星灯りのダンス


 銀英伝で、初めて完結させた小説です。CLUB・S様に扉絵を描いていた だいて、すごく感激しました。
「回廊会議」に収録した物です。




(扉絵:CLUB・S様)



── 花畑 ──

 フロイデンの山岳地帯に建てられた山荘は、湖に突きだした半島の上にあり 、東に遠く帝都オーディンを望む見晴らしの良い場所にあった。この一帯は、森 の間に牧草地が広がり、牧歌的な風景が広がる高原になっている。
 夏の残暑が引けたばかりのオーディンと比べて、山荘の周りには、いつしか 秋の風が木々の緑の葉を赤や黄色に染め上げ、緑の牧草も黄金色に変わっていっ ていた。この山荘の主人は、グリューネワルト伯爵夫人。今や銀河帝国を統べて いるローエングラム伯ラインハルトの姉、アンネローゼである。皇帝フリードリ ヒ4世の死去により、その寵姫の座から解放されたアンネローゼは、本人の希望 で帝都から離れたこの別荘地帯で隠遁生活を送っていたのだ。

 半島の入り口にある小さな門の前に車が止まり、一人の青年士官が降りてき た。すらりとした長身を軍服に包み、風になびく赤毛にやさしいブルーの瞳。彼 は、ポケットの上からそっと中の物を確かめるように撫でると、勢いよく坂道を 駆け出した。
 山荘に近づくと、前庭で金髪の少年が薪割りをしているのが見えた。
「コンラート、精が出ますね。もうこちらでは、冬の準備ですか?」
呼びかけられた少年は、額の汗を拭うと顔を上げて声の主を見て笑顔を浮かべ た。
「キルヒアイス様、お久しぶりでございます。この辺は冬がくるのが一月は早 いですからね。アンネローゼ様は、お花畑の方に出ておいででございます。」
「ありがとう。では、そちらに行ってみます。」
赤毛の青年は、少し深呼吸して花畑の方へ行く道を駆け出した。

 アンネローゼは一面のコスモスの花の中から数本選んで手折ると、顔を上げ て風にそよぐ花々を眺めた。満ち足りた午後の光の中で、それは、紫色に桃色、 白色が混ざって水彩画のように広がっていた。と、その向こうから手を振って駆 けてくる赤毛の若者の姿が見えた。
「アンネローゼさまぁぁ」
「ジーーーク!いらっしゃい。」
大声で呼びかける若者に答えると、花畑の中を歩きだした。
「よく来ましたね。ジーク。走ってきたんでしょう。そんなに息を切らして。 」
キルヒアイスは、息を整えるのに大きく深呼吸した。
「今日はラインハルトは一緒じゃないのね。」
「楽しみにしてらしたのですが、同盟との会議の打ち合わせのためにと言うこ とでオーベルシュタイン元帥に引き留められまして。閣下は最後まで御抵抗なさ っていらっしゃいましたが・・・。」
「まあ、あの子ったら昔とちっとも変わらないのね。」
「と言うわけで、お供の私だけが参った次第でございます。ラインハルト様が 、くれぐれもよろしくとのことでした。」
「ジーク、来てくれて嬉しいわ。そうだ、木苺がもう熟れているから、今日は 木苺のパイを作りましょ。ジーク摘むのを手伝ってね。」
「はい、アンネローゼ様」
キルヒアイスは、上着を脱ぐと傍らの大きな石の上に置きアンネローゼの持っ ていた花束をその上に置いた。木々の梢を涼やかな風が通り抜けた。

── 暖炉 ──


 暖炉に火が赤々と燃えていた。フロイデン山脈に秋の陽が落ちると、あたり は急に冷たい空気に包まれる。もう一月もすれば山から初雪が下りてくるだろう が、まだ外では、秋が過ぎないうちにと精一杯鳴く虫たちの声が鳴り響いていた 。

 キルヒアイスは、ぼんやりと暖炉の火を見ながら満ち足りた時を過ごしてい た。アンネローゼ手製のアイリッシュシチューで、おなががくちくなったのだ。
「ジークったら、相変わらずよく食べるのね。3杯もシチューお代わりするん だもの。あんな見事な食べっぷりだったら、作った方も嬉しくなってしまうわ。 」
後かたづけをコンラートとともに済ませてきたアンネローゼが、やってきた。 後ろから、デザートの木苺のパイと食後のコーヒーを運んできたコンラートがつ いてきている。
「ジークは、ミルクたっぷりだったわね。お砂糖はっと。」
アンネローゼがコーヒーを渡してくれる。白と褐色とが渦巻き模様になって回 っているカップの脇に、角砂糖が5個きれいに積んであった。
「とても美味しかったです。帰ってからラインハルト様にどのように報告致そ うかと悩んでしまいます。」
キルヒアイスは、砂糖を2個つまんで入れて混ぜた。それから、残りの3個の 砂糖の上でちょっと指を迷わせていたが一気に残りもカップの中に入れた。キル ヒアイスの脳裏には少しおなかの出た未来の自分の姿が映っていた。

「しばらくは、あのこにちくちく苛められるでしょうね。」
そう言って、アンネローゼは軽く笑った。
「ええ、覚悟しておきます。」
キルヒアイスも苦笑している。
「あんまりジークが苛められないように、木苺のパイの残りはラインハルトの お土産にして置いたから。持っていってあげてね。」
「それは、ラインハルト様もさぞかしお喜びになることでしょう。」
デザートを食べ終えると、食器を下げるコンラートにアンネローゼはキルヒア イスの部屋の用意を頼んだ。
「いえ、私はお泊まりするわけには・・・。」
「明日忙しいの?」
「いえ、そう言うわけではありませんが。」
「では、泊まってらっしゃい。久しぶりに色々とゆっくり話したいわ。」
アンネローゼは待っていたコンラートに、部屋の用意が済んだら今夜はもうい いからと言うと、部屋に下がらせた。

「そう言うわけで、後で陛下の求婚の時の状況をお聞きになられたミッターマ イヤー元帥は、ひどくお困りになられたそうです。『なんで、よりにもよって私 の真似などなさったのだろう』って。」
暖炉脇のカウチにくつろいだ二人は、声を上げて笑った。
 二人で話すと、話はどうしてもラインハルトの事になってしまう。二人を繋 ぐものが今はラインハルトしかないのだから仕方ないと言えば仕方ないのだが、 時々キルヒアイスは残念に思う。
「ジーク、あなたはどうなの?貴方の方が少しだけだけど年上なのだから、そ ろそろ考えなくちゃね。」
などと真顔で話されてしまうと、返事に窮してしまう。
「いえ、私はまだ・・・。」
そう答えるキルヒアイスのポケットの中で、四角い箱が重みを増していくよう な気がする。話題がとぎれた瞬間、キルヒアイスはアンネローゼを見た。そこに は暖炉の暖かい光で照らされた彼の女神がいた。

二人を沈黙が包んだ。

── テラス ──

 パチパチと薪のはぜる音が、やけに大きく室内に響くような気がする。アン ネローゼの顔を見つめながら、キルヒアイスの心臓は早鐘のように鳴り響いてい た。カラカラに渇いた口では、つばを飲み込み事さえ出来ない。もしかして、こ のドキドキという心臓の音が彼女に聞こえているのではないのだろうかと、キル ヒアイスは心配になったりしていた。
 永遠とも思える一瞬は、アンネローゼの無邪気な一言で破られた。
「ジークったら何見ているの。私の顔に何か付いているの?」
(いえ、貴方が美しいから。貴方の美しさが私の目を虜にしていたのです。) などとは、キルヒアイスにはとても言えない。
「いえ、なんでもないんです。ほんとになんでも。」
と言うのが精一杯であった。

そしてまた、二人を沈黙が包んだ。

「ねえ、ジーク、テラスに出てみない。」
アンネローゼは唐突にそう言うと、窓を開けてテラスへ出た。そこは、天気の 良い昼間にはみんなでよくバーベキューパーティー等を開くところで、南向きに 10m四方くらいの場所が空いている。手摺りの側にはアンネローゼが育ててい る鉢植えの花々が咲いている。青天井の開放感は格別で、冷たいさわやかな夜気 が心地よい。夜空は雲一つ無く、一面に星が輝いている。
「このあたりは、夜になると真っ暗だからすごく綺麗に星が見えるの。オーデ ィンでは、こんなに見えないでしょう。」
「夜空を見上げるなんて久しぶりです。星なんて、最近は宇宙船からしか見て ませんでしたから。」
「いつも戦争ばかりやっているから、そんな事になるのよ。反省なさい。」

 アンネローゼは後ろに隠し持ったリモコンを部屋の中に向けて、スタートボ タンを押した。部屋からは、静かなワルツが流れてきた。
「ねえ、ジーク、踊らないっ。」
ジークは、ちょっと戸惑いの表情を見せたが、少し頬を赤らめてひざまずいて 胸に手を当てて答えた。
「私でよろしければ喜んで、アンネローゼ様。」
二人は、ゆったりと流れるリズムに合わせて踊りだした。
「きゃっ。」
「あっ、すみません、アンネローゼ様。」
「ジークったら、そんなに緊張しないで。そうそう、曲をよく聴いて、リズム に合わせて。」

 部屋からは、次々に曲が流れてくる。その音楽は夜空に染み込んでいき、辺 りを舞踏会場に変える。星の瞬きはいっそう冴えわたり、一面に銀の砂を降らせ た。落ち着きを取り戻したジークのリードで、二羽の小鳥が仲良く空を飛び回る ように、軽やかに夢のように、二人は踊り続けた。

 いつしか二人は、互いに見つめ合っていた。瞳と瞳の間に無言の会話がなさ れた。
「アンネローゼ様。」
「ジーク。」
何度も何度も心の中で繰り返し練習した言葉が、キルヒアイスキルヒアイスの 喉元まで出かかってきていた。
「アンネローゼ様っ!」
キルヒアイスは、アンネローゼをぐっと引き寄せ、その目を見つめた。アンネ ローゼの見上げる目が、夜空の星を映してキラキラと輝いている。

── 夜空 ──


(リッリッリッリッリ)
(リリーッ、リリーッ、リリーッ)
いつしか音楽は止まり、夜の静寂を破るように虫の声だけが響いていた。アン ネローゼ腰の辺りにまわした左腕を通して、彼女の暖かい体温がほんのりと伝わ ってくる。握り合った手は緊張あまり汗がしみ出てきている。アンネローゼは、 キルヒアイスの胸に頭をもたせかけてきた。

「ジーク、あなた、いつの間にかこんなに大きくなってしまって・・・。初め て会った時のこと覚えてる?もう、何年前になるのかしら?」
「忘れるものですか。アンネローゼ様。隣に越されて来た時、ラインハルト様 とアンネローゼ様に会って。今の私があるのは、お二人のお陰です。」
「ジーク、あなたがこれまでラインハルトの、いいえ、私達の為にどれだけ尽 くしてきてくれたか。私は大変ありがたく思ってます。でも、もう、いえそれだ からこそ、これからもっと、これから貴方の人生を貴方のために生きてもらいた いのです。」
「アンネローゼ様。私にとって、ラインハルト様にお仕えするのは、喜びなの です。そしてそれは、私にとって大事な、最も大切な人との最も重い約束を守る 事でもあるのです。私の人生の喜びは、そこにあるのです。」
「ジーク、でも、それでは貴方が・・・。」
「アンネローゼ様。私は十分に幸せです。」

 キルヒアイスは、あせった。自分の言っている言葉に嘘偽りはないのだが、 これでは、だんだん目的と離れる一方だ。そうじゃないんだ、私の言いたいのは 違うことなんだと思いながらも、長年の習慣とは恐ろしい物で、ついついいつも の言葉が、口をついて出てしまう。
 これではいけない。そう決心したキルヒアイスは、夜空を見あげて大きく深 呼吸し気持ちを取り直すと、意を決してアンネローゼに向き直った。

「ア、アンネローゼ様、じ、じつはお話があります。」
「はいっ!」
アンネローゼは、急に真摯になったキルヒアイスにビックリして返事を返した 。キルヒアイスは、息を吸い込むと、来る途中考え続けた言葉の準備をした。

── 星灯り ──

 静まり返った時を、ふいに湧き起こった風が乱し、木々の葉をざわめかせた 。花畑のコスモスは大きく揺らめいたが、見つめ合う二人には何の影響も与えな かった。

「アンネローゼ様、私は、ジークフリード・キルヒアイスは、アンネローゼ様 と一緒にいられるだけで幸せです。」
キルヒアイスは、一息に話し終えると、アンネローゼを見た。アンネローゼは 、大きな目でにっこりと微笑んで言った。
「ええ、私もジークが来てくれて嬉しいわ。」
 キルヒアイスは、考えた。今の返事は、一体何なのだろう?承諾してくれた のだろうか?でも、それにしては、なんだか雰囲気が軽すぎる。も、もしや、私 の真意がまるで伝わってないのではないか?そう思いながら、これまでの長い間 のアンネローゼの言動を思い浮かべて、彼は一つの結論に達した。アンネローゼ 様は、・・・にぶい。

 そうか、間接的なセリフや、持って回った言い方ではなくて、ストレートに 言わなければならない。よしっ!そう決心すると、キルヒアイスは、頭の中の対 女性用の言葉の乏しいストックの中から一つを慎重に選び出すと、のどの奥にし っかり装填して発射ボタンを押した。

「アンネローゼ様、私は・・」
「ジーク、あなたの胸の奥から変な音が・・・。」
頭を胸に押しつけていたアンネローゼが、不意に言葉を挟んだ。
「えっ、変な音って・・。」
キルヒアイスは、極度に集中していた神経を、周囲に広げた。
ルルルルル、ルルルルル。
電話の音。電話の音がなんでこんな所から・・・。あ、これは緊急呼び出しだ っ!思考能力が平常に戻ると、急いで軍服の胸の裏ポケットから携帯電話を取り 出した。

「はい、こちらジークフリード・キルヒアイスです。」
電話の向こうから聞こえてきたのは、憎らしいほど落ち着き払った声だった。
「パウル・フォン・オーベルシュタインだ。キルヒアイス元帥、惑星ドブルイ の首都で、大規模な暴動が起こった。暴動は全土に拡大の傾向にある。現地から の詳細な報告はまだだが、これまでに得られた情報を元に検討したところ、第三 者の謀略の可能性が高い。これから緊急の御前会議が開かれるので、至急に出席 していただきたい。」
キルヒアイスは一瞬の間、頭の中で付近の地図を思い浮かべて返答した。
「わかりました。フロイデンのルウラ町の公園に迎えのヘリをお願いします。 」
簡潔に用件を伝えて電話を切ると、キルヒアイスはアンネローゼに顔を向けた 。
「アンネローゼ様、危急の用件で戻らねばならなくなりました。突然で申し訳 ありませんが、これからオーディンへ戻ります。」
アンネローゼはつかの間何かを言いかけたが、そのまま言葉を飲み込み、静か に言った。
「解りました。ジーク、気を付けて行ってらっしゃい。」
「アンネローゼ様も、お元気で。」

キルヒアイスは、急いで帰り支度をすると、車に向かった。門への道を貸して もらった灯りを頼りに歩いていると、後ろから呼び止める声が聞こえた。
「ジーク、待ってちょうだい。」
息せききって駆けてくるのは、アンネローゼだった。
「はい、これを持っていって。ラインハルトに。」
アンネローゼから渡されたのは、木苺のパイだった。
「それから、ジーク、あんまり危ない事してはダメですよ。おねがい。」
「解りました、アンネローゼ様。パイは、ラインハルト様にお届けいたします 。それでは、失礼いたします。」
去ろうとするキルヒアイスの手をアンネローゼが掴んだ。夜目にも白く映える 彼女の手は細く柔らかで、強く握ったら壊れそうだった。しかし、思いもかけぬ 強い力がこもっていた。
「ジーク・・・。」
キルヒアイスの手に冷たい物が落ちてきた。ハッとしてアンネローゼを見るが 、生憎と貸してもらった灯りは地面に置いてしまっているし、星灯りだけではよ く分からない。
「アンネローゼ様・・・。」
「ジーク、又来てね、きっとよ。」
少しかすれた声で言うと、アンネローゼはもと来た道を戻っていった。一人残 されたキルヒアイスの周りを夜が被っていた。

 ルウラの町の公園に着くのと迎えのヘリが到着するのはほぼ同時だった。キ ルヒアイスが乗り込むと瞬時にヘリは飛び立った。キルヒアイスは、少しの間だ け西の方角を見せてくれるように操縦士に頼んだ。

 闇の中に、小さな灯りが点々とまばらに散在していた。アンネローゼの山荘 がどれなのかは解るわけもない。手の甲に落ちた冷たい涙の感触を思い出しなが らキルヒアイスは自分のやっている軍人という仕事の因果さを呪った。ポケット の渡し損ねた小箱が重く自分の優柔不断さを責め立てる。

 キルヒアイスは、コースを元に戻してくれるよう操縦士に言った。キルヒア イスの心に、アンネローゼの涙が深く刻み込まれた。

              終わり         Zin


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