アイツ
レシピ
いかん、腹が出てきた。
ビールは止めよう。
変わりに、よく冷やしたグラスに氷を転がし、上からウイスキーを注ぐ。
サラミのビニールを破く。
最近のいつものタイミングだと、そろそろ。そう思いながら、時計を見つめる。
ほら、階段を登ってくる音。廊下を歩く爪の音。そして、閉め切ってない襖の隙間からアイツが顔を出す。
俺の隣まで来て、倒れ込むようにして布団に転がる。触れる暖かな毛皮。
よし。これで準備万端。
メニュー5 一心同体
動物は飼い主に似るという。
飼い主が動物に似るんだという話もある。
どちらにも一理あると俺は思う。
人のあくびは伝染する。
猫の眠りも伝染する事を俺は発見した。
あいつが隣で寝こけて居て、それを見ていたり、その毛皮に触れていたりすると、なんと、こちらも眠くなるのだ。いや、本当。おかげで何度遅刻した事か。
パターンその一。目が覚める。同じ布団に猫がいる。その毛皮を感じているうちに、幸せに二度寝に入る。目が覚めない。手遅れになるまで目が覚めない。
又は、毛皮を感じる度に三度寝、四度寝に入ってしまう。
パターンその二。うららかなる昼の日差しの中、猫がおざぶでうたたねしている。それを隣で見ている。猫の呼吸を感じる。一息。二息。そのうちに寝てしまう。日が落ちてから起きる。寝れない。朝まで寝れない。朝になってから寝る。昼まで起きない。遅刻どころか欠席ものである。
こちらが眠いのだけでは不公平だ。
俺は復讐を考えた。
暇そうな我家のアイツを見つけて、しめたとばかりにその隣にいく。そして、寝る。できるだけ何も考えず、できるだけ何も思わず。ただ、ただ、寝る。
すると、猫もあくびをして眠り出すのである。
やったぜ、復讐は成った。
まあ、行動パターンやら性格やらが良く似てくるのは、本当らしい。
体質なんかまで影響してくるかもしれない。実例がある。
アイツが右まぶたをかゆそうにしてるのは話したと思う。
あの後、手はうっていないが、勝手に治ったらしい。
だが。今度は俺の右まぶたが腫れた。
コンタクトレンズがいまいち合わず、よくものもらいを作っていた時期がある。
それ以来癖になっているらしく、ちょっと荒れたり汚れたりした生活をすると復活するのだ。今回も心あたりのない事もない。が。
俺は今ひそかにかんぐっている。
動物と飼い主の関係。
風邪はうつして治すという治療法。
「おい、オマエ。ひょっとしてだなあ……」
アイツは何も言わずに寝こけている。
俺は今ひそかに確信している。
メニュー6 1センチ四方の触れ合い
誰かの体温を感じていたい。
誰かの呼吸を感じていたい。
そういうのって、あるらしい。
人の話じゃない。猫である。
簡単な所では、あれですね。
小猫を抱き上げると喜ぶ。
喉をなでてやるとゴロゴロいう。
触れ合いって奴ですね。
俺も猫に触れているのは好きなのだが、なにしろこらえ症がない。
猫の首をいつまでもなでてる根気や、寝息をたてる小猫を支え続ける腕力がない。
丁度相手が落ち着いてきたあたりで、「だりぃ」と放りだしてしまう。
だるくならずにじっとしてる時、とは、すなわち、寝てる時だけなのだ。
んが。寝てる時にも問題はあったのだ。
寝がえり。
何度もうつらしい。隣で寝てるアイツは、何度となくつぶされたらしい。らしい、というのは、俺に意識が無いからなのだが。
特に暑い時はいけない。猫の毛皮の気持ちいいのは最初だけで、5分もすれば、もう暑くて暑くてこらえられなくなる。そんな毛皮が、こう、べっとりと自分の体に沿って横たわっているとるともう駄目である。
俺達は何年もの実験をし、そして学習した。
俺にとっては、指一本分。
アイツにとっては、アゴひとつ分。
それが、許容限度。寝がえりを誘発させない、寝がえりをうっても潰したり潰されたりする可能性が低い状態での接触。
数々の、そんなシフトモードが開発され、利用されている。
布団にもぐり込み、それぞれのポジションで眠りにつく。
俺とアイツの間には、約1センチ四方の触れ合い。
そして、俺もアイツも幸せに気絶する。
目を覚ますと、俺の寝がえりに潰されたアイツは退避してしまい、部屋から姿を消していた。
メニュー7 仲間?
猫というのは縄張りを持つ動物である。
アイツにはないらしい。
いや、縄張り意識はあるらしいんだけど。
つまり、実力が伴わない。
検証その1。何処かから拾ってきた子猫を、飼い手を探すまで預っている時。
そりゃもう、見てて情けないぐらいにその心の狭さと弱さを露呈する。
まず。他の猫が居るのに、同じ部屋に入るまで気づかない。これが情けない。
しかも、相手の猫を初見して、ショックで固まる。そらもう見事なくらい、部屋に無防備に入ろうとした、片手を歩く形に持ち上げたままの姿勢で、目だけ見開いて固まる。例え、相手がどんなに子猫でも。情けない。
次にその子猫が近付く。又は、俺が近付けさせてみる。
すると、逃げる。一目散に逃げる。ダッシュで逃げるのだ。情けない。
逃げれない様、部屋の襖を閉めてから、子猫をけしかけてみる。
思いっきり威嚇する。逃げ回る、手を出して追い払おうとする。全力の戦闘体制で、しかも逃げ腰である。情けない。本気か、お前。こんな小さい相手に対してその態度。情けない。
それでも、捕まえて、無理矢理猫同士の肌を触れ合わさせる。
すると、まるで殺されるかの様な泣き声を上げるのである。触れたその肌から火傷が広がる様な。ガブリとその肌の所を噛みつかれた様な。確認しておくが、その情けない声を上げるのはアイツの方である。決して、拾ってきたばかりの子猫の方ではない。……情けない。
そして、遠巻きにして、その子猫の動勢を伺う。部屋からは逃げ出すのに、廊下からこちらを伺うのは忘れない。迫られると逃げるのに、決して遠くまでは行ってしまわない。お前なあ、なんだその姿勢は。自分の居場所を盗られたと思うなら、闘って取り返せよ。そうでないなら仲良くしてみせろ。せめて、無視してつき合うくらいの貫禄は出せよな。情けない!
検証その2。近所の野良猫数匹が、飢えもせずに元気な理由。それは、うちの猫の餌箱が、まごう事なきアイツのみの所有物であるはずの餌箱とその中身が、彼らの所有財産とみなされているからである。
俺が帰ってくる。廊下で、アイツが自分の餌箱のある台所の中を伺ってる。なにしてんねん、と俺も伺うと、近所の野良介がお食事中だった。
なによりも先に、俺は足元のアイツに「なにしてんねん!」と言いたくなった。次に、野良介に「なにしてんねん!」と言ってやるべく、扉を開けた。
殺那、野良介は電光石火の勢いで飛び出し、いつも猫用に10センチだけ開けているトイレの窓から逃げ出した。うむ、技だ。俺は思わず感心してしまった。褒めてやりたいその身のこなしと気構え。
そして、足元を見る。
……アイツと俺の間に、気まずい沈黙が流れた。
本当に、同種族なのだろうか。比較するのすら情けない。
後日。
トイレの窓は、猫であるアイツの扉。改め、トイレの窓は、猫「みんな」の扉。となった。日増しに野良共(そう、共。複数形に成長した)の神経は太くなり、横暴を究めた。いわく、人が来ても逃げない。餌箱のある台所以外の部屋もうろつく。特に、二階にまで上がってた奴には驚いた。いつも気合いを入れて追い出しているのだが、あまり効果はない。いや、ギャフンと言わせてやると覚悟して、事実運良くギャフンと言わせたイベントもいくつかあるし、事実その猫はもうこなくなった。だが、複数形に成長し、今も成長を続ける野良共に、根絶の気配はない。
そして、今日も俺は家に帰ると、自分の家の中をびくびくと伺って一歩も入ろうとしないアイツの背中を見る事になるのである。
情けない。
メニュー8 相棒
繰り返すが、猫には縄張りがある。
縄張りのないアイツは、猫以外のなにか、なのだろう。
アイツ自身は自分を人間だと思っているかもしれない。
俺は断固拒否する。
それならば、と。アイツは犬かもしれぬと宣言しておこう。
うちでは犬を飼っていた。例の、木机を改造して犬小屋にした、その小屋の持ち主である。
それを、物影からしきりと伺う。丁度、家へ珍入していた同族達を見てたのと同じである。犬だって見られて嬉しい訳じゃない。吠える。吠えまくる。だが、悲しいかな、音には殺傷能力はないのだ。しかも鎖が彼女を縛っている。
そう、あの犬は、気だてのいい雌犬でした。誰にでも、なんにでもやさしい。ちょい体格があったし、その威力をあんまり自覚してないので、周囲には脅威だったかもしれないが。体当りコミュニケーションが彼女の信条だったけど、それでもしつこく教えれば、抱きついていけない相手とか事があるというのは判るぐらいに賢かったし。俺の中のベスト・オブ・ドッグでしょう。
アイツは学習した。意地汚く。その彼女の鎖の、丁度届かぬ位置にまで近付いて、そこから相手を見つめるのである。吠える彼女の口をすぐ側にして。どうだ、届かないだろうと言わんばかりに。自分の鎖のない体を見せびらかすばかりに。
だけど、彼女の方は偉大だった。アイツは鎖で繋がってなくて、なんで私は繋がれなきゃいけないの、とは主張しなかった。それどころか、アイツも家族の一員である、と理解して、やがては吠えなくなった。俺は彼女が誇らしい。
でも、散歩の後、アイツが前に居て、彼女を見てから玄関に駆け込む時、一緒になって家へ駆け上がろうとして、俺に叱られた時には「どうして?」という顔をし
た。俺は、猫はよくても犬は家の中に入っちゃ駄目なんだ、というのが、つらかった。時々首輪抜けした彼女が、開いている玄関から勝手に家に上がってきて(猫が居ない時には決してなかった。一度言えば判って二度としない賢い奴だったのだ)、アイツがしてるみたいに俺達の隣で寝ようとする。それを見つけて、叱って、小屋に叩き出すのが、つらかった。これみよがしにそんな事をして見せるアイツに心底腹が立った。
彼女が再び吠え始めた時、俺は本気で泥棒かと疑った。
違った。アイツが、新しく彼女の手の出ないポイントを見つけたのだ。
例の机改造の犬小屋の屋根の上である。丁度、鎖を繋げる位置の都合で、彼女には手が届かない。
俺は、彼女が吠えるのを全面的に支持する。アイツは、彼女が鎖に繋がれてて、自分は繋がれていないという事実を見せつけるだけでなく、俺達人間の家を「自分の家」として彼女に見せつけるだけでなく、彼女の家でさえ「自分のもの」であると主張したのだ。吠えられて当然、いや、噛みつかれたって当然の、猫にもおとる行為である。いくらしばいても、怒っても、アイツはその行為を止めなかった。俺はあまりにも彼女に申し訳なくて、俺が怒る程に彼女への不公平な仕打を際立たせるだけな気がして。もう只恥ずかしくて、怒るのさえ止めてしまった。
そして日が過ぎて、ふと、俺はもう吠え声がしないのに気がついた。
そっと家の後ろに回ってみる。
そこには平和があった。
小屋の上でアイツが寝ている。
小屋の前では彼女が寝ている。
うららかな日差しの中に、何も問題はなかった。
またもや、彼女は譲ってくれたのだ。
彼女はもう居ない。
アイツは、お気に入りだったはずの、あの小屋の上でのひなたぼっこをしなくなった。
単に、からかう相手が居ないからつまらん、などというだけの理由ではない。
そう、思いたい。
something tell me.
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