ファーレンハイト幻夢譚
ニフティ・サーブに書き込んだものが、何個所か不満/不備の部分があったので、その部分を修正したものを、ここに書き込みます。
もっとも屋台の本では未発表なので、もしかしたら初めて読まれる、という方もいらっしゃるかもしれませんね。また、この元ネタは結構有名なので、御存知の方がいらっしゃるかもしれません。
恐い話は苦手じゃあ! という方はご遠慮下さいませ(^_^;)。それとやおいではありませんので、その辺もご了承下さい。
冬バラ園の勅令が発布されてから約一か月。ロイエンタール疑惑や大火事件など、ハイネセンが様々な事件にみまわれたのち、皇帝は遂に、イゼルローン軍討伐を決意し、ハイネセンに同行して来た全軍に、その旨を命令した。
先鋒を命じられたビッテンフェルトとファーレンハイト両艦隊が、明日にはハイネセンを発進するというその日、参集した上級大将以上の提督達が夕食会を開いていた。
先の大火でハイネセン・ポリス内は未だ収拾がついておらず、主だったレストランは、この日に至るも休業の看板を出していた為、彼等は、ファーレンハイトが官舎として当てがわれているホテルの居間を、臨時のパーティー会場に使う事にした。
「…あまり、あの部屋で一人になりたくないんでね…」
提供申し出の時に、そうポツリと呟いたファーレンハイトだったが、深刻な口調では無かった為、他の提督達がそれを気に留めることはなかった…。
「では、イゼルローン回廊に於ける戦勝を祈って、乾杯!」
音頭というより号令に近いビッテンフェルトの声が、部屋に集った提督達の鼓膜を過大に振動させたが、テーブルを囲む彼等は、顔をしかめつつもそれに従い、410年もののワインを注いだグラスを眼前に掲げた。
「プロージット!」
「乾杯!」
テーブルを囲むのは、乾杯の音頭をとったビッテンフェルト、かりそめながらこの部屋の主人であるファーレンハイト、そしてミュラーとアイゼナッハであった。ミッターマイヤーとロイエンタールの両元師は、艦隊編成以外の軍務がある為出席出来ず、シュタインメッツも自艦隊再編の為、既にウルヴァシーに向かっていた。それゆえ、僅か四名の宴となったが、場は意外な程盛り上がっていた。
あと何日もしない内に彼等は全員、あまり居心地が良いとは言えない占領下のハイネセンを出立し、帝国軍にとって避ける事の出来ぬ敵、ヤン・ウエンリーの潜むイゼルローン回廊に向かい、武人の本懐とも言うべき戦いに臨む事が出来るのだ。
「見ているがいい、イゼルローンに集う叛乱軍ども。われらシュワルツ・ランツェンレイターが、要塞もろともけちらしてくれるわ。」
先鋒を命じられたビッテンフェルトの士気の高さには、左脇にいたミュラーも苦笑するしか無かったが、ビッテンフェルトの正面に座っているファーレンハイトは、同じく先鋒を命じられたにも関わらず、妙に沈んだ様子だった。
「…ファーレンハイト提督。どうかなさったのですか?」
ミュラーの問い掛けは、ビッテンフェルトとアイゼナッハの好奇心も刺激した様だった。
「どうした、ファーレンハイト。まさかイゼルローンの連中に恐れをなしている訳ではなかろうな?」
明らかに冗談だと分かる追従だったが、ファーレンハイトの顔色はさえないままだった。
「…いや、そうでは無い。だが気になる話をきいてな…」
「気になる事? 何だ、話せよ。」
「…いや、いい…多分デマだ。忘れてくれ…」
かぶりをふりながら、そう呟いたファーレンハイトだったが、三人の顔に、納得の成分は浮かばなかった。
「おい、ファーレンハイト。俺たちは二人揃って明日、戦場に赴くのだぞ。気になる事があるのなら、きちんとけじめをつけておくべきだろう?」
引き下がる気配の無いビッテンフェルトを見つめながら、ファーレンハイトはしばし考えをめぐらし、やがて小さくため息を突いた。
「…分かった。では試してみよう…丁度四人いる事だしな。」
「丁度四人…何をしようと言うのですか?」
怪訝そうなミュラーの問い掛けに返答するでもなく、ファーレンハイトはスクッと立ち上がった。
「みんな。ちょっとゲームに付き合ってくれ。」
「ゲーム?」
「それぞれ席をたって、この部屋の四すみに行ってくれ。」
三人は、訳が分からない、といった面持ちを浮かべつつも、黙ってファーレンハイトの指示に従った。部屋のすみに辿りついた四人は、各々が右肩を壁に向け、正面の提督の左半身を見る形で直立した。(下図を参照)
「これでいいだろう…俺が角2か3なら細工もしにくいし、それに…」
「?」
「いいかみんな、これから照明を消す。消したら、一切喋らず、なるべく音も立てない様に…そして、まず角1にいるビッテンフェルト。卿は片手を差し出し、角2の方向に向かって歩いてくれ。」
「…それで?」
「そうすると、やがてアイゼナッハの左肩を触る事になる…アイゼナッハ。卿は左肩に手が当たったら、同じ様に手を差し出して、角3の方向に歩いてくれ。アイゼナッハが動き始めたら、ビッテンフェルト…卿は、アイゼナッハがそれまで立っていた角2に立ち、アイゼナッハと同じ様に角3の方向を向いて、そのまま待っていてくれ…つまり、ビリヤードの要領で動きをリレーしていくんだ。分かったか?」
「…ああ、分かった。」
返答ほどには納得していない様子のビッテンフェルトだったが、仕方ない、といった表情で小さく頷いた。ミュラーもアイゼナッハも同様だった。
「よし、では照明を消すぞ。」
ファーレンハイトが、手の中にあったリモコンを操作すると、部屋は一瞬で暗闇に支配された。LEDの光ひとつ無い、完璧な闇だった。
「…!」
やや慌てたビッテンフェルトだったが、ファーレンハイトの指示を思い出し、口を固く閉じて、矢印の方向に歩き始めた。
やがて手の先に、肩の感触が触った。触られた瞬間、その肩は角3の方向に移動し始めた事が伺えた。ビッテンフェルトは一歩踏み出して左を向き、そのまま待ち続けた。
(………)
閉鎖された暗黒空間の中で、壁際を人が歩んでいる気配だけが伝わって来る。何をさせられているのかもわからず、いささか気味の悪さを感じ始めていたビッテンフェルトだが、不意に左肩を触られる感触を得、そこで我に返った。
(…おっと、もう一周したのか…ファーレンハイトのやつ、まだ続けさせるつもりなのか? しかし一体、何の意味が…)
内心首をかしげながらも、ビッテンフェルトは『ゲーム』を続行した。
「………!」
何周かゲームを続けた後、不意に照明がつき、部屋は元の景色を取り戻した。何も変っていなかった。四人が、ゲームに沿ってそれぞれの位置を変えていた以外は…。
「………」
無言で何事かを考え続けるファーレンハイトに、ビッテンフェルトは憮然とした様子で問い掛けた。
「おい、どういう事だ? これは一体、何の意味があるんだ?」
「…いや、もういい。何でも無いんだ」
三人とも、納得していない事は明白だったが、ファーレンハイトは、もう何も話す素振りをみせなかった。
妙なひっかかりを三人の意識野に残したまま、夕食会は、それからすぐ後におひらきとなった。
※
回廊の戦いは、どちらの軍にとっても不本意な結末を迎えた。嫌な疲れを残したままフェザーンに戻った帝国軍の将師達は、欲求不満を公言する事も叶わず、悶々とした休暇を過していた。
不貞腐れてベッドに潜り込んでいたビッテンフェルトが、ミュラーからのTV電話で叩き起こされたのは、そんなある日の事だった。
「ビッテンフェルト提督…実は、ひとつ気が付いた事があるんです」
「…気が付いた事?」
「はい。ファーレンハイト提督の事で…」
結果的に自分の勇み足で死なせてしまったとも言える戦友の名を出され、ビッテンフェルトはあからさまに不快の表情を浮かべた。
「すまんが、そういう話なら休暇が明けてからにして…」
「ビッテンフェルト提督! 聞いて下さい!」
画面の向こうにいる砂色の瞳の青年士官が、いつになく押しの強そうな表情を浮かべていた。ビッテンフェルトはひょいと肩をすくめ、やれやれ…といった様子で話の続きをうながした。
「で、ファーレンハイトがどうしたというのだ?」
「回廊の戦いに赴く前日の、あの夕食会の事です。あの時の事を、覚えていらっしゃいますか?」
「………奴が俺たちに妙な事をやらせた、あの一件か?」
「はい。近付いて来た人の手が肩に触れたら、自分が次の人の肩を触りに行くという『ゲーム』の事です。」
「それが、どうかしたのか?」
「…あのゲームは…出来る筈が無いんです…」
「?」
「もう一度思い出してみて下さい。あの時の四人の配置を…最初に角1にいたビッテンフェルト提督は、ゲーム開始と同時に、アイゼナッハ提督のいる角2に進んだ筈です。」
「ああ、その通りだ。」
「提督に肩を触られたアイゼナッハ提督は、ルールに従って角3に進みました。そしてその後、角3にいたであろうファーレンハイト提督は、わたしがいる角4に向かって進み、私の肩に触れました。」
「………」
「そして、角4にいた私は、角1に向かって進みました…しかしビッテンフェルト提督は、この時既に角2にいらっしゃる訳です…とすれば…この時、角1には誰もいない筈…」
日頃は豪毅さで知られるビッテンフェルトの全身に、冷たいものが走っていた。ミュラーの次の言葉が、その悪寒を増幅する事となった。
「ビッテンフェルト提督…わたしがこの時、角1で肩に触れた相手は…そしてその後、角2で提督の肩を触ったのは…誰だったのでしょうか?」
おわり