昨年「福武書店」が「ベネッセ」と社名を変更しました。
福武書店といえば「進研ゼミ」をはじめとした受験指導の大手企業で、既に「書店」という言葉では括りきれない事業の拡がりを持った会社ですが、「ベネッセ」に名前を替えたところ、当初は想像もしていなかった効果が出てきたと、この社名変更を手がけたコンサルタントの中西元男さんにうかがいました。
「ベネッセ」とはラテン語で「良く活きる」という意味を持つ造語ですが、学校の先生からのさまざまな相談が目に見えて増加したそうです。それも、偏差値のさほど高くない学校の先生からのご相談が増えているとのこと。
「福武書店というとちょと近寄り難い印象があったが、ベネッセ「良く活きる」という名前にしたということは、我々の相談にも親切に対応してくれるだろう」というのが、これら多くの学校の先生たちが申し合わせたように口にする言葉だと中西さんはおっしゃっています。
名前を替えただけで印象が変わり、取引相手も広がるという前例がここにあります。
そういえば、全国の信用金庫も「信金バンク」という名前を使いはじめ、最近TVスポットでも良く見かけるようになりました。
信用金庫というと、中小の商工業者を対象とした金融機関という印象がありますが、「信金バンク」という名前が定着するにつれ、その業務内容は銀行と同様であり、しかも都市銀行より身近で、それこそ「親近感」を抱ける存在であるとの印象が生まれてくるから不思議です。
それでは、企業はどのような戦略に基づき名前を決め、変更するのでしょうか。
たまたま私がお手伝いした「アルファバンク京葉銀行」のケースをご紹介しましょう。
京葉銀行はそれ以前は「千葉相互銀行」と名乗っていました。それが、平成元年に相互銀行から普通銀行に転換しました。「トマト銀行」が誕生したあの普銀転換で生まれた第二地銀です。
普通銀行になると「相互」の二文字は使えません。ところが、単純に「相互」の二文字を取っただけでは、既にライバルともいうべき「千葉銀行」が存在しています。どうしても新しい名前を付けざるをえないわけです。
さてここで当時の「千葉相互銀行」を取り囲む環境を整理してみましょう。まず、地元には圧倒的な力を持つ地銀として千葉銀行が、また、同じく地銀として千葉興業銀行が存在しています。
また、東京からの通勤圏という立地特性から、全ての都市銀行が積極的に出店しています。この中で、資金量1兆円前後に過ぎない千葉相互銀行としては、ターゲットを絞った切れ味の良い戦略を立てなければ、生き残ることは困難です。
千葉相互銀行の店舗は東京にある1店舗を除き、全て千葉県内に立地しています。「将来も千葉にこだわって千葉県内を地盤に事業展開をしていこう。」これが、千葉相互銀行のとった第一の戦略です。
千葉県の発展は何によってもたらされているのでしょう。千葉県成田市にあっても「新東京」国際空港。千葉県浦安市にあっても「東京」ディズニーランド。
千葉の発展は東京の膨張がもたらしたものであることは疑いの余地はありません。そこで、第二の戦略として定めたのが、ターゲットを日々増加を続ける東京に通勤するサラリーマン層に置いたことです。地元で「新住民」と呼ばれる彼らは、時に「千葉都民」と呼ばれることが示すとおり、千葉の住民という自覚はありません。名称に「千葉」をうたった途端、このターゲット層は離れていってしまうでしょう。
それでは、都市銀行や先行地銀とどうイメージ上の差別化を図ればいいのでしょう。権威性や信頼性では、なかなか差別化は困難です。そこで定めたイメージ目標が「都会派カジュアルバンク」。
銀行といえば駅前に立地した、石造りのイメージが相変わらずあることも事実ですが、新住民の心を捉えるには、むしろ大胆にファミリーレストランのような銀行があってもいいじゃないかと考えたのです。
これが第三の戦略といえるでしょう。
1)営業エリアは千葉県内
2)東京に通勤するサラリーマン層をターゲットに
3)「都会派カジュアルバンク」のイメージをつくる
この三つの戦略に基づき採用したネーミング戦略は、正式行名を「京葉銀行」とするとともに、コミュニケーションネームとして「アルファバンク」を採用し、このアルファバンクの名称を積極的に打ち出していこうというものでした。
おそらく、バンクというカタカナを全面的に打ち出した例としては、これが日本で初めてだったのではないでしょうか。
そして、この名称の変更と同時に、さまざまな施策を相次いで導入しました。得意顧客を対象としたグループを組織したり、ロビー活用をを地元サークルに積極的に公開したり、販売促進のツールをターゲットに合わせ大胆にリニューアルしたり。
中でも力を入れたのが、「都会派カジュアルバンク」にふさわしい店舗建築の採用です。新住民の多い柏市や浦安市には、「えっ!あれが銀行!?」と思わせるに充分な、斬新な店舗が相次いで誕生しました。
これらの戦略は見事に実を結び、みるみる地域の支持を獲得し、預金もローンも驚異的な伸びをみせ、「アルファ効果」という言葉までがうまれるようになり、地元行政の指定金融機関の扱いをとったり、地元財界での要職を占めるようになったり、あるいは第二地銀協会の会長を務めるなど、めざましい効果を挙げるようになり、トマト銀行を上回る成功例との評価を得るにいたりました。
アルファバンクの事例が語ることは明らかだと思います。それは、ネーミングの採用にあたっては、それに先立つ明快な戦略が無ければならないということです。
そして、その戦略が時代や環境にフィットしたときはじめて名前の変更が成功するのです。
そしてもう一つの教訓は、ただ名前を変えるだけでなく、それとあわせて中身の変更の努力が重要だということです。
アルファバンクの場合は、店舗の革新がその決め手となりました。これなしでは、名前の変更に伴う費用負担がかさむばかりで、その効果を充分なものにすることは困難だということを認識すべきではないでしょうか。
名前と変えるとイメージが変わる。このメカニズムを説明するのが、アイデンティティ論という考え方です。
ご承知の通り、農協系統は1991年、「JA」という呼称と新しいシンボルマークとを導入しました。これは、一般に「コーポレート・アイデンティティ・システム(CI)」と呼ばれるコミュニケーションを軸とした経営手法です。
その企業がどんな企業で何を目指しているのか、社外の認識と社内の認識を一致させ、その認識の上に企業の新しいプレゼンス(存在)を構築していこうとの考え方です。
往々にして企業は一定の固定観念で受け取られがちですが、環境の変化にあわせ、企業というものは人知れず大きく変貌しているものなのです。JTをたばこの会社と捉えたらその全貌はとらえきれません。また、XEROXは単にコピー機の会社ではなく、すでにマルチメディアの全体を視野に入れたオフィスワーク全般をサポートする会社なのです。
昭和50年代に一般化し、60年代に多くの企業で導入されたCIは、大手を中心にほとんどの企業が導入を終えたこともあり、一般にはブームが去ったと思われがちです。
事実、華々しいCI導入は、現在、中国・台湾・韓国などではブームといってもよい活況を呈していますが、日本国内では少なくなっています。
しかし、ちょっと考えれば容易に理解できるように、現代は社会に存在するあらゆるものが、そのアイデンティティを根底から問いなおされる時代といえるのではないでしょうか。
いま、民間企業で多くなされている試みは、企業のアイデンティティにつづき、その企業の商品やブランドのアイデンティティをどう構築するか、いわば、ブランドのアイデンティティを確立しようとの動きです。
JAとは何なのか、信用事業とは何なのか。その社会的意義は、その競争力の源泉は、その将来にどんなビジョンを描くべきか。そのアイデンティティが改めて問われているのではないでしょうか。
果たして、信用事業の商品ブランドともいえる「JA貯金」は、その事業領域を正しく表現しているでしょうか。
アルファバンクの事例でご紹介したように、一定の戦略に基づき明確なターゲットに対し、望ましいイメージを訴求し、意図的にそのアイデンティティの構築を図ることが、この環境変化の時代だけに存立そのものを左右する重要性を持ちはじめているのです。
金融ビッグバンがどの時点でどのように実現するかはさておき、金融業界の行く手には疑いもなくかずかずの嵐が待ち受けています。この嵐を乗り越えるには、船の舳先を風上に向け、荒波を果敢に乗り切っていかなければなりません。そして、その勇気と体力をつけるためにも、その基盤ともいえる信用事業のアイデンティティを明確にする必要があり、その第一歩が、実体を正確に反映した名称の採用といえるでしょう。