『ぼくは勉強ができない』
山田詠美
新潮文庫 400円
ISBN4-10-103616-0

だいたい、ぼくたちの年齢で、アメリカの言いなりなどと意識する奴は、ほとんどいないのだ。そんなことを思いつかないくらいに、あらゆる外国のものは、ぼくたちの生活に溶け込んでいる。アメリカ人は、ソニーを自国の企業と思い込んでいるというけれど、それと似たようなことが、僕たちの周囲には、いくつもあるのだ。むろん、そこには、憧れも嫌悪も存在しない。好きなものだけを選び取るというのに、ぼくたちは、あまりに慣れ過ぎている。そして、それだけが、唯一ぼくたちのこだわっていることなのだ。
(「雑音の順位」p54)


 いろんなことを考えさせられた。それでいてシンパシーの高い素敵な短編集だった。「○をつけよ」「賢者の皮むき」「番外編・眠れる分度器」が好きだ。とくに「眠れる分度器」は、短編集内の配置が絶品である。教師・奥村は魅力がなく抑圧的で、けれどまだなにかを学びうるだけの若さが魅力的だ。

「○をつけよ」は私には日々実感としてあることがテーマになっている。既存の価値観によって自己を補完して、それ以外を排撃し滅殺しようかと考えているかのような人々……「それはちがうんじゃないの」「人それぞれだよ」を許容しない。不安は、大樹によることで払拭され、しかしその晴れやかさが自己の内部から生起したものでないことによるものか、そういう人々は――私は「大衆」という用語で呼んでいる――その意見に固執して、ほかの存在を認めたがらない。性急に白黒はっきりつけることを望んでいる。けれどこの主人公はそんな人々を横目にながめながらこう思う。

「ぼくは、ぼくなりの価値判断の基準を作っていかなくてはならない。忙しいのだ。何と言っても、その基準に、世間一般の定義を持ち込むようなちゃちなことを、ぼくは、決してしたくないのだから。ぼくは、自分の心にこう言う。すべてに、丸をつけよ。とりあえずは、そこから始めるのだ。そこからやがて生まれていく沢山のばつを、ぼくは、ゆっくりと選び取って行くのだ。」

 かつての自分がここにいる、と思った。
 いまもそれは私の心の核になっている。あらゆる予断とあらゆる偏見とあらゆる「常識」を安易に導入して澄ましておける鈍感を私は憎み、呪う。だからとりあえず「全肯定」。それがそこに存在しているということは、それが誰かに必要とされているということで、一見どれだけ自分に不必要に思えても、それが一見ゆえのアヤマチではないなどと言うことはできないのだ。「読まずに語る」はあまりにも傲慢だ。「絶対」を多用する人々、「信じられない」を連発する人々の鈍感を「アタマワルイ」と最大級の感情的切り捨てを行っているのもそこらへんが理由だ。他人の心のうちを「絶対にこうだね」と断言し、眼前に存在する事件を「信じられない」と気軽に否定して省みない愚鈍。
 けれど社会が多数の「大衆」によって構成されているかぎり、現世的利益は迷えるコウモリにはもたらされない。誤謬を含んでいようと、とりあえずの判断を即時に下さねばならない(ときがある)のが「仕事」と言うものだ。それはここ数年でよくわかったことだ。しかし、それを自分の趣味的領域にまで拡大したくはない。(最近はばつをつけることも多いけれども、あさはかにつけるのは慎もう)

 多少テーマ的に関連するのが「あなたの高尚な悩み」という一編で、これは思想それ自体の自己増殖のむなしさを軽やかに笑った作品だ。人間、どんな哲学に染まっていても骨折の痛みをなくすことは不可能で、しかし、それは根性のない思想だからだよという話。なるほど、「女の子のナイトになれない奴が、いくら知識を身につけても無駄なことである」のだろうな。衒学趣味じみた知識は、ときとして、無意味なだけでなくはた迷惑でもあるというわけだ。

 ともあれこれは「あたり」の山田詠美である。それがどのくらいかといえば、「ひざまずいて足をお舐め」でその筆力に打たれ、直後に「快楽の動詞」で爆発的に怒り(あの一冊はあまりにアサハカだ、と怒るのは私が文学理論コースの住人だったからではなく、唖然ととするほどつまらなかったからだ)、「放課後の音符(キイノート)」を退屈さのあまり放り投げて「山田詠美断ち」をしていた私に復帰を決意させるぐらいには、というくらいである。やはりタイトルがいい本は内容もいいのだ。解説で原田宗典がタイトルをみただけであまりのすごさに絶賛したと書いてあったが、私もタイトルだけはずっと知っていて「ぼくは勉強ができない」ってタイトル凄いよね、と喚きまわっていたくちである。
 つけたしっぽくなったがキャラクターの魅力も見事で文句なし。主人公の時田秀美君もいいけど、クラスメートの黒川礼子や顧問の桜井先生が魅力的だ。あんなクラスメートの女の子や先生に出会いたかったと思う。

 久しぶりに心地よい短編集に出会えて、私はいっとき幸せですごせた。おすすめです。本当。
version.1.3.97.12.15.


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