- いかなる光の下で - under the anylight -
(6) By 一歩
木星光の下で "under the jupiterlight"
「おい、今回の船長。」
「間違いねえよ。」
「なんだってあんな人が、こんな通常任務の船に来るんだ。」
そんな会話があちこちで繰り返される。出発時間を回る。
外惑星開発への物資補給船は、ステーションを離れた。
大半の乗組員の顔は若い。私の様に、白髪と皺に包まれた者はもう居ない。
船長はブリッジを改めて見回し、そう思う。子供、いや、孫の世代の者達に囲まれて、宇宙に出る。彼等の方が反射神経も鋭い、判断も素早い。かつては、自分もそうだった。かつては。
そう思いながら、今回の航路を呼び出す。往路は問題無い。復路には、危険な程の角度で木星をフライバイして、速度を得て地球へと帰還。
あの時と同じ軌道。
復路。
「船長。木星です。」
「うむ。」
「フライバイ航路、入ります。」
「再計算と、最終確認。」
「既に終っています、許可願います。」
「そうか、では、頼む。」
「はい。」
静かに数値を読み上げる声、微かな G の変調。私の仕事は、許可を与える事だけ。今の機械は、私には操作したくても出来ない。それぐらい、時代遅れの技術ではたちうちできないぐらい、様変わりをしてしまっている。
眼前の木星が、視界の大半を埋め、そしてやがて、全てを埋めつくした。
ディスプレイに映る予測航路を、そしてその上をなぞる赤い点[船の現在位置]を、じっと見つめる。
何度も確かめた。何度も計算した。この航路を。狙った様に描くこの軌道を。
あの時と同じ。
ついに、待っていた報告が来た。
「? 船長、センサーに反応。予測航路上に何かが存在します。」
「詳細は?」
「まだ、なんとも。木星の周回軌道を描いている、小惑星かなんかですかね? サイズは約 1、いや、2 m 、? それに、金属反応?……」
見つけた。
「回収する。私の船外作業服を用意してくれ。」
「え? 船長が、回収作業を行なうので?」
「そうだ。」
その声に含まれた何かで、反論は封じられた。
あの時の約束が、これで果たせる。待たせたな、ずいぶん、長い間。
『こちらブリッジ。船長へ。ラジオテストです。聞こえますか?』
「こちら船長。ブリッジへ。聞こえている。航路の方はそちらにまかせて問題ないな?」
『それは大丈夫ですが。ですが、引き返す事は不可能です、回収されるなら出来るだけすみやかに願います。まかり間違えば、貴方を置き去りにする事になります。』
そう、引き返せなかったのだ。あの時。
「それぐらい、判っているさ。」
『失礼しました。』
会話の間にも、漂流物は近付いてきた。金属特有の反射光が判る。その向うには、圧倒的な圧力を伴って、虹色の木星が視界を覆う。
「それでは、船を頼む。」
小さくスラスターを吹かして、木星が睨みつけている空間へと飛び出した。
「遅くなったな。すまん。」
金属の光は、やがて大きくなり、宇宙服へと姿を変えた。その姿は、ぴくりとも動かない。その顔のバイザーは開かれていた。生きているはずがない。
私は、彼を抱きしめた。
あの時には出来なかった。
「船長。」
エアロックの向うから声がする。その目線は、連れられて帰って来た宇宙服へと注がれていた。
「かつての同僚だよ。」
短く、そう、コメントを発する。
「すまんな。どうしても、自分の手で助けてやりたくてな。
更にすまんのだが、しばらく、二人っきりにさせてくれないか。」
「……はい。判りました。」
干からびてしまった眼窩がこちらを見つめ返す。たまらなくなって、目線を外す。空気の入ってしまったエアロックだ。下手に動かせば、崩れてしまうだろう。ヘルメットも取らず、そのまま寝かせた。そして、その宇宙服のレコーダーに手を伸ばす。
あの時、すぐに木星の磁気嵐に巻き込まれ、彼との連絡は途絶えた。後は、何か特殊な入力のある度に、この宇宙服備え付けのレコーダーが記録を採っているはずだ。
遺言があるなら、そして呪詛があるのなら、それを最初に聞かねばならぬのは、私だろう。
あの時に彼を見捨てた、私がすべきだろう。
驚く程の時間を越えて無故障だったレコーダーは、息を吹き返して記録を伝え始めた。
『ピッ』
『……ぃ、聞こえるか、聞こえるか! くそ!
レコーダー、ログオン[記録開始]、ログ・オンだ! ……け、阿呆だな。とっくに自動記録を始めてるはずだよ。くそ! くそ!
よし、いいか、記録を始める。俺は今宇宙に浮いている。木星がよく見えるぜ。……馬鹿だな、そんなのは判りきってるよ。
ああ、いいか。
……くそ! 記録する事なんてねえよ!
くそ、くそぉぅ……』
激しい息遣いが続く。ひとしきり歯軋りが聞こえて、震える深呼吸が響いた。
記録が跳んだ。
『ピッ』
『……見えなく、なっちまったな。』
変化のない時間は、自動的にカットされる。その都度電子音が鳴る。ほら、又。
『ピッ』
『判るよ! 判ってるよ!!
でも、なんで俺なんだ? 俺なんだ!?
おい、答えろ、答えてみせろよ、うぉおおおおおおおおお……』
たまらなくなってレコーダーを止めた。
いや。止めてはならない。
再び再生スイッチを押す。目を閉じて、祈る様に腕を組んで座った。
荒い呼吸の向こうから、声が続いた。
『ピッ』
『すまん。取り乱した。覚悟はあったんだ。誰のせいでもないんだ。
ただ、ちょっとね。風景に圧倒されてね。
クス、クスクス。なに言ってんだかなあ。誰がこの記録を聞くんだよ。馬鹿だね、俺も。いいや。誰でもいい。まあ、良く聞きなよ。俺がこれから死ぬまでつきあう風景だ。
木星は、冷たい。冷たくて、奇麗だ。
流れるガス[雲]は原色で輝き、遠く大きく渦を巻く。体の回転はなんとか止めてる。だから、ずうっとこの惑星と差し向かいだ。くそお、酒が欲しいな。
クスクスクス……
今、少し青みを帯びた筋を追いかけてる。速い速い、やたら細い筋なのにものすごく速い。あれ、なんていう成分のガスなのかな。流れてるのは、どの峡谷の辺りだ? 勉強してればよかったかな、こうなると知ってれば勉強したよなあ。とんだ目的地で降りちまった。途中下車なんて許してくれると思ってなかったからなあ。クスクス……
おっと、あの筋が終点に来たぜ。赤いのに呑まれて、少し渦を巻いて溶ける。赤いの、赤いのは、でかい……でかい……首をかしげてもまだ向こう岸が見えないぐらいに、おい、こりゃあ、大、赤、斑……』
深呼吸の音が響く。
『こいつはすごい光景だ。吸い込まれるぜ。
どんな鳥でも飛んだ事のない高さから、俺はこれを見てる……
そうだ。なんの支えも無しで……
くそお。おい、風景描写は終わりだ。俺は逆を向いて寝るぜ。星空の方が圧倒されなくていい。』
『ピッ』
『おおおおおおおおお、落ちる! 落ちる! 落ちる、落ちるぅぅぅ!!』
私の身体が跳ねた。
それぐらい、激しい語調だった。
心臓が早鐘を打つ。手の平に汗がにじむ。
『あー! あーあー!! あおぅおぅ…………』
すぐにその叫びは消えた。
「一体、何が……」
『ピッ』
『フ、フフフ。フハハハ。はっはあ。』
『ピッ』
『ぷう。……
そうさ。宇宙は俺を傷つけない。
おっことしもしない。
馬鹿だな。馬鹿だ。
何が恐いんだ。
恐くない。味方さ。エア[空気]のなくならない限り助けてくれてる。
味方だ。味方。仲間。味方だ……』
軽い電子音と共に記録が跳んでいく。この電子音の合間に、どれぐらいの時間が流れたのだろう。詳細な記録を参照すれば判る。だが、今はそんなものを見たくはなかった。記録にない時間。只呼吸音のみで過ぎた時間。彼が、生きていられた時間。
その残りがどれぐらいなのかなど、知りたくはなかった。
小さなつぶやき。ハミング。
彼に親類縁者は居なかった。それも又、あの計画に参加した理由の一つだったのだろう。生存確率の低い、体当りな鉱物資源補給計画だった。そして彼は、確率に呑まれた。私は、その彼の背中を蹴とばして、少ない方の数字に乗れたラッキーな男だ。
私に対する言葉は、ない。
仲間への呪いを、どれ程の気力で押えつけているのか。
静かにレコーダーから流れる、彼の口笛の音色は澄んでいた。
『ピッ』
『エアの残りが少ない。
くそ。邪魔だな、このバイザー。
なんだってこんな厚ぼったい服を着てなきゃならないんだよ。
邪魔なんだよ、邪魔。
あああ。俺が宇宙で生まれた生き物だったらなあ。
真空を呼吸するエラをつけ、太陽を浴びる皮膚を纏って。
そしたら、この空間を自由に泳げるのに、なあ……広いよ……』
『ピッ』
『ガラス越しの再会なんて、俺は嫌だな。
それに、やっぱり、やってみたいよ。
直接に、この世界に触れてみたい。
触れてみたいんだ。俺のこの世界に。こんな、こんなまどろこしい服越しでなく。
ほら、丁度、エアも切れた。
おっと。その前に一言、伝言だ。
遅かったな。待ちくたびれたぜ、相棒。
いい加減、待ち合わせに遅刻する癖治せよな。”彼女”に嫌われるぜ?
真空はうまそうだ。じゃ、またな。』
同時に、「フシュッ」という小さい音がかぶさる。
エアの抜ける音だ。
そして、呼吸音すらない本当の静寂が訪れた。
『ピッ』
私は静かにまぶたを開いた。あんなに硬く握り締めていた両手が、やわらく緩んでいる。微笑みが浮かぶ。
「……私に”彼女”が居ないのを知っていて、そういう事を言うんだからな。
全く、お前は……」
メットの中のミイラを直視する。なんとなく、笑って見えるのは気のせいか。
「うまかったか? うまかったんだろうな、その顔じゃあ。
いつか、私も味見してみる事にするよ。何、そんなに先にでもあるまい。
……じゃ、またな。」
無重力の中足取りも軽く、私は立ち上がった。
「船長。」
「ああ、すまなかったな。気がすんだよ。航路は外れていないな?」
「はい。大丈夫です。その、彼は……」
「いいんだ。もういいよ。地上に連れて帰ってやろうかとも思ってたんだがね。」
露骨に相手は嫌そうな顔をする。
「なんだ、積載に何か問題か? それとも、趣味か?」
「ああ、いえ。失礼しました。積載には問題はありません。ただ、自分は、自分が死んだ時は宇宙葬にして貰う方がいいと思いましたので……」
「ほほう? 何故だね?」
「何故、と言われましても、その。」
「ははは。まあいい。そう、二度手間だが、彼も宇宙葬にしてやってくれないか。その方が喜ぶと思う。今更、重力の下には戻れんだろうなぁ。
そうだ。彼が何故バイザーを上げて死んでいたのか判ったよ。」
そう言うと、相手は不思議そうな顔をして作業の手を休め、こちらを向いた。
「最後ぐらい宇宙に直接触れてみたかったからでしょう?」
「え?」
「違うのですか?」
「いや、違わん。その通りだ。
いや、しかし何故それが判る?」
不思議そうな顔のまま、隣席のオペレーターに目線を移す。
「だって、なあ。」
「ええ。私でもそう思いますよ、船長。」
ふとブリッジを見回せば、どの若い顔もそう語っている。
「……ふ、ふふふ、ははははは……」
「船長?」
「いや、すまん。全面的に私が間違っていたよ。君達は何も悪くない。
さあ、船を先に進めよう。」
そう言いながら、席に体を沈める。
相変わらずよく判らない機械に囲まれながら、機敏に働く乗組員達を見つめた。
にやりと笑いながら、ふとつぶやく。
「……世代が変わるのも、そう悪いものでもないな。」
それに、その端に自分が連なっている事も。例え、僅かでも。
窓の向うには、落ちていきそうに大きな木星が、決して落ちる事なく輝いていた。
Fin.
Reference(書く前に意識したモノ、描いた後思い出した事)
(関)MES/8/287 地球光の下で 〜いかなる光の下で(2)〜/同シリーズ
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