが、国民性の違いでどうしょうもないことのような気もします。
こういうNegativeな考えがいけないんですよね。
私は東京に住む電機メーカー勤務の“働く主婦”29歳。
何をかくそう私も今年の2月にインターネットをはじめ半年たちましたが、世界中
どころか日本人であっても“全く知らない人”にメールを送るのは、ディクソンさ
んあなたが初めてです。
何故、ディクソンさんにはメールを書こうかと思い立ったかといいますと・・・記
事中にアメリカン大学と立命館大学の交換留学生だと書いてあったので「日本へ勉
強をしに来ている外国(アメリカ?)人」という姿を(私自身が勝手に)想像でき
たからです。
他の人(ここでいう“人”は日本人全般という意味)はどうだか知りませんが、私
は相手に対してのある程度の情報(身元とでもいうのでしょうか)がないと、何か
起りそうな気がして恐いのです。一言で言うと、他人を信じきれない・・。『ヒト
を見たら泥棒と思え!』といった言葉、聞いたことありますか?いかにも“島国日
本人”らしい発想ですが。
今までに海外旅行で、アメリカ(サンフランシスコ・テキサス(エルパソ))・イ
タリア(ローマ)・香港・オーストラリアなどに行きましたが、片言の英語を使っ
て飛行機で隣り合わせた外国人の方とおしゃべりしたりするのは大好きです。
一時的(その場限り)ならおしゃべりはできるけれど、異国の人とemailで繋
がり続けるには不安感が横切るのです。
ただし、英語は世界共通の言語なので英語をしゃべれるようになりたい!という気
持も強く、身元の確かなアメリカ人と知り合いたい!という自分勝手な矛盾した望
みがあることも事実でこうしてディクソンさんへmailを書いていたりするので
す。
確かに日本人は必要以上に英語に対してコンプレックスを持つ人が多いと思います
。実際にはまったく分からないわけではないのに、「完璧」でないといけないと思
って英語を話さなかったり、書いたりしなかったりするのです。ただし、これが日
本人が「内気な性格」に関係がある、とひとくくりにするのはちょっと早急すぎる
と思いますが。
インターネットの活用の仕方に関する私の意見は、日本では世界中の出来事や情報
がすぐに入ってきて情報が氾濫しており、インターネットでいろいろなwebsiteをみ
ることがあっても、みるだけで終わってしまったり、またこれは一般のマスコミュ
ニケーションに関しても同じですが、ただ情報を受けるだけで「受け身」になって
おり、自分から発信しようとしないのではないかと思います。電子メールにかんし
ていえば、自分たちの仲間内で非常によく使用されており、1つのコミュニケーシ
ョン手段として確立したと思います。
コーラさんが新聞に書かれてることその通りだなと思いました。
実は、先週帰ってきたんですが、7月18日より、1ヶ月間アメリカ
のサンディエゴにホームステイしてました。昔から英語には興味があり
ぜひ向こうで自分の実力を試してみたかったので、行くことを決心しました。
アメリカで驚いたことといえば、コーラさんも書いてあったんですが、
アメリカ人は誰とでも仲良く、面識の無い、まったく初対面の人でも、気軽に
話しかけるということです。とても社交的で、感心が持てました。
一方、日本では、このような傾向はなく、知ってる人しか話さないといった具合で
す。
サンディエゴでバスに乗ってるときも、運転手と客は、楽しそうに話してるし、
うらやましかったです。日本もこのようになって欲しいと願います。
e−mailを始めたばかりの私はその便利さを実感しています。とは言っても、パ
ソコンを持っているわけではなく、PHS1台で送っている為、あまり多くの文字は送れ
ませんが…。
最近、いろいろな人と情報交換できるe−mail clubというところに入会し、あ
まり話すことが得意でない私は、自分の考えている事や夢などを友達にもあまり語らなか
ったのですが、知らない人と自分の考えを語りあえるということは、以前からは考えられ
ない事でした。本当に世界が広がったと感じます。もう少ししてパソコンを購入したら、
海外のいろんな人とのコミュニケーションもとりたいと思っています。e−mailは私
にとって、とても重要なものになりつつあります。
多くの日本人にとって、インターネットは「日本中の人と
話せる」ものであるように思います。わたしも、世界中の
人と話したいと思ってAOLに入ったものの、ついつい
日本人とばかり・・・ わたしは北京に留学していたことが
あるので、中国語でメールのやりとりをしてみたいと思い
ましたが、中国で自宅にパソコンがある人は限られているようで
なかなか難しいようです。
AOLの英語のチャットをのぞいてみることもありますが
英語が苦手なのですぐに出てしまいました。せっかくのAOL
なのですが、活用しきれてないですね、わたしも。
今後は日本の小中学校でもインターネットが取り入れられ、
それに合わせて英語の授業も実用的な物に変わるのでは、と
期待しています。教科書に英文メールの書き方なんて出てきたら
楽しいですね。子供の教科書を借りちゃうかも。
そういう時代が来ると、わたしは子供にばかにされるのかしらん?
改めて英語は世界で通用する言葉であり、それを学ぶこはとても
有益であるということを感じさせられました。