趣味の言い訳
今、なぜ巫女さんか

- 装束
- 「外見」と言いたい所ですが、ここでは一般論を扱うので個人差のある体形、髪型などではなく全国の巫女さん共通の「巫女装束」について論じます。
- 一般的な巫女装束としては、白い襦袢に白い着物、それに赤い袴というものがほぼ全国共通企画のようです。儀式がある時は薄手の千早を羽織ったり特別な髪飾りをつけたりしますが、ここでは日常的な「白い着物に朱(緋?)袴」を中心に話を進めます。
- さて、上でも触れたように巫女装束というのはれっきとした日本の民族衣装「和服」の一種であり、この「和服」こそ胴長短足ずん胴の日本人の体形に最も適した服装、というより自分達の体形に合うようにわれわれの先祖が千年以上かけて考案した、日本人の日本人による日本人のための服装である事は説明の必要が無いでしょう。成人式や卒業式などで和服に身を包んだ女性が三割方美しくなるのは皆さんもご存知の通りです。最近は「鳩胸出っ尻(いわゆる『ないすばでぃ』)」な日本女性も増えてきたので、必ずしもに和服が似合うとは限らないかもしれませんが、しかし西洋人が西洋人に似合うように長い歴史を書けて考案した「洋服」を粋に着こなすような人はまだまだ少数派でしょう。
- そして「袴」です。同じ和服でもこの袴があると無いとではかなり違いが出てきます。まずは袴をはく事によってかなり活動的になる、という事。馬乗り袴(ズボン型)は言うに及ばず、行灯袴(スカート型:大半の巫女装束はこれらしい)でも裾の乱れを気にしないで済む分、かなり行動的です。神主のアシスタントという職掌上の必要のためでしょうが、同じ「活動的」でもゆったりとした袴の方が普通のズボンなどより優雅な事は論を待ちません。
- さらに色彩上のデザインです。普通の和服では帯が色彩上のインパクトになり、着物(上半身)・帯・着物(下半身)と三段に分かれます。この時上半身と下半身の着物は当然同じ柄ですから、実際にはABA型の色彩配置になります。この場合帯がインパクトになるとしても、地の着物と比べて際立って目立っては全体のバランスを崩します。しかし巫女装束のように上半身が着物、下半身が袴というようにAB型の色彩配置の場合には、上下の色彩が対照的な物であっても、或いは対照的であればこそより深い印象を与えて、しかも下品に流れる事はありません。またその「清らかな白と鮮やかな赤」という組み合わせ自体の印象も人を引き付けずにはおきません。こうして見ると巫女装束こそ永きに渡る伝統によって培われた和服の優雅さと、目に鮮やかにして上品な色彩の美しさにおいて、格別の魅力を持つ衣装だと言えましょう。
- 内面
- 「内面」とは外見以上に個人差が大きいものではありますが、しかし一般的な傾向、特に巫女さんに求められる内面的な条件のようなものを簡単に検討してみましょう。
- 内面的な条件とは言ってもいろいろありますが、巫女さんに求められるものの第一としては「伝統的価値の尊重」という事があります。即ち長幼の順、男女の別といった今では到底時代遅れで誰も顧みないような価値の事です。もちろんそういった事を(私のように)いまだに求めるような人はいなくはないでしょうが、巫女さんには神道という宗教に従事する以上それがより強く求められていると思われます。神道とはそれ自身の教義が無く「伝統の尊重」をもって教義となしているような宗教ですから、それに従事する人々は当然伝統的な価値観を最も良く保存しうるはずです。というより、古くて非合理的な道徳観念などは宗教の助けを借りなければ到底存続し得ないものです。
- では宗教なら何でも良いのか、といえば然らず。仏教やキリスト教でも伝統的価値を尊重している事は確かです。しかしそうした理論的により発展した宗教に従事している人々は、その教義が論理的に定められているためにストイックにならざるを得ず、尊敬の対象にはなっても憧れの対象にはなり難いのが難点です。仏教やカソリックの尼さんには「宗教家」として親しむ事はあっても「女性」として親しむ事はまずありえないでしょう。また特にキリスト教のように教義の理論的解釈を徹底的に推し進める宗教は、伝統的価値の不合理な面には積極的に攻撃を加える傾向があるために、伝統の「保護」には不釣り合いです。(そうした盲目的な「保護」が正しいかどうかは別問題ですが)
- それに対して神道はそれ自体が「永遠に昨日」から続いている事の継続で、「伝統」への理論的反論は神道という宗教の存在そのものを否定する事につながりますから、「伝統」に対して筋道だった論理から反論するような事は出来ません。そうすると日本の古き良き伝統を現代でも守っていられるのは「言挙げせぬ」宗教、神道以外にありません。そこに従事する巫女さんに対して「古い価値観」をいまだ保っていると憧れるのは必ずしも間違いではないでしょう。
- 結論
- 私が「巫女さん」に憧れるのは、「古い価値観を守りつつ過度に厳格ではない」中庸の資質を守りうる立場が現在では他に見出す事希なるが故です。装束の美しさはもとより、その内面の温順さもまた人を引き付けて止まないものがあります。此の如き巫女さんに幸有れ。美しき日本の伝統よ永遠に。

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