この地方のユダヤ人が第二次世界大戦中には特に大量に虐殺されたのである。パウル・アサールの著書『アルザスのユダヤ人』(宇京早苗訳、平几社)には、次のように書かれている。‐‐たとえ著干の誇張はあるにせよ、確実に言えることは、数世紀にわたって、自らのアイデンティティを守り続けてきたアルザス最古の住民集団は、ユダヤ人であるということだ…
著者アサールは、このユダヤ人集団がなめた悲痛な過去を追跡し、現代に甦らせている。われわれの知る史実とアサールの資料をつき合わせると、こうなるであろうユダヤ人には農業が禁じられていたため金貸しになるほかなく、一方、借り手であるキリスト教徒はその借金を帳消しよするためたびたびユダヤ人虐殺に走った。ュダヤ人を殺した多くの動機が、宗教ではなく財産の没収にあったのである。こうして、羊飼いや烏の飼育など家畜商や行商のほか生きる道のなかったユダヤ人は、十六世紀に西ヨーロッパ全土で追放された時アルザスに集結し、いわば〃ユダヤ人国家〃なるものを形成していった。このユダヤ人追害の指導者となったのが、驚くべきことに宗教改革で知られるマルティン・ルター、あのルーテル・アワ−〃のルターであった。彼の提案は、アサールによれば以下の通りであった。…まず第一に、ユダヤ人のシナゴーグや学校には火を付けること。…第二に、彼らの家も同じく取り壊すこと。…第三に、祈薦書やタルムードもすべて取り上る事,…「第四に、ラビがユダヤ教を講ずるのを禁止すること。これを守らぬならば、命を奪うこと…
信じがたい提案はまだまだ続くが、「神は罪人を求めてこれを許す愛と恵みの神である。といったルターのことばがこれであった。」なにより、ルターの父親が銅の精錬業者だったところにその動機を求めれば良いのであろうか。
赤い楯 広瀬隆著
このルターの提案といわれた意見はユダヤ人が書いたものであります。私は、これを読んで非常に驚いたのです。というのは、私がもっていたルターの書いた「ユダヤ人と彼らの嘘」という本の言葉を全く変えたものだからです。
「我々が彼等を殺害せず彼等のすぺての殺人、呪い、冒涜と恥辱に封してとがめもせずに我らの間に住まう事を許し、彼等の学校、家、身体、財産を守り、それによって彼等を怠惰にし、彼等が我々から金銭や財産を絞りとるのを信頼して保護し、手助けした。それに加えて我々をあざけり、つばを吐きかけ、最終的には彼等が我々に勝利し、その檬な大きな罪によって我々全員を殺害し、我々の財産のすぺてを持ち去る事を望み、日々祈ってゐるのである。こうしたすぺての事は我々の失敗である。教えて欲しい。彼等には我々呪はれたゴイムを憎み、呪って我々の最終的で完全な、そして永遠の没落を求める大きな動機がないのだらうか?今や我々はこれらの受け入れられない呪はれたユダヤ人達をどう取り扱おうとしてゐるのだろうか?我々の間に彼等が存在し、彼等の内部のうそや冒涜そして呪いについて知った後では、我々は彼等の嘘や呪いや冒涜の共犯者にならないようにそれに黙って悩んでいるべきではない。私達は(預言が言ふやうに)消す事のできぬ神の怒りを静める事はできないし、またユダヤ人達を改宗する事もできない。我々は祈りと敬虔さを持ってその炎と激しい熱の中から数人でも救ひ出せるよう大いなる慈悲を實賤しなければならない。復讐は我々に許されてゐない。復讐心は我々が彼等に抱くよりも千倍も増幅して彼等の首の回りにまといつくであらう。私はあなた達に私の本当の意見を述ぺる事としよう。
第一に、我々は彼等の会堂と学校を避け、また人々にそれらに対して反対するように警告する。こうしたことは神とキリスト教会の栄光のためになされるぺきである。そしてまた、我々がキリスト教徒であり、神の御子とキリスト教徒に対するそのやうな嘘や呪いや冒涜を承知の上でそれに対して寛容なのではない事を神にわかっていただくやうになされるべきである。何故なら、我々が無知で寛容である限り(私自身もその事を知らなかった)我々をお許しになるであらうから。しかしながら我々がそれを知った今は我々の目と鼻の先で、その中でユダヤ人達がキリストと我々を冒漬し、呪ひ、つぱを吐きかけ、恥辱をもたらす、そのようなユダヤ人達の建物にそうした事にもかかわらず我々が寛容であるなら、良く御存知の如く∵それはあたかも我々自身がそれをなしたか、あるいはもっと悪い事をなしたのと同様に大変な事になるだけなのである。モーゼは申命記のなかで偶像崇拝を行ってゐる都市は、完全に火で燃やされ、何も残すべきではないと記している。もしモーゼが今日生きてあるなら、彼はユダヤ人達の学校や建物に火をつける最初の人間になることであらう。(聖書からのみことばに徒へば一」
とルターはいっています。アサールはルターがユダヤ人の会堂(シナゴーグ)と学校に火をつけろといったといっていましたがおおいに異なっています。この嘘が「ユダヤ人と彼らの嘘」という本がルターが書いたものであったことを証明します。モーセが生きていたら火をつける最初の人間になる事であろう。といったのであってアサールは故意にねじ曲げた事が分かります。
「第二にあなた達は彼等が自分の家を我々の中に建てるのを拒否せねばならない。何故なら、彼らは自分達の学校で行ってゐるのと同様の事を自分達の家の中で行ってゐるのだから。その代はりに、彼等が自ら誇っているようには我々の国の王侯などなのではなく、捕らへられて放浪の身の上なのだといふ事を思い知らすために彼等をジプシーのやうに軒先か馬小屋に置いても良いであらう。休みなく血なまぐさい殺人を吠えたて、神の御名で我々に不平をこぼす彼等にふさわしく。」
アサールの証言の第二に、彼らの家も同じく取り壊すこと。とは大いに違います。拒否せなければならないといったのです。
「第三に嘘と呪いそして冒涜が教えられる彼等の祈祷書及びタルムードの全著作を彼等から没収すぺきである。」
アサール:…第三に、祈薦書やタルムードもすべて取り上る事,
「第四に彼等のラビが説教をする事を禁止せよ。彼等は貧しいユダヤ人達をモーゼの七、十一、十二の章句でとりこにし、その様な仕事への権利を剥奪したのである。モーゼはそれらの章句において、さうしなけれぱ身期眼と魂を失ふとして彼等のラピ達に従ふやう命じてゐるのである。しかしながら、モ‐ゼは明確に付け加へてゐる。「主の律法に基づいて彼等があなたに教へる事柄に問しては…」と。この事を不心得者達は見過ごしてゐるのだ。そして、主の律法に逆らって彼等の恣意に貧しい人達が服徒するのを利用して彼等にその様な毒と冒清を降り注いでゐるのである。」
アサール:…「第四に、ラビがユダヤ教を講ずるのを禁止すること。これを守らぬならば、命を奪うこと
「第五に街道でのユダヤ人の保護は廃止するぺきである。何故なら彼等は貴族でも役人でもないし、我が国にいる権利はないのだから。彼等は家の中にとどまるべきである。現在我國ではある金持ちのユダヤ人が十二頭だての馬車に乗ってゐると間いている。そのユダヤ人はコハプ[star
Bar kochab、「星の息子」この偽メサイアは紀元一三〜五ローマに対するユダヤ人の最後の反抗のリーダーであった。]一になりたがっているわけである。彼は高利貸しを王侯や貴族達、地域住民、民衆に封し営んでいる。高官たちはこの件に開して黙認している。もしあなたがた、王侯及ぴ諸侯の方々がこうした高利貸し達にたいしてこの地に住み、街道を往来する事を禁じないならぱ私はあなた達に対抗するために騎兵を集めたいと思う。何故なら、あなた方はこの書物を通してユダヤ人とは何者であるか、また彼等がいかに扱われるぺきか、そして彼等の行動が保護さるべきではないという事がよくわかったであろうから。彼らの醜悪な行鳥のバートナーになりたくなけれぱ、あなた方は彼等を保護すぺきではないし、またそうすることはできない筈である。あなた方がたとえ彼等の事をよく配慮してやったとしても、その結果は良くてあなた方が滅びるだけの話しなのである。
第六にユダヤ人達にとって異国の土地において、自分の国の中の主人公でもない場所においては彼等の高利貸しは禁止されるぺきである。それはモーセによって禁ぜられてゐたのであり、すぺての貨幣、銀、そして金は没収し、保管のために持ち去られるぺきである。こうした理由から彼等はほかに収人はないのだから彼等が所有しているすぺてのものは昔高利貸しによって(上述のごとく)我々から盗み、略奪したものなのである。その様な財産は次の如く使用されるべきである。即ち一人のユダヤ人が真に改宗した際にはいつでも、彼の人柄に応じて彼が自分の貧しい妻子や老人や弱者達を養ふために一、二あるいは三○○フロ(金銭の軍位)が典へられるであらう。不正に獲得されたかかる財産は、それが神の祝福を受けられるような正当な使用がなされぬ限り、呪われたものになってしまうからである。」
このような事をルターはいったのです。しかし、この書はユダヤ人によって世に出ないように隠されていました。しかし、ルターのいったユダヤ人に対する警告は今はさらに強めるべきであります。というのは、アサールの本を見ても分かる通りユダヤ人とその道具であるフリーメーソン[フラムの子という意味だが、彼らはサタンの子という意味で使っている。]という組織で彼らの目的を実現させようとし、教会に対する浸透が激しくなっており、また全世界を破滅させるための陰謀が実現できる力を持とうとしているのです。
それゆえ、この事実に対してしるためにこのユダヤ人と彼らの嘘を読む事をすすめます。というのは、この本は書かれている内容のゆえにユダヤ人によって販売されないようにされてしまったのです。