不定期刊 台湾日記 Line
中國電影文化城にて童心に帰るわたし。
たんなるバカとも言う
せまいよー
このページでは日本語フォントを用い一部中国語表現をしています。 中国語表現の後ろのアルファベットは、Pinyin(ピンイン)と呼ばれる中国語の表音方式です。 それぞれの数字は、第n声に対応しています。数字のない物は軽声です。 また日本語フォントにない漢字の場合、ヘンとツクリで代用できる漢字は"(ダブルクォーテーション)でくくり表記しました。

目次


その11 大切なもの 1998/06/29

中国人にとっての一番大切な物とはなんでしょうか。
たぶん、100人の中国人に聞くと、100人ともに「お金」と答えるのではないでしょうか。 もちろん、「家族」「恋人」なんかも大事なんですが、これらと「お金」の問題は「別問題」なのだそうです。 どちらも大切なんだけど、「一番大切なものは?」と聞かれると「お金」なんだそうです。 こう書くとまるで中国人=金の亡者みたいだけど、それともまた違います。
なぜ、お金がそれほど大切なのでしょうか?それは中国の長い歴史の中で培われてきた人民の知恵なのです。 中国は長い間、国家と言う物が不安定な時期が続きました。そのため、国家という枠の中でしか使えない価値の物には (たとえば地位とか名誉とか)それほど重きを置かないという価値観が生まれたのだそうです。それの極端な例が 華僑でしょうか。国を持たず国々をまたにかけて商売をする。そしてそこからお金を生み出してゆく形態は やはり国家という枠にそれほど重きをおかないという証明なのかもしれません。
現在の台湾の状況も、同じです。台湾という国家は危うい状態です。 いつ中国が攻めてくるか・・・?また、国家としてのアイデンティティが定まっていないため、人々が頼れる物は お金なのです。移民するのもお金がなくてはできません。多くの台湾人にとってお金はやはり大切な事なのです。
だから、商売気もさかんですし、実際に金の亡者的な発想もあります。ただ、お金にしばられているというより、 お金が将来の自由さへの入り口なんでしょう。 実際にお金があったら、子供は外国に移民させて「兵役逃がし」もできるわけだし、実際に台湾国民である意味って どのくらいあるんでしょうね。 ただ、ここで不思議なのは「国家」と「民族」は違う扱いになるという事です。「国家」の枠には重きを置かなくても 「民族」の枠はとても大切に思う心。中国人は日本人とはひと味もふた味も違います(いや、中国人を喰ったとか、 そゆー意味ぢゃなく(*1))。
さて、そんなお金好きの中国人の密着24時(笑)。下の写真はTシャツ売りの露天商(不法)が警察に捕まっている図です。 警察が来ると、一人が捕まっている間にみんな逃げます。合図は「警察来了(jin3cha2lai2le):警察が来た!」です。 警察が行っちゃうとまたみんな戻って来るんだけどね。
警察来了(その1) 警察来了(その2)


その12 傘がない〜 1998/07/05

いや、陽水のファンぢゃありません(いみふめい)。
さて、台湾はとても雨の多い所です。日本と比べて南方にあるため、四季もはっきりしません(*1)。 最近は、やっと梅雨があけた・・・のかな?毎日スコールの様な雨が夕方に降るので、それもはっきりしません。 とゆーわけで、台湾では傘は必須アイテムとなっています。
もちろん、雨が降っていない時には日差しがすごく強いので、日傘をさします・・・ってあれ?雨の時の傘を そのまま使ってるぢゃん!?炎天下に黒い傘さしてて暑くないですか、おねーさん?
もちろん、日傘、雨傘の区別は台湾にもあります。それぞれ陽傘(yang2san3)、雨傘(yu3san3)として 別々なものなんだが・・・。まぁ、いつ雨が降るかわからない天気ではこれもしょーがないとゆーか、 合理的(!?)とゆーか、生活習慣になっているんでしょうね。
この日はとても暑く、まさにピーカン!(この表現、通じます?>若い人)。あまりの天気の良さに、写真が 緑かぶっちゃってます。QV−10なもんでごめんね。
さて、昼過ぎに道行く人々は傘をさしてます。 でも、雨傘なんでたいして涼しくなさそう。まぁ、女性だからUV対策かな(*2)。 そしてこの日の午後3:00、とたんに空は暗くなり、大雨が・・・。傘を忘れたわたしは、ずぶぬれになったとさ。 まったくもー。台湾へ来るさいは傘を忘れずに!。台湾で買う場合は100元〜300元程度ですけどね。
傘があるぅ〜
とゆーわけで、今回はちょっと短めの日記です。あぁ、あと、やっとCSJ INDEXに登録されました。 紹介文がなぜか恥ずかしい。別に「台湾情報満載!」って・・・ビックリマークまでつけなくても(((((^^;ところで、 最近の検索ページは登録が遅いのねん。YAHOOもまだだし(一ヶ月以上たつぞ)

その13 あと一ヶ月 1998/07/23

日本へ帰国するまでにあと一ヶ月となりました。うーん、半年っていっても早いね。 帰りたくもあり帰りたくもなし(就職厳しいみたいだし)
さて、今回はせっかく台湾にいるんだから、「ガイドブックに載っている事をしてみよう!!」 とゆーことで、地球の歩き方台湾編を参考に、プロのカメラマンによる写真を撮ってもらってみました(*1)
日本で言うところの「結婚式の写真」なんだけど、それを式場で撮るんぢゃなくて写真館で別の日に撮るという感じです。 もちろん、普通の家族写真とかでもおっけー。素敵なアルバムになっちゃいます。 こゆー写真屋さんって台北を歩いているとそこらで見かけます。なぜか夜市にもあったりします。 あ、そうそうこゆー写真を撮るのは「結婚式」か「年頃の女性」が圧倒的に多いです。最近では「年頃の男の子」や 「ドラッグ・クイーン」なんかの間でも流行っているとか・・・
・・・って、普通に語っているけど、 日本人にとってはこれはかなり恥ずかしい事だと思います。だって、モデルみたいなポーズで20枚程度の 自分の写真集を自分で作るってーのは、やっぱ恥ずかしいよね((((^^;
さて、まず、写真屋へ行き、どの大きさで何枚で何回着替えるかを決めます。わたしは22枚,大きい写真+小さい写真(アルバム2冊),5回着替えるにしました。 店によって値段もさまざまですが、わたしの場合は10000元(4万円くらい)です。撮りたい人は値段交渉もしてみましょうね。
そして、服選び。わたしは伝統的な中国服と原住民の服とスーツと・・・を選びました。
撮影当日、写真屋へ行くと顔を洗わせられ(シャワーとかなくて、普通の洗面所)、とりあえずメーク。 なんか人にメークしてもらうのってくすぐったいんだよね(笑)。そして撮影へ。
ポーズはカメラマン(ちなみに女性でした)がいろいろ指示してくれてそれに従ってどんどん写真が撮られていきます(*2)。 もちろん小道具なんかもいろいろ用意したり、自分でポーズをとってもおっけーです。 背景もいろいろ代わり(裏の紙を取り替えるだけ)、約半日くらいで終了となりました。 22枚のアルバム用に70枚撮ったとか。おつかれッス>カメラマン
そして後日その撮った写真から好きなのを選び・・・撮影から約三週間でできあがりです。 その成果はこれだ! はずかしいから写真はそのまま貼らない(笑)見たい人だけ見てください(^^;;

その14 引っ越し 1998/09/04

えーと、すでに帰国してずいぶんたちました。帰国ひと月ほど前からホームページもアップデートできなくなっていたんですが、 今回はその時の話をしてみたいと思います。
私は台湾に行ってすぐにとても良い友達ができて、その彼が尽力を尽くしてアパートを探してくれました。 そのアパートは地下にあり、風呂もトイレも共同で、なかなか安い所だったんです。 最初は3500元(14000円程度)の部屋で、その後同じアパートの4500元(18000円程度)のクーラー付きの部屋に移りました。 家賃は水道代、電気代すべて込みです。クーラ付きなので家賃もクーラーの電気代を含み少し高くなりました。
さて、なにしろ、部屋が地下と言うこともあり、昼でもくらい、湿気がすごい、隣の物音はうるさいとゆー なかなか素敵な環境だったんですが(いや、まぢで「住めば都」だったんだけどね)、夏になると さすがにクーラーなしで眠るのはとてもつらくなりました・・・とゆーか、暑くなると眠る以外もクーラーをつけっぱなし の生活をしてました。
ま、これが大家の気に障ったと言うことで、いろいろ小競り合いがありましたが、結局「去年と今年の電気代の差を私が払う」という 事に落ち着いた・・・はずでした。これは、わたしと大家とで話し合った結果でした。
が、いざその電気代の計算の段階で、大家がいきなり私にアパートを探してくれた友人に電話をかけて、 「私では話が通じないから来てくれ」と友人を呼びつけました。私がちょうど学校にいる時間だったんで、びっくりした友人は 学校帰りの私を心配して迎えに来てくれました。でも実際に、なにも話が通じてないわけではなかった はずなんだけどね>電気代
このクソ大家は、以前にも頻繁に訪ねてくる私の友人に対し「そんなに頻繁に訪ねてくるのは住んでいるのと同じだ」と 難癖をつけたそうで、友人もかなり気にくわなかったのか、この事件を契機に「あと3週間なんだから、引っ越して、私の家族と一緒に住めばいい」 と言ってくれました。まぁ、わたしとしては、「あと3週間なんだから、クソ大家くらいがまんするわ」だったんだけどね。 ましてや、金で解決できる問題だったわけだしね。
で、そうこうするウチに大家が電気代を計算して持ってきたわけです。大家が持ってきた計算だと、「6月と7月の電気代の差が4000元(16000円)もあった」 と言っています。この電気代って、大家の家の電気代も込みなわけだし、大家の家は全ての部屋にクーラー付いてるし、そもそも 「去年の同じ月の電気代と比べる」とは話が違う・・・。それに普通の家庭では一月にクーラーをつけっぱなしにしても 1000元(4000円)くらいだとクラスメートのおばさんからも聞いていました。あきらかにこの数値はおかしいんですよね。
よーするに、この大家はどうやら私を追い出したかったようです。なにしろ私は「学校は一日2時間、それ以外は 殆ど部屋に居るので電気代がかさむ(電気代は家賃に含まれる->家賃からの取り分が減る)」と言うことで、 どんな手を使っても追い出したかったと。
実際、ちゃんとしたアパートでは電気メータは部屋ごとについているもんだし、クーラーが付いているなら当然な訳です。 それを怠って、その上に気にくわない住人を追い出す(実は同じアパート住んでいた仲の良い友人達は大家がイヤで先に出て行っていた)とは なんて大家だ!!!・・・と、そんな事まで全て知っていた友人は引っ越しをすすめてくれたのでした。 実際に、この大家は台湾人から見ても「どっかおかしい大家」だったそうです。
ま、そんなこんなで、学校が終わってから引っ越しを決め、引っ越しが終わるまでの時間が4時間くらい(^^; あまりに急な引っ越しだったんで、ホームページにもちゃんと知らせる事ができなかったとゆー事で、 今回はこんな話をしてみました。
次回からは、もーすこし楽しい思いでを書いていきたいと思います。

その15 帰国 1998/10/13

ひと月以上更新してませんでした。久しぶりの更新です。そろそろ台湾の思いでも薄れつつあるわけですが、 今回は帰国の時の話を思いだしながら書いてみます。
さて、友人の家に居候をして3週間、帰国当日(8/23)となりました。住み慣れた友人の家(やっぱり「住めば都」なんだな)や 台北の町並みも今日でお別れだと思うと、なぜかもの悲しく見えてきます。
その朝、早起きの苦手な私はなぜかちょっとだけ早く目が覚めました・・・と言っても、いつも10時ころ起きていたのが 8時に起きたってだけなんだけどね。そして早く起きた私は窓の外から外を眺めていました。
友人の家は7Fにありずいぶん遠くまで台北の町並みが見える・・・と言うわけでもなく、単に近くのビルが見えるだけ だったりするんですが、天気も良く、こゆー日は大安森林公園(da4an1shen1lin2gong1yuan2)で昼寝でもしたいと思えるほど のんびりした日でした。
ボケ顔 これは、台北での最後の3週間を過ごした友人の家です。わたしはすっかり起きたばかりでボケボケしてます。 両親、友人と兄の4人で3LDKの家です。ただ一部屋一部屋がとても広いつ!たぶん10畳くらいあるんでは ないでしょうか。リビングなんか運動会が・・・ちょっと大げさでした。
私の後ろには仏壇があります、友人の家では観音菩薩を祭っていました。 そんな友人の家とも今日でお別れです。
帰国のフライトは16:30だったので、昼には友人の家から出発しました。友人は空港まで送ってくれるという事なんで、 先に友人の両親と別れの挨拶です。友人のご母堂に「息子はこの後、兵役でこの家には居なくなるが、そんなことは気 にせずに台湾に来たときはいつでも泊まりに来なさい」と言っていただいて、泣きそうな私はそんな言葉に「謝謝(xie4xie)」と しか言えず、友人の両親とは別れたのでした。
(つづく)

その16 帰国 その2 1998/11/15

さて、そんなこんなで住み慣れた(!?)友人宅からデカい荷物を持って友人と二人で空港に向かいます。 先に20キロほどの荷物(冬服とか本とか)を送っていたんですが、そのほかにNoteパソコンやら日本へ帰った後で食べようと思っていた 台湾食やらで、先に送らなかった荷物は一人で持つには重すぎる量になってしまいました。人が入るほどのバッグまで買い込んで荷造りした時点で すでに一人でもてない重さになってたんだよね(笑)。もちろん、友人の母上には「そんなんダメダメ」とか言われました(^^;が、 強引に持ち歩きました。
空港へは台北駅から空港へのリムジンバス(100元=400円くらい)に乗ります。台北駅まではとりあえず無事に付いたんですが、 リムジンバスに乗り換え〜なんて時に、Noteパソコンを入れた箱がバラバラバラ・・・路上でパソコンその他を バラまいてしまいました。とりあえず歩道で荷物の再整理(笑)。台北最後の思い出がコレだもんな(^^;;
そしてリムジンバスに乗り約1時間、桃園の中正空港に着きました。とっととクソ重い荷物をチェックインして、 ボーディングまで時間があるので喫煙室で友人と台湾の半年ほどの思いで話しやらこれからの事なんかを話してました。 友人はこれから兵役だと言うことで、精神的にも若干ナーバスになってて、兵役の悩みなんかも話し合いました。 その時は、「あまり深く考えないほうがいいよ,不要想太多(bu2yao4xiang3tai4duo1)、なんとかなるよ!」なんて慰めていたんだよね。 というか、いまいち実感もわかないのでなんて慰めて良いやら・・・な感じでした。
最近連絡があって、先輩のいじめとか教官の命令が非人間的だったりとかあるようで、 とにかく「精神的にも肉体的にも疲れる!」んだそうです。その上に、東引島という中国大陸にかなり近い離島地域に勤務が 決まってしまって、台湾本島にもなかなか帰れないし、「もしも!」の時には特に危険な所です。う〜ん、心配なんだけど、 とりあえずあと20ヶ月ほど、がんばって欲しいです。少なくとも死ぬようなことのないようにね。
さて、そんなこんなでボーディングタイムが近づいてきました。とっとと税関を突破(をぃ)して、免税店へ。 タバコを買いまくる・・・予定が、なんと免税店が一部改装中な上に買う予定のVirginiaSlim menthol(維真"イ尓" 涼煙) もない・・・って、をぃをぃ・・・。そんな訳で免税店では結局何も買わずにとっとと乗ってしまいました。
機上では隣に台湾の若い夫婦が座っていました。その人たちは初めて日本へ旅行へ行くのだそうで、とても楽しそうです。 いろいろ話しをしたり、一緒にスチュワーデスに酒を催促したりして楽しい機上の友って感じでした。これこそ旅の醍醐味やね(って大袈裟)。 そして深酒したわたしはいつの間にか眠ってしまいました (まぁ、酔い止めも飲んでたんでなおさらなんですけどね)。それで気が付いたらすでに飛行機は着陸してる(笑)。 夢うつつに「あれ?着いたの・・・?」なんて思っていると、隣の台湾の人が紙切れを私にくれました。なにかと思って見ると、 彼の住所と電話番号が・・・。「なにかあったら連絡して下さい」と言ってくれました。 台湾の人たちは、とにかく自分の住所を渡すのに抵抗を覚えません。こんな所でも台湾文化を再確認してしまいました。 さて、わたしも住所を渡すべきかなぁ・・・なんて思っているウチにその人たちはとっとと、降りて行ってしまい、 う〜ん、悪いことをしちゃったね。日本語がしゃべれないで旅行は不便しなかったでしょうか?その後は、元気でヤっているでしょうか>陳さん
そしていよいよ夢にまで見た(笑)、日本本土へ歩き出します。とっとと税関を突破し(持ち込み禁止品あり(笑))、迎えに来た友人に荷物を持ってもらい、 とっとと帰宅。腹も減っていたんで、ひさしぶりの焼き肉を食べに行きました。もともと焼き肉は好きなんだけど、 久しぶりに食べる日本の焼き肉は美味しい!やっぱタレが違うのよねぇ〜(オバサンモード)。 そして食べる物が日本語で注文できるうれしさ!これが一番うれしかったかもしれません。 ってことで、そんな風に帰国の日は過ぎていったのでありましたとさ。

次回からは、台湾の思いでを思いつくままに書いて行く予定・・・かもしれません(^^;気長にお待ち下さい。 リクエストもありましたらどうぞ!

その17 新年 1999/02/02

ひさしぶりにこのページを更新です。
留学から早半年、そろそろ台湾が懐かしくなってきたんで、兵役中の友人の休暇に合わせて、 2/18(*1))〜2/22までちょっくら訪台してました。目的は中国新年(旧正月)の体感&台湾でうまい物を食べるぞ!です。
旧正月だけあって、台湾行きの飛行機は週末発のチケットが取れなかったんですが、木曜日発でなんとか 取ることができました。今回利用の航空会社はNorthWest(西北航空公司)です。木曜日発で¥39,000-(*2)でした。ただ若干時間が悪く、 行きの成田は18:30発、帰りの台湾は9:20発とゆーなかなかハードスケジュールです。
で今回NWに初めて乗ったのですが、評価はうーん・・・ダメ〜。機内食が美味しくない上に量が少ないし、 赤ワインを飲んだらまずいし(でも2杯頼んだ(笑))、その上に、スチュワーデスが中国語をしゃべれない! なんてこった。台湾行きの飛行機なのにっ!!機内は英語がメインで日本語をしゃべれるスチュワーデスも少しは 居るんで、ある意味安心なんですけどね。でも、もー二度と乗らないぞ>ノースウェスト
さて、出発当日、なんと成田空港は大混雑!イミグレーションで45分もかかるほど人が並んでました。 その上、機上予定の飛行機が遅れてる!出発時間が30分遅れです。そんなこんなで台湾に着いたときには すっかり23:00を回ってました。こんな時間に台北行きのバスはあるのか・・・・?と不安が頭をよぎりましたが、 ありがたいことにまだ台北行きのバスはありました。もしバスがなかったらNWを訴えるところだ(笑)
そして台北に着いてから宿探し。今回は両親兄弟同居の友人の家に泊まるのも気が引けたので、友人と一緒に 宿を探します。ヒルトンとかシェラトンも良いんですが、やっぱりビンボー旅行なんで安い宿を探します。 で、探した宿がいわゆるラブホテル(笑)。一泊900元(約¥3,600)也。入り口には部屋の写真がいくつも飾ってあるところは 日本と同じでした、が、いざ部屋に入ってみると、ちょっと汚いビジネスホテル程度でした。ベッドも回らなかったしね(笑)。 で、その日(とゆーか、すでに2/19日になってました)は、とっとと寝ました。
さて、次の日、朝から外がなにやら爆竹でやかましいっ!で目が覚めました。新年あけてから初めて開店するお店は、 そのときに爆竹をならす習わしなんだそうです。しかも大きければ大きいほど、多ければ多いほど・・・ってわけで、 やたらそこらでうるさい朝です。
で、とりあえず、泊まっているラブホテル(笑)の連泊を決め、台湾美食の旅にでます(笑)。 まず喉が渇いたので、留学の時にちょくちょく飲んでいた100%オレンジジュースを・・・。
15元(約60円)と値段は変わっていなかったんですが、飲んでみてびっくり!なんと甘い!!・・・とゆーか、 台湾の物が全て甘いことをすっかり忘れていました(^^;。100%なんで砂糖は加えていないんですが、 日本で飲む酸っぱいオレンジジュースとはひと味もふた味も違います。台湾の人は甘くないオレンジジュースなんて 飲まないんだよね。うーん、こんな事さえ半年もたってしまうと忘れてしまっていて、ちょっとショックでした。
ジュース
さて、以前に住んでいた街に向かったんですが、な・な・なんとどこもかしこも正月休みで開いてない(^^;;。 ここでハタと気付いたのは、「中国人の旧正月はみんな家族で過ごす」→「開いているお店は少ない」。 が・が・がーん、気付くのが遅すぎた・・・(涙)。 毎日食べていた水餃のお店も正月休暇の真っ最中でした。
とゆーわけで、台北駅前の新光三越の地下街でお食事(^^;。狙いは排骨飯です。排骨飯セットで100元(約400円)。 ただ、なぜかこの排骨飯は、飯の上に排骨が乗っている訳ではなくて、排骨+魯肉飯でした。魯肉飯も食べたいと 思っていたので、こりゃ幸せざんす(^^)で、軽くたいらげたあと、腹に勢いがついたので、そのまま蒸餃(蒸し餃子)も食べ・・・たんですけど、 うげー、まずーーい(涙)。三越地下の蒸餃は辞めましょう>みなさま(*3)
・・・で、その後は、焼仙草、火鍋食べ放題、臭豆腐、紅油抄手、牡蠣麺線、おでん(おれん)などを食べて食べて食べて食べて・・・ 気がついたら帰国日でした(^^;あうあう。
ノースウェストを使うと、4泊5日でも実質3日分しか台湾に居られないので、アっと言う間に過ぎてしまいました。 もっともっといろんな物を食べたかったよぉ〜。また今度(休暇が取れたら)行くぞ!と心に誓いましたとさ。 もちろん、今度はちゃんとお店が開いている時にね。





(その11)
 (*1)日本語で「喰った?」の、いわゆる「ヤっちゃった」は、中国語でも「喫(chi1):食べる」という言葉を使います。 そのほかにも「関係(guan1xi)」や「幹(gan4):〜する」を使います。あ、本文と関係なさすぎ(^^;そのうえ下品でごめん。

(その12)
 (*1)本当はあるんだけど、日本ほどはっきりしないので、「夏」←→「冬」な感じ。台北でも冬はやっぱり寒いですよ。
 (*2)UV化粧品って最近、流行っているけど、これって正しくは「UVカット化粧品」だよね。UV=紫外線だから、 UV化粧品=紫外線化粧品になって、皮膚癌になりそうな化粧品だもん。日本語は正しく使いましょう。

(その13)
 (*1)「地球の歩き方」の"台湾で大変身"って記事ね。
 (*2)中国語で「もっと笑って」とか言われてもなかなかひきつった笑いにしかならなかったし(^^;;

(その17)
 (*1)16日が旧正月。18日は初3日です。
 (*2)ちなみにキャセイでも同じ値段です。
 (*3)蒸餃は、西門町の遠東百貨店の地下がお薦めです。10コで100元です。

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全ての文責は
章 魚頭にあります。

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謝謝再臨(xie4xiezai4ling2)