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『文学の常識』
  version.1.1.98.6.2.  
  grade [ A- ]  
●中野好夫
1961.3.20.初版

角川書店・角川文庫
ISBN 4-04-311901-1 C0190 P270E




文学の常識

文学というものは、わかったようで、なかなかわかりにくいものである。このわかりにくい文学を理解する上で、これだけは考えておかねばならないという問題をひとつ、ひとつとりあげる。豊富な実例を自由に引用して、若い人たちにも納得できるように、やさしく解明する文学入門への手引き。(表紙折返しより)
 本書『文学の常識』は、「常識」というよりは「文学について知っていたほうがいい二、三の事柄」というようなものだ。現代における「常識」は肥大化している、というのは常識だが、この『常識』は、解説を含めたって文庫版で160ページしかない。非常識的なつつましさである。

 しかし、量的につつましいからといって内容は劣っているわけではなく、むしろ贅肉が落ちたぶんだけ「文学の本質」があらわになっていると感じる。
 むろん、入門書である。1951年の初出である。浅さも古さもある。けれど、その弊よりも、わかりやすさや「基本」の重みの方を取りたい。
 この正統さは、世紀末のわれわれにはほとんど獲得不能なものかもしれないけれど、だからといって「基本」をないがしろにすることはない。

 目次を追ってみよう。

「文学の多様性――定義の困難について――
「文学の三つの条件」
「文学を成り立たせるもの――真実の追究――
「文学における模写と表現――芸術の発生と発展――
「文学の基礎としての「人間」への興味(一)(二)
「文学と道徳――アリストテレスのカタルシス論――
「近代小説の起源と発達――近代リアリズムについて――

 堅苦しい印象を受けるが、それは表層だけのものだ。
 講演を基調にしたからであろうが、「ですます」調の文章は堅苦しくも読みにくくも、また過剰に学術的でもない。

「以上、私は文学を成り立たせているものとして上の三つの条件を出しましたが、そんなわけで文学とは、何かということになると、へたに定義などを下すよりも、いろんな変わった種類の文学を、できるだけ広くあげて、こんなのが文学だ、これらを読んで、なにかそこに共通した喜びといったものが感じられるのではないか、それがつまり文学なのだと、まことに不精な、不親切な話ですが、そういうより仕様がないのです。」(p37)


「異常な事件を書いて、つまらない、ただそれだけに終わっている文学もあれば、とても小説などにはなりそうにない小さな事件を扱って、名作ができていることもある。だが、それは不思議ではない。文学が文学であるのは、なにも書かれている材料が文学的か、文学的でないかなどというのではなく、実は素材の背後にいかなる意味を、いかなる真実を掘り当てているかということにかかっているからであります。」(p55)


「結局、文学によってなされるカタルシスということは、私たち人間性の胸の奥深くきわめて非合理的な暗いものが、潜んでいる。そしてそれに対して文学というものは、他の修身や教科書はもちろん、その他のどんな方法でもとうていできないような一種独特な仕方で浄化の役割を果たすものだということでありましょう。」(p119)


「しかし私のいいたいのは、それにしても小説というものは、その底においてやはり依然として人を楽しませるものであるということ。すなわち、人生問題を考えさせるにしても、それはまず楽しませ、面白がらせながら、考えさせるものだという性格を失っていない、また失われるものでないということがいいたかったのです。小説を楽しむだけで考えない誤りと、考えるだけで少しも楽しまない誤りと、私はどちらをとるかといえば、同じ誤りなら、まだしも楽しむだけで考えない誤りの方を採りたいくらいです。」(p144)

 文学がなぜ「文学」であって「事件報告書」ではないのか、文学の主流はなぜ詩歌から小説に移ろいでいったのか、なぜひとは「文学」に惹かれるのか。
 格好つけた鼻持ちならない文とは無縁。「おばあさんにきかせても、判るように」語られる、基本で王道で誠実な文学論。

 脱構築の前には構築が必要だ。応用を語るには基礎を知悉していなければならない。
 そして、深く愛するには、その対象を深く、土台の部分からしっかりと知ることが必要なのだ。

 革新的なことはなにもない。

 でも、あなたが詩や小説や文学を愛するなら、きっと読んでおくべき一冊。


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