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日曜日にNHK「徳川慶喜」の最終回を見た。
ドラマの半ば過ぎからしばらく遠ざかっていたのだが、最終回ということで久しぶりに。
このドラマのぼくにとっての収穫は本木雅弘という役者の良さを知ったこと、ほぼこれに尽きる。
これまで本木の出たものは何も見ていなかったので、新鮮な驚きがあった。
最終回でも、ラスト近く、母との再会シーンが見事だった。
今回のドラマを見て、ぼくは司馬遼太郎の「最後の将軍」を読んだ時の感銘以上のものは受けなかったのだが、この原作を読みながら想像した慶喜の思い、一つの時代に幕を引いた三十そこそこの男の思いが、再会シーンの本木の表情、声に圧縮されていると思った。
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顔の記憶について。
どうして人の顔はよく覚えているのだろう。初対面でも10分も話をすれば、それから1年たっても、会えば見た顔だと分かる。その時の話の内容は覚えていなくてもだ。
名前のような単純なものでも、こうはいかない。10分名前を唱え続けても、そのあと繰り返さなければ、1年後にはすっかり忘れているだろう。
あるいは、単純なものだから、なのかもしれない。
記憶は手がかりが多いほど強固になるという。歴史の年号を語呂合わせで覚えるように。
顔は、単純に言えば目、鼻、口、眉、耳、髪等がすべてお互いに関連付けられて記憶されているのだろう。手がかりが重層的になっているわけだ。
と書いてみても、実のところは全然分かったような気がしないのだが。
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