「Friend」

 

 

期末試験の最終日、4月から始まる就職活動用の一般常識や性格診断テストを行う為に、着用を指定された着慣れないスーツで雨の中を歩く。
語学系の専門学校という特に潰しの効かない出身校を看板に、就職戦線を勝ち抜こうという意識は極めて低い友人達に囲まれて、これが一体何につながるのか明らかに不安ではあるのだが仕方無い。
…うちの学科は特にお気楽な嬢ちゃん坊ちゃんが集まっているので有名なのだからそんなことは今さらではあるのだが。
それにしてなぜかいつもスーツの日は寒くて、雨には降られ、電車は遅れ、会場に着いたときにはもう試験は始まっていた。遅延証明は貰ってあるから煙草の一本でも吸ってから入室しようと火を付ける。

煙りを吐き出しながら覗いた室内は、随分と閑散としているように見える。うちのクラスからだけでも必ず居ないだろう人数に予想は着くが、その緊張感の無さには担任でなくとも腹立たしくなるだろう。
かく言う自分だってとっくにスタートから出遅れている感は否めないのだが。

卒業したら就職、というのがわが家の至上命令でもあり決定事項だととっくに納得しているはずなのに、迷いはある。実際、条件は厳しいし状況は不利だ。四大へ行った高校時代の友人などはまだまだ遊び暮しているし、アルバイトだって当面は食って行けないこともない。十年先のビジョンなんてとても描き出せない。心だけが焦っている割りには行動がついていかない自分に苛立つ。

未練たらしく根元まで吸った煙草をもみ消した所で、足音が近づいてくるのに気づいた。遠慮がちなそれに、多分ご同類だろうと見当をつけて待ってみる。
大きくなる響きと共に、階段の向こうからうつむいてしきりに襟元に手をやり歩く小さな姿と赤い髪が視界に映る。
「恭一?」
見知ったそれに声をかけると、一瞬肩を震わせた後、ほっとしたような笑顔で近づいてきた。
「おはよ。見慣れないから、一瞬誰かと思った。」男にしては随分と頼りない体つきの彼が、にっこりと見上げて言う。
「…金沢って、なんか十分ホストで暮していけそう」
「それはどうも」
それに応えるように戯れに細い肩を抱き寄せると爆笑された。

やんわりと腕をふりほどきながらまだ笑いの静まらない彼を見下ろすと視線がぶつかる。真っ黒い、逸らさない大きな目。
恭一の、そこらの女の子よりも全然可愛らしい目で見つめられると、まるで誘われているような気になるという仲間内の噂話が頭をよぎる。
今まで、男相手に何を馬鹿なと半ば呆れていたが……これが結構、くる。
きまり悪くなって逸らした視線の先にだらりと垂れ下がったネクタイが見えた。
「どうした?」
それに手をかけ不審に思って尋ねると、恭一が思いっきり困ったような顔で眉をひそめる。
「金沢って学校、ブレザーだった?」
「あ?…ああ。高校時代はだっさいブレザーだったけどな」
早口で囁くように言うそれの意味を掴みあぐねて答える。しかし本当に女の子みたいだよな。…色が白くて、頬のラインなんか抜群にきれいで。
「オレは中高六年間詰め襟だったのっ」
言い訳するように力を込めて言った彼を見てぴんと来た。
「つまり、一人でネクタイが結べないんだな?」
最後が笑い声になった俺の爪先を思いっきり踏んで横を向く。おい、革靴だそ。
けどそんなことより、ほんのりピンク色に染まってた白い肌の方に気を取られる。…マジに可愛い。
やばい。女だったらかなり好みかも知れない。違う、女だったら好みじゃない。わがままな女は嫌いだからな、オレは!!
一応、今まで女に不自由したことは無いんだが。今だって彼女が居ない訳じゃないんだがっ、と言い訳がぐるぐると頭の中に空回りする。
「分かった。結んでやるって」
自分の混乱を押さえ込んで、機嫌を取るように囁やいてわざとゆっくり時間をかけて手を動かす。

「…そっちは何で遅れたの?」
沈黙が気まずいのかすねたような声が問う。
「オレ?…オレは電車事故。証明付き」
余裕の笑顔で笑って見せる。
「その割りには煙草臭いけど?」
「気のせいだ」
「…ズルイ」
そう言えば、こいつも結構なヘビースモーカーだった。
「そのおかけで助かったんだろ?…ほら、完成」
「…さんきゅ」

そう言いつつもなんだかまだ納得いかないような顔で襟元をいじる、子供っぽい仕草。笑顔もいいけど、すねた憂い顔もめちゃめちゃ可愛い。
「ちょっと待て」
え…?とつぶやく瞬間に顎を持ち上げ唇を重ねる。
抵抗も無く、たっぷり十秒はそのまま。
唇を離し目を開けると、見開かれたままの瞳。顔が見る間に真っ赤に染まっていく。
「…なに、するんだ」
衝撃の為か掠れる声に、ひるまずに答える。
「ネクタイのお礼」
柔らかい唇が、凄く気持ちイイ。…全然違和感無かったな。
「ばか…!!」
振り上げられた拳を、難無く受け止める。…見かけによらず狂暴。
「オレは先に行くけど、お前は顔の火照り…冷ましてからの方がいいよな?」
耳元に囁くと、身体が震えた。
「…誰のせいだよっ!!」
手に取るように分かる強がり。
別に、責任なら…取っても構わないけど。
そういうことは、ゆっくり後で交渉しよう。

END

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