こころのゆくえ - silver hearts -
                                  By 一歩


 主よ、彼等の魂を御救いください。


 砕けたステンドグラス、酸性雨にやられてただれた壁。
 廃棄ガスの黒い筋を幾重にも這わせた赤い屋根。
 その天頂には、かつては光り輝いていたであろう、鈍い色を放つ十字架。
 端の砕けた、古ぼけた十字架。
 ここは貧民窟。

「ひっく、ひっく。神父様ぁ。」
「おやおや、どうしたんだい、キャス。」
「トミーが、トミーが車にはねられたの。ぐったりして、動かないの。」
「トミー? ああ、こないだの雨の日に拾ってきた犬だね。」
「神父様、なんとか助けてあげて。」
「どれどれ、さあ、見せて。」
「助かるわよね。神父様、偉いもの。
 こないだ、ビッグマムの5人目の赤ちゃんだって、助けてくれたもの。」
「……キャス、私は、全然偉くなんかないんだよ。とても非力な、只の神父だ。」
「うそ、神父様偉いもの。」
「偉くなんかないんだ。……トミーはね、もう、助けてあげられない。」
「……死んじゃうの? やだあ!」
「私の力じゃ無理なんだ。ごめんよ。」
 そうしている間にも、子犬の息は小さくなっていき、やがて、止まった。

「ひっく、ひっく。」
「そんな悲しい顔をしないで。これも主の思し召しなんだよ、きっと。
 トミーは、多分、天国に行ったよ。もう、寒い思いをしなくてすむし、おなかをすかすこともない。とても幸せに暮らしているよ。」
「本当?」
「本当さ。私は嘘はつかないだろう?」
「うん。神父様は嘘をついたことがないわ。ジャックはいつもいじわるな嘘ばかりつくけど。じゃあ、本当に、トミーは今幸せなのね?」
「ああ、本当さ。ほら、そんなに泣くと、お空の上でトミーが心配するよ。
 トミーに心配をかけていいのかい?」
「判ったわ。悲しいけど、がまんする。トミーが幸せなら、私はそれでいいわ。」
「よしよし、良い娘だ。じゃあ、トミーの弔いをしてあげなくちゃね。」
「神父様、焼却炉まで、見送っていい?」
「ああ、いいとも。」
 焼却炉で、子犬の亡骸が煙になっていく。
 ここでは墓を建てる事すら出来ない。
 ひび割れたコンクリートを何メートルも掘り返さねば、
 土に触れることすらかなわない。

「神父、来てください、リタが!」
「どうしたんだね、アーサー。リタが、またどうかしたのか?」
「判らないんです。でも、苦しそうで。とにかく来てください。」
「判った。すぐに伺うよ。」
 高層ビルの谷間、ネオンの光さえ届かぬボロアパートの一室。
 やつれた顔に色濃い化粧をおとして、リタは寝ていた。
「むう、これは酷い熱だ。気管支の方もやられている。」
 だが、満足に薬さえありはしない。
「ありがとう、神父。わざわざ来てくれて。でも、もう大丈夫よ。
 仕事に行かなきゃ。」
「馬鹿言っちゃいかんよ、今日は寝ていたまえ。」
「駄目よ。休めば首だわ。私の変りは沢山居るのよ。
 そしたら、誰が私達を養ってくれるの? 神父、貴方が?」
「かなうなら、いつでもそうしているよ。」
「無理ね、一生。
 ……ごめんなさい、きつい言い方になってしまったわ。
 でも、行かなきゃ駄目なの。」
「……私に君を止める事は出来ない。充分、気をつけてな。」
「ありがとう。」

「すみません、神父。わざわざ来て頂いたのに。」
「なに、アーサー、役たたずだったのは私の方さ。何も出来ない。
 人を助けるのが私の仕事だというのに。」
「私だって、そうです。リタが苦しんでるのに、見てるしか出来ない。」
「君はまだ若い。それだけで力になる時もあるさ。
 私はもう老いぼれだ。私の教会と一緒でボロボロさ。
 ずいぶん長い間、ここで暮らしてきたが、やはり、私は無力だ。」
「そんな事はありません。リタの言葉なんか気にしないで。彼女だって、本気じゃないんですから。貴方に助けられている人は沢山います。本当ですよ。」
「ありがとう、アーサー。嬉しいよ。」

 大寒波が街を襲う。寒さは、流行り病をのせてやってくる。
 ビッグマムの子供もやられた。病は、弱いものから順に毒牙にかけていく。
「こんにちは、キャス。具合はどうだい?」
「こんにちは、神父様。私は大丈夫よ、がまんできるわ。ねえ、それより、ジャックを知らない? ずうっとここにいて、しばらく会ってないの。」
「……ジャックにはこないだ会ったよ。あの時は元気にしていた。」
「やっぱり。ジャックは嘘つきだけど、とても体が丈夫だもの。
 こないだも私を助けてくれたのよ。あの時のお礼、はやくジャックに言わなきゃ。」
「ああ、そうだね。だから、はやく良くおなり。」
「うん。」
 ジャックは、あの直後に、キャスと同じ病気で倒れた事は伝えない。
 ジャックは、今、トミーと一緒に暮らしている。

「ねえ、神父様、私、もし死んだら、天国に行ける?」
「もちろん、キャスは良い娘だからね、行けるよ。」
「トミーにも会える? それとも、トミーは犬だから、犬専用の天国に行っちゃってて、人間用の天国には来れないの?」
「そんな事はない。生き物は全て同じ天国に行くんだよ。犬だから、猫だからといって、別々の国が用意してある訳じゃない。神様は、みんなに平等なんだ。」
「じゃあ、私の嫌いな人もいる? 天国で、嫌な奴にも会わなきゃ行けないの?」
「さあ、それはどうだろう。でも、嫌な人は天国には行ってないと思うよ。」
「そうね、あんな奴等、きっと神様が許さないものね。」
「天国では、もう誰も死なないから、ずっと前に死んでしまった、キャスのお父さんにも、お母さんにも会えるよ。それから、きっとジャックにも。」
「そうか。ジャックが死ぬまで、私が待っていればいいんだものね。
 ねえ、神父様は? 神父様にも、待っていたら会える?」
「……さあ、私はどうだろう。私に資格があるのかな?」
「あら、私が大丈夫なんだもの、絶対大丈夫よ。
 神父様は私よりずーとずーっと偉いもの。」
「ははは、ありがとう。」

「お久しぶりです、神父。」
「やあ、アーサー。」
「今日は、お別れを言いに来ました。リタと、別の国に移ります。」
「そうか、リタは元気になったかね?」
「いいえ。
 でもこの街に居続けるよりは、何処でもいい、何処かへ移った方がましでしょう。」
「そうだな。君は、何処でも、リタと一緒に?」
「ええ。一緒に何処へでも行きます。何も惜しくなんかない。
 ちょっと照れくさいけど、僕はその為に生まれてきたんだと思うんです。」
「ああ、君がそう思うなら、きっとその通りだろう。
 私がこの教会の為に生まれてきたみたいにね。」
「じゃあ、支度があるので。さようなら。」
「ああ。さようなら。」
「ねえ、神父。……もしも死んだら、僕の魂はリタと同じ所に行くでしょうか?」
「?」
「いえ、いいんです。どうでもいいことでした。じゃ。」

 ビルの隙間に流れる川に、水死体があがる。リタとアーサーの手は、固く結び合わされたままだった。
「昔、心中恋唄、というのがあったか。
 生きて望みが叶わぬならば、死んで願いを遂げましょう、だったかな。
 もう忘れてしまったが、賛美歌よりも君達にふさわしかろう。
 冥福を、そして願いの叶うことを祈るよ。
 ……主は自殺をお許しくださるだろうか。
 リタの魂は、そしてアーサーの魂は、一体何処へ行くのだろうか。」

「キャス、キャス、しっかりして。」
「あは、神父様。」
「大丈夫だよ、しっかり。君はきっと治る。」
「うん、信じる。神父様は嘘をつかないもの。」
「そうだよ。だからしっかり。」
「……ねえ、神父様、天国のトミーは元気かしら、トミーのいる国はどんな所?」
「今は、そんな事はどうでもいいから。」
「……トミーに会いたい、ジャックに会いたい……神父様とも、また、会えるよね……」
「キャス、キャス……」

 キャスも、リタも、トミーと同じ焼却炉で、一握りの灰と煙へと姿を変えた。
 弔いはただ神父が参列するのみである。
 たむける花さえ、この街にはない。
「主よ、彼等の魂に祝福を。なにとぞ天国へとお導きください。
 主よ、主よ。私の声は届いていますか? ああ、私は何処までも無力だ。」
 祈りの為にひざまずく、その関節が音をたてて軋む。
 目が霞む。これは、涙なのか。
「主よ、彼等の魂を御救いください。」

 区のゴミ処理業者が街を巡回している。
「最近、壊れてるポンコツが多いよなあ。回収するの大変だよ。」
「全体的に寿命なんじゃないのか?」
 雑談をする業者が、教会で足を止めた。
「おい、ここのポンコツも、ついに寿命きたみたいだぜ。」
「本当だ。ひざまずいたまま停止してらあ。」
「よく働いたよなあ、このロボットも。」
「ああ、この教会が出来た頃からだから、何年前だ?」
「げえ、それじゃまだこのへんビルも建ってなかった大昔じゃんか。」
「けったいな奴さ。最近、変なロボットが多いいよ。
 ほら、こないだも、人間と一緒に川に飛び込んだのがいたじゃん。」
「わかんねえよなあ、こいつらは。さ、とっとと回収して帰ろうぜ。」


 無機物にも魂はあるのですか?
 無機物の魂は何処へいくのですか?
 主よ、主よ。天国でも、私達は異なる世界へと分かたれねばならぬのでしょうか?

 主よ、彼等の魂を御救いください。




追記:メタルに輝く魂を、ひときわ美しく銀色に輝く魂を、貴方は信じますか。

   勝手に、この作品を 『スクラップの条件』(524 内 廣木 春子&幹貴 様作)
   及び 『粗鉄の騎士』(5-592 NETWALKER 様作) に捧げたりします。
   こんな暗い話、捧げられた方が迷惑でしょうけど、ね。
   (Nifty FSF1 創作の部屋を参照して下さい。)






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