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子どもの中学校の運動会を少し見る。

全校生によるダンス(といっていいのか疑問だが)「笠抜き踊りヴァージョンアップ」が傑作だった。

「笠抜き踊り」は、地元に伝わる踊りで、盆踊りの時に御当地ものの音頭と共に踊られている。笠を両手でくるくる回しながら、小さくまるめた体を旋回させつつ進む、なかなか技巧的なもの。

これを踊る生徒たちの格好がすごい。運動部などのユニフォームなのだ。野球部は野球の、サッカー部はサッカーの、はまだいいとして、柔道部は柔道着、剣道部は剣道着に胴を付けている。水泳部の男子には水泳パンツのみというのさえいた!
この格好で笠を持って踊るのだが、生徒たちの半分以上は、あまり気乗りしてない風かつ練習もあまりしていないようで、かなりいい加減。ほとんど棒立ち状態で適当に笠を動かしている。
一方、まじめに踊っているのも少なくなく、その中には相当うまいのもいる。恐らく、小さい頃子供会か何かで練習させられたのだろう。

というわけで、どう見てもハチャメチャなのだが、それが面白い。
てんでんばらばら、好きなようにやればいい、というのは、学校運動会のコンセプトの大変革だろう。運動会といえば行進にしろ整列にしろやたら統一を重んじるもの、という先入観を打ち砕いてくれた。

部毎のユニフォームの効果が大きい。全員同じ装いでは、装いの統一性と踊りの非統一性のアンバランスがあまりに大きいだろう。一方全員好きな格好では、統一性がどこにもなくなり、散漫な印象しか与えないだろう。

かなり変な格好だとしても部の仲間と同じだという一種の連帯感が、意に染まぬことでも結構やらせてしまう、という生徒の心理面の効果もあるのかもしれない。

服装以外では、リズムの力を改めて感じた。子供達による大小の和太鼓と笛で、何人かを除いてはあまりうまくないし意欲的でもないのだが、それでも囃子全体のリズムはちゃんとあっている。そして、20人ほどで打ち出すリズムは、練習もほとんどしていない1000人近い生徒達の手足を、ちゃんと同じタイミングで動かすのだ。

大学の教養課程、哲学概論の教授が、よく「多様性の統一」と言っていたのを思い出した。

 

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中村真一郎「老木に花の」読了。

傑作。ここで終わってしまうのは極めて残念。(作者が亡くなってしまったのだからどうしようもないとはいえ。)

基調はポルノでありポルノとしても出色なのだが、王朝という現代とは掛け離れた時空間に遊びつつ現代社会への批評を読み取る(批評らしい書き方はどこにもない)、まちがいなく一級の小説体験だった。

源大納言は老いの理想像かもしれない。