トマト
「トマトが食いたい。」
俺はそう思って自転車にまたがった。
受験に失敗した。
食い物が美味しく感じなくなった。
何を食べても、只の食べ物だった。
本当にうまい物が食いたい。
そう思った時、思い出したのが「じっちゃん」のトマトだった。
あれは、小学生だった時の時分だ。家出をした俺は、自転車に乗ってどこまでも走り続けた。泣き疲れて自転車を降りて座り込んだ所は、知らない道と知らない畑だった。じっちゃんがひとり、もくもくと畑の作物を世話をしていのを、見るとも無しに見続けていた。
すると、そのじっちゃんが目をこちらに向けて、びくつく俺に近づいてきた。鋭い目つきは俺に話しかけると同時に、とても柔らかな色をたたえた。世話していた苗からトマトもぎ取り、土の香りのする腕をつきつけて、俺にくれた。
うまかった。
俺はヘタまでしゃぶり続けた。
やさしく諭してくれるあの人のせいで、俺の家出は半日で終わった。
そうだ。あのトマトだ。
俺はそう思って、自転車をこぎだした。家をでて左、大きな国道を越えて川へ。河原ぞいをずうっと、ずうっと下って、線路を越えてまだ下る。やがて現れる細い砂利道を伝って堤防を降りて、最初の角を左。
だが、俺の記憶と景色は異なっていた。砂利道がない。汗を浮かべた額を振りながら、俺は右へ左へと記憶の片隅にある景色を追いかけて巡る。区画整理され、見事にコンクリに埋められた道路を巡って、ようやく記憶に重なる風景を見つけた。
あの時、ここにはこんなマンションはなかった。ただ、黄金色の田んぼが拡がっているだけだった。後ろを振り返る。田んぼはなく、2階建ての住宅が並んでいた。微かに記憶にある鳥居を見落としていたら判らなかっただろう。
ひょっとして、あの畑も。急いで鳥居の向こうへ回る。その向こうには太陽の光を一杯に浴びた土地が豊かにうねっていたはず、そう思い出しながらマンションの影になった、日の射していないその土地へ回り込む。
いや、よかった。土の表面が見える。そこはまだ畑だった。ふと安堵のため息をついて、次の瞬間俺は硬直した。
なんだ、これは?
大きなビニールハウスがたち、その前に大型のトラックが止まっている。嘘だ。ここは、素朴な只の露天の畑だった。
何人かの人が、トラックへと荷を運んでいる。腕の太い男の人に、目つきの鋭い女の人。やがて荷を積み終えたのか、トラックは真っ黒な煙を吐きながら、トロトロと動き始めた。荷を運んでいた女の人が、自転車を支えてつったっている俺の方へと向き直る。
「なんだい?」
しゃべり出しても、そのきつい印象は変わらなかった。
「あ、いえ、その……トマトを……」
「トマト? 今日の出荷分は全部積み出したよ。」
違う。俺が聞きたいのは、言いたいのはそういう事じゃない。
「あれで終わりだ。トマトに用があるなら、後は組合にでも行くんだね。」
そう言って女の人は背を向ける。
「……そうですか。ありがとうございました。」
もごもごと、口の中だけでそう唱えて、俺も背中を向けた。
自転車にまたがり、先程の黒い煙を吐くトラックの行った方へとタイヤを向けた。
のろくさと進むトラックは充分に自転車で追っていけた。やがて街はずれの建物へとトラックは止まる。運転手が降りてきた、荷台の扉をあける。そして、人を呼びに行くのだろうか、建物の中へと、いったん姿を消した。トラックに近づいて、中を覗き込んでみる。ふと、そこに空気が流れた。
「寒う!」
トラックの中から冷たい空気が流れ出す。保冷車だったのだ。
運転手が中から人手を呼んで帰ってくる。俺は慌ててとびすさった。フォークリフトも現れ、外気との温度差でわずかに汗をかいたトマトが、箱詰めになったトマトが、次から次へと移されていく。
その色はまだとても熟しているとは思えない、緑色のままだった。
近くにある倉庫の中へと姿を消したフォークリフトが、又その箱を持って現れる。いや、今度のは倉庫に入れてあった別のトマトを持ち出して来たのだろう。そして、それをこれも又先程とは異なるトラックへと荷積みしている。
やがて走り出したそのトラックを追って、俺は又自転車にまたがった。
トラックはスーパーの前で止まり、その荷物を吐き出した。
そのまま店員の手で店先の精鮮売場へと並べられる。
青白い光の下、プラスチックの合成マットの上に並べられたトマト。
わずかに薄く、赤い色をその肌に載せている。
籠に入れてレジに並び、幾らかの小金を払って外に出た。
ビニールの中からそれをとりだし、かぶりついて見る。
全然、うまくない。
涙が出た。
something tell me.
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