海があった。 初夏の、どうしても胸の高鳴るような海風が、体を心地よく撫で、通り抜けていった。
シェード。テラスのような場所の、白いテーブル。
白いイスに座っている。
桟橋が近くにあるのだろうか。何かそんな気がした。
床は、少し灰色っぽい色合いの板張りで、客船に乗っているのかとも思ったが、そうではないようだった。
僕は何もかも覚えていたが、いまやどうでも良い事だった。
いっさいと関係なく、僕はこの時、迫り来る夏の気配に胸をときめかせていたし、
それ以外何の感情も持ち合わせてはいなかった。
僕を取り巻く環境は、快適なものだったし、取りたてて悩む事もなかった。
僕は美しく爽やかな空気の中に身を置けることに幸せを感じていたし、
じっさいそれ以上に望む事もなかった。
唯一残る若葉のような芳香があった。
それはこれから老いてゆく僕にとって ひとつのみちづれであったし、
そういう記憶のある事が 僕はうれしかった。
1995