「…なのに」
愛なんてどこにもない。
脱がすのも舐めるのもイカせるのも声を上げるのも金のため。
この一切合財は金のため。
肌にも睫毛にも指先にも単価いくらの値がついてる。
ただでなんて触らせない。
大事なのは心よりも別のところにある。
それが望みなら涙だってこぼす。
身体を売ってプライドを売って。
その代償にあっけなく消えて無くなる紙切れを受け取って。
頼りになるものなんてどこにもない。
それなのに、他人の体温のないベットでは眠れない。
そういう自分に腹が立つ。
「ほら、茶が入ったぞ」
その声に反射的に開いた目が、コンタクトを入れっぱなしで眠ったせいで視界が白い。
ぼうっと見上げると、男が湯気の立つカップをサイドテーブルにことんと置いた。
他人の気配に一人じゃ無い安堵と苛立ちが入り交じる。
「……コーヒーは飲めないんだけど」
「残念ながらそれはミルクティーだ」
ガタイのいい居候が無表情でそう告げる。
わざとなのか偶然なのか。この部屋で夜を過ごす他人の為にコーヒーセット一式揃えてはあるが、俺がそれを使うことはなかった。理由はただ、嫌いだから。
「ねえ、あんたいつ帰るの?」
寝ていたソファから身体を起し、カップに口を付ける。蜂蜜の甘み。
俺の言葉はキッチンで物音を立てる彼には伝わらなかったようだ。
声にならないため息だけが漏れる。
目の前に座り黙々と朝食を口に運んでいる男は水島暁という。5つ年上の兄の友人で、幼い頃はよく後ろにまとわりつく俺の相手をしてくれた人だ。もう大分昔の話だけれど。
「……健全な生活で健全な人生に引きずり戻そうって?随分つまんないこと考えるねアンタ」
久しぶりの暖かい朝食を口にしながら憎まれ口を叩く。数年ぶりの再開。この状況をどうすればいいか分からなくてうろたえてるのは多分、俺のほうだ。
「口に合わないか?」
彼は手元から視線も上げずに尋ねる。
「……最低」
席を立ったのは溢れそうになる涙を見られたくはなかったから。
2日前の夜だった。暁が突然訪ねてきたのは。2年ぶりに見るスーツ姿だった。
こっちは客を送出した後で、部屋は情事の痕跡をくっきりと残したまま。なのに顔色ひとつ変えずにしばらくいさせてくれと言って。
暁が仕事絡みでこちらに来ているのは、次の朝出勤する姿で分かった。でも、なぜ今さら俺の所なのか。兄とだってしばらく会ってないことは彼も知っているはずなのに。
大学進学のため東京に移って、長く一人ではいられなかった。初めは誘われて。気づいたら金のために抱かれるようになってた。学校には通わなくなり、住まいも変わった。家族とは次第に疎遠になって、帰郷する気はなくなった。
だから今、暁の理解しかねる気紛れに、俺は振り回されている。
「行ってくるからな」
枕に抱きついていた頭をぽんと撫でられる。
そういう子供扱いは全然変わって無い。返事のしようが無くて、結局手を振り払った。
「どういうつもりなの?」
暁のペースに巻き込まれて夕食を取った後、ただ同じ部屋にいる沈黙に耐えられなくなって俺は尋ねた。
「宿代わりにするつもりなら今すぐホテルを手配する。……アンタが居ると全然こっちも商売にならないんだけど?」
自虐的な台詞だ。勝手なのは分かってるけど、自分の大切な人に、今の俺を知って欲しくはなかったのに。
「迷惑だったか?」
なのに、それでも暁はそんな言葉しか返さない。
どうやって返事しろって言うんだよ。あんたのこと、今でも好きなのは変わらないのに。
大事な人なのに。
「…じゃあ、俺が買おうか。お前を」
「……は?」
脳裏が真っ白になった。
「ただで居座られると困るんだろ。それなら、俺がお前を買う」
冷静な声。こんな時でさえ感情を表わさない。
彼の顔を見ながらふつふつと腹の中に怒りがたまっていくのが分かった。
「……ざけんな。分かった。じゃあ俺が出ていく」
もう一秒たりとも側にはいられない気分だ。
上着だけをひっつかんで暁の脇を通り抜けようとして抱きとめられる。
「離せ」
「駄目だ」
即答で囁かれる。
「大嫌いだ…」
涙声になったのが恥ずかしくて顔を背けた。
「そうか。……だが、俺は愛してるぞ」
心臓を締め付けられる言葉。そして強く抱きしめられる。
「こっちへは仕事で何度も来てる。今回だって別に会うつもりはなかった。だだ…」
ため息のような声。
「この前雄一郎と飲んだときに偶然お前の住所を知って。……我慢できなかった。顔だけ見て帰ろうと、そう決めていたはずなんだが」
「誘惑に負けた…?」
俺の問いにこっくりと頷く。俺の知ってる暁はそんな風に何かに心を乱されるような奴じゃなかったのに。
「会って失望しなかった?」
「さあ?したのかも知れないが気づかなかったな」
苦笑混じりの答え。安心する腕の中。覚えのある煙草の匂い。
「嫌いになんてならないから、ひとりで泣くな」
欲しい言葉も優しい腕もどうせまた俺をひとりにするくせに。
END
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