アイツ




 レシピ

 ほんとうが80%、うそが20%。
 うその中には、夢がちょっぴり、挫折がひとしずく。
 作り方は、簡単。
 しなくちゃいけない事が一段落ついた、月のきれいな夜に。
 ビールと、つまみのキムチと。
 そして、隣で寝息をたててるアイツ。
 準備はそれだけ。



 メニュー1 そんなアイツの今朝の話

 まず、アイツとは誰なのか。
 説明するまでもなく、我が家の猫の事である。
 だから説明しない。

 あんの野郎は、許しがたい野郎である。
 とにかく許しがたい。
 人が、目覚ましのベルの音と、寝不足な体力と、刻々と回って行く時針とのバランスを真剣に血の巡らぬ頭で思考していた時、アイツは襖の隙間をすり抜けて現れやがったのである。
 特にこびを売るでもない。
 ふらりと俺の隣に来ると、しばらく待った。
 その時の俺は必死で前述の三者の平衡を取ろうとしていて、ヤツどころの話じゃない。目の覚めてる時なら、頭の一つもなでてやったろうが、俺の腕は睡魔に押さえられてて、5ミリだって動かせない状況だった。まあそれでも、おあいそのひとつも振りまいてくれれば、努力のしようもあったが。
 野郎はつと身を翻すと、近くのダンボールの上にあがった。
 え、ダンボールって何って? 俺の部屋にはいつもあるんだよ。しまいきれない漫画や、引っ越し以来開けてないのとか。そんなのだ。今は本筋に関係ない。
 そしてヤツはおもむろにうずくまると、落ち着いた表情でせき込み始めたのである。
 いち、にいのぉ。
 俺にはそう聞こえた。
 さん!
 それと同時に、
 げげぼぉ!
 寝ぼけた俺の目線でも、それは捉えられた。今でもまぶたを閉じればスローモーションで……って、あんなの思い出したくもない。
 茶色い、ドライフード・カラーな濁流が吐き出され、ダンボール脇にあった俺様の、このご主人様たる所の俺様のジーパンの上に、いわゆるひとつのその濁流がぁ。
 低血圧な頭に一気に血が上がろうとした。
 年を感じる、いやいや、運動不足を痛感した事に、上がろうとしただけで、上がりきりはしなかったが。
 それでも俺は、むっくりと寝床から起きあがった。あいつはそんな俺の表情を追っている。
「……貴様ぁ……」
 俺が起きあがり、かつ、ちゃんと自分に注目の来ている事を知ると、ヤツも立ちあがって、襖の向こうに消える。おのれ、逃げるかふらち者。
 いや、逃げてなかった。振り返って、俺がついてくるのを確認してる。
 確認して、更に歩を進める。そして、振り返る。
 なえた。
 上がった血が下がった。
「……いい。もう、いい。」
 なんだかがっくり来た俺は、寝床に戻って、又ばったりと倒れた。深く深呼吸する。
 ……う。
 もう一度呼吸。
 ……う。耐えれん。
 再び血が頭に上がった。
 なんとかもう一度立ちあがり、匂いの根源たる例のジーパンをひっつかむ。
 ふと気付いたのだが、野郎は見事ジーパンにだけにソレを散らしている。畳には一かけらもこぼしていない。……むかつくなあ。
 ジーパンを洗濯機の脇に放り出した後、奴を探したのだが、くそったれ、姿を消してやがる。
 再び登った血は再び急速に下がり、前に倍してめまいが襲う。
 なんとか布団に倒れ込んで、俺の意識は旅に出た。

 旅から帰って来た時には、おてんとさんは高く高く登っていた。
 俺は青ざめてバイクにまたがり急発進した。

 まったくもって許しがたいものである。
 読者諸氏にもよく判って頂けたと思う。



 メニュー2 なんだか最近寝顔が可愛い

 つまり、アイツとは何なのか。
 言うまでもなく、黒猫である。
 だから何も言わない。

 だらしのないやつである。わがままというよりは、傍若無人とでも形容するのがヤツにはお似合いである。
 今回は、そんなアイツの寝相に、特にスポットライトを当ててみよう。

 やはり、だらしない。
 それだけは確信をもって証言しよう。
 寝る。とにかく寝る。どこにでも寝る。いつでも寝る。
 寒いと暖かい所に、暑いと涼しい所に、それが当然、あたりまえあたりまえあたりまえという顔をして、悪びれもせずに寝る。
 こんの野郎のそんな態度を見て、俺ははじめて護民官ペトロニウスの一端を理解した。っと、脱線である。
 普通に寝る。すまして寝る。丸まって寝る。手足を弛緩させて寝る。ひっくり帰って寝る。箱の上、机の上から落ちそうになりながら尚寝る。ちゃっかりと布団や座布団に居場所を確保して寝る。
 どんな寝方でもかまわないが、無防備に腹をさらして熟睡するのだけはなんとかして欲しい。狩猟動物としての誇りと言うか、プライドというか。本能と言い変えてもいい。あの堕落ぶりは見てて情けない。
 ついつい、こう、んがっと踏んでやりたくなる。
 なるだけじゃなくて、実際に何度か踏んでやった。……それで、すかさず気付いて跳びのくとかしてくれるなら、俺も感心して認めてやるんだが。
 ……気付きもせずに睡眠を続行しやがった。

 救いようが無い。

 最近は、そんな俺の侮蔑の視線に気がついたのか。
 腹を出して寝る事がない。大抵、丸くなって寝ている。
 くーっ。と、そんな寝息をたててそうな眠り込み様である。
 ……これが、結構可愛い。別にどってことないのだが。

 寝ているアイツに近づいて、そっと毛並みを撫でてやる。なかなかいい手ざわり。更に、奴の足を捕まえて、少し引っ張る。気付いているのかいないのか。目は閉じたままである。まあ、慣れと言うか、つきあいと言うか。
 握り閉めた奴の足先と、その先の太股を見ながら俺は歌う。
「ケソタッキーフライッドチッキィ〜ン」
 手を離すと、シュパッと奴の足は引っ込んだ。



 メニュー3 その瞳に映るもの

 その瞳は見るものの心を映すという。
 そうかも知れない。ただし、アイツの気が向いた時にだけだ。
 しかもアイツは気まぐれで、つまり、役に立たない。
 そういう事なのである。

 右まぶたの上が、皮膚病にでもなったらしい。かゆいかゆいとしきりにかいている。
 ざまあみろ、と俺は思う。
 人がせっかく一緒に寝ようと言ったのに、このすかぽんたんは人の布団から脱走しやがった。当然の報いだ、ふふん。やはり日頃の行ないがモノを言うんだ。

 アイツの毛並はやわらかい。なでてるだけで幸せになれる。
 俺はちょいと自分に絶望していた。よくある事だ。役に立てるはずなのに役立たずな自分に腹を立てるのを通り越した時、いつもそうなる。
 こういう時には、やわらかい毛並に隣に居て欲しい事があるんだ。
 にゃに、彼女? 殴るぞてめえ。禁句だよ。
 まとにかく。
 気持ち良く扇風機の前で寝ているすかぽんたんを発見して、俺は言った。
「いよお、どうせ寝てるならちょっとこいや。」
 抱き上げて、自分の部屋にいって、布団の上にのせて、明りを消した。
 逃げた。
 もう一度捕まえて、抱き上げて、寝た。
 逃げた。
 更にふん捕まえて、抱きしめたまま、寝た。
 暫く大人しくしてる。ふふん、観念したか、と力を抜いた途端、逃げた。
 今度は屋外逃亡だった。
「……ふん!」
 俺は寝た。

 翌日。なあんとなく、太股に柔らかいものがあたっていた。
 寝惚けながら目をさまして、ふと俺は自覚した。
 こいつは、猫の毛並だ。
 ひょいとそちらを見ると、居る。丸くなって寝ている。
 いつの間に戻って来たのか。
 なるほど、こいつらには、人の心を敏感に察知するアンテナひげでもついているのだろうと納得した。
 気が向いた時にしか使用しないのだろうが。

 俺は普段は学校だから、暇そうにしている妹に、動物病院へ行くように伝えた。



 メニュー4 猫又

 要するにアイツはなんだと言うと。
 ばあさんなのである。
 ただそれだけ。

 アイツは自分を、どうも人間様だと認識している節がある。なんというヤツであろうか。しかも、どうやら自分の地位を、この俺様よりも上だと思っているらしいのだ。奴が下手に出るのは、餌が欲しい時だけだし、それだって「仕方なくやっている」のが見え見えなのである。ああ、くそ、こうして書いてるだけで腹がたって来た。もう金輪際ヤツには鰹節なぞやらんからな、今決めた。

 アイツはメスである。飼い始める時には、これで結構もめた。子供をぼこぼこぼこぼこぼこぼこ産まれてはかなわん、面倒見きれんという事になり、結局腹を割いて規制してしまった。我が家で飼うメス動物では定番な処置なので、それ程歪みを俺は感じない。当のアイツは感じているのだろうか。
 ……あんまり感じてない様に、見える事は見える。
 ああ、でも、切った腹の肉には歪みが出た。施術の時に引っ張った事の後遺症か、皮がたるんでいるのである。なんだか、なんだかなのだ。
 そうそう、アイツは、最近近所のトラに偉く気に入られている。このトラの鳴き声から察するに、どうも、その、迫られているらしいのである。
 もうばあさんなのにね。それ以前に女でもないかもしれんのにね。
 本人、嫌がっているようには見えない。
 春の椿事であった。

 空っぽの鳥小屋、鼠特有の噛り後のある本、木机を日曜大工で改造して出来た犬小屋。
 いつだって別れはあった。
 そんな中で、コイツとのつきあいは、いつの間にか最長記録を更新中になってしまった。嬉しくもあり、いつか、を思うと、余計に悲しくもある。
 まあ、いつだって、そんな別れはさっくりと受け入れてきた。どって事ないイベントだし、またすぐに日常が上から塗り潰して行くだけさ。
 そう知っているけど、俺はアイツにつぶやいてみる。
「よお、お前、ちょいと猫又になってみないか? 百年とは言わん、五十年でいいからさ。」
 ヤツは寝たまま返事もしない。
 全く、不愛想なヤツである。








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