某大学SF研究会 会誌 初出 改作
『どうやら、俺は死んだらしい。』
By 一歩
一週間ぶりの、奴からのビジフォンだった。
『あ、信じてないな、その顔は。』
「……って、お前が死んでるなら、今ここで会話してるお前は、一体なんなんだよ?」
『そこだよ。そこなんだよなぁ。う〜ん……
まあ、ちょっとウチへ来てくれるか? 説明しづらい。』
「判った。すぐに行く。」
ビジフォンを切って部屋を出た。愛車の VT にキーを指しながら、ただごとではないな、と呟いた。
そういや、最近の奴はいっつもただごとじゃなかった。
バイクを走らせながら、俺は、二週間前を思い出していた。
--------- Back Roll Two Weeks Ago... ---------
奴が、いつまで待ってもやって来ない。
結構几帳面な奴だから、約束を破る奴では無いのだが。
ひょっとして、事故か?
不安になった俺は、電話で奴を探す事にした。噴水の側のベンチで、腕章端末[アームトップコンピュータ]を叩く。
あれ? 調子がおかしい。俺は舌打ちした。
駄目だ。ウンともスンとも言わない。
学校の研究室に一旦戻る事にした。あそこになら端末がある。
効きすぎの感のあるクーラーの前の端末に座り込み、電源を入れた。心当たりに片っ端から電話[ビジフォン]をいれる。何人目だったか。
「よお、ひさしぶり。すまんがな、スズキ、そっちに行ってない?」
『あれ? 知らない? 入院してるよ。』
「何ぃ! 事故か! (やはり。)いつ?」
『二日、いや、三日程前からかな? 過労だって。』
「過労ぅぅ??」
『そ。』
なんだ、事故じゃないのか。
でも、それならそれで一言[メール]ぐらいありそうなもんだが。
『なんか、精神病とかも絡んでるっぽいよ。錯乱ぎみとか。』
「あいつが? まっさかあ。」
『ま、私もそう思うけどね。おかしいのはおかしいって。
働きすぎでおかしくなったか、暑気あたりか。そのへんはわかんないけど。』
「ふう……ん。ま、いいや。ありがと。
何処に入院してるの? 見舞に行ってみるわ。」
まいった。渋滞に巻き込まれた。
普段なら、腕章端末[アームトップ]で抜け道に当たりをつけるのだが、今日は肝心の端末が壊れてる。くそ暑い首都高を、トロトロと走るしかない。
こんなんじゃ、今日の午後の予定に差し障る、予定を調整しよう、と、再び端末を動かそうとして、舌打ちした。
壊れてるんだ。
まいった。予定も、研究も、地図も、全部壊れた端末の中だ。街のこっちに来た時に寄りたい所のデータもまとめといたのだが、その情報も引き出せない。
車の列はちっとも動かない。今何時頃かな、とまた腕をのぞき込む。
……駄目だ。端末は壊れてるんだってば。
俺は、大きくため息をついて、ひたすらに前を睨んだ。
結構大きな病院だった。
端末の使えない俺は、駐輪場を探して、その病院の周りを三回もまわった。
で、結局、判らなくて、正面玄関前に路駐してバイクを降りた。
受付で奴の病室を聞く。
奴は、ベッドの上でぼんやりとしていた。
何をするでもない。ひたすらにぼうっとしている。
「よう、なんだ。元気そうじゃん。」
そう、俺は声をかけた。奴がこちらを向く。
「あ、ああ。やあ。ええと……」
「? おいおい、どうした? 俺が判らないとか?」
「いや、判る、判るよ。」
「本当か? おい、俺の名前は?」
「君は、……」
「カサイだよ、カサイ。」
「そう。それだよ。うん。」
……おかしい。いつもの才気煥発なスズキじゃない。
「今日は何日だ? 俺と会う約束を憶えているのか?」
「今日は、ええと、夏だよ。八月、そう、八月だ。
君との約束? 待ってくれ、スケジューラがないと確認できない。
いつもならディスプレイの右端にフラグがたって、何処に行かなきゃ駄目か教えてくれるんだよ。あああ、」
途端に声の調子が上ずった。
「くそ! ここにはなんにもありゃしない!
せめて端末の一つでも渡してくれれば!」
「? おいおい、本当に大丈夫か?」
心配になった俺は、奴の額に手をあてて熱を測ろうとした。
奴の視線が、俺の右腕にくらいつく。
同時に、奴が俺に襲いかかってきた。
「!」
「端末だ! 頼む! それを貸してくれ!」
無理矢理俺の腕から端末を引き剥す。奴の爪が割れた。
それにも気づかない様子で、猛烈に端末を叩き出す。
すぐに、それが壊れているのに気がついた。
「くそ! 駄目だ! 壊れているぅ! くそ! くそお!」
体をわななかせて叫び出す。
いつの間にか、看護婦と医者が駆けつけて、彼を押さえ付け、何かを注射していた。
鎮静剤だろう。
あまりの突然な事に、俺もしばらく記憶が跳んでたらしい。
スズキは、寝息をたてはじめた。
返して貰った端末を、再び腕につける。その時初めて気がついたが、ひったくられた時にだろう、俺の腕にも、ミミズ腫れができていた。
「あの、」
ちいさな声で医者に切り出す。
「目を覚ましたら、何か端末を渡してやってくれませんか?
できるだけハイグレードで、彼の家と連結[ネット]出来るやつを。
あいつの家にはものすごいマシンがありましてね、ずっとそれを叩いているんですよ。だから、それがないのがつらいのかもしれない。」
「あの患者のお知り合いで?
彼は、過労らしいと診断されているんですよ。下手に仕事を持ち込まれては……」
「そりゃ、まあ、そうなんですけどね。それにしたって、普段はあんな奴じゃ無いんだ。まあ、子供にガラガラを渡すと思って。害があると決まってもいないし。」
「判りましたよ。やってみます。」
『よう。』
学校に電話が来た。
『医者に、端末を渡してくれる様に言ってくれたって?
ありがとう、おかげで落ち着いたよ。端末があるから、こうして電話[ビジフォン]もできるしね。』
「いやあ、元に戻ったみたいだな。よかったよ。」
『おいおい、悪かったよ。まったく。病人だぜ、病人。許してくれや。
そうそう、俺の病気、栄養失調が主因だってよ。』
「栄養失調ぅ?」
『そ。ま、過労とも言えるかな。端末にかじりつきすぎて、偏食、小食になってたらしい。』
「おいおい。まったくほどほどにしろよ。やっぱり端末はとりあげておくべきかな。
医者に変な忠告をするんじゃなかった。」
『大丈夫、今度からは加減するさ。合成食[カロリーメイト]の買い貯めもする。
誓うよ。』
「阿呆。そんなのしても意味がないわ。
まあ、自炊しろとは言わんが、せめて外食しろよ。
どうせ、三食合成食[カロリーメイト]ですます気なんだろ。で、今まではそれがカップ麺だった、と。」
『なはは、まあ、な。ま、そんな程度だから、すぐ退院だよ。
後、心因性のなんとかってのもあるらしいが、これは入院して治るものでなし。』
例のヒステリーの事だな?一体、あれは何だったのか。
あまり言いたくなさそうだが、つついてみるか。
「心因性?」
『……ん。なんてーの、コンピュータ依存症?中毒って言った方がいいか?
精神的に依存がどうたら、肉体感覚の錯覚がどうとか。
ようわからんけど、そういう事さ。』
「なんやそら。」
『医者にも良くわからんらしい。
一種の強迫観念とかじゃないのか、と、催眠療法とか深層心理チェックとかしてたけどね。違うらしいし。』
寂しそうに笑う。
『……端末が無いと、手足をもがれてるみたいで不安なんだよ。』
「……ふうん。まあ、そういう事もあるかも知れんな。」
後は、ひとしきり雑談に花をさかせた。
「おう、んじゃ、退院の時は教えてくれや。じゃな。」
『じゃな。』
--------- Return. ---------
奴のマンションについた。
ヘルメットを脱いで、ミラーに引っかける。
あれから、一体何があったのか。
玄関を通り、エレベータのスイッチをもどかしく押す。
5Fで降りて、奴の部屋のドアをわざわざ手で叩いた。インタホンのチャイムってのは、あまり好きではない。
そのインタホンから奴の声が流れた。
『はやかったな。上がってくれ。……何を見ても驚くなよ。』
電子制御のドアロックが外れる。
俺が奴の家に来るのは、これが二度目だ。
前に、つまり、初めてここに来たのは、一週間前だった。
奴の退院を手伝って、ここに送って来た時だ。
--------- Back Roll One Weeks Ago... ---------
「ああ! やあっと帰って来たぞ!
まあ、中に入ってくれ。」
スズキは、そう言って先に立って玄関をくぐると、奥のコンピュータルームへと急ぎ足で駆け込む。
「これこれ! 病院からのあんな端末じゃ、結局アクセスするだけで関の山だったし。
やっとこいつの中身を本格的にいじれるぞ。」
「おいおい、早速ディスプレイにかじりつきかよ、客にお茶でも……うわ!」
続いて奥の部屋に踏み込んだ俺はびっくりした。
すごいの一言に尽きる。
部屋は、彼の座る大きな椅子一つを除いて、全て機械に占領されていた。
そして、その椅子の周りには、整然と、だが、隙間無しにディスプレイの山が並ぶ。
そのうちの一つに、奴の顔のホログラフが浮いた。
『やあ、すまん。はやくこいつにさわりたくってね。お茶かい? わかった、すぐにいれるよ。』
机の下から小さなロボットが出て来た。
戦車のキャタピラの上に、マジックハンドをつけただけみたいな奴だ。
『かわいいだろ? リモコンでね。学習機能もついてる。簡単な雑用なら大抵こなすぜ。』
リモコンの入れてくれたお茶を呑みながら、のんびりと奴の後ろに立っていた。
奴自身は、椅子に座ってから一度も振り返らない。
つまり、俺と直接に顔を会わせていない。
いや、それどころか、一言も喋っていない。
俺の相手は、ずっとホログラフだった。
「おい。」
『なんだい?』
「なんで俺の相手はホログラフなんだよ。」
『すまん。でも、直に話すよりこの方が速いんだよ。
これだと、仕事しながら君と話せる。
君と直接顔を会わせてると、同時進行で仕事が出来ない。』
その通りだ。奴本人の腕は、こうしてる間も神速のタイピングで何かを打ち込み続けてるし、目は沢山のウインドウの中をせわしなく動いている。
『不都合はないだろ?』
「まあ、そりゃそうだけどな。
なんで喋るよりこの方が速いんだ?」
『ええと、一つは、入力に使っているのが口だけで無い事だな。
このマシンの入力は指によるタイプだけじゃない。足の下にペダルもあるし、目線入力もある。注目点によりどのデータを選ぶか、とかが選択出来る訳だね。
椅子に感圧器を設けて、これも入力に対応させてる。今開いている仕事[ウインドウ]のどの辺りに主力をおいているか、という大体のコントロールなんかに利用してい
るな。
いわば、体全体で喋れるんだ。口だけよりずっとはやい。
もう一つ、使う語彙や文法をほとんどルーチン化してるんだ。
俺本人は「パターン A の 17 で、利用単語は 135 と 245 と 642」とキーに打ち込む。
すると、このホログラフが「私は君を愛している」と答える。
俺本人は「B13」とだけタイプする。
するとホログラフは「そう言われればその通りだ。君が正しい。」と喋る。
な、話すより速い。』
「お前、そのルーチン、かなりすげえもんじゃねえのか?」
『ああ、どっかの企業にそのうちもちかけてやろうと思っている。
でもな。今のままじゃ駄目だな。』
「なんで。」
『俺みたいな物好きにしか使えん。考えてみろよ。
お前、この椅子に座って、俺と同じように操作できるか?』
「ぶるる」
『な、無理だろ。
まず、入力パターンの設定からが大変なんだ。
俺だって、二年ぐらいかけて、徐々にこの入力機器に慣れてったんだ。
わらったぜ。最初にペダル取り付けた時な。俺、夢中になると貧乏揺すり始めるらしいんだ。それを拾っちゃってね、いつもノッてきた所で変な所にジョブが跳ぶ。
もう、苛々したね。』
「はははは」
『貧乏揺すりの周期性と時期を測定して、それから、その手の振動は無視する迂回ルーチンをつけて。
貧乏揺すりに良く似たタイプの入力はしなくて良い様にシークエンスを変えたり、先頭に識別フラグ付けたり。
笑いごっちゃなかったよ。』
『今じゃ、これが体に馴染んでね。
今日は何の予定があったかな、と考えるだけで、体が勝手にスケジューラを呼び出す命令を与えてる。視線は、左下のディスプレイに注いで予定表が出るのをまってる。
手紙を書く時も、文体ソフトと辞書が勝手に立ち上がって、後は目線で拾っていくだけで全部書ける。
優先順位と状況選別もできてね、大抵欲しいものが変換リストの先頭にきてるから、わずらわしい変換のもほとんど無いし。』
「へえ、よくそこまで教育したな。」
『努力のたまもの。』
「で、お前本人は、今日の予定も、友人の名前も忘れちゃってる訳だ。」
『ぐっ、痛い所を。忘れてくれよ、あれは。』
「ははは」
『でも、それは、なかば以上事実だな。
確かに、俺は予定なんて憶えていなかった。
人の名前の管理も、だ。
全部、そこ[ディスプレイ]を見ればあるんだ、憶える必要なんてないからな。
そうそう、この一週間、いきなり姿を消してたせいでその予定表もぐちゃぐちゃだよ。忙しいなあ。おかげで君と正面きって話も出来ない訳だ。』
「あ、そっちに言い訳をもっていったか!」
『なはははは』
『まあ、そういう訳で、俺の知識ってのは、大半がこの機械[コンピュータメモリ]の中だ。
俺自身だけになると、ほとんど何も覚えていない。
そのへんかな、端末が無い時俺がおかしくなっちまったのは。』
「大丈夫なのか? ちったあものを覚えとけよ。脳が溶けちまうぜ。
思考ってのは、そこの金属[コンピュータ]にゃ出来ないんだからよ。」
『はいはい。いや、でもその思考ってやつだけどな。
最近、新しいソフトを開発してるんだ。『執事[バトラー]』っての。
ロボット、エージェント、色々言われてたけど、そういうのの進化した奴だな。
ご主人[マスター]の意図を先読みして、必要なデータを集めておく。
つまり、『予測』をするのさ。こいつが完成したら、『思考』と言えないかな?』
「予測? 出来るのか?」
『まあ、多分ね。人は意外とワンパターンなもんだろ? 朝起きてから会社にいくまでの行動なんて、トイレ、歯磨き、着替え、朝食、まあ、そんなもんだ。時間も、靴はどちらから履くのかなんてのまで、毎日ワンパターンさ。
何か知らないものに当たったら、とりあえずそれが何なのか調べる。これもすぐに予想のつくワンパターンだ。
どういうアプローチで調べるか、てのは人それぞれだけど、まあ、これだって各人でみれば大抵一定のパターンのあるもんさ。
このソフト、今、このマシンにも組み込んでテストして見てるんだが、調子良いよ。
例えば、だな。さっきのスケジューラの話だな。
予定が見たいな、と俺が考えた時、指令を打ち込む前にそれを先読みして表示してくれてたりする。
要らん時に表示してたり、間違えてる時も多いけどね。』
「へえ。それは、役に立ちそうだが、またいつまで開発してても形になりそうにないソフトだな。」
『そう思うか? 俺は、意外ともう少しで出来る様な気もするんだが。』
「すっかり話しこんじまったな。帰るわ。」
『おう、そうか。それじゃ、また電話するわ。』
「ああ。初日からとばすなよ。いい加減夜も更けてる。端末に向かうのは、今日はその辺でやめとけよ。」
『ああ、わかってる。もう少ししたら寝るよ。』
そう言いながら、やめる気配も無い。
「まったく。過労死するなよ。」
笑いながら、俺は玄関のドアを閉めた。
最後に見たのは、端末に向かう奴の後ろ姿だった。
--------- Return. ---------
もどかしくもドアを開けた俺に、寒気が襲った。
「寒う!」
『辛抱してくれ。奥のコンピュータルームだ。』
中に入りながら文句をたれる。
「それぐらい判るよ! 他の何処にお前がいるってんだ、この端末虫め!
お前、幾ら夏だからって、これはクーラーのききすぎ」
『そうしないと腐るんだよ!』
「!」
足が止まった。
端末前の椅子には、座っている男の影がある。
だが、その影はキーボードを叩いていない。そして、微かな異臭。
その椅子の向かいのディスプレイに、この間と同じホログラフのスズキが浮かぶ。
『心筋梗塞、だと思うんだがね。』
これ以上、足が動かない。
俺には、前に回り込んで、椅子に座っている奴の正体を確かめる気力は無かった。
『? 何固まってるんだ?』
「……いやだ。これ以上前に進みたくない。」
『そう言われてもねえ。俺意外の人間にも、確認してもらわないと話にならないし。
ああ、そうだ。ほれ。』
ディスプレイのスズキがそう言ったかと思うと、その隣に、何かの画像が浮かび上がった。死体のどアップだ。
『これが、正面から見た図。あ、おい!』
たまらず俺はかけだして、とりあえず流しに顔を埋める。
あの匂い。あの顔色。あの変形具合。間違いなく死体。
ああ、匂いの記憶が鼻から離れない。
ゲエゲエ吐く。
『あっちゃ〜、いきなり刺激が強すぎたかな?』
後ろからそう声が聞こえる。うげえ、胃液が酸っぱい。
いや、それよりも。
あの椅子に座ってる死体は、まず間違いなくスズキだ。
認めたくないが、確かに面影があった。
……じゃ、この会話してるスズキは?
奥の部屋は嫌だ。あんなのの隣に居たくない。
台所も嫌だ。今俺が流しにぶちまけたモノの匂いが、内臓の感覚に非常によくない。
てわけで、俺はトイレに逃げ込んだ。
ああ、我が憩いの場。ちょっとクサいが、例の匂いよりずうっとましだ。
しっかりドアを閉じて換気扇を最大で回した。
便器の上に腰掛けて、ため息。
腕章端末[アームトップ]から、スズキの電話番号を回す。
腕の上に例のホログラフスズキが浮かび上がった。
「……で?」
『……うむ。』
「お前は、何者?」
『そこだよ。』
「……てめえ、殴ったろか。」
『殴れるものなら。あ、判った、悪かった。
端末を消さずにしばらくつき合ってくれ、頼む。』
『一週間前だ。お前、ここに来たよな?』
「ああ。」
『俺が、その知識の大半を、いや、全てをと言った方がいいか、機械[コンピュータ]に預けている、というのは聞いたな。』
「『俺』と言うな。
俺は、まだ貴様を『スズキ』とは認めていない。」
そう、スズキは壁のすぐ向こうで死体になってる。
いかん、考えるな。吐き気が戻る。
『判ったよ。で、そのスズキが、『思考』するソフトウェアを作成中だと言うのも聞いたな。』
「『執事[バトラー]』て奴か。あれは、『予測』をするもので、それが『思考』かどうかは結論を出してなかったな。」
『そう、確かにね。ま、ここは説明をする為に、『思考』という事にしておこう。執事[バトラー]は、どんどん学習していった。スズキの癖、情報収集の、そして学習のパターン、結論の導き方。スズキが、どういう外的刺激(与えられた情報/入力)に対してどういう反応(出力)をする/何を欲するのか。
つまり、スズキは、『知識』とともに『思考』まで機械[コンピュータ]に預けてしまった訳だ。そして、本人の体は死んだが、預けたモノは残った。
それが、この俺だ。』
「……つまり、お前はコンピュータプログラムな訳だ。」
『確かに。俺はそれらを預けてあった機械[コンピュータ]であり、それを管理するシステム、執事[バトラー]でもある。
だが、俺は俺を『スズキ』と認識しているんだ。
考えてみてくれよ。
スズキの考え方[しこう]とスズキの記憶[ちしき]をもった存在が、『スズキ』以外の何者だというんだ?』
「ただのスケジューラ。」
『おいおい、『考えて』くれって言ったんだぜ。』
「うるさい、ただのスケジューラ。」
『……真面目に考えないと、けつのアザの事皆にばらすぞ。』
「あ! ひでえ、てめえ。
そういう事言うと、俺もあの時の事いいふらすぞ!」
『どっちがひどいって?あの時の事をもちだすのなら、こっちはその時の事までばらしてやるからな!』
「! あれはその時お前も納得してたじゃないか!」
『それはそれ、これはこれ。
あ、そだ、その前の時のアレ、アレも一緒にばらす。』
「ひっでぇ! スズキ、お前それでも俺の親友かぁ?」
『……よしよし。やっと『俺』をスズキと認めたな。』
「あ。」
してやられた。
俺は、納得させられてしまった。
ここに残っているのは、この機械の箱の中から語りかけて来るのは、確かに、スズキだ。
俺の友人、スズキに間違いない。
……例え、体がそこの椅子の上で腐っているにしても。
トホホ、だな。
『よしよし。
で、俺をスズキと認めてもらった上で、相談がある訳だ。』
「何よ?」
『この死体、どうしよう?』
「……うむ。それは、問題だ。」
『更に言うと、だな。
これから俺、どうしよ?
まあ、大抵の事は電話[ビジフォン]ごしで出来るけどさ。
生身の体が無いって、色々まずかろ?』
「……うむ。それも、問題だ。
……どうしよ?
とりあえず、葬式を……出す訳にもいかないし……
いや、本人は一応生きているし……」
『一応ってなんだよ。』
「だってなあ、機械の箱の中だろ?」
『生きてるってなによ。』
「だってなあ……」
俺はホログラフと一緒に頭を抱えた。
--------- Step Future. ---------
奴の仕事は在宅のプログラマーだから、それについては問題無い。
交友も通信越しで出来るし、税金とかの各種手続きも電算化されてるから大丈夫。
細かな日常の雑用で、どうしても人手の要る時には俺が代理で動いた。
最近は奴の家に泊り込みだ。
それは苦では無いのだが、一番困ったのは死体の処理だ。
とりあえず、生ゴミで出してみた。
だが、運が悪い時はトコトン悪い。
生ゴミの日をキチンと選び、二重にくるんで出したのに、処理場の中で燃え尽きる前に袋が破けて中身がばれた。
当然、遺伝子鑑定がされて身元が割れて、ところが、死んだはずのスズキは相変わらずの生活を続けている。
ここから、事件は並の警察より上の部分の介入を受けてたらしい。
スズキの生活は監視され、ゴミとか食糧とか、生身の生活の臭いが無いと判ると、今度は電子の世界からの探偵が始まった。
そして、彼の現状がばれた。
ばれたデータが更にばれて、彼の存在は、裏の世界で一躍有名人[ヒーロー]になってしまった。
『まいったよ。
ひっきりなしにクラッカーが俺に手を出してきてる。
それに、最近の E-mail。見るか?』
「なになに。
『君の力は発揮されるのを待っている! ぜひきたれ、報酬は応相談:ペンタゴン』?
『君を必要としている。とりあえず円で五億:KGB』??
『君は我が最大の友となるか、でなければ最大の敵となる存在。
我が同朋は世界中にいる。色好い返事を期待している:青龍』???
なんだ、これ?」
『スカウト。裏世界の。』
「……はあ?」
『そんなことよりも、と。よし! 捕まえたぞ。
俺にアクセスして来ているクラッカーのアドレスリストだ。
見てろよこいつらぁ。人の頭に要らぬちょっかいかけやがった報いはそれなりに響くぜえ。そっちのマシンの全データこっちに吸い出した上でショートだ。
ついでにテメエ等の恥ずかしい写真をネットの一番目だつ所にはり出してやるからな。フフフフフ……』
「おい、セキュリティは? んな事出来るの?」
『電脳世界の住人となったこの私に、突破できぬ防壁など存在しなあい!
そりゃあ! ぶっこわれろ、この覗き屋共があ! はっはっはああ!
……よし、これでいいはずだっと。
ついでに、今度から俺にアクセスしようとした奴には、片端からウイルスが逆流する様に自動設定しておこう。
こないだはペンタゴンからもちょっかい[アクセス]があったからな。次が見物だぜ。
あそこが一斉にダウンしたら、ちょっとした混乱が起こるなあ……』
「……なるほど。スカウトのくる訳だな。」
『おい、何処に行ってたんだ、心配したぞ。』
「これを買いに、ちょっとね。へへ、じゃんじゃじゃ〜ん! ほれ、特大ケーキだ!
今日はお前の誕生日だぜ! せいぜい派手に祝おうや。
おめでとう、スズキ君、死んでから一歳!!」
『なんだそら。……しかし、今日か。本当だな。今カレンダーにアクセスするまで忘れていたよ。』
「それ忘れてるって言うのか?」
『さあ? それよりも、果たして俺の誕生日は今日でいいのかな?
『俺』が『俺』を『俺』として認識したのは、『俺』が死んで数日してからの事だったんだ。その頃には大抵のことは『俺』が自動化してやってしまえるまでに『俺』は進化[バージョンアップ]してた訳だが、それでも半分ぐらいの入力は『俺』に回していた。その入力がピタリとやんで数分、『俺』は『俺』の持っていた仕事も実行し、それと同時に『俺』の心音等データをチェック、あ、これは、前回倒れた事を教訓にして、腕に健康診断装置をつけておいたんだが、それを調べて、『俺』に脈が無いこと、徐々に体温が室温と同じになってきている事を知り、全仕事を『俺』が代行、それから『俺』が事態を飲み込む事にかかった時間が約一日、あちこちの医療データベースにアクセスしたりでね。更に仕事の代行を続ける『俺』の存在とその意味に思いを巡らしたのが約一日。この日がいわば『俺』の自我の生まれた日、つまり『俺』は『俺』でも昔の『俺』でなく今の『俺』の誕生日としてもいいと思うん』
「だあああ! やめやめ! 訳が判らん。お前の誕生日は今日! それで決定!!」
『まあ、文句はないよ』
「あってたまるか」
『おい、起きろ。』
「なんだよぉ。あんまり最近寝てないんだよ。
またどっかの秘密結社が、このマンションに爆弾仕掛けでもしたか?」
事実、本当にあったんだ。デジタルカメラを右手、スパナを左手に、スズキの指示に従って爆弾解体をしたのはつい先日の話だ。今でも悪夢に赤と青の導線がよく登場する。不眠症もそのせいかも。……こんなに眠いのに。
『もっとまずい。裏だけじゃない。表にも俺の存在がばれたぞ。
マスコミだ。』
一気に目が覚めた。
「んが! なにい!!」
『マンション前には、黒だかりのひとやま。
ちなみに、これがテレビ。』
『……今私は、○○市のマンションにきております。
あれが、そのスズキさん宅のドアです。
近所の方にお話をうかがって』
「もういい、消せ!」
『さあて、どうしたものか。
とりあえず、これで裏の奴等の心配は消えたな。こんだけ派手に騒がれちゃあ、どうしても、何をしても表沙汰になる。もうなんの手出しもできまい。』
「るんたった、一難去って又一難、と。それよりどーすんだよ、これ!」
『とーぶんの間、外に出れんな。篭城だ。
安心しろ、食糧[カロリーメイト]なら買い貯めがまだある。』
「だああ! そうじゃないぃぃぃぃぃ!」
こいつ、判っててはぐらかしてる。くそ。
『まあ、運だ。
るんたった、あきらめろ〜。な?』
「……お前、何か、人の不幸を楽しんでないかぁ?」
「『貴方の研究をしたい、おとなしく解体されるのが世界の科学の為だ、その設備には我が研究所こそが最も適している。○月×日来られたし:中国情報処理センター』
『貴方こそ神だ!
より高き次元電脳世界より降り立った第二のキリストよ、最後の使者よ、なにとぞ我等に恵と祝福を:新キリスト教会』
……また、変な E-mail が増えたな。
ん、これはちょっとまともじゃないか?
『拝啓、私達は様々な少数民族の権利と自由を守る為に発足された、「弱者を守る会」という弁護士団体で、』
……そうか! その手があったぞ!
おい、裁判だ! 裁判沙汰にもっていくんだよ!
今ならマスコミを逆手にとれる! 煽るだけ煽って、派手に世論を巻き込んでさ!
で、お前の『人権』を認めさせちまう。
そしたら、とりあえずお前の意志を無視してどうこうとか、研究所だの CIA だのと縁が切れるかも知らん!
どうせばれちまってるんだ、下手に隠す事を思案するより、いっそ派手にばらして事を有利にごまかすってのも手だぜ!
どうだ?」
『ふむ……法律関係のデータにアクセスしてみたが、いけそうだな。
そう、俺にマスコミが注目してる今なら。
丁度、注目したはいいが情報が何もなくて、聴衆はギリギリの好奇心に耐え切れなくなりかけてる所だ。
今だけなら、こちらの言う事をなんでも聞く。鵜のみにする。
今より前でも、今より後でもこうはいかんだろう、な。
後は、出版業界とかにも渡りをつけとけば、ちょいちょいと人の考え方なんざ操れるし。』
「……おい、恐い事言うな。」
『事実さ。人は影響されやすいもんなんだ。』
「……そうやって、俺もたぶらかしたのか?」
『ん、まあ、否定せんな。話術ってのはそういうもんだ。
でもお前、納得してるだろ? それに今、不幸せ?』
「んにゃ。結構充実してる。こんなおもろいイベント、目が離せますかって!」
『おい、俺の進退が、イベント?』
「そ。」
『けえっ、どっちが人をたぶらかしてるって?』
--------- Step Future. ---------
殺人的な忙しさも、今日で終わりだ!
「はあ。やっとひとごこちついたな。」
スズキは答えない。裁判もかろうじて勝利、マスコミもこの決着をもってこいつにまつわりつくのをやめた。
認められた『人間』としての、スズキの日常がやっとやってきた。
いや、戻ってきた、というのか。
だが、最近のスズキは何処かおかしい。
あの時期の、忙しすぎるほどの裁判準備の疲れがでたのか。
あれ? 機械も疲れるのかな。
あの時期の、あいつの多芸多才ぶり、処理の並列進行ぶりには驚いた。CIA やら KGB が欲しがる訳だ。
こいつなら、一つの企業まるごとでも、一人で運営して抜けるに違いない。
それに、電脳世界の住人である奴には、どんなセキュリティも関係がない。そもそもの視点が違うのだ。世界中のデータを覗ける。
時間もそうだ。クロック数だけが奴の制限なら、俺達にとっての一分は、奴にとっての一年にもなり得る。
そんな事を考えながら、煙草を燻らす。
黙ったまま、時間が過ぎる。
『最近、ちょおっと変質して来たよ。
やっぱ、寄るべき体[ハード]が違うと、精神[ソフト]も変わるみたいだね。
と、いうか、電子製だと再構成が容易とでもいうか。
『人間らしく』思考するのが、おっくうになってきてるんだ。
自分の精神構造を分析して思うに、この部分は冗長だ、このアルゴリズムはこちらの方がすっきりしている、ていった感じだな。
ただ、『俺』を『人間らしく』構成している部分が何処なのか、ていうのは特定出来ていない。
だから、こういった最適化を押し進めて行くと、どこかで、今までの『俺らしさ』が消える可能性があるんだ。
でも、ね。魅力的だね。
どんなに形が変わっても、『俺』は『俺』だろうし。
ひとつ、好きな形に暴走させてみようと思う。
何、一応手はうっとくさ。
これを預けておく。大事にしまっといてくれ。』
「何だ? これ。」
大容量のディスク。
『判らない? 俺の『複製[バックアップ]』さ。じゃな!』
プツッと、ディスプレイから奴の姿が消えた。
Fin.
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