駄本批評 第3回
『インターネット ホームページマスターへの道』
永江一石
廣済堂出版 平成8年6月15日初版
ISBN4-331-50534-0 C0095 P1400E
評価 D
すばらしい、インテリジェンスあふれる文章と内容で、私を腰カックン(プラス膝カックン)にしてくれた一冊。
買うはずないけど、買わなくてよかった。
引用する。
「(ホームページのオーナーにはお金が入ってこないが)アクセスしてくる方は、回線料と、接続料を払い、貴重な時間を割いて遊びにきてくれるのである。
したがってホームページ側としては、
「よく来てくれましたねえ。まあまあ楽しんでいってくださいな。お茶もあります。お菓子もあります」
と、泣いた赤鬼のように、きちんと応対しなくてはならない。
だいたいその応対が出来ないようなら、人など招くべきではないし、来た人は怒って、二度と来てくれないだろう。」(p18、おそるべきことに太字部原文ママ)
……なんでだ?
なんでそんなにへりくだらなきゃいかんのだ? っていうかそんなに「どうぞどうぞ」のナマヌル攻勢は、かなり気持ち悪いぞ。
それに、これは逆のいいかただって出来るよなあ。つまり、「ホームページは、回線料と、接続料と、高いハードとソフトの代金を払い、貴重な時間を割いて作っているものだ。それを無料で見せているんだから、もっと見ている側は礼を尽くせ」。
どっちにしてもナンセンスだ。「好きで作っているんで、好きな人はどうぞ」でいいんじゃないだろーか。
――という見解に対しての永江の指摘はこうだ。
「しかしあなたが、「好きでやっているんだからいいじゃないか」と言うなら、それはそれでしょうがないと思う。そんなページは誰も見ないだろうし、エッチページにしてアクセス数を稼ぐにせよ、いずればかばかしくなってやめることが明白だからだ。」(p26)
そんなことを明白にしないでくれ。
「好きでやっている」だけの「誰も見ない」はずのうちのページだって、もうカウンターは7000まわっとるんじゃよ。少ない? いいんだよ、少なくても。楽しいんだから。
いやぁ、それにしてもこのひとの論法はすごい。ホームページを作る=情報発信のプロになることである(すでに疑問符)=「好きなだけでやってるページ」はちゃんとしたものに当たる確率が下がるのでやめて欲しい……やめて欲しいっていわれたってなあ。
WWWは永江一石個人の道具ではないんだということを認識してるんだろうか?
もし図書館で調べモノをしなけりゃならないとなったときには、「本が多すぎる! 減らせ!」というんだろうか、このひとは。
WWWがグーテンベルクの印刷機に比肩しうる発明であるとすれば、それは「誰でもページを作れる」というところにある。もちろんそれは玉石混淆の時代、ということでもある。「誰でも作れるようになる」ということはそういうことで、その流れをがむしゃらに否定してみたところで不見識っぷりが失笑を呼ぶだけ。
で、それで「プロの仕事」を、といって推奨するのが「キレイな写真を入れろ」「Photoshopを使え」ってのはなにごとだ? ホームページ開設準備費用が50万? よっぽど買物下手なんじゃねえのか、それは。
……まあねえ、このひとは要するに、根っからの広告屋ってことなんだろう。
「コンセプトがないとね」ってのには同感だし、実りのないページが多いのも確かだけどさ――
「ホームページ=広告(=画像)=見返りのあるべきもの」というイデオロギーが強烈すぎて、他が霞んでいるんである。思えばサブタイトルからして「成功の秘訣はコンセプトだ!」だもんね。なにを成功とするかによるんだけれど、この本の著者の主張するような「成功」だったら、あたしゃ結構です。ホント。
というわけで積極的排撃を行うまでもなくどうしようもないよねえ、という意味で駄本です。だほーん。
(余談。それにしても、一人称に「ボク」を使う奴って六な(内田百間風)人間がいないと思うのですが。どうすかみなさん? そう思わんですか?)
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