MPV 97/8/8
<<< ことば >>>
『アンソロジー』を観て、僕らがアルバムを作るのにどれだけ手間を「かけていなかった」かということとか、どんなにアルバム作りを楽しんでいたかということも思い出した。ビートルズはシリアスなグループなんかじゃなかったんだ・・・。
(ポール・マッカートニー、CD"FLAMING PIE"より)
<<< 映画/本 >>>
宮崎駿原作・脚本・監督『もののけ姫』
Fusion
Product『「もののけ姫」を読み解く』('97.8.1,ふゅーじょんぷろだくと)
7月20日、小3の息子と映画を見る。
森が見事に描かれていることにまず感銘。
見るほどに、細部まで実によく描き込まれており、見入る。
あっという間の2時間13分。
色々な場面で色々なことを思ったけれど、絵に感心するあまり、宮崎駿の思いを十分に受けとめられたのか、些か自信なし。
息子に聞く、「よかった?」。答えて曰く、「よかった」。いつもペラペラ話すのだが意外に言葉少な。
息子が聞く、「どうして『もののけ姫』という題名なの?」。答えて曰く「うーむ、分からない」。
(息子は家に帰ってから、モロの君(犬神_巨大な銀狼)の絵を描いた。)
思ったこといくつか。(1,2はだいぶ時間がたってから)
(1)
元来、森を出ることによって我々の祖先の霊長類はヒトになった、という説がある。(ぼくはかなり信じている。)
我々の祖先は森においては敗者であり、森の外においてのみ生き延びられた。しかも、森の産み出すものを利用することによってのみ、なのだが。
森は、敵でありながら、自らを育むものであったわけだ。
タタラ場の人々の扱いに現れているように、宮崎駿も、人間と自然との関わり方を、単純な善悪などではなく、人類にとって永遠の(恐らくは解けない)課題として、見ているのだろう。
(2)
怨念的なものによって生じる皮膚の痣、水による癒しなどは、村上春樹と共通のモチーフなのではないか。
(3)
あのシーンは、これがキスの起源なのかも、と思わせる印象的なものだった。(見てない人のために、何がなのかは伏せます)
(4)
癩患者(そうと言ってはいないがほぼ間違いなく)の人々の描き方が、置かれた状況の厳しさを感じさせつつもポジティブで、立派。
7月25日、内原駅前の小さな小さな書店で本購入。
初めは買う気はなかった。が、表紙の中に「語られるべきところが語られず、描かれるべきところが素通りされ」という言葉を見てしまい、買った。
ぼくは自然と人間、という観点ばかり意識して映画を見てしまったが、歴史観の点でもどうやら相当な深さを持っていたようだ。
見る側にそれを感知するだけの素養がないため、多くのことを見逃したらしいことを知る。もう一度見ようと思う。(息子ももう一度見たいと言っている。)
アシタカとサンの物語という側面(この本によれば、どうやら宮崎にとっては非常に重要な側面)についても、ぼくは十分に感受していない。これも感受性の問題なのだろうが、映画の方が十分成功しているのだろうかという疑問も実は持っている。
8月4日、NHK朝のニュースで、甲府市のデパートに巨大な猪が突入した話。食糧不足で畑を荒らす猪を人間が狩る、それに怒ったリーダー猪か、という解説。それとは言わぬが明らかに...(映画を見てない人のために略)
<<< 本/music >>>
小沼純一『ピアソラ』(河出書房新社,1997.5.23,ISBN4-309-26313-5)
Astor Piazzola, "LUNA"(CD,HEMISPHERE,TOCP-50181)
この3年程、ピアソラに参ってる。ならば当然自分はタンゴが好きなんだろうなと思い、何枚かタンゴのCDを聞いてみたが、どうもぴんと来ない。
なぜなのか、この本を読んで納得がいった。
「ピアソラは昔のタンゴを我々の時代の音楽の手法を使うことによって、新たに創造した。ピアソラの音楽では、ブエノスアイレスはメタフォールとして、この世界の異境や疎外を象徴している。」(エーベルハルト・ヤンケからの引用)
ピアソラ自身はタンゴという言葉をよく使うし、タンゴ特有の性格も本質的要素として相当持つのだが、普通タンゴとして聞かれる音楽とはかなり異なるらしいのだ。
ピアソラ自身はタンゴについて「例えばキャバレーやカフェ、ブエノスアイレスの小道で聞こえる音、それがタンゴの秘密だ」と言っているそうだ。
小沼は、まず80年代の録音を聞くべきだという。
すぐ手にはいったのが"LUNA"。1989年6月26日オランダでのライブ。ピアソラは翌年脳溢血で倒れ92年に亡くなっているから、最後期の録音になる。
第一印象。粘っこい。甘美さを求めていない。聞くのに体力がいる。いやはやの68歳。ジョン・コルトレーンの晩年に似たものがある。
第二印象。澄んでいる。この執拗なリズムは何故なのだろう。
第三印象。逃げ出したくすらなる。でも捕まっている。
第四印象。結局ソロだ。この六重奏団の編成が成功しているのかは疑問。ソロは極致。バッハ、パーカーにも連なるインプロビゼイション。
なお、小沼の本、色々な切り口からピアソラにアプローチし、内容的には素晴らしいのだが、文体はかなり癖がある。特に、現在から見れば事実になっていることを過去の時点において書く際に未来形を使うのだ。ぼくは違和感あり。
例。「そしてたどたどしくアストルは弾き始めるだろう、パリに来る前に書いた『トリウンファル』を。弾き終わらないうちに、女史は、これこそがピアソラなのよ、あなたはこれをやっていかなくてはいけないのよ、と激励するだろう。」
ここでの女史はナディア・ブーランジェ。パリ高等音楽院教授。バーンスタインも弟子。ピアソラは1954年に師事。
1950年代のパリと言えば、マイルス・デイビスは恋人ジュリエット・グレコ(初めて会ったのは1949年)を通じてルイ・マルを知り、「死刑台のエレベーター」の作曲をしている。(1957)
50年代のパリには、異なる文化を出会わせ新しいものを生み出させる何かがあったのではないか、という気がしてくる。あるいはいつの時代でもパリはそうなのかもしれないが。
<<< 思いつき >>>
ハチマキは、自分の意識の中で時間を区切る道具なのではないか。
(ところで、日本以外ではハチマキを絞めるのだろうか。)
<<< wine/本 >>>
低価格ワイン飲み比べシリーズ no.4
Coteaux du Tricastin 1994
つくば市のたがみ酒店で1200円
裏側ラベル(ワイン名の書いてあるのを表とするなら、裏なんだろうな。このワインの場合はこちらの方が大きく、かつ店でも上にして売ってましたが)の記載内容にまずびっくり。
「SOMMELIER
SELECTION/南フランス、太陽がいっぱいのローヌ地方のワイン/軽やかな赤ワイン まろやかでなめらかな渋み/黒すぐりの果実香。すみれの花の香り。まろやかな味わい。柔らかな渋味。/レバー炒め やきとりたれ味/飲み頃の温度12〜14度/selected
by Shinya
Tasaki」等々と書いてあるのです。これでも一部省略(メモ用デジカメ写真ちょっと失敗のため)。
味、香りはラベルどおり。というより、ふーむ、これが黒すぐりの香りか、と教えられたわけですが。
軽めではありますが、この価格でちゃんとした香りと味があるのはすばらしい。コストパフォーマンス高く、日常用におすすめ。(参考:ヒュー・ジョンソンは星2つ)
なお、Shinya
Tasakiは今や超売れっ子のソムリエ田崎真也氏('95年世界最優秀ソムリエコンクール優勝)。スノッブを志向しない、この業界では新しいタイプの専門家のように思われます。
色々ワイン関連の本を出してますが、自伝的要素も持った「ソムリエを楽しむ」(1996.10.16,講談社,ISBN4-06-208157-1)が面白い。高校を中退、自分のやりたいことを求めて学校、職場を転々とし、19歳の時一人でブルゴーニュの葡萄畑に立つあたりまでは、小・中学生にも読んでほしいようないい話です。
< 発行人ノート >
・near-weeklyの筈が、ちょっと間隔あきぎみです。夏バテでもないのですが、雑事(だいたいはdrinkingだったりしますが)に時間が取られています。毎週新聞のコラムを書いている人はすごいなあとあらためて思います。
・AppleのCEOはどうなるのでしょうか。Rhapsodyだけはちゃんと出してほしいものです。
・日本の夏はあまりワイン向きではないのですが、最近ビールはすぐ飽きてしまう。困ったものです。
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