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米軍による犯罪一覧表


※沖縄タイムス95年10月12日付の記事による。

1948(昭和23)

 8月6日伊江島の川平新波止場で米軍が戦時中の爆弾を輸送船に詰め込み作業中、爆発。連絡船から下船中の乗客ら、106人が死亡、76人が負傷した

1950(昭和25)

 8月2日読谷村上空を飛行中の米軍機からガソリン補助タンクが落下。民家の庭先で爆発し1人死亡、3人が重軽傷

1951(昭和26)

 10月20日那覇市牧志の民家に米軍戦闘機からガソリンタンクが落下。全焼し親子ら6人が死亡

1955(昭和30)

 9月4日嘉手納町内で石川市に住む女の子(6歳)の他殺体が見つかる。犯人の軍曹は同年12月に死刑宣告。ライカム損害賠償審査会は2000ドルの補償金支払いを遺族へ通知。請求額の約8分の1。その後米兵は45年重労働に減刑

1956(昭和31)

 3月8日浦添村で道路横断中の男性(28)が米軍のパトカーにはねられ死亡。運転の米兵は無罪

1959(昭和34)

 6月30日石川市の宮森小学校に米軍戦闘機が墜落。児童ら17人死亡、100人余がけがをする大惨事
10月28日コザ市のセンター街で外人クラブの女性従業員(23)が絞殺される。2日後に米兵(24)が検挙され、翌年懲役3年の判決
12月26日金武町のキャンプ・ハンセンで弾拾い中の農婦(55)を米兵軍曹が射殺。米兵は「イノシシと間違えて撃った」と供述。米軍は遺族に対し2700ドルの賠償金支払いを決める。軍曹は翌年、軍法会議で無罪

1960(昭和35)

 12月9日三和村で米人ハンターが獲物と間違え老人(73)を射殺

1961(昭和36)

 2月1日伊江島米軍射撃演習場内で弾拾いをしていた男性(20)が射殺される。軍民警察は「本人の自損行為」と判断
7月11日久志村辺野古のバー店内で女性従業員(47)が刃物で殺害。マリン兵(20)2人が犯行を自供、1人は無期懲役
9月19日コザ市で米兵の車が児童4人をひいて逃走。9歳と10歳の女子小学生2人が死亡。軍事裁判は被告に罰金と一階級降格、外出禁止6カ月の判決
12月7日具志川村川崎の民家に米軍ジェット機が墜落。民間人ら6人が死傷。米軍は亡くなった男性の遺族に623ドルの賠償金を支払う

1962(昭和37)

 12月20日嘉手納町屋良の民家に米軍輸送機が墜落、民間人ら7人が死亡し8人が重軽傷

1963(昭和38)

 2月28日那覇市の1号線で下校途中の男子中学生(12)が米兵(20)の車にはねられ死亡。軍事裁判は5月、米兵を無罪とし全県的な抗議運動
7月3日美里村で飲食店女性従業員(22)の絞殺。海軍兵(19)の犯行、軍事裁判で懲役18年

1964(昭和39)

 1月21日金武村の路上でタクシーが2人組の米兵に襲われ車ごと奪われる
8月10日北谷町桑江海岸で潮干狩りをしていた男性(32)が米軍の流れ弾に当たり3日後に死亡。米軍はその後、犠牲者に2000ドル余の賠償金支払う。要求額は6000ドル

1965(昭和40)

 1月24日金武村で外人バーに勤める女性(28)が自宅で殺害。米兵が容疑者として浮かび軍捜査機関の調べを受ける
6月11日読谷村親志で投下演習中の米軍機から小型トレーラーが落ち、女子小学生(11)が死亡。米軍は誤って落下と発表。賠償金4700ドル余

1966(昭和41)

 5月20日嘉手納基地でジェット機が離陸に失敗、民間道路を通行中の男性(33)が犠牲。遺族に1万4000ドル余が支払われた。請求額の約5分の1
5月20日那覇市タクシー運転手が刺殺。県警は目撃者などから米兵の犯行と断定。懸賞金が掛けられたが、米軍によって拘束された
7月22日金武町新開地で女性(34)の他殺体。米軍が逃走兵(19)を容疑者として逮捕
12月3日コザ市のセンター通りで、米兵同士のけんか仲裁に入った男性が射殺される

1967(昭和42)

 1月5日美里村のキャンプで沖縄人ガードマンが米兵に短銃奪われる。犯人米兵2人が那覇市とコザ市で強盗致傷事件を起こし米軍に逮捕
1月24日金武村新開地で飲食店店内で女性従業員(32)が絞殺。米軍がマリン兵(18)を殺人容疑で逮捕。軍事裁判は重労働35年の判決
3月23日那覇軍港内で米軍トレーラーが作業員(56)をひき殺し遺体を放置
5月4日嘉手納町屋良の井戸4カ所に米軍からの廃油
7月24日浦添村でタクシー運転手(31)が刺殺される。普天間署が米兵を逮捕、米軍に引き渡した
8月2日具志川村栄野比で部活のランニング中だった男子高校生(16)が米兵車両にはねられ死亡。米兵(21)は逃走、逮捕された。軍事裁判は懲役1年、軍隊追放の判決
11月8日具志川村で幼女(4)が米軍クレーンにひかれ死亡

1968(昭和43)

 1月30日浦添村の米軍兵舎でメイド(35)殺される。4月1日に軍民合同捜査開く
6月20日宜野座村の海岸で飲食店従業員の女性(23)が公務中のMPに暴行を受け重傷を負う
11月19日嘉手納基地内でB52墜落。住民4人が負傷

1969(昭和44)

 7月8日基地内でガス漏れ事故の軍要員24人が入院。毒ガス兵器の配備を認める

1970(昭和45)

 3月12日名護市辺野古の基地で短銃62丁が盗まれる
5月28日浦添村屋富祖の部隊内で出勤途中の軍雇用員女性(21)が米兵に襲われた。軍法会議は証拠不十分を理由に米兵に無罪判決
5月30日具志川村で下校途中の女子高生(16)が米兵に襲われナイフで刺され重傷。米兵(22)はコザ署と米軍に逮捕された。犯人は懲役3年判決、「刑が軽すぎる」と住民から批判の声
12月7日糸満町内で前年9月、主婦(51)をひき殺したとして軍法会議にかけられていた米兵(21)のやり直し裁判で、被告に無罪判決。主婦への賠償金として1万7000ドルを決定
12月20日コザ市で米兵の交通事故めぐり群衆が騒動。73台の米車両が焼かれた→【写真

1971(昭和46)

 1月13日米軍の毒ガス移送で沿道住民5000人が避難
4月23日宜野湾市大山で飲食店従業員の女性(23)が米兵に石で殴り殺される。米軍が容疑者を逮捕したが、証拠不十分で無罪
5月1日金武で女性(42)が自宅で刺殺される。米兵犯行が有力とみて合同捜査が行われた
10月2日石川市美原の農道でタクシー運転手(40)の刺殺体発見

1972(昭和47)

 4月10日北中城村の泡瀬ゴルフ場近くで飲食店従業員女性(25)殺される

復帰後

8月4日宜野湾市大謝名のバーで女性従業員(37)が米兵(18)に絞殺。米兵は翌年、無期懲役
9月20日金武町のキャンプ・ハンセンで軍雇用員男性(37)が米兵にライフルで射殺される。復帰後初の基地内射殺事件。初公判で被告が殺意を否認。74年4月、那覇地裁は米兵被告の心神喪失を認め無罪判決。被告は米本国へ送還され海軍病院に収容された
9月26日3月25日にあった米兵による男性(50)ひき殺し事故で米兵が無罪になったことが発覚
12月1日コザ市内の特殊浴場で米兵(19)が女性従業員(22)を絞殺。米兵は一審で無期懲役

1973(昭和48)

 3月18日コザ市のアパートで飲食店従業員の女性(43)が絞殺。コザ署と米軍が米兵の犯行と断定
4月12日金武村のブルービーチで弾拾い中の女性(73)が米軍戦車にひかれ死亡。米軍は公務中の事故として第一裁判権を行使すると県に通告

1974(昭和49)

 7月10日伊江村の軍射撃場で草刈り中の男性(20)が2米兵に発砲される。左手に3週間のけが。米軍は公務外の事件として裁判権を放棄するとしたが、その後一転、在沖米空軍司令官が那覇地検検事正に対し「公務中の犯罪で米側が裁判権を公使する」と通告
10月23日名護市辺野古のカフェー女性経営者(52)が店内で就寝中、強盗目的の米兵(19)にブロックで殴られ死亡。翌年4月、犯人の米兵(19)が逮捕された。懲役13年の判決
12月1日那覇市若狭で帰宅途中の男性(24)が強盗目的の米兵に発砲され右手にけがを負った

1975(昭和50)

 4月19日金武村で女子中学生2人が米兵(21)に暴行された事件が社会問題となり身柄は起訴後に日本側へ。米兵に懲役6年
4月23日牧港米軍基地から流出した六価クロム(重金属の一種で強力な酸化剤)が検出される。その後、元日本人従業員の証言で5人の犠牲者が出ていたことが発覚した

1976(昭和51)

 2月26日牧港補給基地で作業員(40)が臭化メチル中毒の疑いで重体。二カ月後、本土の医師が臭化メチル中毒と発表

1978(昭和53)

 12月29日名護市辺野古のキャンプで演習中の米兵が許田の部落向け機関銃を乱射。民家から弾こん

1979(昭和54)

 8月2日名護市数久田の豚舎の水槽に米軍の機関銃とみられる銃弾が打ち込まれる。翌月、米軍司令官が遺憾の意表明
11月5日金武村の民家庭先に米軍の信号弾が落下。米軍は「兵隊のいたずらだった」と発表

1980(昭和55)

 10月1日海兵隊普天間基地滑走路に観測機が墜落し乗員1人が死亡

1981(昭和56)

 4月21日読谷村補助飛行場で訓練中の海兵隊パラシュートが古堅小近くに落下。朝礼中で一時騒然

1982(昭和57)

 3月8日金武町内の墓地で無職男性(48)の他殺体。石川署は米軍捜査機関の同意得て基地内で容疑者米兵(20)を逮捕。那覇地裁は翌年3月、4000万円の支払いを被告に命じる
8月2日名護市辺野古の住宅建築現場で飲食店従業員の女性(33)が米兵(22)に絞殺される
8月19日普天間基地内でヘリが墜落

1983(昭和58)

 2月23日金武町のキャンプ・ハンセン内でタクシー運転手(40)が米兵2人に刺殺される。同年11月那覇地裁は2被告に無期懲役判決
4月4日読谷村で米軍施設のフェンス外を歩行中の村民(41)がMPに拳銃で威嚇発砲される

1984(昭和59)

 5月18日名護市許田で大型ダンプのフロント部分に米軍戦車からとみられる機銃弾命中

1985(昭和60)

 1月16日金武町の民家で回収業の男性(51)が就寝中、物取り目的の米兵(20)に刺殺される。被告は86年に那覇地裁で無期懲役の判決。88年1月最高裁も被告の上告を棄却し無期懲役が確定
7月12日国頭村辺野喜ダム近くの林道に米軍ヘリが墜落、乗員4人全員が死亡
10月29日石川署は帰宅途中の女性を車で拉致し暴行を加えた2米兵を婦女暴行の現行犯で逮捕

1986(昭和61)

 9月27日金武町伊芸で米軍のM16ライフルの銃弾が民家窓ガラスを割る

1987(昭和62)

 7月9日金武町屋嘉区塩原水源地の導水管が米軍のM16ライフルで打ち砕かれ一部世帯が断水

1988(昭和63)

 6月4日東村高江の県道70号で通行中のドライバー2人が目やのどに痛み。その後の調べで米軍催涙ガスの流出が原因と判明
8月12日前年7月に久米島沖でマレーシア船籍の貨物船が模擬弾を受けた事件で、米軍は「編隊長が島と間違えて射撃した」と発表。第11管区海上保安本部は編隊長を書類送検
10月15日金武町伊芸の民家で米軍演習場からのものとみられる銃弾が相次いで発見。1発は民間人の腹をかすめた
10月31日東村高江の訓練場付近に米軍ヘリが墜落。4人が死亡した
12月24日沖縄市内のディスコに催涙ガス弾が投げ入れられ客200人が将棋倒しとなり2人が意識不明。米海兵隊は当面は催涙筒使用中止と発表

1989(平成元)

 3月14日伊江島海上で米軍ヘリが墜落。3人が死亡
11月4日米人少年らが相次いでエアガン発射事件を起こす

1991(平成3)

 6月14日沖縄市内の公園で無職男性(34)が米兵(20)に刺殺される。米兵は懲役9年の判決
10月15日金武町のキャンプ・ハンセン内を抜ける町道民間車両に向け米兵が空砲発射

1992(平成4)

 1月17日沖縄市内の民家に3人組の米兵が強盗。米軍に身柄を拘束されていた2人が基地内から逃走。1人が米本国で逮捕された
10月20日普天間第二小近くの普天間基地内で大型ヘリが墜落事故

1993(平成5)

 4月11日金武町内で大工の男性(33)が海兵隊員(18)に殴られ死亡
7月17日同年5月、日本人女性(19)に暴行した疑いで米軍から基地外禁足処分を受けていた米兵(25)が民間機で本国へ逃亡。10月に米国内で逮捕され、沖縄に護送される

1994(平成6)

 11月16日名護市辺野古のキャンプ・シュワブ内で米軍ヘリが墜落、5人が死傷

1995(平成7)

 5月10日宜野湾市内のアパート前で、保険外交員の女性(24)が米兵(20)に顔面をハンマーで殴られ死亡
9月4日米兵3人が少女に暴行

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