MPV 98/6/17
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岡村桂三郎@佐賀町エギジビットスペース/980503
久々の佐賀町。
地下鉄を降り隅田川を渡り暫く歩く間に、少しずつ、日頃のよしなしごとから思いが離れていく。
食糧ビルの階段を昇るころには、自分の内部に少しスペースができたように感じる。
何枚ものジュートの表面に描いたものを大きく切り取った作品。色は墨のみ。
薄暗い空間に目が慣れるに従い、全体や細部の形が、様々に見えてくる。
長方形の行・列は建築であり都市である、そこに巨大なヤマタノオロチがとぐろを巻く。
非常に大きな表現。芸大の日本画の出身というのが初め信じられないが、絵巻物の観もある。
人工と生命。対立しつつ、根源的なエネルギーを共有するのか。
長方形の穴が、アーチ上になることがある。とたんに、生命との親和性が高まるように見える。
建物を出た時の周辺との違和感が強く、虚脱感を覚える。カフェも休みであった。
来るときに隅田川大橋を歩いていた2人の女の子と父親が、まだ大橋にいた。「テントウムシ!」と叫んでしゃがみこんでいる。父親はそれをゆったり見ている。
そこだけが、さきほどのジュートの色になじむような気がした。
<<< 雑読雑記 >>>
(凡例:
>直接の引用、>>要約等のアレンジした引用、tn>私のコメント)
(1)日下公人、三野正洋『いま「ゼロ戦」の読み方』,WAC
tn> 日下氏が零戦オタクであったということにまずびっくり。
ただし、並みのオタクではない。惚れ込むというのとは大分違って、クールに限界を見据え、海軍のソフトの問題(仕様の考え方や戦略など)から現在の日本にもそのままあてはまる組織の問題にいたる。
最近の日下氏の本を読むと、どうも本気で10年後に戦争がありうると考えているような気もする。
だからこそ、戦争をやるなら冷徹にやれ、計算ずくで勝て、目的を達成したらさっさと引け、といった戦争経営論を唱えているのでは、と。
50年前と同じような精神主義だけだったら悲惨な結果になる、経営的観点にたって遂行できないなら勝てっこないから戦うな、と。
(2)週刊文春98年5月14日号
>
「酔った中原先生は、自分が作った詰め将棋を私に差し出して(以下略)」
tn>中原・林葉不倫関連記事。自分の不倫関係を清算するためにマスコミを利用するとはとんだ了見で、それに加担した文春もあきれた出版社というしかなく、本来この手の記事は無視するに限るのだが、中原永世十段に対してはかねてヒーローを見るような思いがあり、つい読んでしまった。
高校1年のとき、昼休みや放課後によく将棋を指した。ぼくの将棋はいいかげんな自己流でそれまで本を読んだことすらなかったが、仲間のうちの一人はきちんと勉強していて、はるかに強かった。13連敗したこともある。
そのころ、名人戦で大山名人に挑戦したのが中原。23歳位だったと思う。友人はこの大勝負の棋譜を切り抜き、自分で並べているようだった。ついに中原が名人位を奪取した翌日には、興奮した様子で、勝負を決した香打ちの素晴らしさを解説してくれた。テレビや新聞も随分大きく取り上げた。長く君臨し続けた大名人が若き天才に敗れたわけだから、ぼくらには痛快だった。
記事に戻って。詰め将棋が解ければ好きなものを買ってやる、解けなかったら言うことを聞けと迫ったんだそうだ。世界広しといえど、このやりとりができるのはこの2人だけだろうな、ものすごーく難しくしたり、時々ちょっとやさしくしたり自在だったんだろうなあ、なんて考えて思わず笑ってしまった。
(3)新聞広告
tn> このところ、おっやるな、と思う新聞広告が多い。
1.アップル。全面広告で、アインシュタイン、ピカソ、マリア・カラス等の顔と、自分が世界を変えられると信じたクレイジーな人たちが世界を変えている、といった意味のコピー。
アップルらしさが素直に伝わり好感。アップルがなんの会社か知らない人にはわけがわからないかも知れないが、それでよしとする広告なのだろう、と思いつつ、左ページの普通の記事をざっと見、1枚めくって、わっ。
なんともう1枚ある。こんどは製品の写真と簡潔なコピー。なるほど、この手があったか。
※1枚目は、次のweb pageでも見られる。think
different、いいですね。
http://thinkdifferent.apple.co.jp/advertising/
2.セガ。戦国時代風写真を全面に使用。侍が多数セガの幟とともに倒れている。
コピーは「明日に続く」のみ。翌日は、倒れていた侍が皆、セガの幟とともに立ち上がっている写真。
デザイン自体あまり好きではなく、広告の意図も深みが感じられないのだが、強烈な印象だけは残った。
3.サントリー。元大関の小錦を、オールド、リザーブ、角、ホワイト等のボトルに見立てた絵。
それぞれのポーズが確かにボトルの雰囲気を出してる。なんちゅうこと考えるやつがいるんだ。
コピーの「WE SUKI SUNTORY」も軽く笑えてうまい。
4.ブルータス。1面下段の書籍広告。左端を毎回確保。上部に誌名ロゴ、中央縦に大きな文字で特集のタイトル、それだけ。
他の書籍広告よりずっと目立つ。興味をひく特集の時は買おうという気になる。ということは、広告目的は完全達成だろう。
一目で分かるロゴ、確立されたコピースタイルによるタイトル表現、シンプルかつスマートなデザイン、分析してみると、それだけのことはある。
<<< movie >>>
タイタニック
公開後何ヶ月もたった水曜日の午後なのにかなりの客。
感想は、すごいですなあ、大掛かりですなあ、よく作りましたなあ、というところ。
良くも悪くもハリウッド的。いかにもな登場人物がいかにもなことをする。それでいて3時間飽きない(疲れたけど)。
記録的な興行成績らしいが、visual effectの力が多大なのだろう。
言われている通り、ハリウッドの映画作りは事業なのだと思う。広告代理店が万博のパビリオンをプロデュースするようなもの。事業としては大したものだ。
収穫も少し。
1.ディカプリオは、スティルで見ていた印象と違った。こういういい男は巷では見たことがない。多くの女性に好かれるのも分かる。
2.間接的に示された事故後のヒロインの生涯には、ある種人生の真実を見た感もした。彼に言われたとおりにした、というのかな。
3.なぜ女が先なのか、というところから、生物の種の維持に思いが至った。
ノアの箱船にヒトは合計100人だけ乗れるとする。種を永続させるために最も適切なオス:メスの比を求めよ。
明らかにオス99:メス1ってことはない。かといってオス1:メス99ではリスクが大きい。ヴァリエイションも必要とすればオス若干というところか。
<<< 諸事雑感 >>>
近所に最近できた市立図書館を見てきた。
開館2週間前に建物の回りを歩いたときは、なかなかと思った。建物の外のスペースが、すぐそばを流れる五行川の土手にそのままつながっていく。途中にフェンスを設置しなかったのは正しい、と。
ある意味で、建物の中も、そのコンセプトなのだろう。広い吹き抜けスペースと大きな窓の効果で、明るく、開放的。
2階は主として大人向きという意図なのだろうが、実際には、1階の子供のざわめきがよく聞こえる。時には走り回る小学生や、泣き喚く幼児も。
図書館の基本は、落ち着いて本が読めることだろう。この点だけで失格。
蔵書も、ぼくの関心分野を見た限りでは、ずれてる。基本図書がないのに傍流の著者の全集があったり。
蔵書の検索システムは使いやすい。タッチパネル方式で簡単に探せる。レファレンスコーナーもそれなり。
少し失望したが、どんな図書館がいいのか、考える機会にはなった。以下、思い付き。
まず子供用スペースは分離する。学校の図書室で十分かもしれない。高校生も利用目的が違うから(自分の勉強か、デート)部屋を分ける。そして、大人のためには、充実したレファレンス、分野を絞った本格的蔵書、静かな読書室、疲れた時にくつろげるスペース、これだけあれば十分だろう。
蔵書は、万人向けの広く浅くはやめるべきだ。図書館ごとに得意分野を持ち、その分野については徹底した蔵書にする。専門家による選定委員会が必要だろう。
そういう図書館なら、わざわざ出かけていく気になる(美術館のようなものだ)。
図書館ネットワークによって蔵書を相互に貸し出せば、利用者は最寄りの図書館で必要な本を借りることもできる。
小さな本屋にも置いてある読み捨て小説やハウツー本などは個人が買うもの、ということを基本にしないと、図書館は駄本集積所になってしまう。
低所得者でも本が読めるようにということなら、別の施策を考えた方がいい。そもそも、図書館で、本を買う小遣いもなさそうな人を見たためしがない。
<<< music >>>
大西順子トリオ@笠間市笠間市中央公民館/980607
うまいとは思う。非常によく弾ける。それなりのスタイルができつつあるようにも思う。
だが、なぜ彼女は今これを弾くのか、ぼくには伝わってこなかった。
少なくとも、今ぼくが聞きたい音楽ではなかった(これが今聞きたい音楽だったのだと聞いてみて分かることが時々あるが、今回は違った)。
最近、ヨー・ヨー・マは情熱を傾けてピアソラを演奏しているが、これはある種の時代の空気を彼も感じているからだと思う。その空気をほくも感じているから、彼の演奏に強く引かれる。共感とはそのようなものだろう。
大西順子の場合、そのような時代の空気をどう受けとめているのか、ぼくには分からない。
あるいは、彼女の感じているのは今よりもっと先にあるものであり、ぼくにはそれがまだ感じられない、ということなのだろうか。
蛇足だが、時代の空気を感じていることと、作品の価値の永続性は矛盾しない。
マイルス・デイヴィスの1950年代の演奏を同時代に聞く感動は想像もできないほど大きいだろうが、一方で彼の演奏は今聞いても瑞々しい魅力に満ちている。
< 発行人ノート >
・今回は、正直のところ苦しみました。断片はあるのですが、まとまった文章にする気力がでてこない。多忙な仕事の傍ら週1回新聞にコラムを書いている経営者の方など、すごいものだなあと改めて思います。
・日本経済、危なっかしい状態からなかなか抜け出せないようです。今勤めているところがつぶれたら、私は何ができるのだろうかと、さすがに時々考えます。
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