『銀河園児伝説1章』
「いやあ、見事に晴れたねぇ」
ヤンの言葉をうけ、キルヒアイスは机から離れ、
「本当に。何日も雨が続きましたから」
職員室の窓から差し込む太陽を仰ぎ見る。
「子供達が見たら大喜びです」
ヤンはその子供達が昼寝中の教室を振り返った。
「外で遊べなくて、長いことくすぶってたからね」
そして、午前中に解体したまま二度と合体できなくなったロボットに視線を戻した。破壊活動の中断している今が、おもちゃの修理をする絶好の機会。雨の日が続く中、この作業が2人の臨時…雨時課題となっていた。
「おもちゃの破壊度が通常の3倍…」
次に首のはずれた人形を手にして、ヤンは大きく背伸びをする。
「外に出られるとなれば、進行は阻止できますよ」
自分の机に戻り、おもちゃの復旧作業を再開するキルヒアイス。2人の前に積まれた壊れたおもちゃの山は、連日減る気配さえない。無言の作業となり、しばらくおもちゃを修理する音だけが、職員室を支配した。
「外で遊ぶのはどうやら無理のようですね」
職員室に入いってくるなり、メックリンガーはこう告げた。
「雨で外がぬかるんでます」
きちんと確かめたらしく、泥だらけの手を洗っている。
「ああ…」
がっくりと肩を落とすヤンとキルヒアイス。
「皆がお昼寝から覚めて、晴れているのを見たのに…」
キルヒアイスの言葉をヤンが引き取り、
「外で遊べないと知ったら…」
先の言葉が出てこず、互いの顔を見合う2人。
「――がっかりするでしょうな」
いつの間にか現われたシェーンコップがあっさりと言い放つ。
「ついでに、おもちゃの破壊が増すんでしょうな。外で遊べないうっぷんを晴らすのに」
それを聞いた2人は、「はあ」と大きなため息を漏らしていた。
「何とかするしかありません」
タオルで手を拭きながら、メックリンガーが言った。
4人の先生達は外の晴天とは裏腹に、見事に曇り来た顔で緊急職員会議を始めた。
「おい、見ろよユリアン!」
ポプランはカーテンをまく上げると、眩しさに目を細めた。
「晴れてるぜ!」
カーテンからのぞく青空を確認したユリアンは、
「久しぶりですね、こんなにいいお天気は」
パジャマをきちんとたたみながら微笑んだ。
「太陽が出てるぞぉ」
と、まだ眠りから覚めていない子供達を、次々に蹴り起こして回るアッテンボロー。あちこちで、「お日様だ!」「雨やんでるよ!」との声がわき起こる。そして、アッテンボローは足蹴にされたコーネフらの報復により、フトンで簀巻きにされ、「ぐわぁ」とカエルをつぶしたような叫び声を上げていた。
「やあ、皆もう起きたんだね」
教室に入ってきたヤンは、すでに着替え終わった子供に驚愕した。いつもならば、まだ眠い子供達が名残惜しそうにフトンにしがみついている。全員が起きているという光景は、寝起きの悪いほし組を担当するヤンには、信じがたい快挙だった。
「さて、見ての通り。外はぬかるんでいるね」
子供達の顔をゆっくり見まわすヤン。その声に反応して、
「お外に出られないの?」
「ぐちゃぐちゃだから?」
と口々に不満を言い出す。ヤンは子供達の喧騒を制して、
「ちょうど良いぬかるみだし。泥合戦といこうか」
との提案に、一変して歓声が沸き起こる。
「参加は自由。ルールは昔と同じ。ライオン組と泥を投げ合う。泥だらけになった時点で、速やかにキャゼルヌ先生の待つ洗い場に退場。2時間で仲間の数が多く残った方が勝ち」
ヤンのルール説明は、もはや子供達の耳には届いていなかった。彼は諦め顔半分、これでおもちゃを壊されない安心半分の顔で、シャベルの入ったバケツを取り上げ、
「それじゃあ、準備といこうか」
外への扉を開けると、我先にと子供達は飛び出していった。
すでに、いつもの通り短時間で着替えを終えたライオン組は、ラインハルトを中心に、泥合戦の準備に取りかかっていた。保育園の南の端にバリケードを築いていく。そこから、2、3歩離れた所で、キルヒアイスが見守っていた。
ほし組はヤンの指示により、1mほどの高さに砂袋を積み上げていた。ライオン組とは対称の北の端で、ほし組の陣地が出来上がっていった。
「よく、キャゼルヌ先生が泥合戦を解禁しましたな」
シェーンコップは教室から泥合戦の準備が着々と進むのを眺めている。
「なんでも、洗濯機を購入したとかで。今まで汚した服は手で洗っていましたから」
メックリンガーは教室に残った子どもたちに読み聞かせる本を選びながら答える。
「オルタンスさんは大食漢児共のせいで、給食の用意だけで手一杯だからな」
シェーンコップは必死に手もみ洗いをするキャゼルヌの姿を思い出し、にやにやしながら、「しかし、今度は洗濯機のフル稼働で電気代がかさむだろうな」
「キャゼルヌ先生がそれに気付かれたら、また禁止令ですかね」
子供達に急かされ、メックリンガーは腰をおろし、本を開いて読み始める。シェーンコップはというと、「様子でも見てくるか」と、外へ出ていった。
数十分後、両組の防壁が完成した。ラインハルトが率いるライオン組。ユリアンがしぶしぶ率いらされるほし組。戦いの火蓋は切っておろされた。
「はじめようか」
間延びしたヤンの合図と共に、バリケードに身を隠した子供達が、泥を投げ合いはじめる。まずは、牽制し様子をみている。
ラインハルトの命で作られた泥ダンゴは、二重構造になっていた。中心部は硬く、周りは水を多く使っている。飛距離が良く、命中の際には泥が服に広がり、大きな被害を与えた。
一方、ほし組の泥ダンゴは水分が多い。投げるのも難しくあまり飛ばないが、投げた後、それを水鉄砲で狙い撃つ。そのため、下にいる人へと泥水が降り注ぐ。被害は多数に及んだ。1人がダンゴを投げ、もう1人が水鉄砲で撃つ。2人1組のこの攻撃方法はシェーンコップの入れ知恵だった。
戦いは膠着し、「ファイエル!」「ファイア!」と、双方の大将の声が交錯した。
バリケードに身を隠しての攻撃から、突入戦へと移行した。こうなると、何人もの子供が、泥の洗礼を受けるようになる。キャゼルヌの悲鳴が聞こえてくるほど、洗濯予備軍が大量生産されていった。
「ぬおおおおおおー 」
人の頭ほどある泥ダンゴを掲げ、ビッテンフェルトが敵中に切りこんでいく。
すぐ横を、泥ダンゴを作る速さも一番の疾風ウォルフが、
「こっちに落とすなよ」
と牽制しつつ、ダンゴを作っては投げている。後ろからロイエンタールが2人の勢いを保つべく、広範囲にダンゴを乱射して進む。
ほし組陣営直前での投げ合いは、もはや敵、味方の判断はなくなっていた。接近戦では自組に被害を出す恐れのあるほし組は、思うように反撃ができず、苦戦を強いられていた。
「もう少しだけ、ライオン組を押さえてください」
ユリアンはアッテンボローから譲り受けたダンボールの盾を手に指揮する。ライオン組の猛将らはすぐ側まで迫ってきている。善戦してはいるが、確実に戦力は削られていた。
ライオン組がほし組への攻撃に夢中になっている間に、ポプランとコーネフのコンビが混戦を脱出すると、そのまま直線最短距離コースで、ラインハルトのもとへ駆けていく。一斉攻撃を試みたライオン組の陣営に残っていた子供は少なく、彼らはコーネフが投げ、ポプランが撃ち落とす泥ダンゴを浴び、洗い場へと次々に戦線離脱していく。
「ラインハルト、もらったー 」
と、ポプランはラインハルト頭上の泥ダンゴを打ち落とした。
ラインハルトに泥水が降り注ぐ…。
――が、ミュラーが立ちふさがり、飛び散る泥からラインハルトを死守した。
「さすがは鉄壁ミュラー」
ラインハルトよりお褒めの言葉を頂いて、泥まみれの顔をかいて照れるミュラー。
敵の指導者を倒し、一気に形勢逆転へと流れ込むという計画に失敗したポプランとコーネフは、踵を返して逃げ出した。その前方を、ほし組から慌ててとって返したロイエンタール達に囲まれる。
「2人だけでラインハルト様を狙いに来るとは良い度胸だ」
ビッテンフェルトは特大の泥ダンゴを両手に、不敵な笑みを浮かべる。
「はん。ユリアンの奴、逃亡経路がないじゃないか。失敗を考慮してなかったな。なぁ、コーネフ」
「それだけ信用されていたとしよう」
じりじりと追い詰められながらも、軽口をたたく2人。
「助けにきてやったぜ」
颯爽と袋一杯に泥ダンゴを詰めて現れたアッテンボローにより、退路ができる。
「おのれぇ! 敵前逃亡とは卑怯だぁ!」
両腕を振り回しておたけびを上げるビッテンフェルトを無視して逃げ帰る3人。
「さっきのは前言撤回だな」
とコーネフ。
「こういう時は、白馬に乗ってこなくちゃあ」
とポプラン。アッテンボローは、
「やかましい」
と、一掃する。
大きな戦局を迎えることのないまま、戦いは泥ダンゴだけが飛び交った。戦線離脱したはずの子供が、着替えて再参戦するために、人員も一向に減る気配すらない。ルールで再参加は無効としていないから、洗濯物だけが増えていく。
ついに、残り時間も僅かとなった。
「おやつはおにぎりか」
教室でおにぎりを頬張る子を見たシェーンコップ。自分も1つおにぎりを取り上げる。
「泥ダンゴで遊んでいる時に。おにぎりとは。これまた」
「オルタンスさんもなかなか、乙なことをして下さる」
メックリンガーがはこぼれ落ちたご飯を拾っている。
教室の中から見守る2人。シェーンコップなどはコーヒーを手にくつろいでいる。職務怠慢にならないのだろうか。
ヤンは泥合戦近くのブランコに、足を窮屈そうにしながら座り、子供用の低いジャングルジムの上で、キルヒアイスは観戦している。
ヤンとキルヒアイスのいる場所は、観戦には絶好の場所。両組の陣の中の動きまで手に取るようにわかる。ただその場所の欠点は、子供達に負けず劣らず泥だらけということだろう。
「うーん。キャゼルヌ先輩に何て言おうか…」
「そうですねぇ…」
いまさら言い訳に頭を悩ます2人だった。
「メルカッツさん、どちらに分があると思われますか?」
「そうですね。ほし組は団体戦力にやや劣るが…個人の能力には光るものがある。ムライ君はどうみるかな」
「短期戦ですと、我々ほし組の方が強いのですが、長期戦に持ちこまれますとどうも…」
2人は教室の中央に陣取り、実況中継をしている。
参加しない子供達も自分の組の応援に余念がない。
「私の出番が来たようです」
メルカッツらと一緒に実況中継の席にいながらも沈黙を守っていたオーベルシュタイン。彼はおもむろに立ち上がった。唖然とする他の子供達を尻目に教室を出ると、ラインハルトの陣中に向かう。泥ダンゴの飛び交う中、何故か一度も命中することなく、悠々と歩いていく。
「どうした、オーベルシュタイン? おみそのはずだ」
彼はラインハルトの問いに無言で応えると、後ろを向いて何やら作り出した。
――数十秒後。
「ラインハルト様。これをお投げ下さい」
こぶし大ほどのダンゴを手渡す。「敵の陣中、中央へお願い致します」
「うむ。――てい!」
言葉通り、ほし組の陣のほぼ真ん中へと落ちた。
すると、1m程のバリケードで敵の陣の中は見えないはずなのに、
「ラインハルト様、ここより2時方面に3人。奥に1人」
オーベルシュタインは次々に敵の居場所を当てていく。
「凄いぞ、オーベルシュタイン! 突入する 」
ラインハルトの声に呼応して、ライオン組の子供達が一斉に突入していく。その後ろをふらふら、よたよたしながらオーベルシュタインが付き従う。
「どうかしたのか?」
両手を前に突き出し、バランスをとっているのか、踊るように進む彼を見て、不審に思うラインハルト。他の子供達も、オーベルシュタインに視線を注ぐ。
「片目だけなので、距離感が掴めないのです」
返事をして、ラインハルトへと顔を向ける。
『うわぁぁー』
彼の顔を思わず見てしまった子供達の悲鳴がこだました。
片方の義眼を泥ダンゴに埋め込んで、敵陣営に投げ入れたのだということを知ったキルヒアイスが、戦いを中断させた。泥合戦はオーベルシュタインの義眼探しへと変わっていた。
ヤンの命令でその捜索にほし組も加わり、全員が泥の中を4つんばになって、這い回る状態となった。
「昨日見た野球中継も似たようなことやってたぜ。探し物はコンタクトレンズだったけどよ」
ポプランの愚痴も黙殺され、捜索は続く。
「ありました!」
ミュラーの一声に皆に安堵の声が漏れる。高々と上げたミュラーの手にあるオーベルシュタインの義眼が夕日に輝いていた。
『ジリリリリリ…』
泥合戦の終了を告げる目覚ましのベルが鳴り響く。
「――で、結局、どっちの勝利なんだ?」
「さあ?」
全身泥ダンゴと化した、ロイエンタールとミッターマイヤーは言葉を交わす。
こうして乾坤一擲の大勝負は、オーベルシュタインの義眼の乱入により終着した
……のだろうか……?
−完−
日向 みずち