「憂 鬱」 詩:小笠原昭生
開かれているのに 閉じられたと感じ 自らが 暗闇の世界に落ち込んで行く そんな自分の回りの 空気は 傍目以上に澱んで 感じられる この沈鬱とした感情は 他者にではなく 自己に由来すると言うのに 生きたいと 思う願望の裏では 死の誘いが 顔を覗かせては消える むしろ そう言った存在が気になり 何時しか この実像よりも 向こう側の 幻影が大切になってくる しかし それは 密かな遊び 私は 自己の命をもて遊ぶ 深い懐疑でもなく 深遠な問いかけでもなく そのような顔をした 自己逃避なのだ そこに 自己の未熟が露呈し 自己の虚像が 演じれば演じるほど はっきりとした影として 映し出される事を 知っているのに 私は もっと即物的であり 禁欲者ではなく 快楽を求めている だが それを認めぬ要求が 心の奥にあることを認めよう 私は 人の幸福にも不幸にも関心がない だから 私が私に係わる以上には あなたに 係わらないようにしよう 私の心の憂鬱は 私自身が常に 危うい存在と化す 危機にあるからだろう 自己の生存は 次の瞬間に何の保証も持たない だから 私は何時もこの世に自分を繋ぎ止める 鎖を探しているのだ そんな時 冷たい風も空気も 凍り付いた水も 澱みの出た飲み物も カラカラに乾燥した食べ物も 過ぎ去る人も 排気ガスの臭いも 目に入るゴミも 新聞に引かれた赤い傍線もが 自分をこの世にくっつける 接着剤のように思える そのような 物や 人を借りて やっと私はこの世にくっついているのだ そして その堂々巡りの中で 私は疲れてしまう 私の憂鬱は 真摯な人の戸惑いではなく 胡座をかき 困り果てた素振りをする 役者の葛藤なのだ もし セリフに不満があるのなら 言うべきなのだ もし 振り付けに不満があるのなら 言うべきなのだ もし 座り続けることが我慢できないなら 自分の足で歩くべきなのだ あらゆるモノは 私とは無関係に存在する しかしその事を 私が思う限り 私とは無関係ではない 私とこの世界との関係は 否応なく 私が固有に持つもの全てに 深い関わりを持つ そして 私は既に最も近しい他者を前提とする事を忘れていない 私は 一体何からどれ程自由なのだろうか 私の憂鬱は 「この私自身」なのかも知れないとさえ思う
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