企業の基盤となる価値観や未来への期待を、シンボルマークに凝縮しようとするCI(コーポレート・アイデンティティ)は、昭和60年のNTTの民営化を契機に一般化し、その後バブル崩壊とともに下火になったが、最近に至り、ブランド戦略への注目の高まりや、企業合併や分社化の動き等を背景に、新たな文脈で蘇りつつある。
拙文の機会を与えられたのを幸い、CIブームの中で生まれたシンボルマークを図像の観点から検証してみよう。
日本のCIのデザインには、日本古来の家紋や暖簾と同時に、戦後のアメリカに始まった、システムデザインの考え方が色濃く反映されている。
例えば、コカコーラの看板をイメージして欲しい。赤い四角の中に、ロゴが入り、その背景に白いウェーブがあしらわれている。喫茶店の看板のように正方形に近いものでも、輸送車両やコーク缶のように横長のものでも、見る人に同じ印象を与えるために、同社はさまざまなプロポーションの白いウェーブを用意している。このような展開方法は「形状対応システム」と呼ばれている。相乗累積効果を生み出すため、図像そのものがさまざまにかたちを変えるわけである。
あるいは、マクドナルドのシンボルを思い出してみよう。「Macdonald」の頭文字のMが特徴的なデザインとなっており、ロードサイドの看板には黄色い「M」だけが大きく表示されている。フルスペル表示と頭文字表示とを、アイテムにより使い分けていることがわかる。
マークを単純に露出するだけでなく、このように計算されたシステムにより、イメージの「刷り込み」をねらおうというのがCIデザインの大きな特徴である。
イメージを刷り込もうとすれば、その造型は認知しやすいシンプルなものほど効果は高い。そこでブームの初期は幾何学模様やアルファベットなどわかりやすいモチーフをデザインしたものが多かった。
NTTのシンボルマークは、デザイナーである亀倉雄策氏が、金星の軌道からイメージを発展させて作り上げた造型であるが、同時に「パスカルのリマソン曲線」と呼ばれる数式でも描ける図形になっている。
あるいは、円の左下をカットしたダイエーのマークも、日の丸の一部をトリミングした日石や、丸と四角を組み合わせたJOMOのスタンドの看板もシンプルなモチーフの代表例である。
また、アルファベットにはJRやJTの事例がある。
このように、単純で抽象的な造型が好まれた背景には、国際化と多角化の2つの潮流がある。国際化については言うまでもないだろう。多角化は、まさに当時の企業社会の状況を反映している。前述のJTでいえば、たばこと塩の専売公社から、飲料や薬品などを含む多様な領域への拡大が必須であったことから、従来のたばこ専業イメージが足枷になりかねず、領域を限定しない抽象図形が求められたのである。
しかし、90年代に入り新しい傾向が現れる。あさひ銀行、富士銀行、大成建設などのフリーハンドの味を活かした造型や、サントリーの「響」の文字をデジタル処理したようなマークなど「アート派」の登場である。
アート派を生み出した要因は、シンプル図形の氾濫により、マークによる識別力が低下したことである。商標の類似問題も深刻化しはじめた。
また、デジタル技術の進歩により、印刷物や看板などで複雑な表現が可能になったことが指摘できよう。
しかし、何よりも、バブルが頂点に達し、豊かさにひたった時代の人間回帰の気分を見過ごすわけにはいかない。
カラーを見ても、従来からのレッドとブルーに加え、グリーンが主流の一角に登場した。レッドの活力や情熱、ブルーの技術や理性に対し、グリーンは環境意識の高まりを受けた安らぎを表す色として多く用いられ始め、この傾向は現在もなお続いている。
このように企業のシンボルマークは、その時々の時代潮流を反映しているが、
それだけでなく、その企業ならではの強烈な意思と理念、経営環境への明確な対応姿勢が求められよう。
塾のマークには「ペンは剣よりも強し」という理念があり、彰義隊の砲音をBGMとしたウェーランド講義の逸話などがその理念を裏付けている。
ブームの中でさまざまなマークが作られ、それぞれに意味付けがなされた。しかし、それらが真に企業の理念と一体化しているだろうか。また、今にいたるも有効で有り続けているだろうか。
例えば、ほとんどの銀行のマークは、リテール強化という時代の文脈の中で、親しみイメージを強調したものになっている。ビッグバンの大波の中、専門性が問われ始めた今、過去の文脈にのっとったマークのままでいいのだろうか。イコノロジーの観点から、その意味を改めて問い直す必要が有ろう。