「Dash!!」
「誰もが他人とは別のものをもっていて、それを繋ぎあわせながら生きてる。あなたは偉いわ。誰もそういってあげないならあたしが言ってあげる。だから負けないで。」
そんな勝手なことを言ったのは俺の母親だった。結局子供を置いてどこかへ行ってしまった女。他人に厳しい目を向けられることも多かったのに、いつも何故か堂々としていて。
とにかく。だからって息子に迷惑を掛けていいことにはならんぞ!!美和子っ。
早朝。まだやっと始発の電車が動き出したばかりの駅で。
「おはようございます、恭さん。本日の脱走時間7分21秒。……駅までたどり着けたのは立派でしたね」
この世の天敵が、俺を待ち受けていた。
「屋敷までは散歩に丁度いいコースですが、恭さんもお疲れのようですし車で戻りましょうか」
にこにこにこにこ。鉄壁の笑顔で俺の行く手を阻む。
疲れてないから歩きたい、なんて言っても絶対聞いてはくれないくせに。
既に毎日の日課となりつつある逃走劇。逃げる方はいつも本気で必死なんだが、一枚上手な目の前の男に邪魔されて、今だ成功せずにいる。
「……榊、あんた本当に俺を逃がす気があんの?」
荷物を取られ車に連れ込まれながらその横顔を覗き見る。
「恭さん、俺が言ったのは、脱走を見逃します、ではなくて逃げられるならいつでもどうぞ、ですよ」
あああ、神様。俺の分の幸福を他の奴に譲ったりしてませんよねえっ。…怪しい。
俺は藤方恭という。3ヵ月前までは「前島」という名字を名乗っていた。藤方は母親の旧姓であり、現在の保護者である祖父の名だ。年は16。ばりばりの未成年である。
かっきり17年前、いわゆる「いいところのお嬢さん」だった母が祖父の強力に勧めた縁談を見事蹴り飛ばして駆け落ちしたのが前島という顔だけが売りでそっちの方面には才能のかけらもなかった駆け出し3流モデルで、俺はその祖父さん曰く「はねっかえりと生活力の無い美人」の実の子供だ。
父親はとっくの昔にいなくなってて、14才の時に母親は出て行った。以来音信不通。それから俺は母親の知人やつてを辿って学校にもろくに行かずにふらふらしていたんだが、どうやらこの春、母は帰らぬ人になってしまっていたらしい。
と言うのも、祖父さんが俺を探し出したときには美和子はとっくに墓に収められていて、全然そんな実感が無いからだ。
そんな事情はともかく。たった一人の血縁つかまえて、祖父さんがこの家の財産全部譲るとか言い出したのが厄介事の発端だ。なんだか知らんがでかい会社を経営してるらしい祖父さんは東京郊外とは名ばかりの結構な田舎に屋敷を構えている。運転手付きの車持ちには問題無い生活環境だろうが、電車の時間を見計らって駅に行くなんてしたこともない俺にとってはかなりのカルチャーショックだった。
そして、やっかいなのはこの男。となりでゆうゆうと車を運転している榊、だ。
祖父さんは俺の世話係りとは名ばかりの監視役として配置したらしいが、これが絶対ただ者じゃない。何せありとあらゆる手段で藤方邸から脱走しようとした俺を、ありとあらゆる卑怯な手口を含んで阻んでいるんだから。
まあ、子供の考えることなんて掌で猿を遊ばせてるようなものなのかも知れないけどっ。
とにかく俺が法律上未成年の上に中学もろくに出ていないという身元調査はとっくになされていて、「唯一人の孫をまっとうな人間に育てるのが義務」と執念に燃える祖父さんと自立するの一点張りで派手に意見を対立させる俺の間に奴は割って入った。
曰く、もし俺が奴の手をかいくぐって藤方邸から脱走し、ある場所までたどり着くことが出来たなら跡継ぎの事は考え直そうってことらしい。
そこまでの行動力があるなら祖父さんも俺の言い分を認めざるを得ない、と。
見事な口車で丸め込んでくれたのはいいんだが…。
「現実の厳しさを身をもって知ることも大切ですから」とはどちらに向けられた言葉なのか。
「なあ、逃がす気ないんだろ本当は。全然っ」
やけになって端正なその横顔に問いかける。初めて会ったときは、なんとなく写真で見た若い頃の親父に似ているかもしれないと思ったけど。
「……当り前です。仕事ですから」
返ってきた完璧な営業用スマイル前に、今はただ密かに再挑戦を心に誓うしかなかった。
To be continued ?
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