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赤痢事件

 あれは、98年7月、ある晴れた暑い日曜の朝、「下痢がひどくて、立つこともできない。」という母。救急病院へ連れていくと、菌感染しているおそれがある!と告げられた。そこで脳裏をよぎったのが、2,3日前まで両親が行っていた、バンコク旅行。

「まさか、赤痢?」


某日赤病院、隔離病棟にうつされ、検査の2日後、
赤痢と判明した。
ご存じですか?赤痢って、伝染病に指定されているんですよ。

 赤痢は伝染病に指定されているため、伝染病病院に移されることになりました。伝染病病院。なんて暗い響きなのでしょうか。そしてそのくらいイメージを裏切らず、松山市某所にある実際の病院も、かなり鬱そうとした病院でした。そして、強烈な消毒液の臭い。並の病院の薬臭さなんて、目じゃないほどの臭いです。一度見舞いに行けば、お風呂にはいるまでしばらく自分の体から、消毒液臭さが消えないくらい。 でも、寂れていただけで、院内は、とても清潔できれいなところだったそうです。(一応、フォロー)

 入院してから、1週間後に検便検査を行い、菌が完全に体内から消えるまで、最低二週間は入院が必要とのこと。母はそのまま、某日赤病院から、伝染病病院へ移され、二週間の缶詰め状態になってしまいました。

 そして残された私と父。父も当然、感染の疑いがあり、私も二次感染のおそれがあるとのことで、検便を提出。
ついでに検便について、ちょっとばかり。

 検便、はよかったのですが、家の消毒、というものが待っていました。菌感染者が使用したトイレを、全て報告してくださいとのこと。家はもちろん、旅行から帰って、大きい方をした方のトイレは、全て消毒が必要だとか。
家に消毒隊の方々がやってきて、とりあえずトイレのみ、消毒して帰られました。

 そして二日後、いよいよ私と父の検便結果が出ました。私は、シロ。父は、......クロ。即、父も伝染病病院へと連れて行かれましたとさ。そして残された私は、またも二次感染の疑いから、検便。そして、今回は本格的な家中消毒が待っていました。

 おいおい、勘弁してくださいよぉ、でしたね、当時の心境は。両親二人ともに赤痢で、伝染病病院へ二週間。そして家には、私と、まだらボケのおばあちゃん。病院には入ることができないので、看病しなくちゃいけない、ということがなかったことだけが、不幸中の幸いでした。

 だがしかし!伝染病病院って、めーっちゃ暇で、する事ないらしく。丸二週間の間、父母から「ダンベル持ってきて」だの「縄跳び持ってきて」だの、「ヤクルト買ってきて」だの、「週刊現代買ってきて」だの。etc...etc...。

 まあ、二人とも病院から出られないわけですから、仕方ないことなんだけど、二週間、ずーっと家と会社と、伝染病病院を行ったり来たりでした。

 感染経路としては、食物や、皿などに付着した菌を口にする。あるいは、赤痢菌保持者が排泄した便を口に含む、ぐらいでしょうか。お母さんが、トイレに行って、手をよく拭かずにそのバッチイお手てで、食事の支度をしちゃった、とかね。......「って、口に含むって、そんなん、そっちに趣味がある人以外、含むわけないやろー!」と、友達にさんざんつっこまれましたが。(笑)

 要するに、感染力が非常に弱い菌、ということです。二週間もカン詰めされていた父と母ですが、実際のところ、入院一週間後には、すっかり回復していました。元気なのに、建物の外にでることが出来ない、っていうのは、かなり辛かったようです。病室にテレビもあるし、ラジオも持ち込んでいるし、ご飯もおいしかったようですし、規則が厳しいわけでもなし、それほどの不自由さはなかったものの、健康なのに外出不可、という事態は想像以上の様でした。

 余談ですが、同じ時期、実は集団赤痢が松山で発生しました。市内某くるくる寿司が発生元となった集団赤痢。そちらの患者さんとちょうど同時期に両親もバンコクから赤痢菌をもらってきて、病院は未だかつてないほどの盛況ぶりだったようです。だって、年間15人くらいしか入院しない病院(伝染病指定の病院ですから)なのに、この時期だけで20人近くの患者さんがいたんだもの。(笑)
 両親も暇だったけれど、そちらの患者さんといっしょになれたのはラッキーだったようです。くるくる寿司のお客さん、ってことは客層としては、学生とか、家族連れですよね。だから当然、感染者も学生さんが多かったみたいで、病院には、若い人がいっぱいいて、それなりに楽しかったみたい。

 でも、それを思うと、もし一人で入院することになったら、.......寂しいでしょうねぇ。あんなさびれてて、しかも消毒液ぷんぷんの部屋に一人っきり。...(涙)


 と、話が少しそれてしまいました。
 つまり、感染力が弱い菌、なのに伝染病病院で2週間入院。......という法律は、見直そう、ということになり、伝染病に関わる法律が、99年の4月くらいには変わるようです。(現在99年2月)赤痢に感染した場合でも、伝染病病院にはいることなく、国が指定した普通の病院で、検査、治療などが出来るようになるとか。そのことについて詳しく書いてある記事を保存しておいたのに、掃除したときに捨てちゃったみたい。
 とにかく、今、松山にある伝染病病院は、必要なし!ということで、閉鎖となるようです。あの時、お世話になった看護婦さんや、お医者さん、事務の方々、両親がお世話になりました。

 2週間経って、いよいよ退院。退院時に着る服を、家から一揃い、靴まで全部用意して持っていきました。なぜなら、院内で着ていた服は、靴に至るまで全て消毒してからでないと、持ち帰れない規則でしたから。
 最後に院内でお風呂に入り、新しい服を着て、母が先に退院しました。父は、母よりも5日ほど遅れて入院したため、独り病院に残され、ちょっと寂しそうでした。

 両親が赤痢にかかっていなければ、その存在自体を知ることがなかったであろう、伝染病病院。そして、いまこの文章を読んでいるあなたも、多分そんな病院の存在、知らなかったですよね?そんなレアな病院に入院できた両親は、結構ツイてる、のかな?! ちなみに、両親は現在、赤痢なんてなかったかのようになんの影響もなし、元気です。

 というわけで、海外に行ったときだけに限らず、食事の前には手を洗おう!
赤痢事件でした。

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