はじめに あなたの想像を絶する現実に気づいて欲しい 3
阪神大震災にはあまりにも謎が多い
なぜマルコポーロの記事に過剰反応するか
プロローグ 今世界中で進行している悪魔の計画とは 23
日本という国家がなくなる日は近い
ルワンダもエイズも人口削減計画の一環
衛星放送は人類を監視するためのシステム
諸悪の根元はカバリスティックユダヤだ
何ともバカパカしい日ユ同祖論
I章 ユダヤ人にとってユダヤ教とは何か
45
ユダヤ民族の通命だけがなぜ特異か
アブラハムが果たした役割は何か
ここがイスラエルとユダヤの違い
ユダヤ人宰相の先駆者ヨセフという男
2章 ユダヤ人以外は人間と認めない民族宗教
63
ユダヤ教の最大の特微は何か
選民イスラエルだけを可愛がる偏愛の神
ユダヤ民族のためだけの宗教
イスラエルとユダヤ共に減ばされる
カバラ信仰はいかに生まれたか
3章 他民族に寄生し浸食する宗教
95
ユダヤ人の歴史でここが最大の謎
ユダヤ教とキリスト教の違い
キリスト教はいかにユダヤ教から分離したか
為政者が最も扱いにくいユダヤ民族
ユダヤ人迫害の本当の理由は何か
正統派ユダヤ教と悪魔のユダヤ教
ルネッサンスはユダヤ思想の産物
忍者部隊フリーメーソンの役割
4章 遂にカトリック教をユダヤ教の支配下に 143
ユダヤ教に乗っ取られたカトリック教会
いかにカトリック教会を完全支配したか
イルミナティの計画実行班イエズス会
世界大戦を三回計画している
正統派ユダヤ教を抹殺
ユダヤ財閥に踊らされたヒトラー
5章タルムードはユダヤ人の行動規範
189
邪悪なタルムードを掲げカトリックを侵略
メーソンと戦つた法王クレメント一二世
フリーメーソンの異端児ナボレオン
最初のメーソン法王ピオ四世
遂にカトリック教会を崩壊させる
第ニバチカン公会議はユダヤ勝利の祭典
6章 ローマ法王は皆ユダヤ教の奴隷
187
カトリックをユダヤ教に売ったパウロ六世
それでもにせパウロ六世に交替させられる
フリーメーソンの別動隊P2が暗躍
警良なヨハネ・パウロー世は殺される
現在のヨハネ・パウロ二世はフリーメーソン
7章 ユダヤ教が生んだものみの塔、モルモン教 201
ものみの塔とユダヤ教の深い関係
ユダヤ教から生まれたモルモン教
では新教はユダヤ教にどこまで犯されたか
キリスト教はサタンユダヤ教に勝てるか
プロテスタントは今パワーを増植している
おわりに ユダヤ教は目論見通り世界支配出来るか 245
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はじめに あなたの想像を絶する現実に気づいて欲しい
阪神大震災にはあまりにも謎が多い
この本を書き始めたのが昨年の夏の事であった。そして、いよいよ出版しようとしていた本年一月一七日、阪神大震災に日本は震憾した。しかし、私は恐らく日本人のほとんど誰もが感じないショックを受けた一人である。それはこの地震が人工地震ではないかと思ったからである。私の前著『悪魔最後の陰謀』の中に、今世界を統一しようとしている人々が、地震の巣と言われる断層地帯の地下で核爆弾を爆発させ、マグニチュード9の地震を起こさせる事が出来ると言うアメリカからの情報が書いてあるのを読まれた方もあるだろう。サンフランシスコ、ロスアンジェルス大地震共に、サンアンドレアス断層の上にあったので、恐らくそうだろうと思っていた。しかし、私はまさか日本でそのような事が起こるとは夢にも思っていなかった。
しかし、この地震は奇妙な日付に起こっている。一月一七日。それは奇しくも昨年ロスァンジェルスで地震が起こった日と同じ日であった。これは多くの人が感じた疑問であったようだ。しかし、二度ぐらいは偶然と言える。ところが一九八九年のサンフランシスコの地震は一○月一七日である。オカルトの中に数霊学と言うのがあるが、それには○と言う単位はないので、一○は一と同じ事である。と言う事はサンフランシスコも二七である。どうして大都市の近くのしかも極めて浅い震度の直下型地震が三度までも二七と言う数宇と関係しているのだろうか。二七と言っても、それは一と一七。一 + 一七日 = 一八それは六+六+六。サタン礼拝者である世界政府、イルミナティ、新世界秩序などと言われている人々がこよなく愛する数字が出てくるのだ。彼らがこの数字がどんなに好きかは、イラクをけしかけて始めた湾岸戦争が一九九一年一月一七日だという事からも明らかである。これらを表にしてみる。
サンフランシスコ 1989.10.17
湾岸戦争開戦日 1991.1.17
ロスアンジェルス 1994.1.17
神戸 1995.1.17
浅い直下型地震と言っても一○キロ、一万メートルと言う距離を掘らなければならない。それはよほど大きな工事であり、何か大きなプロジェクトがなければ怪しまれる。ところが今度の場合、明石海峡であった。それは本四架橋工事が行われている現場である。私はこの工事に外国の企業が参加しているかどうかを調べてもらった。すると確かに本四架橋工事には外国の企業が参加しているとの事だった。もちろん明石海峡の工事にその企業が参加しているかどうかまでは判らなかった。そんな事を考えていた二月四日、テレビが日本で温泉を掘るのに外国の石油掘削会社と契約し、わずか一二日間で一五○○メートル掘ってあっさりと温泉を掘り当てるという番組に遭遇した。地元の業者は何力月もかけても成功率は悪い、そんな短期間では絶対出来ないと言っていたので、そのテクノロジーの差をまざまざと見た思いであった。一二日間で一五○○メートルなら一万メートルでも三力月もあれば十分だろう。それに実は3〜4000mでもいいのかもしれないし案外簡単な工事かもしれないと思った。人工地震と間いて驚かれる方が多いが、地下核実験と同じことで特別難しいことではない。穴を掘ってそこで爆発させるだけのことだ。何百回も実験済みである。日本は恐らく三度
目の核攻撃を受けたのである。今、盛んに建物の耐震基準の見直しが叫ばれているが、そんな事は無駄な事だと思う。自然の地震と人工地震の見分け方と、そのつもりなら核爆発耐久基準でも採用することだ。実はこの地震が人工であるかどうかを判定するのは極めて簡単な事である。震源地近くの海水か断層の近くの放射能を測定すればいいのである。核爆発なら恐らく自然界にはない放射能を検出する事が出来る。しかし、いかんせん私にはそのような調査をする力はなかった。だからこれはあくまで私の単なる推測に過ぎない。しかし、奇妙な事に、この地震の約一力月前に神戸近辺の外国人が大量に日本から出国したと言う情報がある。確かに神戸には多くの外国人がいたはずなのに、テレビや新聞の報道にはほとんど外国人特に白人の避難民が出てこないのは不思議ではないか。さらに地震の数日前に世界的に有名な発明家や、ある宗教団体が予言をしていたというのである。彼らはどこからかそのような債報を得ていたのではないだろうか。そして、関西あるいはもっと広範な海岸地帯から立ち退くように勧告されていたのではないだろうか。実はこのような不確実な推測で語るには勇気がいる。またしてもおかしな牧師。ほら吹き。デマゴーグと言われるかもしれないからである。しかし、あえて書くのはもう一度、
起こる可能性があるからである。地震の巣は日本中どこにでもある。しかし、巨大なプロジェクトが行われているところがもう一か所ある。東京湾横断道路である。もし、今後、七月二日、一○月一七日、二月七日、一月一七日のいずれかに東京湾の浅い深度の直下型地震が起きたら、今度こそ、誰かの仕業だと断定してよかろう。このような日付けを選ぶのは、この地震は自分たちがやったのだと言う事を仲間内に知らせる必要があるのかもしれない(強いて言えば2/16、3/15など足して18になる日付の可能性もあるかも知れないが、恐らく1と7の組み合わせだろう)。この地震に関して幾つかの疑問が読者から寄せられている。
*震源地上空からの空中写真や映像が全くないのが不思議だ
*地震後、震源地近くの電磁波が非常に増加している(電磁波?放射能ではないのか?)。
*数日前に大阪で地震学会が開かれ、地震後ただちに調査班を派遣した。タイミングがよすぎないか
*直前に発光現象があった。高速道路で宙吊りになったバスの運転者は「目の前でストロポを焚かれたようだった」と言っている。原爆なら地下爆発でも上空に影響するのではないか。
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*火災はなぜ起こり、消せなかったのかが今一つ判らない。放火説もある。
この地震と共に、FEMAと言う英語が新間の紙面に出てきたとき、またまた私は肝を潰した。それは連邦危機管理機構の事で、目本の新間もテレビもこのような緊急時に対処する機能的なシステムだとほめちぎっているのであった。飛んでもない!これは人工地震に連携して人間の完全管理を目指す、イルミナティの世界人類奴隷化政策の一環なのだ。太平洋のはるかかなたの事と高をくくっていた私は仰天した。FEMA(Federal Emergency Management Agency)は大統領の要請によって緊急時にその地域または恐らく国家の全権を掌握する。早い話がアメリカ国民の生命財産の全てにわたって生殺与奪の権を持つわけである。彼らは緊急時のアメリカの大統領を凌ぐ独裁者となり得るのである。さらにおそろしいのは彼らは緊急時に「備えて」行動出来る事である。彼らは予防的措置によって、危険人物と見なされる人物を拘束する事すら出来る。このFEMAは国会の承認によって立法化されたのではなく、カーター大統領の行政命今によって設立された。しかし、これは要するにイルミナティの直属部隊だという事なのだ。この他にぜひとも覚えておきたい黒いへリコプター部隊というのがある。これは黒ずくめのュニフォーム、特殊な光線を当てないと標識の判らないヘリコブターで自在に飛び回り、すでに超法規的活動をしているという情報がいくつもの筋から伝えられている。この部隊はかなり目撃者がいて、中にはクリントン大統領の弾劾のための署名活動をしていた人の隣家が(間違えたのだそうだ)、この黒いヘリコプターによってミサイルで粉砕されたなどという信じられない話がこれまた複数の情報源から届いている。この部隊もアメリカの国家、大統領権限を越えた、イルミナティ直属の部隊で、特にUF○の事故の際(人間が造っているUF○)ただちに飛来し、あっという間にすべてを持ち去ってしまうという。この部隊は赤外線による暗視装置によって真夜中でも腺行動できる。まるでSF映画の世界だが、本当のことである。すでにアメリカの軍隊はアメリカの国民のものではない。アメリカの軍隊は国連の指揮下にあるのではないかとさえ思える。アメリカの国民は危機の時に自分の支払っている税金でまかなわれた軍隊に守ってもらえないのである。国連の利益、言い換えれば世界政府、新世界秩序の利益が国民の利益に優先する。やがて企まれた大暴動が起こるだろう。その時これらのへリコプター部隊、FEMAその他の部隊が家から家へ、町から町へナチスの親衛隊SSのようにクリスチャンや健全な市民を拘束し貨車や大型貨物車で収容所にぶち込むだろう。そこで何が行われるのか。
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今回の地震の後にこのFEMAが有難くもわが国にやって来た。何をしに来たのだろうか。緊急事態に対処する能力のないわが国の体制を変革してくれると言うのだろうか。それともかつてのユダヤ・サッスーン財団の城下町、神戸を再びよみがえらせるために、魔法の壷でも持ってきてくれたのだろうか。五○○○人の人柱の上に。これは宣戦布告のない戦争だ。今後、もし日本にもう一度今回のような地震が起こったら、経済は致命的な打撃を受けるだろう。なかなかイルミナティの思うようにならないこの国を、暴力で押さえ付けようとするのだろうか。しかし、私はこの国の人々の限りない優しさに期侍したい。今回の地震に示された、冷静さ、忍耐、寛容、礼節、思いやりに期待したい。
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<なぜマルコポーロの記車に過剰反応するか>
ちょうどその頃、ある雑誌に載った「ナチスのガス室はなかった」と言う論評に、ほとんど野犬のように噛み付いて来た民族の反応にはがっかりした。その民族は知性的な事、世界一を自認する民族ではなかっただろうか。ところがこの反応には知性のかけらもない。冷静な論議も何もなく、ただ、けしからんの感情論だけ。あとは記事を取り消せ、広告するなと声高に叫ぶだけである。本来言論と言うものは言論で反駁するものである。「ガス室はなかった」と言うのが偽りなら、「ガス室はあった」と論証すればいいではないか。それだけの話ではないか。これではかえって自分たちの嘘、偽りを覆い隠そうとする意図のようにさえ考えてしまう。言論を力で圧迫するやり方はファッショ的であると教えてくれたのは彼らではなかったのか。私はこういう事に関心のないごく普通の主婦の口から「今まで、ナチスのガス室はあったと思っていましたが、かえって今度の事件で、無かったのではないかと思うようになりました」と言うのを間いた。この一連の騒ぎを見ながら、「ドラえもん」と言う漫画のジャイアン少年を思い出した。彼も自分の意見が通らないと、腕力と脅しで相手を黙らせる。しかし、ジャイアンには怖いお袋さんがいるが、今やこの民族を押さえ付けるパワーは地上にはありそうもない。私はこれから書くことにためらいと葛藤がある。本当はこんな事は書きたくないのだ。しかし、次々と新しい情報が入って来る。それらの多くはすでに実際に起こっていることだから否定しようもない。こんな暗いニュースは知りたくない。何でこんな役柄を振り当てられたのか恨みたくなる。お前が好き好んでやっているのではないかと言われる。もう、黙っていようと思う。しかし、旧約聖書のエレミヤという預言者のように「燃える火のわが骨のうちに閉じ込められているようで、それを押さえるのにつかれはてて、耐える事が
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でき」ない。ただしエレミヤと私が違うのは彼は神の預言者で、神から言葉を託されたが、私はこの世の情報から押し出されて書いていると言う事である。私は預言者ではない。神の聖霊によって語っているわけではない。しかし、事実だけでも黙っていられないのだ、あまりにも多くの人々が迫り来る迫害と惨劇を知らないからである。私の知人たちは「もう、止めろ」と言う。「そんな暗い事ばかり調べてないで、神の救いと喜び、解放、病の癒し、繁栄、教会の成長」を語れと言う。しかし、それこそニューエイジそのものではないか。サタンは高笑いしている。「クリスチャンを恵ませておけ、喜ばせておけ、病を癒し、繁栄させ、教会を成長させておけ。そして我々の計画には関心を持たせないでおけ。実にスムーズに行っているではないか」確かに聖書の福音書と使徒行伝には神の力が人々を解放し、癒し、繁栄させると書いている。しかし、一方で迫り来る飢饉、パウロに起こる迫害と弾圧、危険についても神の霊によって預言する預言者もいた。今アメリカや他の国々から来る預言者たちは耳障りのいい事しか話さない。次のような危機が現実に迫っていると言うのに聖霊(神の霊)は何も語らないと言うのか。何万人もの聴衆を集める神の霊の器と称する人々には迫害と惨劇は何も知らされていないと言うのか。
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現在アメリカでは信じ難い準備が進んでいる。アメリカ全体が収容所になろうとしている。残虐な迫害と殺毅が計画されている。ナチスのドイツ、スターリンのソ連、毛沢東の中国、クメール・ルージュのカンポジアがアメリカで再現されようとしている。アメリカ共産党の党首ガス・フォールは、アメリカで今後六○○○万人が殺されるだろうと言っていると言う事も聞いた。その最大のターゲットは新世界秩序に従わないクリスチャンであることは言うまでもない。彼らの言ったことは必ず実現している。彼らは世界の人口を3分の一に減らそうとしているのだ、六○○○万だろうと1億だろうと物の数ではない。テックス・マーズ氏によればウイリアム・パプスト氏はすでに一○ケ所以上の強制収容所や精神病院が建設されていると一九七六年に本を書き、訴訟を起こしたが彼自身が行方不明になってしまったと言っている。一九九四年の時点でそれは23カ所になっていると言う。収容所の運営のための実務者として若い高校生のエリート学校が建設されている。国連の名の下にロシアを始めとする大量(何万とも何十方とも言われる)の外国人がアメリカ国内で軍事訓練を受けている。それは危機の時にアメリカの軍人はアメリカ市民に発砲しないかも知れないからだと言う。今やアメリカは目に見えない大きな鉄格子に囲まれつつある。まだそれは少しだけ末完成の部分があるが、やがて全て塞がれる日も間近い
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だろう。アメリカの教会と国民はそんな事には一向関心を持たず、幼児のように無邪気に遊んでいるのだ。
プロローグ 今世界中で進行している悪魔の計画とは
日本という国家がなくなる日は近い
数ケ月前、奇妙な記事が新聞にのった。もっとも奇妙なと思ったのは私だけだったかもしれない。それは「フィアット社をイタリアの政府が援助する事をEUが許可した」と言うものだった。そこにはフランス政府のプジョー社への援助も同様にEUの許可を得たと書かれていた。私はこの何気ない記事に非常な違和感を感じた。なぜ、イタリヤ政府が自国の企業を援助する事をEUに許可されなければならないのだろう。その頃、やはりヨーロッパ諸国でEU議会の選拳が行われ、国によっては国会議員の選挙と同時進行しているような所もあるようだった。山下清氏ではないがフランスではEUの議員とフランス国会の議員とではどちらが偉いのだろうと思った。EU(ヨーロッパ連盟)それはEEC(ヨーロパ経済機構)からEC(ヨーロッパ共
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同体)を経て成立したヨーロッパ統合の夢の実現である。そしてそれはイギリス、フラソス、ドイツ、イタリヤなどの国々の終焉を意味している。これらの国々では今や自分たちの国が無くなろうとしているのだ。かつて、イギリスと言う国があった、フランス、ドイツ、イタリヤと言う国があったと言う日が確実にやってくるのである。そしてそれは、日本にも言える事なのである。「かつて日本と言う国があった」と言う日が来ようとしている。この事を日本人は緊急に理解しなければならない。ヨーロッバ諸国にとっては国家を統合すると言う事はそれほど難しい事ではないかも知れない。すでに歴史上幾度も国境線が引き直されているのだから。しかし、日本にとって国家がなくなると言う事は一度も経験した事がない事態である。ヨーロッパ文化はアジアに比べて均質である。姿かたちにしたって我々にはイギリス人とドイツ人の違いなど分かりはしない。言語にしても日本の方言ぐらいの違いしかないように思える。食べるもの着るもの、そして何よりキリスト教と言う非常に強固な同一の宗教を持っている。一方アジアは姿かたちも違うし、言語、食べるもの着るものも全く違う。宗教も違う。そして何より我々には統合する必要など全くない。それにも関わらず、間もなく我々はEUを拡大したヨーロッバ帝国を中心主する、世界政府の下に国家という形態
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を失い、せいぜい、州か県ぐらいの独立性しか認められない事になろうとしているのである。世界連邦とか、世界は一家、人類は皆兄弟とはそういう意味なのである。世界連邦。この言葉にひかれる人々も多いのではないだろうか。世界が一つになり、戦争をやめ、共に助け合って生きる。なんとすばらしい事だろう。「宇宙から見ると、国境線はありませんでした」宇宙飛行士がいささかセンチメンタルに語るこの言葉も分かろうと言うものだ。しかし、この一大事業を遂行している巨大な組織ないしは人々が目指しているものはそんな乙女の祈りの実現を目指しているのではないのだ。
ルワンダもエイズも人口削減計画の一環
私は九三年と九四年「悪魔最後の陰謀」「続・悪魔最後の陰謀」といういささかセンセーショナルな名前の本を出版してこの巨大な陰謀について警告した。多くの人は真面目に受けとってくれたようだが、しかし、ほとんどの日本人は相変わらず無関心である。これが私には不思議でならない。今、自分の国が無くなるうとしているのだ。日本というこの二六○○余年(原田常治氏の優れた研究によれば実際には一九○○年ぐらいらしいのだが)の歴史ある国が独立国としての形態を失おうとしているのだ。それが発展的解消、世界連
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邦の1州としてそこそこの独立性を認められ、民族性、精神性、経済活動を尊重されるというならまだ許せるが、この陰謀者たちが行おうとしていることは、奴隷的社会主義であり、統一宗教の押し付け、ブライバシーの極度の侵害、かてて加えて人口の大幅減少、すなわち大量の殺毅であるとすれば到底無関心ではいられないと思うのである。それにしても戦後の日本は厳密な意味で果たして独立国だったのだろうか。確かに政府はあった、行政は行われていた。しかし、肝心の事となると常にアメリカの意向を尋ねなければならなかった。日本は籠の鳥であった。籠の中でだけ生存を許されていた。その籠を理解しなかった田中角栄氏は葬り去られた。一九九五年の時点でこの寵の制作者たちは方針を変えたように見える。彼等はすでにヨーロッパの国々の独立をあからさまに制限し始めている。そして日本にもその方針は向けられている。かろうじて守られてきたかに見える日本の独立は、ついに息の根を止められつつある。国連のPK○活動はその一環である。今や世界は一つとなる。国家は失われる。日本と言う国は無くなる。といってもすでに一部は無くなっているのだが。日本が無くなる時、皇室はどうなるのだろう。一九九四年七月アメリカを訪間した平成天皇がニューヨーク空港に着いたとき、タラップの下に迎えに出た人物は誰あろうあのデ
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イビッド・ロックフェラーその人だった。今、世界でデイピッド・ロックフェラーがタラッブの下まで出迎えに行く人物はそう多くはないことだろう。昭和天皇の時もそうだった。クリントンなどはむしろロックフェラー家に参勤交替でもしているのではなかろうか。そしてクリントンの天皇歓迎の晩餐会はエリザベス女王の時のものよりフォーマルだったと伝えられている。一体これは何を表すのだろうか。彼等は日本の皇室をどうしようとしているのか。なぜ、ロックフェラーはかくも日本の皇室を歓侍するのか。現在の天皇、皇太子、秋篠官と、その配偶者はすべて民間から選ばれた。この方々は皆、優れた素晴らしい女性たちであったが、これは皆、偶然なのだろうか。それとも皇室自身が過去の日本と訣別されたのであろうか。これは日本が無くなることの前兆なのだろうか。アフリカのルワンダにおいて進行しつつある動乱による信じ難い数の死者は、彼らの言う人口減少の実施ないしは実験かも知れないと、私やこの事に気付いている少数の人々は見ている。とりわけこの動乱で私が注目しているのは、この人口滅少作戦(作戦かどうかはまだ分からないのだが、あえてそう考えて見る)にはほとんどコストが掛かっていないと言う点である。ほんの一握りの荒らくれ集団に武器と金を与え、おだてればたちまちゲリラが出来上がる。あとはどこかの小さな放送設備から「危険だぞ、どこそこに逃げろ」
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と放送すれば、砂漠だろうと湿地帯だろうと何百万人という難民が着のみ着のままで集まってくる。もともと人間の住む条件など皆無の土地なのだから、飢餓、伝染病によってたちまち何万何十万という死者が出る。大量の武器も弾薬もいらない。安いものだ。その頃、日本の松本で奇怪な事件が発生した。ほんのどこにでもある住宅街で、サリンという軍事兵器の毒ガスが七名の死者と数十名の被害者を出した。この事件の不気味さは、だれが何の目的でやったか分からず、しかも、未だに犯人が全く特定できない点である。このガスがサリンならそんな簡単には扱えないと言う報道を見聞きするにつけても、どこか戦後の不可解な事件との共通点を感じないではいられない。私がこの事件をあえてここで取り上げたのは、第二次大戦中からアメリカで作られたサリンは一万五○○○トン、人類を四○○○回も殺す事が出来るという報道に触れたからである。これは核兵器など及びもつかない恐ろしい兵器ではないか。しかも、低コストであり、核兵器のようにその地域を破壊し尽くすと言う事がない。しばらくたてばまた使用可能である。こうしてみると人口滅少など、どこでもいつでも簡単にやってのけられるのだなあと思わされたのである。もっと直接的に言うと松本だろうと、新宿だろうといつでも数十万、数百万人を殺す事が出来ると言う事なのである。
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この事件の直前に松本市で旧日本軍の化学生物兵器の研究部隊、七三一部隊の展示会があったと言う報道があった。毒ガスと七三一部隊はあまりにも親しい関係である。そしてこの部隊の関係者は戦後アメリカ軍にその研究の成果を引き渡すことと引き替えに戦犯となることを免れたという話がある。これは彼らがその後もアメリカCIAないしはその上部団体であるイルミナティの支配下にあると考えられるのである。七三一部隊についてはさらに奇怪な噂を間いた。九四年八月に横浜でエイズ会議なるものが開かれ、皇太子ご夫妻までが出席された。前著にも書いたように、エイズのキャンペーンほど不思議なものはない。本来エイズは恥ずかしい病気のはずである。昔から性病は恥ずかしい病であった。ところがエイズは「エイズであることはちっとも恥ずかしくない、それを公表する事は勇気ある立派な行動である」とされている。大江戸八百八町の熊さんだって言うだろう。「てえへんだ、てえへんだ、八さんよ、えれえ学者さんが言うには、なんでもえいずてえのは由緒正しい高貴な病だそうだぜ」「そうかい、熊さん、そんじやあさっそく吉原へでも繰り出して、おいらんにうつしてもらってこようかい、おいらにも箔がつこうってものしやあないか」熊さん八さんもあきれるほどに異常なエイズに対する保護キャンペーンは、むしろエイズを広める
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役割を果たすものだと言うアメリカからの情報を信じたくなるではないか。もちろん私は血友病の方々には深い同情を感じる。しかし、血友病のための血液製剤の輸入になんらかの信じ難いほどずさんなミスないしは意図的な工作があったと言う情報を私は聞いている。そのためにかつての七三一部隊の関係者が関わっていると言う。たかが噂を針小棒大に書くものではないと言われそうだが、これらの噂はもっと重大な事実と密接に関わって来るのだから無視できないのである。
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衛星放送は人類を監視するためのシステム
九四年七月、日本は日本女性初の宇宙飛行士向井千秋さんの話題で持ち切りとなった。そして、新聞もテレビも異口同音に子供達に夢と憧れの人向井さんを売り込んだ。ところがどのTVチャンネルも新間も決して次のような事は書かず、言わなかった。すなわち、「日本人がアメリカのスペースシャトルに乗せられる事がそんなに嬉しい事なのだろうか」「日本はスペースシャトルを打ち上げる金も技術も無いのだろうか」「アメリカはスペースシャトルを打ち上げる金はあっても財政は赤字で、他国に売り込むものもない借金大国ではないのか」「この向井さんの打ち上げには日本からどれ程の金が払われたのだろうか」
日本中が向井さん、向井さんと騒いでいるとき、人の車に乗せてもらったからと言ってそんなに喜ぶ事があるかと思った私はよほどへそまがりの偏屈野郎なのだろうか。この直後に千葉市の幕張メッセではアメリカンフェティパルなるものが開かれ、アメリカドリームが宣伝された。そこには今アメリカを悩ましている、数百万人のホームレスの事も、日本の何十倍もの失業者の事も、蔓延するエイズも、麻薬も、銃器による殺りくも展示されてはいなかったのだろう。一体、一連のこのアメリカ運動は何を目的としているのか。戦後日本は放客機、ロケット、戦聞機などの生産は完全にアメリカのコントロールの下にある。優秀な厳客機YSN、自力で開発した戦闘機T2などの後継機は全く作られなかった。ロケットだって必ず頭をたたかれるだろう。結局日本はすでに独立国ではないのだと改めて思う。アメリカの都合のいい召使である時だけ生存を許されているのだろう。しかし、そのアメリカすらすでに全く独立国ではない。世界には巨大な政府がある。ヨーロッパもアメリカも日本もロシアもすでにその力の支配下にある。もちろん、中国とて例外では無いのだろうが、なぜか我々西側諸国よりは独立性を保っているように見えるのは私の浅薄な見方なのだろうか。ユダヤによる世界征服の野望。こんなアジ演説みたいなものを書かねばならなかったの
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は身の不幸と言うべきだろうか。ユダヤ、この不思議な民族は今日世界をたしかに支配し始めている。一昨年、昨年と本を出してから多くの人々と話した。そして、改めてなぜユダヤ人が世界を支配するような陰謀を考え出すのかを考えて見た。するとはっきりと見えてきた事がある。それは我々皆が誤解ないしは錯覚していることであった。それはユダヤ教はまったく一民族のドメスチックな宗教だったという当たり前のことであった。ここに案外全ての鍵があるような気がする。このことについてはこの本で詳しく説明する。ところで、あなたの家の電話器を見てほしい。プッシュポタンの右下に#というポタンがある。このポタンを使った事があるだろうか。もちろんありえない。今は使われていないポタンである。ではいつから使われるのだろうか。またこのマークはなんだろうか。さらに左下の*は今は短縮ダイヤルに使うのだそうだが、斜めにして見るとユダヤ民族の英雄の記号ダピデの星と呼ばれるもののディフォルメしたものに見える。これらのポタンは間もなく世界が統一されたときに必要となるのである。ダピデの星はフリーメーンンのマークの原形であり、それ自体ヒランヤといいオカルト的バワーを持っていると考えられている。なぜ、我々の家庭の中にまでユダヤ人の英雄のマークが入り込んでいるのか。またNHKの衛星放送は我々にとってそれほど必要なものではない。大して面白い番組
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がある訳でもないし、NHKだけでもニチャンネル、他に五チャンネルもありUHFを入れれば幾らでも増やせるだろう。しかし、あらゆる犠牲を払って衛星放送は続けられている。それはやはり世界統一の暁にはどうしても必要な連絡手段なのである。これはNHKのフリーダイヤルが151515で、それぞれ二桁ずつ足せば666になるというようなご愛矯とは桁違いに恐るべき人類監視システムの準備なのである。今、我々の回りをちょっと見回して見るだけでパーコード、紙幣の空白欄(これは世界統一政府が当座、スタンブを押して使用を許可するスペースだということはご存じであろう)、駅前でお兄さんたちのチェックも受けずに堂々とむしろを広げているアクセサリー売りのガイジンさん達がなぜかイスラェル国籍の若者ばかりという不思議も含めてあまりにもそれらしきことが多すぎるのである。優秀なユダヤ人の若者たちがただ無駄に日本見物をしている訳ではなかろう。日本語と日本人の行動と性質を学び、いずれは日本占領機構の重要なポストにつくだろうと私は見ている。近頃ではエイズキャンペーンの切手の「目」まで気になるのである。その目が左目と言う事にすら意味があるのだそうだ。左目のオカルト的意味はイーブルアイ(邪悪の目)だという。これらの現象については多くの研究が成されているが、その背景となっているユダヤ教
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とキリスト教については日本人はひどく苦手な分野らしく、どうも致命的にビント外れの論議が多い。私は一応日本人クリスチャンの端くれとして、ここにユダヤ教の歴史をかいつまんで紹介しようと思う。それも出来るだけ日本人に分かるように噛み砕いて書こうと思う。またしても敬けんな(どうしてクリスチャンにはこういう形容詞がつくのだろう)クリスチャンたちは眉をひそめるかもしれない。私にとって私の主イエス・キリストをイエスと呼び捨てにする事は非常につらい事である。しかし、もし私がイエスさまといつものように呼んだなら、その瞬間にほとんどの読者とのかすかな掛橋は崩れ去るだろう。私はここであえてバウロの言葉を借りて言えば「すべての人を得るために、すべての人のようになった」のである。Iコリント9:19〜23
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諸悪の根元はカパリスティックユダヤだ
さてしかし、その前に私は私の立場を明確にしておこうと思う。というのは、どんなに冷静に明言しても、とにかく相手を自分のキャパシティーでしか考えられない人々は、私を反ユダヤのパラノイアとラベルを張りたがるからである。しょせん無駄とは判っているのだが、後々の証言としてもう一度明確に宣言しておく、私は親ユダヤである。私が戦っている相手はカパリスティック・ユダヤ、もっど判りやすくいえばサタンに身を売ったユダヤ人およびその走狗である異邦人サタニストである。旧約聖書を聖書の一部と信じ、アブラハム、ダビデを信仰の大先輩と仰ぎ、主イエスがこの民族を愛してやまなかった事を知っている私が、どうして反ユダヤとなって憎む事が出来ようか。私が戦っているのは主イエスが「へびよ、まむしの末よ」と呼んだユダヤ・バリサイ派の末裔である。浅薄な知識と偏見の目で何がなんでも相手を色付けしようとする人々は、自分がこれらサタニストの手助けをしているのだと言う事を何時になったら悟るのであろうか。今、世界を支配し始めている人々はサタン礼拝者またはその追随者である。この事をはっきりさせて置かなければならない。その中核となっているのがパリサイ派の末裔であるカバリスティック・ユダヤ人であり、その思想の中心はタルムードである。もちろんこのグループ、新世界秩序とか世界政府と呼ばれている人々の中には非ユダヤ人も大勢いる。それらは自己の金銭的利益と名誉心および「軽挑浮薄な精神」(シオンの長老の議定書)によって参加している連中である。ところがここに非常にやっかいな間題がある。今日ユダヤ人と呼ばれている人々は、そ
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のほとんどが、実は種族としてユダヤ人ではない。ユダヤの血筋ではないのである。約八十〜九○バーセントはカザール人だというのだ。これを聞いた時、非常に驚いて何が何だか判らなくなった。このカザール人がアシケナジー・ユダヤであり、今世界を混乱に陥れている元凶なのだと説明する場合がある。イスラエルにおいてもこの非ユダヤ偽カザール・アシケナジーが権力を握って、本当のユダヤであるスファーラデーは冷や飯を食わされているという。確かにそうかもしれない、アシケナジーユダヤは今は世界をすら彼らの手に握っているのだから。しかし、スファラディーが本当のユダヤでアシケナジーは完全に偽者と断定する事は世界的に常識ではない。新約聖書の黙示録二章九節に「また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人ではなくてサタンの会堂に属するものたちにそしられている事も、わたしは知っている」という言葉がある。これなど驚くほど今日のユダヤ人間題を暴露した予言と見えるであろう。しかし、この箇所はスミルナの教会すなわちクリスチャンに向けて書かれたものであって、断じてユダヤ人に向けて書かれたものではない。ここをユダヤ人問題にすげかえるのは重大な聖書解釈上の違反である。どんなキリスト教の聖書解釈者もそのよのような解釈をしなかったた。ここで「ユダヤ人と自称している」者はアシケナジー・ユダヤ人ではない。また
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「そしられている」のはスファラディー・ユダヤ人ではない。ここで言っているのはユダヤ人そのものでヤハウェ神への信仰を捨てた者たち、パリサイ派を初めとするかたくななユダヤ人の事を言っているのである。だから「そしられている」のはクリスチャンである。これは黙示録を初めから読めば間違えようのない明白な事である。このような解釈こそ思い込みと、先入観を持った聖書解釈学上もっとも好ましくないものである
しかし、たしかに今日多くのユダヤ人はサタンの会堂に属している。いや、我々の目に入る力あるユダヤ人たちがそうなのであって、名もないマジョリティは純粋に旧約聖書を信じメシヤを待ち望んでいる正統派ユダヤ人なのかもしれない。
ユダヤ人の内、アシケナジーとスファラディーという地理的区別をカパリスティック・サタニスト・ユダヤ人と正統派ユダヤ人に分ける事は断じて正しい事ではない。私はこの本で、ただ彼らの寄って立つ信仰によってのみ、このカパリスティック・サタニスト・ユダヤ人と正統派ユダヤ人を厳密に分けている。要するにアシケナジーとスファラディーという対決構図ではなく、サタンのユダヤと普通のユダヤに分けているのである。特に前者が後者を無きものにしようとした驚くぺき記録も後ほど紹介する。もう一つ注意しておきたい。ユダヤ教徒と言うのは生まれながらの権利または義務であるが、カバリスティック・ュダヤは信仰による選択
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の結果である。これはキリスト教も同じで生得の権利または義務ではない。ところで『デルタフォース』という映画を御覧になったことがあるだろうか。先日たまたまテレビで見る機会があって、ユダヤ人の考え方が実によく判った。映画自体はアラプ過激派によってハイジャックされた旅客機からユダヤ人を救い出すための活劇映画である。前にも同じようなテーマのを見てそのときは感動した。しかし、この映画はひどかった。確かにハイジャックのアラブの犯人たちは残虐な行為をするという設定なのだが、それからの反撃の殺りくがひどい。まさにバッタパッタと殺して行く。テレピゲームかゲームセンターのライフルゲームのように何百人でも殺して行く。しかし、最後に突撃隊のユダヤ人の将校が一人死ぬと、映画は哀愁につつまれた音楽と共にその死を悼むのである。「ゴイムは動物である、殺しても罪にならない」というタルムードの思想そのものであった。アラブ過激派が幾人死んでもそれは生ゴミのようなものである。一方ユダヤ人は美しき英推の死である。ハイジャックそのものを認めるわけではない。しかし、本当にあんなに残酷なことをしたのかどうか疑問に思う。それよりその復警のすさまじさ。幾倍にもして返してやろうというのだ。「一人のユダヤ人の死は一○○○人のゴイムの死に当たるのだ。そうさ、それで何が悪い」という声が聞こえて来る。見終ってひどく不愉快になった。
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何ともパカバカしい日ユ同祖論
私は一時、日本人ユダヤ人論に傾倒した事がある。誰にでもルーツ探しは面白いものである。アレックス・ヘイリーの「ルーツ」だって、そういう興味が全ての人にあったからあれほど売れたのだろう。初めからフィクションと言えばいいのに変にノンフィクションにこだわるから評判を落としたようだ。日本は本当に不思議な国である。私は伊勢神宮の石灯ろうにあるダピデの星も見た。「ナギャドヤラ」という青森八戸の民謡がへブル語の詩歌だという川守田博士の本も読んだ。幼い頃、小耳にはさんだ「スメラミコト」という天皇の名が「サマリヤの王」だというヨセフ・アイデルバーグの本にも驚嘆した。もしかすると日本人の中にはユダヤ人(ヘブル人)の血が一部流れているか、あるいは一時、大いに活躍して、その後、静かに地方に滞在しているのかもしれないとも思った。イスラエルに行った時、日本人に似た人も多く見掛けた。しかし、日本人ユダヤ人論の向かうところの空しさに気付いてから興味を失ってしまった。クリスチャンにとって「血筋」は何の意味も無い、否、むしろ弊害を産みかねないと思うようになったからである。
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「しかし、彼を受け入れたもの、すなわちその名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。それらの人は血すじによらず、肉の欲によらず、また人の欲にもよらず、ただ神によりて生まれたのである」ヨハネ1:12〜13もともと日本人ユダヤ人論、日ユ同祖論を最初に日本に持ち込んだのは、マクレオッドというイギリス人でああった。彼はユダヤ人ではないと言うが、ユダヤ人でない人間が、そんな事に関心を持つだろうか。この男はその後、朝鮮に行って「朝鮮ユダヤ同祖論」をぶちあげたと言うのだからほとんどマニアだったのだろう(あるいは扇動者か)。もっとも韓国でも朝鮮民族はヘプル民族のダン部族の末裔だと真面目に言うのを聞いたことがある。この他、アメリカインディアン、アングロサクソンなど同祖論は世界中に多くある。実はイルミナティ、世界統一を計っている連中は自分たちの足掛かりの無い国では、この同祖論で足掛かりをつけるのだという。日本の場合、特に他の追随を許さない天皇制というシステムがあってこれを味方につける事は必然となる。その際、同祖論は有益である。さて、もし日本が本当にヘブル民族の失われた一○部族の末裔だということが判ったとすると何が起こるだろうか(失われた一○部族については後述する)。仮に四国の剣山からユダヤ民族の秘宝、契約の箱(アーク)が出て、仁徳天皇の陵墓からヘブル民族を表す
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ものが出て、天皇家の極秘文書がへブル文字だったとして一体何がどうなるのだろうか。日本人がユダヤの親戚だとすると日本の神道はユダヤ教の神ヤハウェ神を祭っていたことになる。天皇家はヘブル民族の半分イスラエルの首都サマリヤに居た王家の末裔だったということになる。それは天皇がユダヤ全体の王ではなくせいぜいその一方の地方勢力だったという事である。神社では羊が殺されて捧げられることになるのか。日本は世界支配の片棒を担がされるというのか。ユダヤ人が真面目にそんな事を考えていると言うのか。第一、今日のユダヤ民族が旧約聖書を信じて契約の箱にもう一度羊の血を捧げると信じているのか。どの神に向かって?ヤハウェなる神か。その神はすでにキリスト者に、「こういうわけで、わたしたちはイェスの血によって、はばかることなく聖所にはいることができ」ると約束されておられる。(ヘブル書10:19)ユダヤ民族の大半は旧約聖書ではなくヤハウェ神を冒漬するタルムードを信奉しているのだ。特に強力な力を持つ大富豪たちは明白にサタンに仕えているというのに。契約の箱が仮にも日本から出てきたとしても、我々クリスチャンから見ればそれは、「天にある聖所のひな形と影とに仕えている者にすぎない」ヘブル書8:5「しかし、キリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、
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この世界に属さない、さらに大きく完全な幕屋(天幕の神殿)をとおり、かつ、やぎと〃子牛との血によらず、ご自身の血(キリストの身代わりのこと)によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである」同9:11〜12 少しむずかしいと思うがこういうことである。契約の箱とはその蓋の上に羊や牛の血を注いで、罪の許しを請う儀式の道具なのであって、イエス・キリストが神の子羊として十字架の上で血を流し、天にある本当の聖所で神の前に完全なあがないとなったからには全く無意味な道具だという事なのである。契約の箱とはモーセがシナイ山で神の命令によって造った天幕の神殿の奥殿、至聖所に置かれたヘブル民族の最高の宝物であった。それがあるときから忽然と消えてしまったのだが、それは律法と呼ばれるモーセが神から受けたヘブル民族固有の宗教の象徴的なものである。しかし、新約聖書はその律法そのものを次のように言っている。「律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられない」ローマ3:20「人が義とされるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるのである」同3:28「わたしたちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである」同7:6
「キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終り(完成)となられたのである」同10:4 要するに契約の箱を含む律法全体を、すでに古くて人間の罪を完全にはあがなう(消す)事の出来ない無力なものとして退けているのである。私は契約の箱が本当にあるのなら見てみたいと思う。しかし、それは歴史的遺物としてであって、参考として少しは感ずるところがあるかもしれないが、救いや信仰に関わるものではない。こんな事を書いていて、果たして日本人の読者がどれだけ理解できるかいささか心もとないのだが、私の言いたい事は、仮に契約の箱が出てきたとしてもせいぜい人間の救いには全く無力な古い契約に導くだけであり、そればかりかキリスト教から日本人を遠ざける結果になるのではないかと言う事である。なぜなら、たとえ万が一にも日本人がユダヤ人だということが証明されたとしても、宗教的に言うならばすでにキリストが通り過ぎ、パウロがその無力さを証明した古い、死んだ信仰にようやく到達したと言う事にすぎない。それよりは神は福音によって、すなわち、「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者とによってあかしされて、現された。それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる
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人に与えられるものである。そこにはなんらの差別もない」ローマ3:21とあるようにキリスト教による救いこそ本当の救いであって、契約の箱に代表されるユダヤ教は人類を救わないのである。実際、私はなぜキリスト者が日本人がユダヤ人と同祖であるとか契約の箱が剣山にあつこなにうつつを抜かすのか理解できない。主イエスが御血をもって完成された救いの、言わば型紙みたいなものに情熱を傾けるのか、パウロがその信仰ゆえにむち打たれ、死に面した事もたびたびあったと言う「栄光ある霊の努め(キリストの福音)ではなく「石に彫りつけられた死の努め」(モーセの律法のこと)にわざわざ何も知らない人々を導き行くのか理解できない。ましてや日ユ同祖論者の論法たるや日本とユダヤの連合が実現するのは1000年王国であるという始末である。この1000年王国というのは全く実体のつかめないゆめまばろしの話で、しかも私が調べたところでは、ユダヤ・カパリストが作り出してキリスト教会に植え付けたおとぎ話なのだ。それではおとぎ話でない本当のユダヤ人の歴史を旧約聖書からひもといて見よう
ユダヤ人にとってユダヤ教とは何か
ユダヤ民族の運命だけがなぜ特異か
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異邦人。これはユダヤ人以外の人間全てを指す言葉である。世界にはこの二種類の人間しかいないと考える民族がいて、彼等の主張する異邦人と言う言葉が世界的に認められる言語となっているという事は奇妙な事ではあるまいか。それではユダヤ人とはなにか。これがまた簡単ではない。厳密に言えば旧約聖書のヤコブの一二人の子供達の内、ュダ族とベニヤミン族 十 祭司の種族レビ族の一部を指す言葉である。しかし、何しろ二○○○〜四○○○年も前の話なのだから、今、おまえはユダかべニヤミンかと言われても、日本で言うなら縄文人か弥生人かと言うに等しい話なのである。もちろん彼らにとってはもっと身近なのだろうが。実際、いつも驚くのは聖書の話の時代を越えたリアリティーである。キリストでさえ二○○○年前の話である。それがユダヤの英雄ダビデとなると、三○○○年前。彼らの祖先アブラハムとなると四○○○年も前の話なのである。ところが聖書を読む限り、我々はダ
ビデの息遣いや、アブラハムの祈りの声さえ間こえて来るかのようなリアリティーを感じるのである。もう一度言うが、聖書の物語はもっとも新しいものでも日本の卑弥呼の時代なのだと言う事をよく覚えておいてほしい。これが日本の話だったらどうだろうか。日本では五○○年前ですら考古学だが、欧米ではマルチンルターのくしやみが聞こえようと言う時代感覚である。ルネッサンスが室町時代。信長、秀吉、家康の時代にコロンブス、マゼランが活躍し、東インド会社が出来ている。日本の歴史は古いと言うがこんなにも新しいとも言えるのである。さて、ユダヤ人は初めヘブル人と呼ばれた。これは本(ビブル)の民だという説もあるし、移住者を表すイーブリーだという説もある。BC一五世紀のアマルナ文書にはハビルという民族が出てくる。またBC一二世紀のエジブトの記録にはアピルーという名で出てくる。いずれにせよごく古い民族である事に間違いない。民族としての固有性をかくも長く存続したこの民族に匹敵する民族は今日ほとんど居ないのではなかろうか。しかし、この民族は明白に出身地が分かっている。それは今日のイラク南部の古い地名、カルデヤ地方であった。アブラム(後にアブラハムと改名)という人物がその直接の祖先である、彼は明らかにカルデヤ人であった。カルデヤはメンポタミア、シュメール、パビ
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ロニアなどの文化圏の総称と言っていいだろう。このアブラムは父テラに連れられてカルデヤの都市ウルから北に向かって移住し今のシリヤのハランと言う町に住んだ。カルデヤは今日カレンダーと言う名が残っているほど天文学(吉代星占術)の盛んな地方であった。それは文化的にも宗教的にも極めて繁栄した国だったと言う事を示しているのだろう。ここで注意しておきたいのはユダヤ人と言えども、何か特別に発生した人類の異種ではなくごく普通の人類から派生したと言う事である。では何がユダヤを今日のユダヤたらLめたのであろうか。
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アプラハムが果たした役割は何か
ハランに居たアブラムにある日、神が語られた「あなたは国を出て、親族に別れ、父の家を離れ、わたしが示す地に行きなさい」創世記12:1
この時まで、聖書はアブラムと神の関係、言い換えればアブラムの宗教的背景については全く語っていない。ユダヤ人の伝説ではアブラムの父テラは偶像を作って売っていたと
ユダヤ人にとってユダヤ教とは何か
いう。実際今日のメソボタミヤ地方の考吉学的な発掘でも、聖書に言う唯一神信仰の証拠はない。むしろあらゆる偶像、占星術、オカルト的宗教が発掘されている。聖書の記述でもアブラムの約二○○○年前に起きたノアの洪水以来、決して唯一神信仰が地を満たしていたとは思えない。むしろあの悲惨な洪水にもかかわらず人類は相も変わらず偶像を拝み悪霊に仕えていたのである。ところが全く唐突に、ここで再び唯一神が出てくる。聖書はこのアブラムと言う人物が極めて特殊な人物だったことを表している。彼はこの偶像信仰の蔓延する吉代世界でただ一人唯一神を信じ抜いた人である。もっともただ一人だったというのは正しくないかもしれない。人知れず同じような信仰を抱いていた人物が他にも沢山居たかもしれない。しかし、少なくともこの人物ほどその後の世界に影響を及ぽした者はいない。聖書はアブラムに対して神が「国を出て、親族に別れ、父の家を離れ」と言ったと、実にくどい表現で書いている。これは明らかにただ移住せよと言う命令ではない。古代社会は言うに及ばず、つい近代までも宗教と言うものは国、親族、家と結び付いて居た。神はアブラムに対して、全くそれらを離れる事を要求した。これは言わばルネッサンス以上に人類の重大な転換点であった。
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アブラムは後に神に命じられて、アブラハム、「多くの人の父」と名を変えさせられている。それまでのアブラムは「高貴な父」だった。面白い事にアブラハムが信仰の父と仰がれるようになったのは子が居なかったから、すなわち彼は晩年まで父ではなかったからである。まして「多くの人の父」ではなかった。彼の妻、サライ(後にサラと変えられた)は産まず女であったからだ。しかし、信仰によって、子を与えるという神の約束を信じて彼はなんと九九歳で子を設けている。このアブラハムが居なかったら聖書は意味を成さなくなる。アブラハムは信仰の父と呼ばれる。神を信じて侍つ。見えないものを見ているように思う。アブラハムはそれまでの人間の絆を断ち切って、ただ神にのみ従うものの代表者となった。聖書の中にはこのように神との決定的な出会いをしたために、神と人とのつながり(キリストのような意味ではないが)を作った人々がいる。モーセ、ダビデなどはそのような人々である。人間の中に神の仕事の手助けをした者たちがいたと言う事は何と不思議なことだろう。人間は悪魔の化身のようなものもいるし、永遠の神の手となるものもいる。一体人間とは何だろう。聖書の詩篇は言う、「人は何者なので、これをみ心にとめられるのですか、
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人の子は何者なので、これを顧みられるのですか。ただ少しく人を神よりも低く造って、栄えと誉れとをこうむらせ、これにみ手のわざを治めさせ、よろずの物をその足の下におかれました」8:4〜6
アブラハムが信仰の父と呼ばれたのは、彼が高齢にもかかわらず神が子を与えると言った約束を信じ切ったところにある。だから、よほど子を設けると言う事は重大な事だったのだろう。古代社会においては男で子が無いのはもっとも恥ずぺき事であったのだろう。だからアブラハムの生涯を別の角度で見ると、実に気の毒な男なのである。何しろ九九歳まで子が無かったのだから。普通ならここで本妻、二号、三号と・女性を持つのが習慣だった。しかし、アブラハムは妻のサラが見かねて自分の侍女を差し出すまで他の女を作らなかった。この点でも彼はまれに見る高潔な人格者だったのだろう。この侍女、エジプト人の奴隷ハガルから産まれたのが後のアラブ人の祖先イシマェルだった。これはアブラハムの数少ない失敗の物語である。彼は神の約束を侍ち切れなかったのである。この人間としてはいかにもありそうな失敗がその後四○○○年のアラブとの対立を生んだのである。やがて九○歳の妻サラから神の約束の子イサクが産まれた。さらにイサクにユソウとヤ
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コブという双子の兄弟が生まれこの内の弟ヤコブから産まれた一二人の兄弟がイスラユル民族となり、その内のダとベニヤミンの部族が今日のユダヤ人と呼ばれるようになる。(もっとも他の一○の部族もすでにこのユダヤ人の中に入っていると多くの学者は考えている。この事については後述する)それにしても何と長き歴史であろうか。そしてその歴史が聖書に書かれ全世界に知られ、東洋の果ての日本の教会の日曜学校で話されるというのも奇妙な話ではないか。本来ならばこれは日本なら神話の世界の事である。海彦、山彦、大国主命より古い話なのである。しかし、戦いあり、恋あり、駆け引きあり、涙あり、笑いあり、まるでほんのとなりの国の昨日の物語のように生々しく、生気にあふれてこれらの物語は、書かれ、書き写され、保存されて来たのである。聖書は改ざんされ偽書であるという人がいる。しかしこんなみずみずしい物語を改ざんなどできるものではない。しかも、世界各所で保存されてきた以上それらの全てに渡って改ざんの意思統一を図るなど到底出来る事ではない。聖書は写本と呼ばれる筆記本によって保存されて来た。その際、筆記の便のために子音だけが書かれ、母音は省略された。だから改ざんできたと言うが、逆にもし子音だけを頼りに別の文書にし、それを一貫した書物にする事など不可能と言うものであろう。
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ここがイスラエルどユダヤの違い
イサクは聖書の中でそれほど活躍していない。彼はいかにも二代日のぽんぽんであらゆるものに父アブラハムの祝福を受けている。イサクの、妻リベカとの嫁取りの話は美しい一幅の絵のようである。イサクにはエソウとヤコブと言う双子の兄弟が生まれる。エソウは兄だったが信仰の事は関心がなく、野原を駆け巡って狩りをする事にうつつを抜かしていた。一方、弟のヤコブは双子の弟の自分があらゆる面で兄の後塵を拝するのが面白くない。当時の社会では長男は特別な地位にあった。神の祝福も格段に違うと考えられていた。ヤコブは何とかして兄から長男の権利をわが物としようとする。そして策略を持って、老齢となり目が悪くなった父イサクから長男の祝福をだましとるのである。神はこのヤコブを愛する。なぜなら人をだましてでも神の祝福を得ようとするヤコブの信仰への熱心を評価したからである。これはあまり倫理的な話ではないが、貴重な物の価値を理解できなかったエソウはやはりその器ではなかったのである。もっともヤコブはそ
の後、家を逃げださなければならなくなり祖父アブラハムの故郷ハランの親戚でこってりと自分の仕業のつげ払いをさせられる。ヤコブはこの地で親戚のラパンの娘二人をめとる事になる。その後もヤコブの人生には苦労が絶えないのだが、彼は神への信仰だけは、その名ヤコブ(押しのける者)のように他人を寄せ付けない強さを持っていたので神からイスラエル「神と共に治めるもの」と言う名を貰う。今日のイスラエルと言う国名はそこから来ているのである。ヤコブは二人の妻、レアとラケルの間に挟まれて、今の時代でもほとんど変わらない女同士の輸当てに悩まされながら、それぞれの侍女ビルハとジルバまで巻き込んで一二人の子を設ける。この辺の話は聖書をしかつめらしい倫理の本などと言う先入観で読む人には驚きだろう。聖書は人間を赤裸々に描いている。決して偉人聖人の嘘八百の伝記物語ではない。人間は本来罪深いもので、それだから救い主が必要なのだと語るのである。ヤコブの一二人の子らの名前を覚えておくのも何かの参考になるかもしれない。ヤコブはその祖父と違って四人の妻を持った。その妻と子を並べると次のようになる。
正妻レア ルベン1 シメオン2 レビ3 ユダ4 イッサカル9ゼブルン10
妾 ビルハ(ラケルの侍女) ダン5 ナフタリ6
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妾ジルバ(レアの侍女) ガド 7 アセル 8
愛妻ラケル ヨセフ 11 ベニヤミン12
この辺りの物語は到底四○○○年も前の物語とは思えない。まるでテレピのワイドショ−並みのリアリティーである。とにかく読んで見られよ。蛇足だがヤコブの子らの名前はレビはリーバイとかレビー、ユダはジュダ、ペニヤミンはベンジャミンと言い換えれば案外親しみやすいのではなかろうか。ラケルも読みようではレイチェルである。この子らのうちルベン、シメオン、レピの兄たちはそれぞれ不始末をして家系を継ぐ権利を失い、四男のユダにお鉢が回って来た。どうもユダは兄弟の内でもっとも賢かったように見える。結局ユダはその後最大の部族となる。このユダ族とベニヤミン族のことをユダヤ人というのである。他の一○部族を合わせた場合はイスラエルと呼ぶ。ところが少しばかりややこしい事になる。カナン、今日のバレスチナの北と南に定住したとき、一二部族全体ではイスラエルと呼んだ。それでいて一○部族と二部族に分けると前がイスラエルであり、後のユダとベニヤミンはユダヤである。本当は一二部族全体を民族として呼ぶ場合はヘブライ人と言うのが正しいのである。これ以後聖書の中には一二と
言う数字がよく出てくる。キリストの一二使徒、天国の一二の門。
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ユダヤ人宰相の先駆者ヨセフという男
これらの子らのうちヨセフはヤコブの最愛の妻ラケルが産まず女だったが癒されて生んだ子であった事から、ヤコブに特別に愛され、そのために兄たちの妬みを買い、奴隷とLて売られてしまった。ヨセフはェジブトに連れて行かれ、そこでエジブトの王ファラオの夢を言い当てる能力で宰相まで昇りつめる。現代ですら多くの国家の権力者は占い師や呪術師に頼る。まして三○○○年前のエジブトでヨセフの超能力は国家も支配するものであったが、もちろんこれはイスラエルの神の与えた賜物(カリスマ)であった。この時、エジプトを支配していたのは純粋なエジブト人ではなく北方から侵略してきたヒクソス人であったこともヨセフに幸いした。間もなく中東一帯に飢饉が起こった。ヨセフの夢判断はその飢饉のことだったから、十分に準備していたエジプトだけが食料に困らなかった。そのために兄たちはエジブトに食料を買いに来る。ここでヨセフは劇的に兄たちと会い、父
と兄たちをエジプトのゴセンの地に呼び寄せる。イスラエル人はこの地で繁栄する。しかし、この繁栄は長くは続かなかった。間もなく異民族ヒクソスはエジプト人に滅ぽされ、支配階級だったイスラェル人は一転して奴隷となってしまった。それから約3○○年間イスラユルはエジブト人の圧制の下に坤吟することとなる。とまあ、かいつまんで話してみると、なんとまあ波乱万丈、まるでどんな劇作家も考えつかないような絢爛たるストーリーではないか。これが本当にあったことなのだから、ュダヤ人の神様も大変にドラマチックな方である。しかし、物語はさらに豪華に展開する。実際、これほどスケールの大きな筋立てを、もし、考えた人がいたとしたら、それは正に天才中の天才に違いない。さて、そこからあのモーセによるエジプト脱出のスペクタクルとなる。この辺はあのセシル・B‐デミルの『十戒』でご存じだろう。ところでこのヨセフはエジプトで死ぬのだが、彼を愛した父ヤコブは、ヨセフの出世にも動かされたのであろう、ヨセフの子エフライムとマナセを自分の子とする。孫を昇格させたわけである。そうするとイスラエルは一三部族になる。しかし、この内レビ族は神殿に仕える祭司部族として抜けるので、一二部族となる。ヨセフはその出世は兄弟一だったが、父の家系を継ぐことはなかった。家系を継いだの
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は四男ユダである。その点は順序に従ったのだろうか。しかし、このヨセフの子エフライムの部族は後にユダに対するイスラエルの指導的役割を担う事になり、イスラエルはまたエフライムの家とも呼ばれるようになる。ヨセフその人は聖書の中で唯一と言っていいほど欠点の書かれていない人であり、父に愛された子であり、兄弟の妬みで憎しみを受け、ついには当時の世界の頂点にまで昇り、兄弟たちがその足の下にひざまずき、窮状を救われ、繁栄の地を与えるという、不思議な人物である。ここからヨセフもイエス・キリストの雛形とされる。
ユダヤ教の最大の特徹は何か
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モーセと言う名は聖書には、彼の他にまったく出てこない。それはモーセ(ヘブル語のモシェ)と言うのはユジプト人の名だからである。モーセはヘブル人の男の子は全て殺せと言うエジブトの王ファラオの命で殺されるのを恐れた母親がナイル用に葦の船を作って流し、それをファラオの近親者である王妃が拾って育てた。川から引き出したから「引き出す」モーセと言う事になっている。しかし、実際はエジプトではモーセと言うのはごくポビュラーな名であった。モーセと言うのは「○○○の子」と言う意味である。例えば宥名なラメセスニ世のラメセスはラー・モーセス「太陽神ラーの子」であり、トートメスはトート・モーセス「冥府の神の書記トートの子」である。モーセも恐らく「○○○神の子」だったに違いない。しかし、モーセは他国の宗教の偶像神の名を嫌って取ってしまったのだろう。普通ヘブライ人は他国に行ってその国の名を名乗っても必ずヘブル名を持っている。しかし、モーセの場合赤子の時にエジブト王家に拾われて育てられたのでへブル名を
ユダヤ人以外は人間と認めない民族宗教
つける事ができなかったのかもしれない。あるいはあってもモーセで通ってしまったのかも知れない。とにかくヘブル人にとっては異質の名の指導者だったことは問違いない。モーセの後継者はその子ではなかった。イスラエルの民は、まっすぐ神の約束の地カナン、現在のパレスチナに行けば数日で行けたのだが神に不従順だったためにシナイ半島で四○年間放浪することになる。この間、彼らはシナイ山に天下ったヤハウェなる神により、律法、すなわち信仰と生活の規範を受けた。これは当時としては驚異的な法律であった。これに先立つハムラビ法典などと比ベてもその規範の荘重、明快、厳格、均衡なること、どれを取っても他に類を見ない。モーセはこれをシナイ山頂で親しく神から受け、その中心となる十の戒め『十戒』を石の板ニ枚に掘り刻んで貰っている。しかし、この板はモーセが山を下った時に、イスラエル民族があまりにも不信仰だったためにモーセ自身によって砕かれてしまった。代わって二度目にモーセが山に登った時にモーセ自身の手で再制作された。十戒はユダヤ教の中心である。それを守れば神の民として、現世と来世を約束しようと言う神との契約である。この契約と言う思想をよく覚えていてほしい。ュダヤ教もキリスト教も契約の宗教なのである。これが旧約、新約聖書の約の意味である(英語では
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Testament。十戒に始まる律法は後ほど記すようにキリスト教では解釈が違うが、正しい戒めには違いなく、尊重する事には変わりがない。
1あなたはわたしの他になにものをも神としてはならない。
2あなたは自分のために刻んだ像を造ってはならない。
3あなたはあなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
4安息日を覚えてこれを聖とせよ。
5あなたの父と母とを敬え。
6あなたは殺してはならない。
7あなたは姦淫してはならない。
8あなたは盗んではならない。
9あなたは隣人について偽証してはならない。
10あなたは隣人の家をむさぽってはならない。
よく御覧いただきたい。これが二枚の石の板に書かれていた。初めの四つは神への戒め。後の六つは人間への戒めである。後の六つについては誰しも納得するだろう。しかし、初めの四つについては少し説明しなければならない。これこそがユダヤ教のユダヤ教たる所
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以だからである。実際考えて見れば、出エジプト記に始まり、申命記に至るこれらの律法は、そのほとんどは他宗教が認める事のできないものではない。それは祭のやり方であったり、奴隷の扱い方、犯罪者の処罰、食物の禁止範囲などであって、多かれ少なかれ他宗教にも共通点のあるものであろう。だから極論すればユダヤ教の特徴は実はこの四つの戒めだけだとさえ言えるかもしれない。これは神は唯一であるという事の表現である。第1の戒め、他の神を認めないというのがこの宗教の最大の特徴であった。聖書の神は唯一である。なぜなら全能の神だからである。全能、できない事は何もないと言う事はすなわち唯一だということである。簡単な事だが私も言われて見るまでは分からなかった。もし、全能の神が二人いたら、相手をどうすることもできないのだから一点だけでも全能では無くなる。唯一神こそがユダヤ教の最大の特徴であった。しかし、イスラエル人はいつもこの戒めを破り他の神々を求めた。第2の戒め、偶像を造らないというのも厳格な戒めであった。これは拝む拝まないにかかわらず作る事自体が悪いとされた。それでユダヤ人には彫刻家がいないという事だが実際には旧約聖書の中で、イスラエルは偶像を造って、あろうことかヤハウェの神殿の中で祭ったと言う記録すらある。なお、カトリックのマリヤ像が偶像でないとは信じられない。
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第3の戎め、神の名をみだりに唱えない。これは厳重に守られたために呼び方すら忘れられたと言われる。しかし、今日英語では神の名、イエスの名を罵倒の言葉として用いているのはその違反の最たるものであろう。第4の戒め、一週間七日で一年を分割すると言うのはもちろんユダヤ教から始まった事である。それは神が七日で世界を創造されたという創世記の記事に基づいていることは言うまでもない。そして一週間の最後の日に神が休まれたから、土曜日を休み、神を思い感謝するために用いる。これは比較的楽に守れたからだろう厳格に守られた。しかし、戒めと言うものは過激になりがちなもので、ついには安息日に椅子を引いてもいけない、何歩以上歩いてもいけないと言う事になり、その形式主義をイエスはひどく怒っている。この安息日は「ユダヤ人が安息日を守ったのではない、安息日がユダヤ人を守ったのだ」と言われるほどユダヤ教独特の戒めであって、それは毎週の祭りであったのだ。律法をよく読んで見るとユダヤ人はほとんど一年中祭りをしている。それほど神を称え、神を思うように作られていたのである。一週間を七日とするこの律法は今では全世界で採用されている。もっともキリスト教国では安息日が日曜日となっているのは、その日にキリストが復活されたからである。
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ュダヤ人は自らを律法の民と呼ぶ。神から与えられた律法を持っているというのが彼らの自慢であり自信であった。彼らの選民意識が彼らを独特の民族に変えた。しかし、イエスの先達であったパプテスマのヨハネは「神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起こすことができるのだ」とユダヤ人の高慢を打ち砕いている。またイエスは「古いぶどう酒と皮袋」とこの律法を呼び、自分の十字架の死によって開かれる救いの道を「新しい契約」と呼んでいる。また、パウロは「律法は罪の自覚を与えるもの、罪を罪としてあからさまにするためのもの」とし、「石に彫りつけた死の努め」と呼ぶ。この律法の見方にユダヤ教とキリスト教のもっとも大きな違いがあるがそれについては後述する。さて、シナイ山でモーセは律法の他に、移動式の神殿の制作を命じられた。それはテントの神殿で、金張りの聖所を備えていた。その聖所には契約の箱(アーク)というもっとも聖なる箱があった。こうしてイスラエルの宗教は生まれた。律法と神殿と契約の箱とそれらを運営する祭司団がユダヤ教の最重要な要素である。この祭司団としてレビ族が選ばれた。祭司として選ばれるのはレビ族の三○〜六○歳までの男子で、その数は約二万人と言われる。この数については後に検証する。
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これがュダヤ教の原形である。律法の内、特にモーセの五書と言われる「創世記、出工ジプト記、レピ記、民数記、申命記」をトーラーまたはトラと言う。「トラの巻」とは本当に最も大切な書物と言う意味なのである。律法は暗記できるし持ち運ぶことができた。神殿はその後、ソロモンによって石造りのものになり三度破壊されて二度建て直された。最後はイエスの予言通りAD七○年ローマ軍によって完全に破壊され、それ以来建て直されていない。今エルサレムでユダヤ人の聖地とされる「嘆きの壁」はそのソロモンの神殿の基礎部分であるという。この神殿の建設はイスラエル国家の最重要国家事業である。しかし、この神殿に置く日本的に言うなら御神体にも当たる契約の箱がなければ神殿はただの家である。契約の箱(アーク)はインディー・ジョーンズの映画にも出てきたように、ユダヤ人が必死に探し求めている最高の宝物である。なにしろ神殿を造っても、祭司団を養成しても(現に行われていると言う事だ)この契約の箱がない事には話にならない。この箱の蓋は分厚い純金で出来ていて贖罪所と呼ばれる。両脇にケルビムと言う天使の像がある。この蓋の上に羊の血を注ぐ事でイスラェルの罪が許されると言う儀式が年1回行われるのだがそれはもっとも重要な儀式であった。
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四○年の放浪の末に約束の地カナンに入る事になった時の指導者はモーセの後継者ヨシュアであった。総じてモーセにしてもョシュアにしてもこの時代のイスラェルの指導者の特徴は極めて私心のない事である。およそ他の国々の王や領主のように自分の保身や蓄財に汲々とすると言うところがなかった。それにしてもヨシュアに命じられた約束の地の征服は、それこそ今なら世界中から非難ごうごうの覇権主義的軍事行動であった。なにしろ平和に住んでいるいくつもの民族を、滅ぽし、絶やし、皆殺しにしろと神は命じているのだから。明治、大正、昭和の初期ならそれでも通したが、戦後はさすがに聖書の翻訳には困ってしまった。それで最近翻訳された新改訳聖書はこれを「聖絶」と訳している。なかなかの名訳だと思うが、当時の世界では当たり前の事だったので、あえて言い訳する必要はないのではなかろうか。恐らく一つの町が一つの国家であったから、戦争となった場合、互いに殺し合う他になかったのだろ
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う。和解とか融和なんてのは有りえなかったのだろう。また特有の病気、近親結婚による劣性遺伝なども考慮されょう。(聖書の翻訳も面白いものでキリストの言葉でマタイによる福青書5章11節に英語では「占領軍の兵士の要求には無理難題でもよろこんで従え」と言うのがある。戦後すぐに翻訳された口語訳聖書はさすがにそうは訳せなかったと見えて占領軍とは訳していない)ただ、同じ事が34○○年後の一九四○年代に起こったのだから驚く他はない。同じカナン、バレスチナの地にユダヤ民族は帰って来た。それまで二○○○年も平和に住んでいたアラブ人を追い出し、滅ぽし、絶やし、皆殺し……にはしなかったけれど本当はそうしたかったのである。バレスチナ間題はこの旧約聖害の記事を参考にしないと絶対に理解できない。イスラエルは必ずバレスチナ人を追い出すか殺すだろう。もっとも最近では最下層の仕事に必要だから取っておこうと言う意見もあるそうだ。旧約聖害の神は極悪非道。選民イスラェルだけを可愛がる偏愛の神なのだろうか。恐らくこの辺が改ざんされたと言う根拠なのではなかろうか。しかし三○○○年前の倫理観と今の倫理観が同じでなくとも不思議はない。この時代、一つの町、都市国家には固有の宗教、神々があった。これらの都市に別の神々を伝える事は今日でも難しいが当時は不可能
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だっただろう。民族と民族の戦争はその神々の戦いであった。一つの町が減びると言う事はその宗教の滅亡、その町の神々の死でもあった。この時、まだ聖書の宗教は一民族の宗教の地位にしかなかった。だから、聖書の神は偏狭な利己的な神だというのは、むしろ聖書の神が知られた結果の発想なのである。神と言う概念が世界的宇宙的になったのはもっとずっと後の事である。それはキリスト教の神概念の軌跡だということを覚えていただきたい。あなたの中にすでにキリスト教的倫理観があるのである。しかし、国家の神々の死は何も三○○○年前でなくともほんの五○年前にも有り得たと言う事を付言しておきたい。もし日本がアメリカではなくソ連に占領されていたら、果たしてこの数限りない日本の神々は生き長らえていただろうか。日本の神々の運命はあの時連合軍の寛大さに掛かっていたのではなかったか。そうすると戦後のありとあらゆる宗教とそれに伴う全ての事(膨大な文章も含めて)には何の意味があったのだろう。さらに古代多くの宗教はその内部において極めて残虐非道であった。南米のインカ、アステカ、マヤなどの文化はまさに宗教文化であった。しかし、その宗教は何十万と言う殺人を要求する宗教であった。インカなどの祭壇、ピラミッドには必ず人問の犠牲を捧げる聖所を持っている。多かれ少なかれ古代宗教はそのような要素を持っている。また極度の
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自己犠牲、性的混乱、病的な儀式、魔術、占い、祭司たちの横暴、強権など暗く悲しいものが多い。また、自分の町以外は敵であるとすれば、結婚は勢い近親結婚にならざるを得ず、長い歴史があればあるほど、内部に不其者、異常者を抱えていたかもしれない。だからそれらの町々、都市国家は内部ですでに腐敗し、滅ぶべくして滅びたのであろう。
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回ユダヤ民族のためだけの宗教
この際、我々はユダヤ教それも正統的なユダヤ教に対する誤解と錯覚を完全に払拭しておかなくてはならない。ユダヤ教とは徹頭徹尾ユダヤ民族の民族宗教である。学問的に何と言うのか知らないが、これは一つの部族宗教なのであって、決して世界宗教ではないし、もし我々が今日言うところの世界宗教となれと言ったら、ユダヤ教自身が断るだろう。だからユダヤ教を偏狭だとかその神には愛がないとか言うのはお門違いもはなはだしい。それは国内専用の旋客機に国際線の装備がしてないと文句を言うようなものである。我々から見て厳しいだの愛がないだのと言っても、ユダヤ人から言えば大きなお世話だ。ひとの
家の親父が厳しかろうと優しかろうと他人が文句を言う筋合いではない。ではユダヤ教の神、旧約聖書の神は世界を創造した神ではないのだろうか。世界人類の神ではないのだろうか。旧約聖書の神は世界を創造した世界人類の神である。ただ、神は自分を人類に知らせる方法として、ユダヤ民族と言う苗床に種を植えたのである。ユダヤ人はこの種を大切に育てた。ところが芽が出てみると自分たちが期侍していたものと違っていたので苗床から抜き取って捨ててしまったのだ。しかし、苗は外の土の上で大きく成長したのである。もう1つの問題は古代社会の各民族には固有の創造神話があったと言う事である。ュダヤ人の創造神話(私が神話だと信じているわけではない)は他民族から見れば単に一つの民族の創造神話に過ぎない。それが世界的に認知されたのは、すなわち聖書の天地創造が世界的に認められたのはずっと後世の事である。その上、ユダヤ民族は旧約聖書の民として知られるが、モーセの律法がBC一四○○年でこれを持っていた。旧約聖書が完成したのはBC3○○年ぐらいの事である。その後の一○○○年間は旧約聖書が書かれていたのである。だからユダヤ民族が旧約聖書の民と言うのはBC三○○年以降の事なのである。新約聖書が完成したのがAD一○○年ぐらいだから旧約聖書と新約聖書の違いはたかだか
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五○○年である。多くの人々は何千年も前からユダヤ人が旧約聖書を持っていたと錯覚していないだろうか。ではユダヤ教は世界宗教と成り得るだろうか。一つだけ考えられる。それはユダヤ民族が世界を征服し、全ての異邦人を支配した時の征服者としての世界宗教である。その時は恩恵または強制として異邦人がユダヤ教を信じることになるだろう。しかし、決して同格としてではなく一段も二段も低いものとしてである。ユダヤ人はたしかにそう行動している。それを我々は陰謀だとか人類への挑戦だとか言っているのである。しかし、これは民族宗教にとって当たり前の事で何もユダヤ教独特の悪ではない。日本だって第二次世界大戦前アジア諸国を征服した時、至るところに神社と烏居を立て、参拝を強要したではないか。そして彼等に名前まで日本式にさせた。だからと言ってまったく日本人と同格に認めたわけではなかった。神社は日本の民族宗教であったからだ。誤解してほしくないが私は民族宗教だから悪いと言っているわけではない。宗教の優劣善悪を語っているのでもない。事実を確認しているのである。民族宗教が世界宗教になるところに本質的な間題があると言っているのだ。ただ、ユダヤ教の場合それだけではないから大変なのだ。ユダヤ教はまったく別の内容
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で世界宗教に変身した。カパリズムユダヤ教はこのユダヤ教とは似ても似つかね悪魔礼拝であるがそれについては後に書く事にする。
イスラエルとユダヤ共に減ぼされる
約束の地カナンを前にして、モーセは神の命によって死ぬ。またエジブト生れの世代はヨシュアとカレブと言う二人を除いてことごとく死ぬ。あるユダヤ人のラビはエジプトで長い間奴隷として生きて来た世代は、その奴隷根性の故に新しい地に入る精神的な構造になかったと言っている。ところでモーセの墓は今に知られていない。それはあれほど偉大な人物の墓は、必ず聖地となり偶像となっているはずであるからである。ヨシュアはイスラェルの壮丁六○万を率いてカナンの国々を征服して行く。もっとも、この六○万には異議がある。聖書の出エジブト記にはたしかにへブライ人の兵役につける男子は六○万人とある。だから民族全体では三○○万人にもなろうと言う人口である。一体シナイの荒野で本当に三○○方人もの人口を移動させる事が出来たのであろうか。
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先年モーセが塩の水を真水に変える奇跡を行ったメラ(現在でも塩の意味)の泉というところに行った事がある。しかし、どう考えてもその水では三○○万人どころか三万人も養えそうもなかった。また、カナンに定住してずいぶん経ってから行われたダビデの人口調査でもほぽ同じ数が出ている。これはおかしい、もっと人口増加があるはずである。実はへブル語の一○○人の長と一○○人とはほば同じ文字なのである。だから一○○人の長一人を一○○人と書き写したのではないかと言われている。それだと全体の人口は数十万人である。それなら納得する。だから恐らく軍
隊も五〜一○万程度ではなかったかと思う。また当時の都市国家を攻めるのに六○万の大軍は要らないだろう。さて、ヨシュアは実際には完全に先住民族を根絶はできなかった。一つにはまだ彼等は農耕民族ではなかったので一度に滅ばしてしまうと農地が荒れてしまうから、またイスラエル民族が思い上がり神を忘れてしまうといけないからだと聖書は言っている。こうしてイスラェル民族はその部族ごとにカナンを分分割し、定住した。その後、イスラエルは神制政治が行われる。神の霊感を受けた指導者士師がたって、国を治めた。この士師のうちで一番有名な人物がサムソンである。この男は強かったが、女には滅法弱かった。このサムソンあたりの話しは劇画的だから読んでいてもあきない。今では丈
夫なトランク、サムソナイトに名を残している。士師は極めてボランタリーな制度だったから、どうもそれでは具合が悪い、我々も周りの国々のように王がほしいと民衆が言うので神は王を立てる事を許す。士師の最後の人物はサムエルと言う。彼には王を探して立てるという役目があった。この役目には後に預言者として知られるイスラエル独特の制度の芽があった。サムエルは士師と預言者の中間的存在であり、その生い立ちが美しい物語なので印象的な人物である。民衆の要求が強くなったので、サムエルは不承不承、王にベニヤミン族のサウルを選んだ王サウルの生涯は権力者となった者の陥りやすい誘惑と悲哀に満ちている。彼は初め極めて謙虚だったが、王となるに及んで自分の地位が脅かされるのを恐れ、次の王になるダビデを追い回すと言う醜態を演じている。しかし、一般の国々の王に比ぺればまだ賢明な王だったと言えるのではないだろうか。サウルは戦いの中に死んで行く。ダビデ。これこそユダヤ人の理想の王。勇敢にして沈着。賢明にして大胆。愛情豊かで詩人であり、事の判断において誤る事がなかった。彼のこのような美点はひとえに彼の深い信仰によるもので、一国の王でありながら幼子のように神を慕い求め生涯踏み迷う事がなかった。正に男の中の男、壬の中の王である。ダビデはそれゆえメシヤの雛形とされる祖
よくキングオブキングスと言う言い方があるが、英語では前のKingは大文字で始まり後のkingsは小文字で始まると言う当たり前の事が日本では間違えられているのでご注意。しかし、人間ダビデにしてやはり完全ではなかった。彼は戦いを部下にまかせて王宮でひまを持て余していたとき、たまたま屋土から見た湯浴み女に欲清し、その女が忠実な部下の将軍ウリヤの妻であるにもかかわらず寝て子を設ける。それが分かると困るのでウリヤを戦場から呼ぴ寄せ事を隠そうとするが真面日なウリヤは、皆が戦っているのに自分だけ家に帰ることなど出来ないと帰らなかった。困ったダビデは参謀総長ヨアブに命じてウリヤを戦場に一人置き去りにして殺してしまうのである。この行為は神を怒らせ親戚の預言者ナタンを遣わし激しくダビデを責める。この時ダビデは涙を流して悔い、神に許しを請う。ここがダビデの他の王とは違うところで、彼はサウルのように神の前にかたくなではなかった。しがし、ダビデはこの罪業のつけを愛子アブサロムの反乱と言う形で支払うことになる。それにしても何と生々しい赤裸々な話を、しかも、民族の憧れの王の恥をかくも克明に書き残すこの民族の正直さはどうだろう。聖書にそんな話をのせなくてもいいではないか
と思われないだろうか。旧約聖書は人間の罪の記録である、杏、人類の歴史そのものが神への背信と違反なのである。こんな人間を神は愛し、ひとり子を十字架につけて救われようとしたのである。ダビデは神をまるで目に見える友人のように書き残している。彼はすでに古くなったテントの神殿(会見の幕屋)から契約の箱(アーク)を自分で建てた新しいテントに移している。このテントが従来の神殿の形式を大胆に逸脱したものであって、ダビデはたしかに新約聖書の思想を持っていたのである。八五ぺージにその見取り図を書くが、彼は神殿を一つの部屋にし、いわば誰でも入れるようにした。そしてそこで四○○○人の聖歌隊を組ごとに分けて昼夜を分かたず賛美歌を歌わせている。ダビデにしても、逆上ってアブラハム、モーセにしても旧約聖書中の重要人物は、まだ生まれてこないメシヤに救いを託していた。今日のキリスト教徒はすでに世に来たメシヤ・キリストを信じ、これらの人々は世に来るはずのメシヤ・キリストを信じていた。その意味で彼らはすでにユダヤ教徒というよりもキリスト教徒なのである。ダビデの後継者となったのはあまたの子供達の内で何とあのウリヤの妻パテシバから生まれたソロモンであった(不倫の子は死んで、二番目の子)。ソロモンについては結構日
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本でも知られているようだが、ほとんどでたらめばかりである。ソロモンで本当の事は妻と妾を合わせて一○○○人も持っていたこと(これはでたらめではなく、ペらぽうと言うぺきか)。銀は相手にしないで金しか用いられなかったと言う事。一年間に入ってくる金は六六六タラント約ニトンだったと言う事。とにかく大変に賛沢だったことである。ソロモンの信仰的功績は神殿を建てた事だが、実はこの神殿はダビデが建てるはずだったのを神に止められ、その時全ての準備万端整っていたもので、むしろダビデの神殿と言うぺきものである。ソロモンは老年になって神に帰るまで、その異民族の妻たちと異教に交わり、結局その悪しき遺産はその後の王たちに受け継がれて行く。金すなわち富が六六六と言うのは彼の信仰を暗示しているように思える。イスラエルはソロモンの子の時代に分裂し、北にヨセフの家系エフライムを中心とするイスラエルー○部族、南にユダとベニヤミンの二部族のユダヤになり、それぞれに王を立てて抗争しながら続く。この王たちの時代は宗教的には最悪の時代であった。もともとイスラエル人はモーセの時代から偶像崇拝をしていた。一般に言われているように一神教、ヤハウェ神を忠実に信じた民族ではなく、歴史上常
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に偶像崇拝者であった。特に王たちの内ダビデを除いてソロモンからほとんどが偶像崇拝をやった。それでも、まったくヤハウェ信仰が無くなるということはなかった。所々に結び自のある紐のように時々熱心な王や祭司が現れて刷新しようとしたこともあったが結局徒労に終わった。ひどい時にはもっとも神聖なヤハウェ神殿の中に偶像が祭られていることもあった。また預言者の中のエゼキェルは幻の内に祭司長や長老が密かに偶像崇拝をしている現場を見せられている。この背信行為は重大な結果を招いた。神は怒り、特にひどかったイスラエルをBC七一三年にアッシリヤによって滅ぽし、それほどでもなかったがやはりひどかったユダヤをBC五八七年にバビロンの手に渡し、それぞれの民衆の大部分を捕囚として連行させた。この事は預言者によって初めから忠告されていたことであった。預言者たちは懸命に王や民衆に悔い改めるように説得していたのである。イスラエル、ユダヤ共にこれを無視し続けた。預言者はユダヤ教独特の制度であって、律法、神殿、祭司団を補う働き、前の制度を官僚とするなら民間の宗教的権威とでもいうものである。しかも、神からの直接の任命という前提があった。この制度はまったく自己申告制であった。しかしまた、この制度には厳格な決まりもあった。それは特に末来の事を予言して一○○バーセント当たらなければ殺
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されるというものである。これは九九パーセントでも許されなかった。もし、この制度を日本に適用したら、今でも随分殺される超能力者や占い師がいるだろう。この預言者のことをナービーと呼ぶ。ここからナビゲーターという言葉ができた。預言者は神に直接任命されたがその人物を預言者と認めたのは前の預言者と民衆である。特に先輩に当たる預言者は後継者としての預言者を選び、頭から香油(オリーブ油にいろいろな香料を混ぜたもの)を注いで任命した。この香油を注がれた者をメシヤと呼んだ。メシヤとは「油注がれたもの」と言う意味である。この他に祭司と、預言者が任命する王にもこの香油は注がれた。だからメシヤとは王と祭司と預言者を言う。キリストの場合はこの三つの資格を全て持っていた。メシヤが救世主という意味になったのはダビデ王の子孫に永遠の王座が与えられるという預言(サムエル記下七章一三節)があってからである。預言者の任務は神の代弁者として王と民衆に神の言葉を語り、警告したり励ましたりする事であった。預言者と予言者とは違う。あくまで預言者は神の言葉を預かるのであって未来を予言する占い師ではないのである。預言者の多くは高潔、大胆、忠実な人々であった。彼らには弟子や学校のような集団もあった。
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カパラ信仰はいかに生まれたか
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預言者で一番有名なのはエリヤである。彼は実に預言者らしく、その素性も来歴もなく忽然と現れ三年間雨をとどめ、最悪の王アハブと民衆を震え上がらせ、偶像神パールとアシタロテに戦いを挑み、天から火を降らせて勝利し、その預言者たち合わせて八五○人を切り殺すという大胆不敵な男であったが、いったん王妃イゼペルに脅かされると怯えて逃げ出しシナイ山まで逃げて神に励まされるという人間的な側面も持っていた人物である。しかし、預言者たちの懸命の努力にもかかわらずイスラエルとユダヤはともに神への背信を重ねた。そうしてイスラエルはアッシリヤにユダヤはバビロンに破れ捕囚となった。エレミヤという預言者はこの事を預言し続けたものだから王と民衆に嫌われる。しかし、彼はこの捕囚は6○年で終わるとも予言した。アッシリヤに捕囚となったイスラエルー○部族はその後アッシリヤがメデヤに減ぽされると共に行方不明になったと伝えられる。しかし、これは全くの作り話だという。F.F.
ブルースと言う神学者は『使徒行伝講解』と言う本にこれは作り話だと書いているし、他にも多くの神学者がこの様な馬鹿話を杏定している。実は私も最近までこの失われた一○部族のデマ宣伝を鵜呑みにしていた。わざわざMissing tribesどという言葉を引用して得意になっていたのである。ところがよく調べてみると、この後に書かれた新約聖書の記者は明らかに一二部族全てがそろっていると言う前提で話をしている。大体、行くえ不明になったと言う説自体どこにも根拠のない幽霊のような話なのである。しかし、この時から、イスラエル人という名前は消えて無くなり、ユダヤ人だけが歴史に登場するようになる。だからユダヤ人とは一二部族全てを指す言葉となったのである。人間は苦しみに会うと真面目になるもので、この時からユダヤ人は偶像崇拝をやめて本当にヤハウェ神だけを信じる民族となった……と言われているが、それも大嘘である。この時期からユダヤ人はエジプト、カルデヤ、バビロニア、ギリシャなどのオカルトや哲学に旧約聖書思想の断片をミックスしたカバラ信仰を作り出した。これは万物を「神」が創造したものではなく、万物は「無限」または「無」から流出したものであり、生成流転して再び帰って行くという思想である。そしてそれを体系づけるために聖書の「いのちの木」と「善悪を知る木」を合わせたようなセフィーロトという仏教のまんだらのような
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(?)図を表している。それにしても何と仏教思想と似ていることだろうか。実はこのカパラにしろギリシャ哲学から産まれたと思われるグノーシス主義にせよ、近代のフリーメーソンの思想を学ぶ上では不可欠のものなのだが、私にはどうしても学ぶ事が出来なかった。少しでも入り込もうとすると本当にめまいがしてそれ以上進めなくなるのだ。だからその道の人から見たらほとんど語るに足らない知識しか持ち合わせていない。しかし、その事で考えていたとき聖書のパウロの言葉で私なりの解決を得た。バウロはテモテという弟子に書いた手紙の中でこう言っている。「果てしない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません」Iテモテへの手紙一章四節(新改訳聖書)この「果てしない空想話」という言葉に触れた時、私は「パウロは知っていたな」と思った。私が見る限りカバラにせよ、グノーシス主義にせよ、さまざまのオカルトにせよ、諸宗教の教説にせよ、この「果てしない空想話」の一言だと思う。もちろん読者の中には多くの御異論もあろうが私はこれで十分である。他になにも必要としない。それでこれらの研究をやめた。
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バビロンの後に興ったペルシャの王クロスは寛大な人物でユダヤ人の祖国帰還を許す。こうして預言者の預言の通り六○年後BC五三六年にユダヤ人はパレスチナに帰って来た。しかし、バビロンに留まったユダヤ人も多くいた。その後BC四○○年ごろマラキという預言者が旧約聖書最後の書を書いたが、そこにメシヤは「たちまちその宮に来る」とあった。さあ、日本人なら明日にでもと気負うだろう。しかし、その後アレキサンダーによる世界支配の中でユダヤはエジブト、次いでシリヤに併合される。この時アレキサンダーの後継者の一人でシリヤを治めたアンテオカス・エピファネスはユダヤ人を大いに侮り、神殿に豚を捧げたりしたものだから祭司の一人ハスモン家のマタティアスは死の床で子供達に決起を呼び掛けた。これに応じてその子ユダ・マカバイオスが立ち上がり多くの苦難の後にシリヤを破りBC一六六年、束の間の独立国を作った。このユダ・マカパイオスは恐らく一時メシヤ・キリストと呼ばれたであろう。しかし、間もなく興ったローマによって再びユダヤは異国の支配の下に辛吟することとなった。この時期に無視できない事はヘレニズム文化の影響である。ギリシャの文化とローマの軍事力この二つの要素による世界的変化は圧倒的だった。ここに初めて世界は統一されたのである。ユダヤ人も広く世界に拡散し、商業において彼らは有能だったからそれぞれの
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地域に定住した。そしてギリシャ語しか知らないユダヤ人が沢山生まれて来た。丁度この頃旧約聖書が完成したのだが、彼等は旧約聖書をヘブル語で読めないのでギリシャ語の翻訳が成された。それが七○人訳聖書『セプチャギンダ』である。ところがこれはまた一地方語であったへブル語の旧約聖書が世界的に読まれる機会を作ったのである。ユダヤ人の側の国際化とギリシャ・ローマ人ヘレニストのユダヤ文化の発見。それが単なる一民族の民族宗教だったにもかかわらず、その内容の重大さによって、ユダヤのヘブライ文化ヤハウエ信仰は世界的に発見されることとなった。もともとペルシャのクロス、ギリシャのアレキサンダーらは明らかにヘブライの宗教に大きな畏敬の念を抱いていたようである。古い昔からヘブライ人の宗教は人々の関心を引くものだったのだろう。捕囚からの帰還からキリストまでの四五○年間、特にマラキからバブテスマのヨハネまでび四○○年間は我々からは静かな時代に見える。たしかにハスモン家の反乱で一時的にユダヤ民族が高揚した時期があったが、総じてメシヤの来臨を侍つ嵐の前の静けさと言う感じである。しかし、世界はアレキサンダーの後継者争いに明け暮れていた。やがてローマが世界を支配し、バックスロマーナ、ローマの乎和を迎えた。この時期、世界は大きく変わって行った。帝国の隅々まで短期間に到達できる道路網の
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整備。世界共通語であるギリシャ語の普及。度量衡、単位、貨幣の統一。世界は何かを侍っていた。キリスト教の側からすれば、これこそ神の定めたもうた時であった。聖書は「時が満ちて」と言っている。ユダヤのベツレヘム、ダビデの町に一人の男の子が生まれた。預言者たちが予言した多くの予言を全て満たしてこの子は生まれたのである。
ユダヤ人の歴史でここが最大の謎
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ユダヤ人がどうしてヨシュア(イェス)をメシヤ(キリスト)と認めなかったのか。これは歴史上最大の謎と言っていいだろう。ユダヤ人が拒絶してョシュアを十字架につけてしまったから救いは異邦人にまで及んだのである。しかし、もし私がイェス在世当時のユダヤ人だったら、やはり同じことをしていたかもしれない。それほどメシヤはユダヤ人の意表をつく形で現れたからである。その頃、われこそはメシヤという人間が幾人かいたことが知られている。死海文書で有名になった死海のほとりのクムランのストイックな教団エッセネ派には「義の教師」と呼ばれる人物がいたことが死海文書に記されていた。ユダヤ人にとってヨシュア(イェス)は「また出た」メシヤの一人だったのである。この死海文書は現在イスラエル政府が管理保存し、研究をしているはずである。しかし、我々はイスラエルが管理している以上、イスラエルにとって不都合な事は発表されないし
他民族に寄生し侵食する宗教
どんなものでもねつ造できると言う事を考えておくべきである。実はこの死海文書で私は奇妙な経験をした。一九九一年四月イスラェルを四人のグループで旅行した事がある。あまりにも少人数で、また旅行代理店を通さなかったので、トルコのイスタンブールではエルアルイスラェル機に乗るまでに怪しまれて散々な目にあった。たまたまソ連からの移住が盛んに行われていた時期だったこともあって、私だけでも二時間以上尋間されたのである。やっと飛行機に乗ると要所要所に一見してよく訓練された軍人と思われる屈強な青年たちが構えていて、水も漏らさぬ体制で機内を監視していた。スチュワーデスも相当なつわものに見えた。さて、イスラエルで我々はクリスチャンのアラブ人(アラブ人は皆イスラム教徒だと思っていると飛んでもない)のイシマェルさんに案内されていろいろなところを見る事ができた。当時はまだインティファーダー華やかなりしころで、普通のツアー客はアラブ人地域には入れなかったのだが、イシマェルさんは見るからにアラブ人だったから結構自由に行く事ができた。ある日、死海に向かった時、イシマェルさんは死海文書が最初に発見された洞窟に案内すると言う。私はクムラン(死海文書はその発見された場所からクムラン文書とも言われる)には行った事があったのでそこかと思ったら、通常観光客の行くクム
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ランではなくてそこから随分雄れた場所に案内された。イシマエルさんは「ここがそうだ」と言う。私が知っているクムランは断崖絶壁の上にある洞窟で、どうしてあんなところに羊が迷い込んで、少年が探しに入ったのだろうかと思われるところなのだが、イシマエルさんが案内してくれた場所は平地にあり確かにすぐにでも入っていくことができる場所だった。私が「どうしてここが最初に発見した場所だと知っているのか」と聞くと、イシマェルさんは「あれを発見したのは私の教会の少年だったのだ、そして教会の牧師がそれを学者のところに持って行ったのだ」と答えた。イシマエルさんは実に温和で知的な紳士であり到底うそを言っているとは思えなかった。では一般に知られているクムランは何かと間くと、あれは観光用の見世物だと言う。クムランからは多くの文書や器具が見つかっている。洞窟も数多くある。しかし、最初に発見されたのは今言うところのクムランではない。それはイシマェルさんの証言である。死海文書は十分に注意する必要がある。旧約聖書にはメシヤ予言と呼ばれる特殊な予言があった。それは来るべきメシヤを特定する非常に多くの断片的な規定であった。それらは互いに矛盾し、迷路のように錯綜し、
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ほとんど不可能な条件を設定していた。神はメシヤを世に送るに当たって、厚かましい自惚れ者や、軽率な跳ね返りや、野心家の人間がメシヤと認められないように、通常では考えられない条件をあらかじめ提供して、注意深く敬けんな人なら分かるようにして置かれたのである。それは正に犯罪捜査の刑事のような推理を必要としている。世に聖人君子は数あれど、生まれる四○○○年も前からこのように詳細に予言されていた人はこのイェス・キリスト以外にはなかろう。それらの予言は一説には二七○もあると言われている。それらの全てを考察したら何冊もの本になるので、ここではメシヤの誕生と出身地の予言だけを見てみよう(私が予言と言う時、末来を言う場合で、聖書の預言は未来だけでなく神の戒めや励ましの言葉を表す)。
*メシヤはまずベッレヘムに生まれる(ミカ5.2)。
*しかしそこから一五○キロも離れたナザレの村人と呼ばれる(ホセア11:1)。
*またエジプトから呼び出される(イザヤ11:l)。
人は自分の生まれる場所を決める事は出来ない。仮にイエスの両親ヨセフとマリヤが自分の子をメシヤにしようと思ったとしてもこのメシヤ予言は当時でもよほど聖書に精通していた学者にしか分からなかった。また聖書は全て専門家が書き写した羊皮紙の巻き物で
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非常に高価なもの(恐らく数十億円)だから一般人が持つ事は出来なかった。たとえラビ(ユダヤ教の教師)から聞いていたとしてもナザレの田舎者に何ができようか(実際そう烏鹿にされたと聖書にはある)。マリヤは皇帝アウグストの命令で臨月の身でベッレヘムまで旅をしなければならなかったし、へロデ王の命今で殺されるのを避けるため二歳のイェスを連れてエジプトまで逃げなければならなかった。こうしてイェスの誕生から死に至るまで幾重にも張り巡らされた予言の網を、全て成就(満たして)してイエスはメシヤであることを明らかにされている。だからつい数年前イスラエルの大学教授が綿密に予言とイエスを調査して「やはりあのヨシュアがメシヤだった」と言う本を出したところペストセラーになったと言う話を聞いた。その後その人がどうなったか私は知らない。それにもかかわらず当時の祭司長や長老たちがイエスをキリストと認めなかったのは、実はもう一つの間題があった。メシヤには二通りの予言があったのである。一つはダビデの王権を継承しさらに世界的な帝国を築く王としてのメシヤ。もう一つは人の苦しみを自から荷なう救いの主としてのメシヤであった(前者の代表はIサムエル記7:12〜16 詩篇など、後者はイザヤ書53など)。この内、彼らが待ち望んでいたのは王
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としてのメシヤであった。それはそうだろう。プライド高きヘブル人がギリシャ、ローマに揉躍され手も足も出ないで四○○年も耐えて来たのだ。あのユダ・マカパイオスの勇姿が見たいではないか。だからキリストがロパの背中に乗ってエルサレムに入場した時、馬でなくロパ(ロパは平和の使者の乗る物)は気に入らないけれど「まあ、いいか」とエルサレム中が沸ぎ立ち大歓迎したのであった。実際、この時イエスが命今すれば即座に反乱は起こったであろう。だからこそ支配階級は危機感をつのらせ何がなんでもイエスを殺そうとしたのである。一方歓迎の興奮が覚めやらぬ民衆はいつまで経っても反乱のG0サインを出さないイユスに極度に失望し「殺せ、殺せ」の大合唱になってしまった。「とんでもねえ、いかさま師だ」と言うわけだ。期侍が大きかった分、失望も大きかった。実際、この当時のユダヤ人の気持ちになったら、無理もないと言うのが私の感想である。イエスが目指したものは「人間が神の前でもつべき正しい関係の回復」だった。メシヤにとってその方が優先さるべき間題だった。しかし、ユダヤ人はそんな形而上学的な思考などしている暇はないと言ったところだろう。また支配階級である祭司、律法学着、バリサイ人(宗教的熱心派)にしたところで、すでにどっぶりと利害関係に浸っていたし、旧約聖書の本筋である「神と人との関係の回復」などという思想とはとうの昔におさらばして、
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手っ取り早い律法主義(戎めを強調して自己満足する姿勢)とバピロニヤから持ち帰った怪しげなオカルト宗教を密かに弄んでいたから、イエスの語る言葉のあまりの気高さには到底ついていけなかったのである。
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ユダヤ数とキリスト教の違い
「そこで大祭司は言った、『あなたは神の子キリストなのかどうか、生ける神に誓って我々に答えよ』イェスは彼に言われた、『あなたの言うとおりである。しかし、わたしは言っておく。あなたがたは間もなく、人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗ってくるのを見るであろう』すると、大祭司はその衣を引き裂いて言った、「彼は神を汚した。どうしてこれ以上、証人の必要があろう。あなたがたは今このけがし言を聞いた。あなた方の意見はどうか』すると彼らは答えて言った、『彼は死に当たるものだ』」
マタイによる福音書26:63〜65
ここはイェス・キリストが死刑になる罪状を決定された新約聖書の記述である。この時
他民族に寄生し浸食する宗教
までイエスの罪状は定まらなかった。ユダヤ最高権力サンヒドリンは国会に当たる機関だったがそれはまた宗教的な組織でもあった。その最高権力者大祭司カヤパはこの若き革命家(と彼等は考えていた)が余りにも大衆の人気を博す事に危機感を抱いて、なんとかして殺そうと図っていた。しかし、多くの偽証者を立てたにもかかわらず決定的な罪状を得る事は出来なかった。ところで、ユダヤ民族には時の大祭司が『神に誓って答えよ』と言う命令にはだれでも正しく答えなければならないと言う決まりがあった。これに従って、イエスは正しく答えたのである。それが彼の死刑宣告の罪状となった。すなわちイエスの罪は「自分は神と等しい」と言った事である。イエスの弟子でイエスに最も愛され身近に仕えた使徒ヨハネは彼の書いたイエスの伝記ヨハネによる福音書にこう書き記している。「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た。それは父のひとり子としての栄光であって、めぐみとまこととに満ちていた」1:14ヨハネにはイエスがメシヤであることが分かった。それはサンヒドリンが見えなかったものを見たからである。それは外面的な力、権力、奇跡や不思議を行う能力などではなかった。彼が見たのはそのたぐいまれな人格であった。それは一言で言えば人間の想像を絶
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する、唯一で比類なき神の『愛』であった。古来人々はイエス・キリストを信じなくても聖者、良き人、最高の師と仰ぐ。それはこの愛の故である。この愛に比べるものはなく、この愛に匹敵する人物は彼の他に歴史上一人もなかった。今、日本にもメシヤ(そういう名前ではなくても)を自称する人々がいるが、それらの人々が彼らの追随者以外には評価されないのはこの『愛』が欠如しているからであろう。早い話がメシヤは金儲けをしてはいけない。キリストは「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらするところがない」と言われた。彼は生涯住む家もなかった。日本は不思議な国である。政治家にはその財産の公開を求め、小さな隅までほじくり回すが、宗教家がどれほど巨大な資産を蓄えようと非難一つしない。本末転倒ではないか。大体、心の平安や来世の保証が人間の作った貨幣で得られるはずがあろうか。ちょっと考えても分かりそうなものだ。「すぺての人を照らすまことの光があって、世に来た」ヨハネ1:9「暗黒の中に住んでいる民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に光がのぽった」マタイ4:17
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「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく命の光をもつであろう」ヨハネ8:12
新約聖書的信仰またの名は福音的信仰によるならばイエス・キリストは神が与えた世の光である。ところがこの光を拒絶した時からユダヤ人は再び暗黒の中に住む事となった。ユダヤ人はやみのうちを歩くこととなった。簡単な事なのである。暗闇に持ってきたランプを捨ててしまえばまた元の暗闇である。この事が分からないとAD二○○○年間のユダヤ人の事が分からない。クリスチャンでさえこの事を誤解している。クリスチャンの中にはユダヤ人を旧約聖書の民、神の選民と一目置いている者がいるが彼らは自ら神の与えた光を捨てた暗闇の民、壊れた器なのである。「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」ヨハネ14・6ユダヤ人にとって、ナザレの田舎者ヨシュア(イエス)をメシヤ(キリスト)と信じる事はかなり困難な事であっただろう。なにしろイエスの言う事はことごとく彼らの予想を越えていた。ここでイエスは自分が道や真理を知っているとか、命の根源をわきまえていると言ったのではない、あろうことか自分が道だ、真理だ、命だと言い放ったのだ。自分
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がそのものだと言ったのである。これはいかなる聖人君子も言った事のない異様な言葉である。これはほとんど狂気である。さらに、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたのうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものには、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう」ヨハネ6:53〜54と言ったときには、それまでイエスに従って来ていた弟子たちのうちの多くの者ですら「これはひどい言葉だ。だれがそんな事を聞いておられようか」と言って去って行った。だからローマから派遣され事実上この地域の支配者だった総督ピラトもイエスに会ったとき無邪気な狂人ぐらいにしか思わなかった。彼はサンヒドリンと大祭司がこんな狂人になぜ大騒ぎするのか分からなかったのである。しかし、イエスが十字架にかかり、自分を十字架に掛けている人々を「父よ彼らをおゆるしください。何をしているのかわからずにいるのです」とこときれた時、かたわらで一部始終を見守っていたローマ軍の兵卒の長は、その気高い愛の人格にふれて、思わず「まことに、この人は神の子であった」と言わずにはおれなかったのである。人間の常識や知識をあまりにも越える愛の人格は、一般には狂人として識別されるほか
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なかったが、注意深い観察者は彼を神の子と認めたのである。しかし、イエスを捨てたユダヤ人はイエスの予言通りに「父のみもとに行くことができなく」なってしまった。それまでは、先の希望としてわずかばかり見えていたメシア侍望の望みの糸がその日からプッツリと絶たれてしまったのである。代わって神の選民となったのは異邦人のうちのイエスを神の子キリストと信じる者たちである。イエスは神であったのか、それとも人であったのか。それとも限りなく神に近い人であったのか。いずれを信ずるかはまさに信仰である。そして、彼を神そのものと信じた者をクリスチャンと呼ぶ。たとえどんなに有名、有能、高潔、有徳の人士であってもそうでなければキリスト者とは言わない。一方、最もみじめで不徳の者でも「イエスを食べるもの」は私のようにクリスチャンなのである。
では、イェスの中ではユダヤ教はどういう位置を占めていたのだろうか。多くの非キリ
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スト者が考えているようにイエスはユダヤ教から脱皮して世界宗教たるキリスト教を目指したのではない。彼はあくまでユダヤ教の中に止まろうとした。例えば神殿への税金は魚の口から取り出した金貨でペテロにちやんと払わせた。異邦人の女が自分の娘の病気を直してくれと頼んだ時には「子供達のバンを取って子犬になげてやるのはよろしくない」と断った。子犬だと!(ただし、女のたっての願いに答えている)。驚くベきというべきか当然と言うべきか、弟子たちは復活の後にイェスに会った時でさえ「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」と聞いている。彼らはこの期におよんでさえユダヤ教でしかものを考えることができなかったのである。イエスは「時期や場合は、父がご自分の権威によって定めておられるのであって、あなたがたの知る限りではない」と答えている。それを頭から否定してはいない。ただ、イエスは繰り返し「今は全てを話す事はできない、あなたがたが理解できないからだ」と言っておられるように、弟子たちがユダヤ教の中で理解できる範囲でしか話さなかった。イェス自身の言葉と行動は後から見れば明らかに民族宗教の枠を越えていたのだが、相手の理解を越えてまで強制しようとはしなかったのである。キリスト教がユダヤ教から雛れて世界宗教としての歩みを始めたのは、弟子たちがしよ
うと思ったからではなく、ユダヤ教が弟子たちを締め出してしまったからである。弟子たち自身でさえどうしても民族宗教の粋を越えられずに、できたばかりのキリスト教の内部で深刻な論争がかなりの間続いたのである。それを民族宗教から世界宗教にまで変えたのは十二弟子ではなくパウロと言う逸材を侍たなければならなかった。この歴史の鼓動を最初に明確に把握したのは生れたばかりのキリスト教を弾圧し迫害に邁進していたサンヒドリン期待の星、当時の最高学府ガマリエル(サンヒドリンの議員)門下の秀才サウロ、後の名前パウロである。サウロは迫害の活動の最中、ダマスカスの付近で復活のキリストに出会い、一八○度転換してキリスト教の理論的基礎を築く者となった。新約聖書の半分は彼の書いた書簡であるが、中でも「ロ−マ人への手紙」はこのユダヤ人からキリスト信者への神の選びの移転を力強く論証している。これこそ民族宗教が世界宗教となった理論的転換点であった。これはその後の世界を決定した史上最大の論文だったとも言える。この事実の重大性を印象づけるために、誤解を恐れずに言うなら、キリスト教のメシヤはイエスだが、キリスト教を作ったのはパウロである。これは日本人がほとんど知らない
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事である。バウロは単に一人の弟子ではない、彼はモーセ以上の働きをした人物である。だからユダヤ人にしてみれば最も憎むべき裏切り者はバウロであろう。そして、新約聖書、中でもローマ人への手紙は彼らには引き裂き燃やし尽くしたい書であろう。話は前後するが、私はキリストの復活と言う言葉を何気なく使っている。しかし、読者のほとんどは復活なんて信じていないだろう。もちろんこれは最終的には信仰の間題である。しかし、キリストの復活が単なる無きものをあるかのように思うだけのナイーブで弱々しい信仰の所産ではない事を述べて見よう。エルサレムには今でもキリストの墓が幾つか春在する。カトリックの言うゴルゴダとキリストの墓は、夜店の見世物小屋みたいでほほえましいが、イギリスの将軍ゴルドンがこれこそゴルゴタであり、キリストの墓だといった場所にはゴルゴタ、どくろそっくりの岩壁があり、墓の位置も聖書の言う通りである。そしてそのいずれにもキリストの死体はない。もちろん骨もない。復活したからである。と言えば馬鹿を言うなと笑われるだろうが仏教において釈迦の骨が「仏しやり」として最高度に敬われ、その一グラムでも手に入れようものなら、それこそ大金持ちになるのと比べて見られたい。イエスの死体はどこに行ったのか。それは大きなミステリーなのだ。
「祭司長たちは長老たちと集まって協議をこらし、兵卒たちにたくさんの金を与えて言った、『弟子たちが夜中にきて、われわれの寝ている問に彼を盗んだ』と言え」マタイ28:12〜13
これはキリストが復活したと言う日にサンヒドリンが取った行動の記録である。これは実に奇妙な話である。この後、弟子たちは「キリストが復活した」と言い広めるのだが、このことを反証しようとするなら、キリストの死体を持って来ればいいのである。弟子たちが盗んだというなら、彼等を捕らえて拷間にしてでも自白させればいい。他の者なら彼等の権威権勢を持って捜索すればいい。しかし、そのどれも行われず、まるでおびえたかのように偽りの証言を命じたという。これではサンビドリン自身がキリストの復活を信じた事になる。一方、弟子たちはそれまで逃げ隠れしていたのが、がぜん人々の前に現れてキリストの復活を宣伝し始めたのである。一体、何が起こったのだろう。しかし、これはたとえどんな論証をしたところで無駄だろう。所詮、信仰の間題である。この復活のキリストにパウロは会った。そして迫害者が生涯をキリストに捧げ殉教者となったのである。この後、弟子たちは迫害され、追放され、殺されて行った。
偽政者が最も扱いにくいユダヤ民族
一方、ユダヤ民族の側にも大異変が起こった。AD六六年ローマ行政官のユダヤ人への残虐行為が引き金となって、ただでさえ不服従で取り扱いにくいユダヤ人が四年間にわたってローマに低抗した。業を煮やしたローマ帝国は将軍テトウスを送り、残虐極まりない戦いの末に、AD七三年エルサレムは陥落した。テトウスはこの後、皇帝となる。このときからユダヤ人の世界離散(ディアスポラ)が始まり、AD132〜135年に起こったパル・コフパ(星の子、ユダヤ人にこういう名前は珍しいのではなかろうか)の反乱で完全にユダヤ人のパレスチナ追放が決まった。この事をイエスは生前、予言している。神殿で弟子たちがその建物の美しさにイユスの注意を向けた時、「その石一つでもくずされずに、そこに他の石の上に残ることもなくなるであろう」と言い、その後イスラエルに迫り来る危機について詳しく述べている。ここマタイによる福音書二四章は、この動乱だけではなく、世の終りの予言と見なされている
ので興味のある方はお読みいただきたい。さて、間題はここからである。この時から「ユダヤ人は世界に離散し、国家を失い、流浪の民として、攻府も指導者もなく、ただ信仰だけを頼りに右往左往していた」というのが我々一般のおぽろげな常識であった。私もつい最近までそう思っていたし、世界中のクリスチャンのおそらく九九・九%は今でもそう思っている。ところがローマをして世界で一番治めにくい民族と嘆かせたユダヤ民族が、ある日突然、羊の群れのようにおとなしく従順な民となったなどと言う事がありえようか。あのサンヒドリンとバリサイ派や熱心党が右の頬を殴られたら左の頬を向けるような清けき民に変身したとすれば、これこそ奇跡の中の寄跡、メシヤもびっくりの一大事である。そのような考えはユダヤ民族に対して失礼でさえある。実際、AD七三年エルサレム陥落とともに、死海のほとりの断崖絶壁の要害マサダ(マサダとは要害という意味。サムエル記1 23:14参照)に立て寵もった九六○人はなんと3万のローマ軍を相手に3年間戦い、ローマ軍が大土木工事でこの孤立した台地に道を造って突撃すると、全員が刺し違えて果てていたという、日本人のメンタリティーそっくりの玉砕をしているくらいなのだ。先年ここに行った時、そのすさまじいユダヤ魂に驚嘆した
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が、この小さな砦に三年間に三万人も投入し、大きな谷を埋める大工事をしてまで勝とうしたローマ軍にもあきれてしまった。どれほどの戦費がかかったか。どっちもどっだと思った。たまたま助かった数名の女子供を除いて九六○人全員が刺し違えるなど白虎隊も真っ青の信念、信仰の民がそんなめめしい民族に成り果てるはずがなかろう。ただ、あらかじめお断りして置くが、私はユダヤ民族に対する、偏見、迫害がなかったなどと言っているのではない。ナチスの大虐殺はまゆつばだが、ポグロムなどと言う言葉が実際に存在したのだから、中世ヨーロッパでおよそキリスト教の精神とは似ても似つかぬ蛮行があったことは事実である。ユダヤ人へのこのような憎しみはキリスト教とは全く関係ない。イエス・キリストを十字架につけたからけしからんと言う論理はまったくナンセンスで、十字架に架かったから救い主になったのである。だからと言ってそれがいいことだったわけではないが。神の不思議な御計画だったのであって、我々がュダヤ人を憎む必要などまったくない。第一キリストは「敵を愛せよ」と教えているのだ。キリストが「神よこの人々をお許し下さい。何をしているのか分からないでいるのです」と許した民族を、我々がキリストに代わって成敗する権利はない。それは全く無知蒙味の迷信によって曲げられた信仰である。
この際、日本人の単純な疑間に答えておかねばならない。十三と言う数字はキリスト教では不吉な数字だなどという馬鹿げた迷信もキリスト教とは何の関係もない。テレビ局までが平気で「キリスト教徒の嫌う十三日の金曜日」などと説明する。一度でも教会に聞いて見ろと言いたい。キリストが十三日の金曜日に死んだから不吉なのだそうだが、キリストが何月何日何曜日に死んだかなんてことは分かっていないし、意味がない(最近、祭りとの関係でほぽ特定できている)。それどころかもし本当にその日にキリストが死んだのなら、その日は我々の罪が「あがなわれた日」なのだからこれほどおめでたい日はない。またよく聞かれる事なのだがなぜ宗教戦争があるのか。宗教戦争とは宗教に名を借りた民族の憎悪、権益の奪い合いの戦争である。キリスト教と言っても、ヨーロッバでは日本の仏教と変わりがない。マリヤを観音様と置き換えても同じ事である。あのぶざまなキリストの像なるものを十字架にぶら下げ続けてはずかしめ、偶像を拝むなと言う十戒に公然と逆らう信仰がどうしてイエス・キリストの教えたキリスト教であろうか。ではプロテスタントの十字架は偶像ではないのかと言う。我々は十字架を拝む訳ではない。それは郵便局や警察のマークと同じでここに教会がありますよと言う印にすぎない。
閑話休題。こうしてパレスチナを追われたユダヤ人は世界に離散して行った。では、サンヒドリンは解散したのか。ユダヤ人の組織的な指導体制は消滅したのか。たしかに政府と言うような強制力のある組織はなくなったことだろう。しかし、ユダヤ人はもともと強制されて従うような人種ではない。強制されればされるほど反発する独立独行の民族である。あのマサダだって政府の命令でやった訳ではない。だから今でもユダヤ人が二人いれば三つ党ができると言うくらいだ。サンヒドリンはエルサレムが陥落すると地中海沿岸のヤッファに移り、その後、ガリラヤ潮沿岸のテベリア、バビロン、コンスタンチノープル、トルコのサロニカと移転した。その後、パリ?、ロンドン、現在は恐らくニューヨーク?と思われる。その後、このサンヒドリンはどうなっているのか私には分からない。ただ世界支配構造の一部に「シオンの長老」と言う組織があることから、それと近いものではないかと思う。サンヒドリンには特徴がある、それは七○人で構成されているはずである。また、決してユダヤ人全ての支持がある訳でもないが、ユダヤ人同志が全くばらばらに生き抜いて来たとも思えない。サンヒドリンは我々が考える国会とは違い宗教的な組織である。その長は大祭司である。
ユダヤ人迫書の本当の理由は何か
さて、そのサンヒドリンにはそれから次々と悲痛な報告が寄せられるようになった。改宗の強制。残虐な拷間と処刑。生きることすら許されない運命が侍っていたといわれている。これらの悲しみをユダヤ人はじっと耐えて、そして復讐を誓って来たのだ。この辺の詳しい歴史はどうかいろいろな書物で学んでほしい。ではどうしてヨーロッパ社会はそのようにユダヤ人を扱ったのだろうか。よく言われるようにイスラム社会の方がはるかにユダヤ人には寛容だったのである。これについては後ほど検討しよう。ともあれ、パレスチナを追われたユダヤ(という言い方自体がすでにおかしいのであって、当時すでにユダヤ人は大量に外国に寄留していたのだが)は非常に大まかに言って、東と西に分かれて行った。東に向かったのがアシケナジー、西に向かったのがスファラディーと呼ばれている。アシケナズと言うのは創世記のヤペテの孫の名で、恐らくその住んだ地域からカスビ海沿岸の非常に古くからの地名である。またスファルデウムと言うのは
ヘブル語でスペインの事である。AD二世紀から八世紀ごろまではユダヤ人はそれぞれの地域でさほど間題もなく過ごしていたようである。特にイスラムのサラセン帝国がインドからスペインまでを支配した八世紀から一○世紀にかけてはユダヤ人は大いにその能力を発揮してアラブと仲良く生活していたようである。しかし、シャルルマーニュ帝のころからヨーロッバの雲行きは怪しくなった。それまでスペインを支配していたイステムが放逐されるとともにユダヤへの風当たりも強くなっていった。そして、史上最大の愚行の一つ、十字軍とともにユダヤ迫害が起こり始めた。十字軍はユダヤ人が図ったものであるとも言われるが、結果は惨憺たるものであった本来十字軍はイスラムに揉踊されている聖地を奪還せよという法王ウルバヌスニ世の呼びかけで行われたのだが、実際には秩序だった部隊が編成される事はまれでほとんどは現状に不満を持つ単なる暴徒の群れだった。彼らはエルサレムに行く代わりに手近なユダヤ人を襲ったり、手当たり次第に略奪をしたりしたのである。十字軍はそれ自体キリストの願いとは無関係だったし、中世の暗黒面を象徴するできごとだったと言えよう。しかし、十字軍によって、ヨーロッバは主に二つのポジティヴな影響を受けた、それはイスラムの進
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んだ科学的な思想と業績を手にいれたことと、それと無関係ではないのだが教会による暗黒時代の崩壊であった。その意味で、結果的にはユダヤ人にとっては利益であった。中世から近世にかけてヨーロッパはたしかにキリスト教文明が花咲いた期間であった。しかし、このキリスト教なるものが本当はキリストの求めていたものとは掛け離れたものであった。教会はキリストが命じたことは一つもやらず、命じなかった事は何でもやったと言われる通りである。もっと端的に言えば、それはサタンによって浸蝕された教会であった。数年前、スイスに行った時ガイドが、スイスでは収入の一○%が教会税としてとられると聞いて仰天したことがある。国民総所得の一○%が国家権力によって徴収され、教会の金庫に収まり、教会は無税!これでは宗教が堕落しない訳がない。その莫大な金目当てに有象無象が集まろう。その分配は聖職者の最大の関心事となろう。たしかに聖書には一○%の献金という制度があるが、それはあくまで自発的なもので強制されてはならないと書いてある。こういう事が二○○○年近くも行われて来た国々を、人口のわずか○・七%(どうして日本の3大宗教にキリスト教が人るのだろう)細々と生きている日本の教会にあてはめてどうのこうのと言う事自体がナンセンスである。欧米においてはすでに遠い昔
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からキリスト教は宗教ではなく宗教に名を借りた政治権力なのである。もちろん純粋な宗教活動も行われている。だから欧米のキリスト教は二重構造なのだと言う事を把握しておいてほしい。ユダヤとヨーロッパ。天敵同士のようなこの関係をとてもこの小さな本には書くことはできないし、私にはそれだけの力量はない。ただ願わくはユダヤの側だけに立った歴史ではなく、また「偏狭な」信仰の見方からのものでもない真実の歴史を知りたいものである。ただこれだけははっきりしている。中世のキリスト教会が自己の権益を守ろうとするあまりに、民衆を無知のままで置こうとしたのに対して、ユダヤ人は自分の子供を教育した。恐らくあらゆる時代に、キリスト教徒はほとんどが文盲だったのに対して、ユダヤ人はほとんどが数か国語にわたって読み書きができたに違いない。一方キリスト教会では教会の解釈が全てであった。そこには反対意見や矛盾、疑間の提示は許されなかった。そのような意見を発表するものは異端として退けられ、火あぶりの刑になるのが関の山であった。驚かれるかもしれないが、中世において一般民衆が聖書を読む事は犯罪であったし、実際、聖書は読みたくても読めるものではなかった。当時聖書は聖職者だけが学ぶ事ができた「聖なる言語」ラテン語で書かれていたし、本来、聖書が
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ヘブル語とギリシャ語で書かれていたにもかかわらず、そのラテン語の聖書(ヴルガタ聖書)だけが聖書であるとされていたのである。聖書が今日のように自分の国の言葉で読めるようになったのは宗教改革の後の事であり、そのためには無数の人々の命が失われているのである。聖書は金の表紙の宝物として教会に飾られていたし、その前で聖書を拝む事はできたが、中を開いて読むなどということは途方もない冒涜行為であった。時々、司祭らがこの聖書を掲げて「福音、福音」と呼び掛けながら練り歩くのを民衆はありがたく拝んだのである。これでは自由な発想、知的な成長というものは疎外されてしまう。だから中世ヨーロッバでは無知蒙味なキリスト教徒と知的で有能、自由な発想のできるユダヤ人がいたわけである。前者には権力があり、後者には知恵があった。事の帰するところは暴力であった。しかし、どんな膨大な書物であろうと、幾千人の知者であろうと、ひとりイエス・キリストに匹敵するものはない。神はイエスという一個人(ペルソナ)の中に神の全ての知恵知識を置かれた。神御自身が保証している。「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに間け」マタイ3:17
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またイエス自身が旧約聖書は自分の事を書いているのだと言っている。言い換えれば真理はむしろ何千ぺージの書物でも書き尽くされるものではないし、何千ぺージも読まなければ理解されないとするならば、ほとんどの人類には無意味なものであろう。真理は幼子にも無知なものにも未開人にも文盲にも理解されるものでなければならない。だから神はイエスという人格の中に全てを表されたのである。それ故イエスは自分の事を「私は道であり、真理であり、命である」と言ったのであり、イエスと言う人の中にロゴス(宇宙の大原則)のすべてが入っているのである。これが正真のキリスト者の考えである。もっともこれがキリスト教の「教育をおろそかにする弱点」を助長したのかもしれない。
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正統派ユダヤ教と悪魔のユダヤ教
さて、ここまでは正統的なユダヤ教の話である。正統的でさえこれほどキリスト教とは違うものである。ただそれは民族宗教という範疇で考える時、理解できるし、不思議なことに民族宗教の中に後の世界宗教が宿されていたのであった。キリスト教はユダヤ教から生まれユダヤ教を越えて行った。それではエルサレムを追われた、サンヒドリンとパリサイ派はどうなったのか。先に書いたように彼らは今でも活躍している。では、突然復活したのか。否、彼らは歴史上常に存在していたし、我々が全く知り得ない形でキリスト教に寄生し、発芽の機会を営々と侍っていたのである。彼らはユダヤ教とは似ても似つかぬオカルト宗教、カパラを造り上げていた。カパラについては私は多くを知らない。ただ、それはキリストの生まれる少し前、あのユダ・マカパイオスのころに出来たということ。またギリシャ哲学を母体として古代宗教の集大成ともいうべき極めてオカルト的なものであると言う事ぐらいである。さらに現代のオカルトはほとんどこのカパラから出たものであるというぐらい影響力のあるものである。このカパラはセフィロートという図式を持っていて、なにやらわずらわしい説明をなかながと学ばなければならないらしい。私にしてみれば例の「果てしない空想話」以外の何物でもないのだが、妙に仏教と似ているのが不思議でならない。万物は天地の源から流出し、また元に帰って行く。輪廻転生。どこでどうつながっているのか。仏教はこれより約五○○年ほど早いから、インドから流れて行ったのだろうか。
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このカバラの聖典ともいうべきものは「タルムード」と「ゾハール」である。「ゾハール」というのはAD3世紀にレオンのモーセというユダヤ人が書いたものである。ゾハールとは「光」という意味である。カパラはその後フリーメーソンの中心イルミナティの思想的根拠となるがイルミナティも「光」であり、その光はルシファーというやはり光を名乗る堕落天使であるからこのゾハールも無関係ではないと考えてもよかろう。ルシファーこそサタンの前身である。ユダヤ神秘主義とか、神霊主義、神智学、人知学などと呼ばれるものは皆このカパラに起源を持ち、それは生まれたばかりのキリスト教にもグノーシス主義と言う名ですぐに取りついた。これらの学間は結局のところ同じ事を言っている。それは「人間は知恵によって神のようになれる」という事である。何の事はないエデンの園でアダムとエバを誘惑したサタンの化身へびの言いぐさと同じではないか。「あなたがたは、決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」創世記3:4 それもそのはず、カパラもグノーシス主義も結局はサタンの宗教であるからである。サタンとは一体何だろう。日本人には分からない。日本人には絶対的善に対する絶対的悪と言う観念は分からない。そもそも絶対なんて存在しないのだから。絶対の存在しない相対の世界。それは欧米の人間にとって、驚愕すべき思想だったのだろう。では日本人はこの思想によって人生を把握し幸福を得ているのだろうか。仏教はその数限りない偶像にもかかわらず無神論の宗教である。ユダヤ教やキリスト教イスラム教の神がその名もヤハウエ、ヘブル語のエヒエー・アシユー・エヒエーの省略型「在りて有る者」すなわち『有る』と言うのに比べて、仏教は『無』から始まり無に帰する。私はクリスチャンの家に生まれて、幼い時から神は『有る』と思っていたので、この『無』と言う思想に出会った時、驚嘆してしまった。これは本当にキリスト教とは正反対の宗教でこれに匹敵する宗教は他にないと思った。そして思った「何と言う悲しい虚無の世界だろうか」。もし、私が神はいないという確信を持ったら、カール・ヒルティのように「神をまったくもたないよりは、むしろ偶像でもおがみたいと思う」。私はそのような虚無の人生には耐えられない。生まれてから死ぬまでのこのすぺての時間が「無から無に移動するだけ」などという事を本当に信じたら私なら発狂する。ユダヤ人や欧米人、またイスラム教徒も含めて、無神論というのは「聖書の神」がいな
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いという事である。だからそこには「神」がいるのである。その神に逆らっていると、うだけである。しかし、日本人の場合、本当に神はいない。強いて言えば神々ならいる。もっとも、日本のこの「神」と言う言葉を聖書の神にあてはめた聖書の翻訳者ほど馬鹿者はいないと思う。それはまったく別の概念なのであるから。カール・ヒルティは、また「神を知りながらしかも否定すると言うようなことはたぶんきわめて重い罪であって、すでに多くの不安な心に苦しみの種をまいたものである。それに反して、ただ内的な体験を欠くばかりに神の否定者になった人々には、たしかに恩寵が存在する、たとえそれがおそらく来世においてはじめて与えられるにしても、存在する」と言つている。
ルネッサンスはユダヤ思想の産物
中世の崩壊を招いたルネッサンスはギリシャ・ローマのヒューマニズムの回復と言われていた。しかし、我々はもう一度このルネッサンスをユダヤ思想との係わりにおいて再評
価すぺきであると思う。四世紀末ロ−マ帝国は東西に分裂し、間もなく西ローマ帝国は東から来たフン族の影響によって移動してきた西ゴート族に圧迫されて移動し始めたゲルマン民族によって、大混乱に陥り、それを静めるために雇ったゲルマンの傭兵隊長オドアケルによってAD四七六年滅ぽされてしまった。その後、ゲルマン民族による群推雄割拠の時代を迦えるが、その中心として君臨したのがローマのカトリック教会であった。ローマ・カトリックがあの様な権力を振るう事が出来たのは強力な帝国が無かったからである。一方、東ローマ帝国はフン族にもゲルマンにも影響されなかった。ここにはギリシャの思想、とりわけ古代宗教、魔術、幾何学などの思想体系が熟成されていた(この思想体系全体を『古代秘儀の知識』Esoteric Knowledgeと呼んでいる)。後世ビザンチン時代と呼ばれるようになった文化の発達したこの東ローマ帝国もやがて一四五三年、イスラムによって滅ぽされてしまう。この時、古くエジプトのアレキサンドリヤの図書館に起源を持つ蔵書(これは世界史上最大の図書館の一つであったがAD三八九年カトリック司教テオフィロスによって破壊された。その時持ち出されたものであろう)はイタリヤに移送された。もちろん同時に多くの『古代の秘儀』の知識を持つ学者や知識人も移動した。
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さらにスペインではフェルナンドとイサベラが結婚してスペインを完全なキリスト教国にしようと夢想したことによって、一四九三年ユダヤ人の追放命令が出た。ユダヤ人たちは主にオランダとイタリヤに逃げた。この二つの民族移動と思想の流入がイタリヤにおいてルネッサンスの大きなファクターとなったのである。もともとビザンチンもスペインもその繁栄にユダヤ人の果たしていた役割は大きかった。実際、ユダヤ人は味方にしておくとその国は繁栄し、敵に回すとその国は衰える。これは聖書で予言されている神の祝福の原則である。これはユダヤ人が謀るというよりまさに必然的になって行くのである。しかし、今日、世界支配を目指している一部ユダヤ人を同じレベルにして考えるべきではない。私は普通のユダヤ人と陰謀のユダヤ人をまったく別の言葉で呼ぶべきであると思う。後者をコンスビラシー・ジュウとかウルトラ・ジュウとか。不思議なことにこれらのユダヤ人は中世暗黒時代の迫害や虐殺の嵐の中でも、宮廷ユダヤ人として自分の同砲の苦難もどこ吹く風、豪奢を極めた生活をしていたし、第二次世界大戦とナチス迫害のヨーロッパで、だれも手を触れる事のない豪邸に住んでいたのである。かと言って両者がまったく無関係であるとも言えないのだが・…・オランダに逃げたユダヤ人によってフィレンッ・ルネッサンスが開かれた。ここから書
く事をよく覚えてほしい。オランダとイタリヤの『古代の秘儀』の知識が「ロレーヌとガイスの家」に流れて行った。ロレーヌ地方の枢機卿チャールス・ガイス(又はギース)はマリー・ガイスの兄弟で、このマリー・ガイスがスコットランドのチャールス五世と結婚して生まれたのがメアリー女王である。表面的には熱心なカトリック教徒を装いながら、「ガイスとロレーヌの家」は『古代秘儀の知識』をスコットランドに拡げて行った。これを強力に助けたのがサー・ウイリアム・シンクレアとスコットランドのフランス大使でありグラスゴーの大司教であったジェームス・バートンである。『古代秘儀の知識』はアイルランドの前にイングランドに広まった。ウエールズの著名な人物サー・ジョン・ディーが『古代秘儀』を学ぶセンターを創設した。ジョン・ディーはメアリの後を継いだエリザベス女王一世の宮廷占星術師であり、有能な魔術師、医者、哲学者、錬金術師、カパリスト、数学者、科学者であり外交の密使であった。この典型的なルネッサンス人こそ、現代の「思索的なフリーメーソン」の土台である。彼は大陸の著名な大学で幾何学を教えた。サー・ジョン・ディーはブラトーの「宇宙の偉大な建築家」と言うアイデァを認識し、神聖な幾何学がこの「宇宙の偉大な建築家」の意思を知るための方法であると語った。ヘンリー・ビリングレーのユークリッドの著書の翻訳の序文に、デ
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ィーはプラトーを『神のようなプラトー』と呼んでいる。
*この「宇宙の偉大な建築家」と言う言葉はフリーメーソンやエホパの証人のラッセルが好んで用いる彼等の神の事でそれはソロモンの神殿の建築家ヒラムの事であり、それはまたルシファーの事であり、それはサタンの事であると言う事を前の本に書いた。*ここに言う魔術とは日本で言う手品の進歩したものではなく、悪魔礼拝を伴うオカルト宗教である。また、幾何学、錬金術もほとんど同じである。サー・ジヨン・ディーはまた、エノキアン・マジックと呼ばれる魔術の創設者と信じられている。このエノキアン・マジックはフリーメーソンの最重要結社であるゴールデン・ドーンという結社と深く結び付いている。その名の由来は旧約聖書の創世記に出てくるエノクという人物から来ている。AD一世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスはユダヤ人の一部がエノクを太陽神として信じていると書いている。エノクとはヘプル語で、高く上げられた者、又は教育された者という意味である(簡単に教師とも言う)。創世記5:3~24には、「エノクの年は合わせて三六五歳であった。エノクは神とともに歩み、神が取られたのでいなくなった」と書かれているので、そこから三六五を太陽歴と合わせ、エノクだけが死なないで天に行ったと言うところから神にするのであろうか。
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実は旧約聖書には偽書とか外典とか呼ばれるものがあって、その中にエノク書と言うのがある。これが極めてオカルトチックなもので恐らくそこにこれらの発想の源泉があるのであろう。それは聖書とは何の関係もない空想物語である(この事については後述する)。サージョン・ディーは、自分はイスラエルのダン部族の末裔だと信じていた(早い話が今日的な意味でユダヤ人)。さらにブルータスとも関係しトロイ人でもあった。その上さらにアーサー王の伝説とも堅く結ばれていると信じていた。こうなってくると勝手にやってくれと言いたくなるのだが、この男がエリザベスー世の後見人であり、エリザベスー世はアーサー王の末裔であり、ダン部族が建てたトロイ人の子孫で世界を支配する使命を帯びていると信じていたのだからただごとではない。ディーはこのような信仰を女王に吹き込み、導いていたのだとフランシス・イエーツ
は彼の著書『アストラェア』に書いている。ディーは宇宙的な宗教のヴィジョンを持っていた。そしてその影響下に当時のヨーロッパのクリスチャン(と呼んでいいとはおもえないが)の多くがカパリストとなりユダヤ教に改宗した。またエールの伯爵(ロパート・ダッドリー)とその隠し子フランシス・ペーコンに深い影響を与えた。ピューリタンと言われ詩人であったエドモンド・スペンサーも彼の下に教えられたカバリストでありネオ・ブラトニストである。
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一六○三年、ロレーヌのガイス家の子孫がイングランドの王ジェームスとなった。またディーの高弟ロバート・フラッドとフランンシス・ベーコンが薔薇十字団のチャンネルを通じて『古代秘儀の知識』を広めた。そしてジョーン・パレンタイン・アンドレアが薔薇十字団を守るためにロッジを創設する。このロッジがフリーメーソンに引き継がれて行く。ここまで来ると読者は、ユダヤ教がまったく変質していることが明僚になった事であろう。旧約聖書の片言隻句を取り上げて、主にプラトー、アリストテレスらのギリシャ哲学、古代エジプト、バビロニアの宗教、占星術、魔術などをミックスした極めてオカルト的な宗教に、それだけは馬鹿に強烈な選民意識を合わせたものがカバラ、変質したユダヤ教なのである。
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忍者部隊フリーメーソンの役割
フリーメーソンという秘密結社があって、今、世界の実権を握っている。この団体は古代から中世にかけて、自由な(フリー)石工(メーソン)の団体だったと言われている。
しかし、英語でフリーメーソンは分かるにしても、ではフランス語のフランマッソンはどうなのか。たしかにフランス語の辞書を引くと同じように自由な石工と出てくる。しかし、本来フランス語で自由はリベルタである。フランマッソンとは「ヒラムの子」という意味であり、それはまたルシファーの子、すなわちサタンの子である(拙著『悪魔最後の陰謀」を参照されたい)。だからフリーメーソンが古代からあったとしても不思議ではないが、一般に言われているようにもともと単なる職工の組合(ギルド)だったものを、ユダヤ人が特に一八世紀にアダム・ヴァイスハウプトという人物を使って乗っ取ったという説は信じ難い。私はフリーメーソンは初めからユダヤ人の組織だったのではないかと見ている。フリーメーソンは実に融通無げ、巧妙な組織である。それは宗教団体であり、政治結社であり、情報組織であり、商工業のエキスパートでもある。それは神の前で尊厳を賛える天使ケルビムのように、四つの顔と六つの羽どころか、無数の顔とウイングを持ち自由自在に世界を躯け巡っている。もっとも、今日ではいささかその顔も古びてしまって、フリーメーソン自身が恥ずかしいのかあまりうれしそうにはしていない向きがある。その代わり、スカルアンドポーンズだのスコティッシュライトだのゴールデンドーンだの、子供だま
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しで風変わりな名前の結社内結社を全面に押し出している。それはまた相互に目的と行動を確認するのに便利なのだろう。フリーメーソンには一から三三階級まであり、それぞれにまた馬鹿馬鹿しい名前があって三三階級は最高位であるという人を食った俗説が流布されている。しかし、こんなものはほんのお遊びであって、ほとんど意味がない。また三三階級など会社の課長かよくて部長クラスの実権のない階級に過ぎない。本当はフリーメーソンはユダヤ人がヨーロッパ社会ひいては世界を掌握するための実戦部隊、または仮の行政機関であった。しかし、すでに世界をほとんど彼らの手に握った今となっては、こんなピエロか大道芸人のような扮装は必要がなくなっている。今や彼らはコンピューターと国連を手足のように使いもっと実効ある作戦計画を開始している。中世の暗黒社会においてユダヤ人が被った悲劇を矮小化してはならないことは確かである。それはナチスといういかがわしい集団がドイツ民族をその優秀な地位から引きずりおろし、世界に恥辱の姿をさらすために仕組んだドラマとは比較にならない、現実のしかも数百年の長きにわたるョーロッパの汚点であった。今、ユダヤ人の一部が計画している人類への復讐計画はその当時ヨーロッバが彼らに成した罪業の拡大復元したものであるよう
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な気がしてならない。この戦いのためにユダヤ人が考え出した最高傑作が中世から近世にかけての忍者部隊フリーメーソンであったと言えるだろう。フリーメーソンはユダヤ人だけの組織ではない。むしろ異邦人の方が多いかもしれない。しかし、この団体の目的は結局ユダヤ人の利益であり、そうとは感じないで、異邦人が喜々として加わり彼らの戦いの駒として使われているのを見ると、なにやら将棋を思い出すのである。チェスは敵を倒せばそれでおしまいだが、将棋は敵の駒が味方になるのとそっくりである。フリーメーソソはキリスト教プロテスタントにはもっとも身近な敵であるのだが、ほとんど敵だと思っていないから始末が悪い。恐らく、いわゆるブロテスタント神学者といわれる人の半分以上はフリーメーソンなのではあるまいか。一九世紀から二○世紀にかけて自由主義拒学とか高等批評とかいう神学が流行って、キリストは神ではなく人間にすぎないとか、聖書の大部分はずっと後世の作だとか言って、プロテスタント信仰をずたずたにしてしまった。ついには神が死んだという「神の死の神学」などというアホらしいものも現れて、仏教の方がまだましな(神が死んだというより、初めから無いと思っている方が神様に失礼ではなかろう)宗教にしてしまった。そのためにプロテスタントは今日その
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大半は命を失っている(ただし、全くこのような動きには無関係に初代教会そのものの活力を復元して活発な活動をしているプロテスタント教会もあって、これらが今やアフリカ、南米、東南アジア、ロシア、中国などでは前者を凌駕している)。これらのエセ神学者たちの正体を質せばフリーメーソンだったと言う事になるのではなかろうかと私は思っている。このような連中はそれならいっそのことキリスト教などという枠を外れて、自分たちの思うように宗教をつくったらよさそうなものだが、キリスト教の中に巣くい、食い荒らしてしまったのである。ほんとか嘘か知らないが、日本のあるミッション系の大学の神学部では教授たちが「神は死んだ」の「聖書は嘘」だのといっているものだから学生が集まらず結局神学部そのものが廃止になり、当の教授様が失業してしまったという、妙にロジカルな笑い話があるぐらいである。中世暗黒時代を終わらせたのは一四世紀から一六世紀に至るルネッサンス運動だが、決定的な決着をつけたのは宗教改革者たちであった。極限まで腐敗し、天国への入場券、免罪符まで売り出すというローマ・カトリックを内部から告発したウイクリフ、ヨハン・フス、サヴォナローラらに続いてマルチン・ルターが一五一七年にウイッテンベルグの城門に張り出した九五ケ条の提言に始まったこの運動はツヴィソグリ、ジョン・カルバン、メ
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ランヒトンらによって拡張され巨大な流れとなってヨーロッパを長き眠りから自覚めさせた。余談だが、人間の歴史には明らかにスケジュールがあるような気がする。例えば音楽にしても一六〜一八世紀にかけてのパッハ、ベートーベン、ショパン、モーツアルトなどのいわゆるクラシックの作曲家をその後の作曲家が、結局は追い越すことが出来なかったように、これらの宗教改革者たちをいまだに一人のキリスト者も追い越すことは出来なかったのではないかと私は思う。今、キリスト教会に必要なのは、今一度これら改革者の神学を学びなおす事である。ひいてはそれが襲い来るサタンの攻撃に対処する最善の方法である。なお、フリーメーンンについてはやはり私の前著を参照されたい。フリーメーソンは今日有名無実となった。それは忍者部隊の必要が無くなったからであろう。今や世界統一政府にまで発展したオカルト・ユダヤ集団は、いつでも国連やアメリカを使い、PKF、PK○の名のもとに正規軍を世界中に派遣する事さえ出来るようになったのだから。
ユダヤ教に乗っ取られたカトリック教会
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ここであらかじめ読者にご注意申し上げるが、この本の元になった資料の提供者フリッッ・スプリングマイヤー氏はカトリック信者ではなくブロテスタントである。それで氏はあえて、これから書くことについてわざわざその研究はカトリックに批判的な文書からではなく、まったくカトリック内部の文書のみを用いたといっている。実際、氏の資料には膨大な原資料のリストがあるのだが、この本は読者が読みやすいようにそれらを一切排除した。もしそれら全てを書いたとしたら、それだけで別の本を作らねばならない。また、このテーマ自身、本当に書いたならば何冊の本にもなるであろう。さて、一般には蛇とマングースのように見られているカトリック教会とユダヤ教が、実はほとんどユダヤ教カバリストに乗っ取られ、ついには法王すらユダヤ人となって久しいと言う事をご存じだろうか。今日では法王庁すら世界統一政府のために、ニューエイジの創設に力を注いでいるのだから変われば変わったものである。とくに第ニバチカン公会議
(一九六二年から六五年にかけて開かれたカトリック最高の会議)以来、まさに地滑り的にそれは進んでいる。一般信徒はその変わり方をあれよあれよと見守っている。その背景を順次検証して見よう。まず、概観から、そして個々の法王とユダヤカバリスト、フリーメーソンの浸透について検証する。カトリックにおけるイルミニズム(啓明される、特別な知恵知識を得る、霊的に高められる)のもっとも吉い思想家は一七世紀のフロリスのヨアキムであった。彼はこれをユダヤ・カバリズムの黙示文学から影響を受けてクリスチャンのべールの下で「イルミネイトされた者たち」というグループを作った。ヨアキムは特別にイルミネイトされた種族が世界の管理に向かわなければならないと信じていた。この思想はその後、セブンスデー・アドベンチスト、エホパの証人を初めとする多くの宗教集団に受け継がれている。トマス・アクイナス(一七世紀カトリックの有名な神学者)はこの思想に強く反対してその著書『神学大全』の中で攻撃している。しかし、この思想を、彼らは「神の計画」The divine planと呼んでその後も長く継承して行った。「イルミネイトされた者たち」すなわち高度に発達した人間の典型的な実例はトーマス・エジンンやその友人ニコラ・テスラであるという。エジンンの協力者ジョージ・ストリン
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グフェロー、エパレット・フレイザーはフリーメーソンであった。では、人はどうやってイルミネイトされるのだろうか。言い換えればどういう人間がイルミネイトされた人間なのだろうか。イルミネイトの方法は種々あるがそれは奇妙なことにヒンヅー教の教えと共通している。麻薬、踊り、チャネリング(霊交)、儀式、知識の直感などである。これらは古代のエジプト、インド、バビロンの神秘主義の教育の方式であった。一方、キリスト教会はこれらを「悪霊の領域」として拒絶してきた。史上最高の発明者といわれるニコラ・テスラは極めてオープンに彼の天才は「知識の直感」から来ると言っている。ほかの科学者たちもその才能はイルミネイトされた外部の源泉から来るのだと言っている。前章に述べたように旧約聖書の外典エノク書にはかの堕落天使たちが多くのテクノロジーを人間に教えたと書かれている。今日それは宇宙人とか、エイリアンなどの名前で登場している。日本の読者にとって、これは少しも悪い事ではないと思われるかもしれないが、ユダヤ人と欧米人にとってはこのような思想は明白に神への背信なのである。ユダヤ教の場合は
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モーセの律法で蔡じられている。またキリストは自分を「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは父のみもとへ行くことはできない」と言われた。「イルミネイトされた者たち」はキリストとその教えに従わず、全能者なる神を畏れない。彼らは自らが神になろうとしているからである。また、あらゆる仮面をつけてルシファーへの礼拝を行っている(私はエジソンやテスラがそれを知っていたのか、また行っていたのかは知らない。また、その様な知恵と知識が無かったら今日の全てのテクノロジーが無かったのかどうかも判断できない。また知恵と知識が全て堕落天使からのものであるとも思えない。ここでは神への背信だけにスポットを当てている)。イルミナティの中心はユダヤ・カバリストである。そしてイルミネイトされたユダヤ・カバリストはすでに中世からカトリック教会に浸透した。法王レオー○世(フィレンツのメジチ家のジョパンニ 一五一三年〜二一年)はカバラに興味を持った。メジチ家はイタリアの名家でレオニ世、クレメント七世、レオー○世などの法王を輩出した。メロビング王朝時代にはステファン九世もそうである。ユダヤ人の書いたものの中で、スペインにおいていかに広範に彼らがマラノとして、外面的にカトリック信者になりすましたか自慢したものがある。実際カトリック教会自身が
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その様に取り計らったふしもある。その特別な実例はトレドの町が彼らに贈られた事である。トレドはイルミニズムの中心の一つであった。一四八五年五月二四日、トレドに異端審問所がやってきた。暴行が行われる前に「哀れみの時」が与えられ、この期間に約三○○○人のスファラディ・ユダヤ人が「改宗」した。その時点でトレドの人口」は一万五○○○〜一万八○○○人だったことを考えるとトレドがいかにユダヤ人の町だったか分かるであろう。しかもこれらのユダヤ人はトレドの有力な市民たちであった。これらのスフアラディー・ユダヤ人たちは五○○〜七○○人のグループを作ってトレドの町を教会に向けて行進し、自分たちの罪を公に告自した。さらに彼らはアルコールや儀式といった彼らのライフスタイルを禁止し、いわゆる「ディサブルド」無力化をしたようにみせかけた。しかし、すぐにこれらの禁止は、なし崩しに回復した。結局、起こった事はカバラ信仰を持ったユダヤ人が名目だけカトリックに入り、彼らのユダヤ教を隠したと言う事だった。それどころかもっと悪い事が起こった。彼らはその名前をヨーロッパ的に変え公の記録すら改訂したので、その後だれがユダヤ人でだれがそうでないか判らなくなってしまったことである。もっとも、このような手段を講しなければならないと言う事はユダヤ人にとって気の毒
なことであるし、ユダヤ人が自分たちを防衛するために知力を尺くす事になったのは、ヨーロッバ・カトリック社会の罪であり、そのつけを今、払っているということなのかもしれない。スペインのクイティズム「静寂主義」を率いたミカェル・ド・モリノスはイルミニズムと協力していた。ユダヤ人は占星術師であり、魔術師であり、金貸しであったから、ヨーロッパのカトリック王たちはしばしばユダヤ人に媚びを売った。クリスチャンは金にどんな関心も持ってはならないとされていたから、ユダヤ人だけが金貸しとなっていたのである。王や諸侯が戦争や浪費のために金が必要となった時、彼らはユダヤ人の金貸しのところに行った。カトリック・ヨーロッパ諸国は中国と貿易をしていたが、それはユダヤ人に管理されていた。イタリヤの銀行はその遣産である。マルコ・ポーロが一二八六年に書いた本の中には中国においてユダヤ人が交易だけではなく政治的な力さえ持っていたこと、また、フランク王国と中国、インドとの交易も行っていたことが書かれている。結局、歴史の裏側ではヨーロッバ諸国はユダヤ人によって管理されていたのだ。ユダヤ人はこれを誇り、それゆえ自分たちが世界も支配するのだと言っている。ユダヤとカトリックの綱引きにおいて、いつもユダヤ人の方が狡狙だった。
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カトリック教会はュダヤ人を特別な脅威と見なしたが、その対策はいつも不適切で、誤導し、不十分だった。カトリックが恐れたユダヤ人の脅威は主に二つある。一つは新しいメシヤの秘密の血統を守っている事(これにはプリェール・ド・シオン「シオンの長老」と言う組織が当たっている)。もう一つはタルムードである。タルムードはマルチン・ルターの改革のころにほぽ完成したが、明白に異邦人世界の征服と破壊を宜伝している(タルムードの完全な版を入手する事は非常に難しい。今、完全と言われている物は部分的なものであり、それすらそう多くはない)。カトリックの最高首脳はメシヤの血統を破壊し、その問題を押さえ込もうとした。また、タルムードを無きものにしようと、一二四四年パリで焚書にした。それは他の都市でも引き続いて起こった。しかし、何と言うまずい方法だった事だろう。思想と言うものは決して物理的な圧力では失われはしない。むしろ、逆効果ですらあると言う事を歴史は教えて
いる。ところが事態は複雑になる。カトリックはイエスの血統(ダビデの血統)と言われるものを恐れていながら、内部にすでにユダヤ・カバリストを多数抱えていた。そして十字軍を起こしたカトリックの法王はダビデ王とイエス・キリストの血筋と彼らが考えている秘密の血統の要請によって十字軍運動を促進したのである。要するに、カトリック内部のユダヤ・カパリストが自分たちの土地と考えているパレスチナの奪回に動いたのである。これはまったくフリーメーソンのオカルト信仰から出ていた。よくある事なのだが動機と言うものはしばしば複雑なものである。十字軍はカトリック教会のイスラム教による恐怖の征服に対する反撃であった。しかし、これまたよくある事なのだがカトリックの最大の敵はカトリック教会自身だった。ある元カトリックの司祭によれば、モハメッドの財政を助けたのはカトリック教会だったのである。モハメッドは当時あの一帯を覆っていたキリスト教の異端ネストリウス派からその宗教的な知識を得ている。コーランは旧新約聖書をひどくいい加減に解釈した書物である。十字軍の中で最も有名になった聖堂騎士団(ナイトテンブラー)はこの血統を自認する
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カトリック僧侶(必ずしもユダヤ人とは限らない、オカルト的信仰の持ち主)の軍隊だったという。そしてもしタイミングが良ければ新しいダビデ王の即位を公表するはずだった。聖堂騎士団は次第に人数と財産を増加させてヨーロッパの優勢な権力にのしあがった。しかし、余りにも彼らのカが増大する事を恐れた法王の協力によって、フランスの王が彼らのスケジュールをひっくりかえしてしまった。彼らはフランスで弾圧され、スペインとスコットランドでは非力な集団になった。ドイツではチュートン騎士団になった。その後、スペインとポルトガルでは結社を作ってクリストファー・コロンプスをバックアップする。コロンブスは船のマストに赤十字の旗を掲げたが、あれは聖堂騎士団のマークである。この赤十字はその後フリーメーソンの聖堂騎士団のマークにも使われている。コロンプスはギリシャ人だという歴史家が多いが本当はギリシャ出身のユダヤ人である。彼は一貫して強くカトリックの信仰を表しているが、そのもっともらしい表側の裏で、彼は秘密の結社と強い結び付きを持っていた。彼のサインは暗号である。またコロンブスの航海を助けたのは、著名なプラトニストで、多くの秘密結社のパトロン、黒い貴族メジチ家のロレンツオである。
152 イルミナティの計画実行班イエズス会
イェズス会は神秘主義者ロヨラの聖イグナチウスによって創設された。一九一四年版の『カトリック百科事典』V16によればロヨラのイグナチウスとアヴィラの聖ヨハネはスペインにおけるイルミナティに関する異端審問の前に連れ出されたという。すなわち彼らもユダヤの血統かさもなければ最高度にイルミネイトされた、言い換えればユダヤ化された異邦人であったのだろう。このカトリックの資料によればイルミナティは彼らが「神のエッセンス」になると信じていた。また最高度な完全さというものは、一切の活動を排除し、自己をただ神に吸収されることだという。彼らによれば肉の欲望や行動は罪深いものではなくその中に溶け込むべきものだという。この見解はヒンヅー教の教えである。イェズス会結社はイルミニストでカトリック教会転覆の秘密の使命を帯びた集団であった。例えば、有名なパパリア・イルミナティはババリアのインゴルシュタットにイエズス会が作った大学で作られたものである。このイルミナティ支部を作ったアダム・ヴェイス
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ハウブトはユダヤ人イエズス会士である(私は最初の本『悪魔最後の陰謀』でアダム・ヴェイスハウプトがユダヤ人としてイェズス会の僧侶に教えられたために、生涯キリスト教に憎悪を持つようになったと書いた。当時はその程度しか匁らなかったのだが、思えば無知だったものだ。アダム・ヴェイスハウプトがフリーメーソンの中にイルミナティを作ってフリーメーソンを陰謀組織にしたなどという情報しか知らなかったのだがイルミナティはアダム・ヴェイスハウプトのはるか前からあったのだ)。イエズス会は清貧、貞潔、聖地巡礼の誓いをたて、法王の命令には「死体のように運ばれ、盲人の杖のように用いられる」とした。この徹底した姿勢のために宗教改革によって動揺弱体化したカトリック教会に新しい息吹を与え、宗教改革に対抗する勢力の中心的存在となり、ついにはカトリック教会そのものを左右する勢力となって行った。イエズス会はカトリック内部に巣食った獅子身中の虫であり、カトリックを完全に転覆破壊し、ユダヤ・カパリズムの巨大な宿主にしてしまった。ただし、それにもかかわらず、一般のイエズス会士と信徒とは真面自に神を礼拝し、生涯を神に捧げていた事を忘れてはならない。アダム・ヴェイスハウブトの後ろに、ニコライという男がいた。彼はベルリンにイルミニズムを宣伝する文学者のグループを作ったのだが、このニコライの後ろにレッシングと
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メンデルスゾーンがいた。ゴットポルド・エフライム・レッシングはこの反キリストの男ニコライをサポートし、文学を通して協力した。また、モーゼス・メンデルスゾーンの回想録にも彼がニコライを支えていたことが書かれている。モーゼス・メンデルスゾーンは世界政府である「ユダヤ・カハール」のメンバーである。彼はユダヤ思想家で千年至福期説を教えたマイモニデスとメーソンであるロックに影響を受けた。間もなくロスチャイルドと他の強力なユダヤ人たちがアダムヴェイスハウプトのパパリア・イルミナティに加わった。この時代、ユダヤ人コミュニティは相互に連携し、秘密の情報はヘブル語で書かれた。ヘブル語は当時ほんの少しの学者にしか読めない言語であったから秘密を守る上で非常に安全であった。ポーランドはその地政学的な価値からフリーメーソンによって民族全体が滅ぽされた。また、フランス革命はジャコバン党(ジャコブとはイスラエル人の祖先ヤコブのこと)を含むイルミナティのいくつかの結社によって計画され実行された。そして無数のカトリックの聖職者たちが情け容赦もなく殺された。フランス革命の後、ナポレオンとその四人の兄弟たち(そのいずれもフリーメーソン)が引き続きカトリック教会の力をそぎ続けた。ナポレオンは法王の現世的な力を打ち破り、パリにあるほとんど全てのバチカンの公文書
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保春所を捕獲し、いろいろな結社の学者たちがその分析を始めた。これが十分な効果を表わさなかったらマッツイー二とガリパルディがイタリヤで革命を起こし、メーソンの政府を立てるはずだった。イエズス会のカトリック教会支配の構造はかなり厳重に守られていた秘密であったが、一部のものには知られていた。イタリヤではイエズス会の総会長がその権力をあまりにも行使するので、黒い法王と呼ばれた。時には、あまりにもその権力の行使が目に余るので、全てのカトリック教国がイエズス会を追放したこともある。もっとも現代においては黒い法王も白い法王も(表と影のという意味)変わりはない。唯一の例外はヨハネ・パウロ一世がイエズス会総会長アリューブとその代理人パウロ デザにすげ替えられた事ぐらいである(ヨハネ・パウロ一世については後述)。元イエズス会士だったというアルベルト・リベラ博士は一九六○年代初期に、イエズス会の総会長がフリーメーソンであり、ロンドンのイルミナティと堅いつながりがあると知ったとき非常にショックを受けたという。なぜなら、イエズス会ではフリーメーソンは敵だということに留意せよと教えられていたからである。ただし、同博士には疑間点が多い。
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世界大戦を三回計画している
第一次世界大戦の前にはだれもあえて世界統一政府の計画を急いで押し進めようとはしなかった。この時期、ナショナリズムがヨーロッパで美しく花開き、スペインとプロシヤの戦争という例外を除いて人々は平和を楽しんだ。科学が驚異的に発展し、鉄道が国々をつなぎ、人々はパスポートなしで自由に行き来しヨーロッパのどこでもリスクなしで厳行する事ができた。だから人々はそのままキリストが再臨してバラダイスが来るのではないかとさえ思った。しかし、「イルミネイトされた計画」は長く準備されてきた通りに実行に移されなければならなかった。この時期、重要な働きをしたのがフリーメーソン・グランド・オリエント結社である。グランド・オリエント結社が出来たのは一七八九年だった。そして、このグランド・オリエント・ロッジがイルミナティのゴールを達成するための道具として、共産主義を作った。ユダヤ人マルクスとエンゲルスは共産主義を作り出すのに卓越した才能を発揮した。その陰にはマッツィー二が影響を与えていた。
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第一次世界大戦が始まったのは一九一四年であるにもかかわらず、マルクスは一八四八年に来るべき戦争について知っていた。それは多くの王政国家と、マルクスが〃つまらないやつら〃というスラブ民族を破滅させることになっていた。二人の非常に強力なメーソン、アルパート・パイクとマッツイー二がこの戦争の事を書いている。「世界の人々の愛国心を破壊し、彼等に統一世界政府が必要だという願いを起こさせるためには三回の世界戦争が必要だ」と書いたのは多分マッツィー二だろう。その手紙は一八七一年に書かれ多くのフリーメーノン・ロッジに送られた。それにはどうやって世界政府の創設のために三回の世界戦争を創造するかが書かれている。その手紙の写しは大英博物館に行くと見られるということだ。読者よ、こんな事が信じられようか!こんな事が許されようか!あのニつの戦争がわざわざ作り出されたものであるなどという事が有り得ようか。あの二つの戦争によって死んだ幾千万の命はただ一部の人間の覇権のためのアイディアによって失われたのだ!これはとうてい信じたくないが事実である。この世の支配者たちは豪華絢爛たる生活をしながらどんな暴力団もとうてい及びもしない極悪非道の計画を実行しつつあるのだ。そして、彼らの計画の内、あと一度の世界大戦が残されているのである。
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第一次世界大戦をもたらす為に使われた道其はフリーメーソンとイエズス会である。フリーメーソンはオーストリア大公の暗殺を立案実行した。それはただちに幾つかの反作用を引き起こした。イエズス会はその影響下にあるオーストリア・ハンガリー帝国をけしかけてセルビアを罰するために使った。バチカンは彼等の敵ロシアとパルカンの正教会を牽制して連合国をサポートした。イギリス政府と普段はあまり他と協力しないフランス政府がこのときばかりは協力して世話をやいた。バチカンのこの古いライバルたちに対する古くから続いた恐れが「イルミネイトされた者たち」に第一次世界大戦を引き起こす格好の機会を与えたのだ。しかし、第一次世界大戦によってパチカンが期待していた権力奪回の希望は打ち砕かれ、ヨーロッパにおけるバチカンの力は急速に衰退して行った。イタリヤにはムッソリー二の政権が誕生したが、パチカンはヒトラーをサポートした。ムッソリー二のファッシズムとヒトラーのそれは違っていた。ナチズムはいくつかの秘密結社が確立しようとしていたニューユイジのオカルト的な宗教に形を与えたものである。ヒトラーは初め大きな力をカトリック教会に与えたが、それはカトリック教会を彼の二ューエイジ宗教に作り替えようとしたからである。そして彼はそれに勝った。ヒトラーは
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ドイツの宣教団にクリスチャンをアジアの遊牧民ボルシェプィキ(ン連のこと)から守ろうと言ったが、それは政治的なプロパガンダに過ぎなかった。実際はクリスチャンにとってナチスはローマの皇帝かスターリンのような追害者だった。四○○○人のカトリックの僧侶と修道士、さらに同じほどのルーテル派の牧師や信徒、その他のプロテスタントの牧師たちがナチズムの異教性と野獣性を非難して殺された。パチカンはヒトラーとムッソリー二が彼らの願いを実現してくれると錯覚していた。それは周到に考え抜かれた計略であってパチカンはそのように操つられたのだ。ヒトラーもムッソリー二もカトリック教会に広範な特典を与え、衰えつつある彼らの現世的な力を後押ししようと約束した。他にもナチスの軍隊がロシアに入ったときにはその後からカトリック教会が続いて入り、ロシア人を改宗させる独占的な特権を与えると言う協定が結ばれたが、実際にはカトリック教会のすべての努力はむしろ「イルミネイトされた者たち」の願った通りになってしまった。最も強力な三つの国のフリーメーソン、スターリンとルーズベルトとチャーチルの三人が上部の「イルミネイトされた者たち」の思惑通りに第二次世界大戦を実現したのだ。カトリック教会がナチスに期侍した事はもう一つあった。それはイエスの子孫という
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「聖なる血統」を保持すると信じているフリーメーソン内の結社を抹殺してくれることだった。この血統は「聖杯」Holy Grail一と呼ばれている。この秘密の排除使命はカトリック教会の有力なライバルを壊滅させるはずだった(我々プロテスタントから見るとどちらにしても馬鹿馬鹿しくて話にならない事なのだが)。しかし、ナチスには別の思惑があった。ナチスはその「聖杯」を彼ら自身の目的に使おうと思っていたのだ。血統をもつ者を探すのではなく「聖杯」がその血統を現すと見たからである。フリーメーソンの「シオンの長老」の下にあるライトとスコテイツシユ・ライトがこの血統の保存に関わっている(あのインディー・ジョーンズの映画にはこういう背景があったのだ。こんな少年雑誌の冒険小説のような話を真面目に実行している強力な人々がいるのだろうか。金持ちのやることは判らない)。ところで第二次世界大戦の時に、ナチスによって殺されたとされるユダヤ人の物語には
161 正統派ユダヤ教を抹殺
驚嘆すべき裏話がある。これから書く事にはとくに注意されたい。最近になって二人の正統的ユダヤ教徒が衝撃的な内容の本を出版した。『裏切り』と『ホロコーストの犠牲者』である。彼らの証言によるとシオニストとユダヤ改革派はヨーロッパのユダヤ教正統派を犠牲の生け賛にした。今、正統的ユダヤ教徒が次々と、世界の権力の中心にいるシオニストとユダヤ改革派による同胞への裏切りの真実を書いたり、語ったりし始めている。ホロコーストの追究者であるミカエル・グリーンヴァルドはイスラエルの高位の役職にあるルドルフ・カストナーがハンガリーのユダヤ教正統派の一○○万人の処刑の直接の責任者であることを発見した。ナチス第三帝国の移民局はシオニスト・ユダヤ人によって運営されていたと言う事が判明したのだ。ロスチャイルド家とほかのユダヤ改革派の者たちはドイツから逃れ、ユダヤ教正統派は捨てられた。すでにアメリカの実権を握っていたように他の国々の実権を握っていたユダヤ改革派(カパリスト・ユダヤ)は、第二次世界大戦前にユダヤ教正統派が安全に移民することを禁止するように働いた。ヒトラーがユダヤ人を追放しようとし、どの国も引き取り手の無かった時に、ユダヤ人の力はユダヤ教正統派をドイツから逃れさせ、抗議するに
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は十分で無かったのだろうか。ちょうどその時、ルーズベルトを大統領に当選させるためには十分強力だったというのに。一九八五年、シオニストユダヤ人であるデイヴィッド・ウェインが『ユダヤ人の放棄』という本を書いた。この本には、シオニストの遠大な計画の真実が書かれているのだが、シオニストはヨーロッパのユダヤ教正統派を救う代わりに、イスラエル国家の建設に集中する決断を下したと書かれている。しかし、実際にはホロコーストを口実にイスラェル建設を世界に認めさせたのだから、ユダヤ教正統派はその犠牲にされたのだ。ナチスに殺されたユダヤ人の大半は正統的な信仰を保持していたユダヤ人だったのだ。そこにはユダヤ国際金融機関が何故ヒトラーを後援したかが書かれている。彼らはライバルであるユダヤ教正統派を壊減させ、ユダヤ人自身のパレスチナ保有の熱望を世界に認めさせる機運を醸成させるように図ったのである。彼らはまた、フリーメーソンの世界統一宗教に向けて、権力者の目的に沿って世界を誘導した。ユダヤ教正統派は聖書の宗教をクリスチャンのように守っていたから非常に邪魔だったのである。
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第二次世界大戦以後においては精神的な分野でユダヤ改革派は同じことをやっている。今日、一般の人々の認めている精神医学の権威者たちはサタン的サバチズムの教えから導き出された原則に沿って教育されている。フロイドはカパリスティック・ユダヤの教則本『ゾハール』とサバチズムからアイデアを得ている。ユダヤ改革派とイルミナティはユダヤ人のモラルと聖書が悪い事としている決まりを破壊するために働いている。彼らは何世紀もそんな事をやってきた。あるユダヤ人が書いた『ゴーレイのサタン』と言う本にはポーランドのユダヤ人社会の「イルミネイトされた者たち」が、どうやってユダヤ人のモラルを破壊したかが書かれている。このサタン的ユダヤ教はサバチアニズム(安息日運動とでも訳すのだろうか)と言うが、そこから生まれたフランキストが後にドイツのイルミナティの中心となった。フランキスト・イルミナティの堕落した品性は、今日アメリカの神無き社会を、日々、悪化させている大元なのである。フロイドの教えに基ずく精神医学者が多くの人々の生活にカを及ぽしていることは疑間の余地がない。あるユダヤ教のラビはこれらカパリスチヅク・ユダヤの東洋的なはん神論、魔術、淫らな異教を止めさせようとしたが、それは空しい低抗であった。
165 ユダヤ財閥に踊らされたヒトラー
さて、ここにヒトラーについて不思議な証言がある。『アドルフ・ヒトラーの心』と言う本(NY Basic Book Inc.)の著者ウオルター・C‐ランガーによると、ヒトラーはウイーンのロスチャイルド男爵の孫であるという。オーストリアの警察がオーストリア人のチャンセラ-ドルフスの命令の下でヒトラーがやった事を調査した極秘のレポートによると、ヒトラーの祖母、マリア・アンナ・シッケルーバーはウイーンでロスチャイルド男爵の女中として働いていたとき妊娠した。それを知ったロスチャイルドは彼女を故郷のスピタルに送り返した。そこでヒトラーの父、アロイスが生まれた。後年、ヒトラーは自分のルーツについて調査を命じた。彼の個人的な法律顧間ハンス・フランクはヒトラーの父方の血統を調べた。フランクは彼の祖母が、「オーストリアのグラッツにあるユダヤ人の家」のハウスメイドとした働いていたときに妊娠したと言う報告を寄せた。この時からヒトラーは自分がロスチャイルド家とつながりがあると信じるよう
になった(これだけではヒトラーとロスチャイルドとの血縁を証明することにはならないが、所詮こういう事は証明出来るものでもない)。鍵十字はヒトラーが出席していたカトリックの修道院学校の管理者であったヘイギン神父の紋章であった。また、ヒトラーは若い時から魔術、神智学、オカルトなどに興味を持った(鍵十字はオカルトのマーク卍である)。第二次世界大戦以後カトリック教会は共産主義に対して戦を宣言してきた。これは「イルミネイトされた者たち」にとって好都合だった。彼らは冷戦を望んでいたのだ。共産主義への恐怖を利用してCIAはカトリック教会に浸透した。最終的には冷戦は終結され「新世界秩序」が創設され、彼らはカトリック教会を陰で操る事を止め実際にコントロールすることにした。メーソンの無法者集団P2もイタリヤとパチカンを手にいれるためにCIAと働いた。ついには正式なフリーメーンン・ロッジがパチカンの中に建てられ、パチカンのヒエラルキーの中に大きな勢力となった。
167 邪悪なタルムードを掲げカトリックを侵略
カトリック教会は常に敵を持っていた。そしてそれらの敵のいくつかがカトリック教会の転覆を計る秘密の組織であったとしても驚くには当たらない。敵対したものの中には後のプロテスタントのようにカトリック教会の道徳的欠陥と腐敗堕落を指弾したものもあったが、それらの人々は道徳の間題で教会そのものの敵となろうという考えは持たなかった。宗教改革者たちと言えどもカトリック教会に残るキリスト教のかすかな痕跡までも破壊しようとはしなかった。ユダヤ人はタルムードを編纂し採用したが、タルムードに見るモラルはカトリックの最悪の時代でさえ耐えることが出来なかったほど邪悪であった。タルムードはゴイム(異邦人)に対してなら、あらゆる罪を犯しても良いと教示している。無数の箇所にユダヤ人達に、彼等自身が義務を負うべきものとして、子供をレイブする、獣かん、その他クリスチャ
ンの間で罪とされている多くの習慣が書かれている。カトリック教会がユダヤ人を押さえ付けようとした背景には、タルムードに編まれた不快極まる悪徳を彼らが実行したことがある。これがユダヤ人がタルムードを隠そうとする理由でもある。ごく初期にはカトリック教会はその最も僧むべき敵はカバリスティック・ユダヤ教であり、カトリック内部のフリーメーソンの会の始まりの背後にもユダヤ・カバリストがいると感じていた。同様にプロテスタントの改革者たちも、最も危険なのはユダヤ・カバリストであると感じていた。それは決して人種的偏見ではなく、彼らが全ての道徳を大胆に破壊するからであった。ジュネーブを支配したカルビンとその伸間たちがセルベタスを火刑にしたのは、彼が教会の寄って立つ道徳的側面を攻撃したからである。改革者たちはカトリック教徒を火刑にはしなかった。ブロテスタントたちはカトリック教会が聖書のこのように基本的な信条までは破壊していないと見ていたのである。確かに人種的偏見による事件が起こった時代はある。しかし、ユダヤ人の迫害という話は歴史的に再調査してみる必要がある。それらには事実と神話的なイメージに大きな落差がある。伝えられるその実態と数は正確に調査される必要がある。
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異邦人である我々は「最上のゴイム(異邦人)でも殺されなければならない。」(アブホダフザラ 26b)というタルムードの言葉を知らなければならない。ユダヤ人はメデアを操作してこの様にひどいユダヤ人自身の人種的偏見は覆い隠すが、TVや映画などあらゆるメデアを通してクリスチャンがホロコーストをやったと非難する。カトリック教会を浸蝕するためにユダヤ・カパリストは薔薇十字団とフリーメーソンを創設した。薔薇十字団とフリーメーソンは最初からユダヤ教のシンボリズムとカパラ魔術を採用していた、要するにそれはカバリスト・ユダヤをキリスト教風にアレンジしてユダヤ人以外を取り込むための巧妙な装置だったのである。読者は今後フリーメーソンと薔薇十字団をユダヤ・カバリズムと同一のものと考えて頂きたい。薔薇十字団は精神と宗教的な分野。フリーメーソンは攻治、経済、その他の世俗的な分野に当たる。フリーメーソンの最重要テーマは初めから「ソロモンの神殿の再建」であった。エルサレムの神殿はキリストの予言の通りにAD七○年に破壊された。そしてユダヤ人の希望であるはずの「神殿の再建」の思想は、本来キリスト教とは関係ないものであるにもかかわらず、ゆっくりと長い時間をかけて巧みにキリスト教会に侵入して行った。
172 メーソンと戦つた法王クレメントー二世
一七三八年、法王クレメント十二世はフリーメーソンを非難し、カトリック信者はそれから離れ、加わってはならないと言った。しかし、カトリックのノーフォーク公爵はこれを無視しイギリスのフリーメーソン・グランドマスターとして行動したし、同じくモンタギュー子爵(イルミナティのキーパーソン)もイギリスのカトリック教会の頭でありながらこの詔勅を無視しイングランドのメーソンロッジのクランドマスターとして行動した。フリーメーソンのロッジはあらゆる反宗教的感情の温室となって行った。メーソンの口ッジが公に現れると間もなくヨーロッバの各国政府はフリーメーンンで充満した。ポルトガルの王室顧間マルキーッ・ド・ポンパール、スペインの王室顧間カウント・ド・アランダ、フランスのミニスター・ド・チロット、ダヅク・ド・チョイソール。彼らは互いに
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「ピラミッドの兄弟、キリスト教の組織打倒の擁護者」と呼び合っていた。一七七三年七月二一日法王クレメント十二世はイエズス会を廃止した。すると最も活動的で献身的なメーンンでホモだったプロシヤのフレデリック大王が、イエズス会を法王とブルポン家に対抗する勢力として用いるために擁護した。それから間もなく、イエズス会の勢力下の地域でイエズス会とはあたかも無関係のように装いながらイルミナティが台頭してくるのは不思議なことではない。へクソーンや他の著者が書いているものによると、イエズス会の儀式とフリーメーソンの入会式や儀式には多くの共通点があるという。
174 フリーメーソンの異端児ナポレオン
イルミナティが実行したフランス革命から数年の内に、イルミネイトされたメーソンの産物ナポレオンがフランスにおける法王の支配を破壊した。ナポレオンは『自由、平等、博愛』と言うフリーメーンンのスローガンに従ってフランス革命を進め、法王の力を完全に打ち破ってしまった。彼は法王ピオ六世を監禁したが、他のメーノンの反対で殺すこと
は止めた。そして、ピオ六世の死に伴いピオ七世を法王にすることを許した。しかし、ピオ七世とナポレオンは仲良くやっていくことは出来なかった。結局、ピオ七世も監禁された。ナポレオンはピオ七世を、カトリックの人間の言葉によるなら「非情に」取り扱い、もっと法王の力をそぐような書面にサインさせた。ナポレオンは連合軍によって彼のヨーロッパに於ける地位が粉々に砕かれるのを見たときやっと法王を釈放した。ナポレオンはメーソンだったが強力なメーソンがしばしばそうであったように、独立した考え方を持っていたし、まだ今日のようにメーソンは世界統一政府という中心を持っていなかった。釈放されたピオ七世が最初にやった仕事はイエズス会の回復だった。法王の捕囚の期問カトリック教会を支配したのはフリーメーソンだった。この間、カトリックの幕の内で彼らのやったことを知るのは興味深い。彼らはパチカンの公文書保管所をパリに移転し、この公文書保管所で知り得たに違いないカトリックの多くの重大な秘密を、すぐには公表しなかった。これらの秘密を恐喝のために保管し、最大の効果を発揮するときに小出しに発表するためであった(メーソンが確保している歴史上の秘密はこれだけではない)。
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エホパの証人のC.T.ラッセルが法王のナポレオンによる捕囚を歴史の転換点としたのはその意味では正しい。確かにその時からイエズス会と他のメーソンによってフリーメーソンのカトリック教会への浸透、管理、影響が強固なものとなった。その後も表側の破門、禁止にもかかわらずフリーメーソンに加入した後にカトリックの主要な地位に上ったメーソンの数は知れない。
176 最初のメーソン法王ピオ四世
ピオ四世はフリーメーソンとして立証できる最初の法王である。フリーメーソンが一九六○年代にカトリック教会を完全に掌握してからは、彼らはもはや人々がピオ四世がメーソンだったかどうか知ろうと知るまいとどうでもよくなったようだ。一九六二年四月の『ニューエイイジ』一七ぺージに「フリーメーソン法王」と言う記事がある。それによるとエジプトのグランドオリェントの公式文書に一八三九年八月一五日にジョパンニ・フェレッチ・マスタイ(後のビオ四世)がマスターメーソンの儀式を受けたと言う記録がある。
しかし、一八七三年にピオ四世は書簡を発表しフリーメーソンが悪魔からのものであると公然と告発した。そこでメーソン33のガリパルディとその仲間はイタリヤ政府を転覆し、フリーメーソンの政府を就任させた。ヴァチカンヘのにらみを利かせるためである。世俗の権力のほうがヴァチカンよりは彼らの自由になるのは当然の事であって、実際カトリックの破壊はそんな簡単な仕事ではなかった。ヴィクター・エマニュエルがイタリヤ国王に任命されたが、彼はその間イタリヤのグランドマスターであった。法王ピオ四世のメーソン告発の書簡が出ると王でありグランドマスターであるヴィクター・エマニュユルはフリーメーソンの各支部に書簡を送り、ピオ四世のフリーメーソンリーからの追放を伝えた。レオ13世の法王の在位の時代にカトリック近代主義が教会の伝統に反対して行動し始めた。パリの聖サルビス神学校の監督ジーン・パプティスト・ホーガンはこの運動の重要な人物である。この運動の多くの運動家はフリーメーソンか、またはその前歴があるか、疑惑を持たれていた。一八八四年にレオー三世はかつて発表されたもののうちで、最も強硬で包括的な反フリーメーソンの回状をおくった。その陰にメーソンとの激しい論争があったに違いないが、警告は極めて誠実に語られている。なぜ、カトリックがフリーメーソ
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ンと戦うのかを知りたければこの回状を読んでみることである。今日、フリーメーソンは変わっていないがカトリック信徒はこのような教育を受けていない。この回状は幾度も読まれ、検討されるべき価値がある(資料には長いこの回状の写しがあるのだが、この本では割愛する)。多くのメーソンはこの回状を冗談と受けとった。彼らには神への恐れが無かった。この回状を冗談と受け止めなかった人々の内にチャールズ・E‐コフリン神父がいた。コフリン神父はラジオを通してこの間題を語り続けたが、力ある人々が放送を止めさせた。この独立心のある人士は、レミングの死の行進に加わることなく、異教とサタン礼拝と拝金主義と共産主義など全てフリーメーソンによってもたらされた教義を攻撃して説教し続けた。このカトリックの神父は彼の全ての力と知性を傾けて、サタンの神殿であるフリーメーソンの大波を食い止めるために立ち向かった。予想されたように「力ある人々」のニュースメデアはこの神父に攻撃の矛先を向けた。デトロイト・フリー・プレスは九日間にわたってその一面で彼の評判をおとしめるために「イェロージャーナリズム』と攻撃した。しかし、悲しむぺきことに彼の厳しい護教の戦いの間に、彼の指導者たちは教会を売り波してしまった。
178 遂にカトリック教会を崩壊させる
聖ピオー○世が一九○三年に即位すると、堅固に見えたカトリヅクの壁に危険な裂け目が現れた。慈悲深い「国際銀行家たち」は哀れみ深くもカトリック教会に浸透し、スパイを送り込んだが、まだ世界統一宗教の大切なパートは任せなかった。また世界統一政府の同調者にもしなかった。彼らは二○世紀はとりあえずカトリックをキリストの王国と言う状態にしておくことにしたのだ。一九○二年の聖職者会議で前のカトリック宣教師(Seminarian)でメーソンのラクロクス神父が法王ピオ11世として選ばれた。ラクロクス神父をローマに召喚したのは聖ピオー○世であった。ラクロクスは彼の遣志によりメーソンだったことが確認されている。ビオ11世は全てのメーソン司教によって与えられた僧職認証を自動的に継続することを禁止した。それはカトリック主流から分裂していたルファーブル派はメーソンの司教から僧職認証を受けていたからである。この派の指導者ルファーブルは一九九○年に突然死ん
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だ。ピオ11世は一九三○年代の非常に混乱した政治的陰謀の時代に生きた法王であった。一九三○年代のバチカンと世界統一政府の政策を検証すると、ますます疑惑がつのる。例えば、スペインの内乱は国際ユダヤと新ファシストの独裁者が招いたように見える。フランコ将軍と彼の財政的な後ろ盾はマラノ、改宗ユダヤ人である。フランコ将軍はまたグランド・オリエント・メーソンである。ピーター・ウイーデンはブランデーズ大学の記録保管係のヴィクター・A‐バーチがフランコ将軍に対抗した志願部隊リンカーン旅団の四○%はユダヤ人だったことを発見したと報告している。さまざまの細かい過程は省くとして、戦争の結果は、共産主義者が一○○万ドル相当の金地金で蓄えられていたスペインの金保有を盗んでロシアに送ったと言う事である。輸送手段の一つであるソビエトの船コムソモールは一九三六年二月二日にオデッサに着いた。金はトラックに積み込まれ、モスクワのゴークランの貴金属倉庫に保管された。もう一つの結果はヒトラーがこの戦争でドイツの新兵器をテストさせることができ、軍事的機動力を復興させることができたという事である。もしドイツが彼らの軍事的能力をテストする機会を与えられなかったら、第二次大戦への歩みはもっと遅くなっていたことだろう。
さらに巨大な政治的作戦計画が計画されていた。コフリン神父はカトリック信徒に、来るべき危機に付いて瞥告し、ルーズベルトに反対して投票するように訴えていた。コフリン神父の長年のメーソンヘの警告の努力の最中に、法王の合衆国担当秘書宮バセリ枢機卿がやってきた。それは選挙に時を合わせて、ルーズベルトに対する法王の承認をアメリカのカトリック信徒に伝えるものだった。リベラ博士によればバセリ枢機卿はユダヤの血統である。バセリ枢機卿はレーニンと法王の協定、ロシア正教会がカトリック教会に取って代わるアブロマンハッタン協定の推進者であったことをご存じだろうか。バセリ枢機卿はその後、ピオー二世となる。彼は「妥協の名人」だった。ルーズベルトは一八六七年から正式には途絶えていたパチカンとの外交関係を確立した。ヨハネ23世は貧しい生まれであった。彼の名はジョセッペ・アンゲロ・ロンカリーと言った。七七歳になったとき彼は法王ヨハネ23世となった。しかし、このヨハネ23世と言う名はいわくに満ちた名であった。これは一四一五年、反法王(偽名者)として破門された人物の名で、その後どの法王もあえて使用しなかった名だったのである。ヨハネはフリーメーソンの守護聖人の名であり、メーソンにとっては重要な名である(聖書やキリスト教とは何の関係もない)。パリ国立図書館にはヨハネ23世(ジャン・コクトー)と呼
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ばれている人物が『シオンの長老」(ダビデの血統を自認するメーソン秘密結社)のクランドマスターだったと言う書類が存在する。ロンカリーが、反法王のヨハネ23世が、自分の義妹を含めて二○○人以上もの女性を誘惑した人物だったと言う事を知っていて、あえてその名を採用したという事にはよく考えて見るぺき理由がありそうだ。第一次世界大戦の時、ロンカリーは従軍神父として傷病兵を看病しミサを行った。この時期彼は強く平和を希求して、政治には関わりたくないと兄弟に手紙を書いている。しかし、パチカンでは彼は政治に関わらないわけにはいかなかった。彼が平和を持ったのはユダヤ人たちとであった。彼は法王になった時、ユダヤ人がひどく嫌がっていた「良き金曜日」の礼拝式の言葉を廃止した。彼はユダヤ人を事あるごとに「兄弟」と呼んだ。一九三五年ローマ法王使節としてトルコを訪れた時、彼は薔薇十字団に入ったとある本に書かれている。第二次大戦の時、彼はギリシャにいてその後フランスに戻った。パリはあらゆるオカルトの秘密組織の神経中枢の都市であり、とりわけ薔薇十字団の本拠がある。興味深い事に一九五二年からユネスコの聖司教(Holy see)の永久オブザーバーはロンカリーである。ユネスコはニューエイジ宗教の推進者としてメーソンが発明したものである。戦後アメリカCIAはヨーロッパのメーソンロッジの再建に資金を提供し、カトリッ
182 第ニパチカン公会議はユダヤ勝利の祭典
クヘも巨額の援助を与えている。この時のCIAエイジェント、枢機卿プィクター・マルロチェッチが法王パウロ六世となった。
コンスタンス・カンベイは彼女の著書『虹の隠れた危険』の中で「ローマカトリックの中にニューエイジの計画の根を植え付ける事を許した法王を一人あげるとすれば、それはヨハネニ三世であろう。彼はニューエイジとカトリック近代主義者から特別の尊敬を持って迎えられている」と書いている。第ニバチカン公会議はカトリックが異教を公認した最初で最大のターニングポイントである。それは正確にフリーメーンンの教義に従っている。例えばそれはだれでもその信じ従って居るところに忠実なら救われるとしている(キリスト教においてはキリストの贖罪だけが人を救う)。ヨハネニ三世はカトリック教会をフリーメーソンにするだけではなく、反共産主義の姿勢をも変えさせたこの会議の発起人に名を連ねている。ヨハネ23世はその全精力をこの
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会議の成功に傾けた。それが彼の死を早めたのだとある者は言っている。第ニバチカン公会議に先立って彼は書簡を送ったがその中で、この会議の目的は「人類の一致による千年王国の実現である」と言っている。第ニバチカン会会議の議事録を全て研究したスプリングマイヤー氏によれば第ニパチカン公会議はカトリック教会の最後の権威には干渉せず、手をつけなかったという。キリスト教会の最終権威である『聖書に基づく』と言う事を否定はしなかった。『聖書と伝統に基づく』教会の権威は残している。依然としてそれは彼らの権威として表面的にはかろうじて残存している。キリストは沈黙させられてはいない。教会はキリストを信じている。だからカトリック教会は自ら不可謬であると宣言し続ける事ができるのである。これは実に巧妙な方法である。カトリック教会は形だけは残されているが、中身を食ぺ尽くされた西瓜のようになっている。さらにカトリックのヒェラルキーと権力は手をつけられないで残された。一九六三年、ヨハネニ三世はローマカトリック教会を共産主義との合成に近づけた。また保守主義者との中立化を図るために彼の見解に好意的な一二人の枢機卿を追加任命した。興味深いのはヨハネニ三世はカラフルな儀式を行うスイス護衛隊を免職してしまったことである。彼らは法王の住居の外庭で寝ずの番をしていた。
同じ頃、法王の全般的な警護担当者から非常に多くの苦情が出た。この大幅な変更は、王が秘密の組織とコンタクトすることが出来易くするためであったと見られている。
185 ローマ法王は皆ユダヤ教の奴隷
カトリックをユダヤ教に売ったパウロ六世
パウロ六世(ヴィクター・マルチェッチ)の元でカトリック教会はニューユイジに向けてさらに坂道を転がり落ちて行った。中でも特筆すぺき事は、
1 革命の神学が教会の中に入り込んだ事。
2 カトリックの秘密結社コロンブスの騎士とフリーメーソンが共同して動き出した事。
3 カトリック教会がフリーメーソンの前衛に据えられた事。
4 フリーメーソンの無法者集団P2が発達した事である。
法王は公式には「革命の神学」を祝福していないし、公の席ではこれを喜んでいるとは言わなかった。しかし、エホバの証人のチャールズ・ラッセルそっくりなファッションで、カトリックの一部、イエズス会、ドミニコ会、バウリスト神父会などが革命の神学という「キリスト教神学」を広め始めた。これは実際にはカバリスティック・ユダヤ教そのものであった。革命の神学は革命と社会主義を調う。これはまったくユダヤ・カパリストのもの
である。またキリストの人性のみを言う(多くの読者にとってはそのほうが判りやすいだろうが、キリスト教ではキリストは人であって、神であるという。それを肯定したらキリスト教では無くなってしまう)。また、社会主義「新秩序」のために戦うという。実際に「革命の神学」は「新しい秩序」(New Order)と呼ばれているのである。それはまた「神の国」とか「千年王国」とか呼ばれている。今や、カトリック教会は「キリスト教の黄金の時代」を約束し始めている(どこかで聞いたような……私の前の本をお読みになった方は「黄金の時代」と言う言葉を覚えておられるだろう)。革命の神学の著者が書いた『天にあるごとく地に、ユダヤ人、クリスチャンそして革命の神学』と言う本によると、新秩序の下にある人々は〃羊のように素直に〃従い行く事になっている。そして今やカトリックの神学者でさえ何とおとなしく彼らの言いなりになっていることだろう。カトリック信者は伝統すら忘れて流行のノアの洪水に流されている。この本によるならマルクス主義者たちは寛大にもユダヤ教とキリスト教が共通の地盤に立つ事を許してくれるのだ。「我々が分かち合うヴィジョンは二つの古く巨大な伝統の間に橋を掛ける事である。革命の神学は長く保有されてきたユダヤ人の理想に帰り、社会的な関心という領域で初めて二つの信仰が互いに働きあう事を可能ならしめた……社会の分
析と、衝突の原因を探る試みのために、革命の神学はしばしばマルクス主義の洞察を利用してきた。革命の神学者にとってマルクス主義は分析の道具であった▼…」いやはや、ものは言いようで何とでもなるものだ。これはもはや到底キリスト教ではない。ひさしを貸して母屋を取られると言う言葉があるが、カトリック教会はすでに完全にユダヤ教になってしまっているのだ。もう少し、このものすごい論理を聞いて見よう。「それゆえユダヤ教とキリスト教の弁証法的合成はマルクス主義により可能となる・…・。(ワオ!)オーストラリアのカルメル会修道士バトリック・J‐ジロンはこう言っている『今日、聖アウグスチヌスや聖トマス・アクイナスの教会を、新しい教会、ヒューマニズムと革命の教会に置き換える努力が続けられている』…」革命の神学の最初の実験場であったニカラグアのサンディニストの革命は十分に考え抜かれ、見事に〃演奏された〃事件であった。もしカトリック教会の聖職者たちが、「天国は資本主義が廃止された、労働者の地上のパラダイスからやってくる・…。」と革命を支持し、革命が「教会によって認可された宗教的な事柄である」と説教しなかったら、人口の九一・六%がカトリック信者であったこの国でサンディニストたちがマルクス主義の政府を作るチャンスは無かったであろう。「革命の神学」はュダヤ・カパリストがカトリック内部に導入した彼らの世界支配の前衛である。
190 それでもにせパウロ六世に交代させられる
バウロ六世のこのような努力にもかかわらず、その改革が余りにも遅いと世界政府のパワーセンターが考えたために、一九七○年代にパウロ六世によく似たこセモノが取って代わった。一般の読者には信じられないことかもしれないが、これはよく知られた話なのである)。声紋分析の専門家はこの二人は同じ人物ではないと証明した。鼻も耳も違っていた。バウロ六世は近視だったが、ニセモノは遠視だった。本当のパウロ六世は英語とラテン語を話す事が出来たが、ニセモノは英語が話せなかった。彼がラジオで話す時は後ろからプロンプターの声が聞こえたという。しかし、ほとんどの人はいつものように振る舞った。これがパウロ六世だと言われれば、少しばかり議論した後で、そうだと信じた。パウロ六世のニセモノは本物とは多くの点で正反対の事をした。本物のパウロ六世は離婚には強く反対していたが、こセモノは許した。本物は聖餐式のパン(聖餅と訳す事もあ
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る)を手で受けとることを禁じていたが、ニセモノは許した。これについては不愉快な説明を加えなければならない。まったく何で私はこんな仕事をしなければならないのだろう。聖餐式のパンを手で受けとることはサタン礼拝者と彼らの黒ミサにとって重要な事である。彼等は教会でこのパンを受けとると、彼らの黒ミサに持って行き、そこで「キリストの体一を辱める。またこの「キリストの体」はサタン礼拝者の儀式と能力を高めると信じているんである。もちろんそれはクリスチャンの言う意味ではなく、言わば戦利品の様にあるいは魔術の小道具として用いられるわけである。よくもまあこんな事を考えつくものだ。そしてそんな事を熱心に実行する人がいると言う事が私には信じられない。彼はまた禁書目録(カトリック信者が読んではならない本)の作成を中止させた。このニセパウロ六世を演出し補佐した人物も判っている。ヴィレット枢機卿、カサロリ大僧正、ベネリ大僧正である。彼らは皆フリーメーソンであり、ベネリはユダヤ人であった。彼らはヴァチカン内部の強力なメーソン組織を維持した。これらの全てのフリーメーソンの活動と浸透は誰にも知られなかったわけではない。フランスのダニえロー枢機卿はカトリック教会内部で重要な地位に付いたフリーメーソンのリストを持っていると発表した。その四日後、一九七四年五月二○日、この六七歳の枢機
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卿は殺され、その死体は売春婦のアパートに置かれていた。六月二五日付けのニューヨーク・タイムスはこのストリッバーのアパートでの〃心臓発作〃のスキャンダルを流した。その後、一九七六年五月に別のリストがパチカン内部で回送されたが、目に見えぬカによって握り潰された。
フリ‐メ‐ソンの別動隊P2が暗躍
ムッンリーニの政権の間にメーソンの活動は急激に落ち込んだ。ムッソリー二はメーソンだったからこれはおかしいと思われるかもしれないが、メーソンでも際立った人物の場合こういう事はよく起こっている。しかし、ムッソリー二は薔薇十字団に対しては寛容だった。ムッソリー二は政権を保つ事に最大の関心を持っていたが、フリーメーンンは秘密の力を持っていたから彼にとって脅威であった、その点、薔薇十字団は単純にオカルト的宗教集団だったからその心配はなかったからである。イタリヤのある本の中にムッソリーニが施行した法律が残っている。それはメーソンロッジに対してその会員を報告するよう
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に命じている。秘密の組織にとってこれは厳しい法律だった。誰がメーソンで誰がメーソンでないかを公にするなどという事はとても出来るものではなかった。メーソンロッジの会員を報告するというこの法律を、メーソンが何とかして回避しようとした歴史がP2の歴史である。正式のメーソンロッジの会員でフリーメーソン三階級のリシオ・ゲリーという男が一九六三年に台頭した。イタリヤのグランドマスターが彼に非公式のメーソン組織(もともとメーソンは非公式なのだが)を創設するように働きかけた。この組織を「ラグラバメント・ゲリー・プロパガンダ2」略してP2という。2と言うのはもともと一九世紀にプロパガンダ・ロッジと言うのがあったからである。このグルーブは修道士の着るような黒い僧服とフードを被る独特の儀式を行った。彼らはロッジヘの厳格な忠誠を誓い、互いを「兄弟」と呼んだ。イタリヤの言葉でメーソンに当たる「マッソ」とはレンガを意味する。それ故、イタリヤの銀行家でP2の重要メンパーであり、P2の財政管理者であったロベルト・カルビがロンドンの橋げたで、僧服を着て、ポケットにレンガを入れられて〃自穀〃していたのは彼らの兄弟たちの仕業だということが判るだろう。彼が何ゆえ殺されたのかは判らないが、それが他の兄弟たちへの警告となったことだけは確かである。カルビは八人のポデーガードを連れ、防弾仕様のアルフ
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ァロメオに乗り、イタリヤの最高の警備システムを雇っていたが、誰も彼を守る事は出来なかった。P2ロッジはイギリスのグランド・ロッジ、アメリカのトライラテラル・コミッション(TC)、ポヘミアン・クラブ、ローマクラブ、マフィアは言うまでもなく、多くの情報機関(M比、CIAなど)と関係を持っている。P2のメンパーが暴露された事がある。それによるとイタリヤの3○人の将軍、八人の海軍大将、多くの銀行家、テレビ会社の取締役、閣僚、政治家、シークレット・サービスのチーフ、財政検査官のトップが加わっていた。もちろんバチカンの最高階級にも。
善良なヨハネ・パウロ一世は殺される
ヴェニスの北方のカナルデ・アゴルドの納星を改造した貧しい家に、アルビノ・ルチアーノが生まれたのは一九一二年二月一七日のことだった。貧しい少年時代に彼はアントニオ・ロスミニの『教会の五つの傷』という本に深く感銘を受けた。彼はその生い立ち故に貧者への同情と教会をキリスト教のルーツに帰したいという願いを持っていた。ベルー
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ノの法王総代理となった彼は読書とサイクリングと登山の好きな人であった。彼は嘘のない人柄であったので、教会の堕落を見たとき法王パウロ六世に注意を促すために訴えたが、法王は何の行動も起こさなかった。ルチアーノはその純粋で誠実な人柄からこれに従順に従った。パウロ六世はこの従順を堕落に引き込む事ができる人物だと勘違いした。ルチアーノの父は率直な社会主義者だったので彼には社会主義者とのつながりがあり、彼はその良い関係(社会主義者でも中には好人物もいるものだ)を保ち続けた。これが彼が法王になった一つの理由でもあった。一九五八年彼はヨハネニ三世によって主教に任命され、一九六九年にはベニスの総大司教に任命された。この時期にルチアーノはジョパンニ・ベネリによってバチカンの銀行から(そうとは知らされずに)フリーメーソンの資金を奪う陰謀を教えられた。アルビノ・ルチアーノと他の人々はメーソンのカルピとマルシンカス主教のカトリック銀行から小さなサン・マルコ銀行に資金を移す恥知らずなP2資金調達計画にすっかり嫌気がさしてしまった(この時点では、ルチアーノは彼らがメーソンだとは知らなかった)。ルチアーノが法王になってからどんな事が起こったかについて調査した『神の御名によって』という本がある。この本は大いに推奨される傑作であり、ここに書かれていること
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の多くはこの本によっている。法王ヨハネ・パウロ一世はカトリック教会の改革に乗り出した。彼は法王になった時、戴冠を拒杏し、法王を取り巻く罠となっている王制風のきらびやかな風俗を取り除いた。彼は自分の回りからフリーメーソンの人間を排除し正直な人間に替えた。また彼は教会から富を排除し、P2によって行われてきた恥ずべき資産の横取りを調査し明らかにする事を始めた。ところがバチカン内部の検閲者たちは彼の声明を検閲し、彼の名で偽りの声明を発表した。電話は制約され、彼の語る事は公式の記録から抹消された。そして、法王となってわずか三三日目に暗殺された(三三はフリーメーソンの成熟を表すシンボル数字)。見事なマフィアのやり方で速やかに葬儀屋が呼ばれ、彼の体は側近のマッギー神父が発見する前に保存処置が施された。彼の意志は失われ、世界は偽りの杯を飲まされ、世界はおおむねこの嘘を受け入れた。しかし、バチカンの中には法王を愛し、彼の死についてバチカンが大嘘をついているということ知っている人々が沢山いた。生前ヨハネ・パウロ一世は北イタリヤの友人にこう言っている。「パチカンには二つのも
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のが大変不足しているという事が判ったよ。正直とうまいコーヒーがね」法王就任三三日目に彼は明らかに毒を盛られた。〃不正直な人々〃が、彼が法王に就任する前にもっといろいろ教えておくぺきだったという事を悟った結果である。ヨハネ・パウロ一世は第ニバチカン公会議と、より強い世界統一政府に好意的な発言をしている。しかし、それは彼らの構想を彼なりの考えで受け入れたものであった。そして最終的には賛成はしなかった。彼が法王に選ばれたという事実は、世界政府の鉄の壁といえどもその隙間を通して善良な人物がすりぬける事もあるという事、そしてカある人々の力に逆らって小さな船が進むこともあるという事を示している。P2の、銀行を舞台とする陰謀がイタリヤ政府を崩壊させ、アメリカのFDIC(連邦預金保険組合)の屋台骨を揺り動かしたことに対してまったく関心を示さなかった人々でも、極めて壮健な法王がわずか三三日の後にミステリアスな死に方をした事については注意を払わないではいられなかった。不思議な事に法王の死の後に、それに関わったジーン・プィレットのような人々が悔い改める間もなく次々と死んでいった。それが仲間による証拠隠滅工作だったか、天罰だったかは知る由もない。
198 現在のヨハネ・パウロニ世はフリーメーソン
現在の法王はヨハネ・パウロニ世である。前の本に書いた聖マラキの予言によると、この法王は「東の労働者」または「太陽の骨折り仕事」とある。確かに現在の法王は一見善良で苦労しているように見える。しかし、彼はポーランド出身のユダヤ人でフリーメーソンである。彼の法王制の下でP2ロッジによるパチカンの財攻取奪とメーソンによるカトリック教会のあらゆる階級への浸透は続いている。そのためにロックフェラ−一族はパチカンの学校とプロジェクトに大変な額の金を支払っている。億万長者ローレンス・ロックフェラーがカトリックのニューェイジ僧侶マシュウ・フォックスを後援し、彼は非常にサタン的な本『宇宙的キリストの来臨』という本を書いた。マシュウ・フォックスは男根崇拝者であり、母なる地球の信奉者(地球を一つの生命体と見て偶像化する信仰、ギリシャ神話の地の女神ガイァ信仰につながる)カール・グスタフ・ジャンギの精神分析学の実践者である。フォックスの一元論は三○○○年前のヒンヅー教の教えである。他にもケニ
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ス・ワブニックのようなニューエイジ・カトリック者がニューェイジの福音を伝えている。ヨハネ・パウロ二世の下でバチカンは近代史上最大規模のプロジェクトを遂行した。カトリック教会は新世界秩序の祝福の内にポーランドの「連帯」運動を創設した。一九八六年だけでカトリック教会から「連帯」に一億ドルが送られたと見積もられている。この運動が起こる前にロシヤの通報者によって、その計画の細目が明らかにされた。それによると共産主義者たちは東ヨーロッパを解放し、ヨーロッパとロシヤの合体を図り、来るぺき大ヨーロッパを中心とする世界統一政府を作るためであった。ヨハネ・パウロ二世がフリーメーソンだと知って驚く事はない。彼はヴァチカンの重要なポジションにメーソンを配置している。また、今やカトリック信者は教会の公式の機関紙からフリーメーソンのプロバガンダを聞かされている。アメリカ・カトリック・マガジンの九一年五月号はまるでフリーメーソンの募集記事のようだ。その記事にはレンガや鉛管工やこてなどの絵が描かれて、フリーメーソンが建築労働者の延長のような偽りのイメージを与えている。「フリーメーソンは月毎に集まって昔風の儀式をします、単なる社交のために……それは大人のポーイスカウトです。(よく言うよ!)・…今日、メーソンは本質的に温和な奉仕団体なのです」そして最後に「あなたも歓迦します」とある。
ものみの塔とユダヤ教の深い関係
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先にルネッサンスの項で、エノキアン・マジックというものについて少し説明した。このエノキアン・マジックはメーソンの思想の重要な部分である。そしてこれはエホバの証人を作ったチャールズ・ラッセルと深く結びついている。それはエノク書という旧約聖書の偽典と呼ばれる書物が元になっている(プロテスタントはこれらの外典とか偽典を聖書とは認めていないが、カトリック教会は認めている)。エノクとはアダムから七代目の人類の祖先で、非常にミステリアスな人物である。彼は人類で最初に死なないで天に行った人として知られている。創世記5:21〜24に、「エノクは六五歳になって、メトセラを生んだ。エノクはメトセラを生んだ後三○○年、神とともに歩み、男子と女子を生んだ。エノクの年は合わせて三六五歳であった。エノクは神とともに歩み、神が彼を取られたので、いなくなった」と書かれている。この他に新約聖書へブル書
11:5に「信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移
ユダヤ教が生んだものみの塔、モルモン教
しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである」また同じくユダ書14に「アダムから七代目にあたるエノクも彼等について予言して言った、『見よ、主は無数の聖徒たちを率いてこられた。それはすべての者にさばきを行うためであり、また、不信心な者が、信仰を無視して犯したすべての不信心なしわざとさらに不信仰な罪人が主にそむいて語ったすべての暴言とを責めるためである』」とある。エノク書はおそらくこのエノクのミステリアスな生涯に魅せられた人々が勝手に想像して書いたものだろうが、神に逆らい堕落した天使たちについて非常に多くの関心を寄せているのがおもしろい。この中で天使の事を「寝ずの番をするもの』とか、『見張り』とか呼んでいる。英語でいうならwatchであろうか。この堕落天使の長がルシファー・サタンであるのだが妙な事にエノク書には出てこない。そしてこの堕落天使たちが人間の女の美しいのを見て妻にし、それから巨人が生まれ、その身の丈は三○○○キュピト、一五○○メートルもあったというベラポウな話が書いてある。一キュビトとは約四五センチである。もっとも、エノク書にはこの巨人を「悪霊と呼ぶ」とあるから本当の肉体を持っていたのかどうかは判らない。一五○○メートルもの高さの巨人はまさにwatch towerと言
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うにふさわしいだろう。そうするとWatchtowerは悪霊の事なのだろうか。この話に似た話も聖書に出ている。創世記6:1−4にあってなぜか「神の子たちが人の娘の美しいのを見て妻にめとった」結果、巨人ネビリムが生まれたとあるのだが、その身の丈が一五○○メートルなどとは書かれていない。この巨人の残存子孫は時々聖書の中に現れる。申命記3:11には「パシャンの王オグはレバイムのただひとりの生存者であった。彼の寝台は鉄の寝台であった。これは普通のキュピト尺で、長さ九キュビト、幅四キュピトである」とある(レバイムとはネビリムの事と思われる)。九キュビトは約四メートル、四キュビトは約一・八メートルであるから彼は三メートルを越える背丈だったのだろう。またダビデが倒したゴリアテもその子孫と考えられ(隔世遣伝?)身の丈六キュビト半、約三メートル、指はそれぞれ六本づつあったとあるので今日の人間とはかなり違っていたと考えられる。ここに言う神の子というのは天使の事であるが、イエス・キリストは天使は結婚しないと言っている。天使には性別がないと言う意味に受け取られているので、この旧約聖書の箇所は謎の中の謎としてキリスト教会一般には理解不能の箇所とされている。〃健全な〃クリスチャンや解説者はこの「神の子」と言うのがセツの子孫で、女と言うのがカインの子孫だと言うがこれはまったく話にならない。ではなぜ巨人ネビリム
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が生まれて来たのか説明できない。この箇所は妙にギリシャ神話と似た所である。その他、エノク書は天地の果てだの、数多くの天使の名前だの、堕落した天使が人間に教えた知恵だのと人間の好奇心をそそる話題が書かれているのだが、支離減裂でその上極めて不健全な霊感を感じさせる書物である。だから聖書を決定した人々が早くからこの書を外していたのは当然である。確かにエノク書はその後のオカルト本の先駆だったといえよう。このような霊感の内容を重んじるエノキアンマジックを後生大事にするフリーメーンンとエホバの証人のラッセルがどういう霊に導かれていたのか自ずと知れてこよう。フリーメーソンのロッジには普通所在地の後ろに数をつけた名前がある。サンフランシスコ七ロッジとかこューョーク三九六ロッジとかである。しかし、時には有名なメーソンの名前をつける場合がある。フランクリン・ロッジとかラファイェット・ロッジなどである。さらにメーソンの好きなテーマ、ミスチック・サークル・ロッジとかライジング・サン・ロッジとかニュー・エルサレム・ロッジなどのこともある。その中にミツバ・ロッジと言うのがある。ミツバとはなんだろうか。ミツバと言うのは旧約聖書に出てくる町の名でヘブル語で「監視塔」を意味する。フリーメーソンの中でもエノキアンマジックを学んだ最高位のメーソンは「マジカル watchtowers」
と言うキーワードを用いる。それは神秘を知っているということのしるしである。watachtowerヽ監視塔、物見櫓、ものみの塔。昔の町は城壁に囲まれていて、その城壁の角々に1段高い監視のための塔があった。これは航空機やレーダーの無い時代では遠距雛を見通す戦略上重要なものであった。ところでエノキアン・マジックではこの言葉に特別の意味を与えている。オカルチスト全般に人は皆それぞれの内に神的きらめき、内なる神、天使とか守護天使を持っているという。この内なるパワーとのコンククトによって誰でも隠された法、知識を得る事が出来る。そのためにはこのwatchtowerの知識が助けになるというのだ。このwatchtowerは四つの領域を持ち、それぞれにオカルトの分野に対応している。
肉体を除く全ての分野は正しく構成される事によって、彼等の言う「光の体」となり、ニューエイジ、メーンン、薔薇十字団などの魔術節たちはその肉体を離れwatchtowerに入る事ができ、そこに入った者は解脱者、進化した魔術師となる事が出来ると言う訳である。私にはこんなオカルト的な知識を書かねばならないのは大変に苦痛なのだが、これがフリーメーンンの最高階級の必修課目であり、さらに、「エホバの証人」のラッセルが彼の思想とそれを宣伝する組織をwatchtowerと呼んだ理由だから書かないわけにはいかなかった。またここまでわざわざものみの塔と書かないで、watchtowerと書いたのは、いわゆる、「ものみの塔」という屈体と混同しないためである。ラッセルがなぜ彼の思想の最重要な表現手段を「ものみの塔」と呼んだのか分かって頂けただろうか。彼はエンキアンマジクのエキスバートであり、単に高位のフリーメーソンだっただけではなく彼等の計画の突出した人物、別の言葉で言えばキーバーソンだったのである。watchtowerは最高位のフリーメーソン、特にスコッティシュ・ライト、ライト・オブ・
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メンフィス、ライト・オブ・ミツライムなどイルミナティの最高レベルの結社の非常に重要な知識であった。この知識を持たず、さらに四つのwatchtowerに入る(イニシェートする)事を求めないイルミナティ・メンバーはほとんど無価値とされた。ラッセルはその意味で非常に特別な地位にあったはずである。ところがラッセルはジョセフ・スミスと違って、決してこの事を明らかにはしなかった。ただ、ものみの塔と言う名称を使っただけである。それはなぜだろうか。秘密は高ければ高いほど、違反に対する罰則も厳しくなる。もし、違反すれば死を持って報われる。ベンジャミン・フランクリンという人物を知っておられるだろう。しかし、彼の多くの良い逸話に対して、彼がフランスのオカルト的なグランド・オリエント・メーソンのグランドマスターであり、多くの反クリスチャン的な活動をしていた事実はまったく知られていない。ラッセルにせよ、その後の指導者にせよ、メーソンとの関係やこれらのオカルト的な知識に関してはむしろ否定的にすら書いている。しかし、泥棒が自分を泥棒だと宣伝して歩かないのと同じでこれは彼等のカモフラージュに過ぎない。証拠は歴然としてある。ラッセルが一時期セブンスデー・アドベンチストという団体と交流を持ち、あたかもそこから彼の宗教のヒントを得たかのように装っているのは、彼のフリーメーソンの背景を消すた
208 ユダヤ教が生んだものみの塔、モルモン教
めのカモフラージュでは無かったかと私は思っている。その点、ラッセルはジョセフ・スミスより慎重かつ賢明だった。C.T.ラッセルのフリーメーンン・ナイトテンプラーの会員の記録がアイルランドにある。一九三三年にレディー・クイーンボローが出版した『オカルト神政』という本の七三七ぺージにラッセルのフリーメーソン・メンパーシッブの記録が書かれている。隠してもどこかでボロは出るものだ。
ユダヤ教から生まれたモルモン教
私はユダヤ人に対して何の恨みもない。それどころか彼らの悲痛な歴史に同情し、イスラエルを訪れた時には自分の国のようにうれしく感じたものである。ところが統一世界政府の陰謀の迷路をたどって行くと、辻々角々にどうしてもユダヤの三文字が現れてしまうのである。私が偏見を持って見ているのではなく、向こうから現れてくるのだ。エホバの証人のラッセルに続いてと言うより、本当はそれより前に、モルモン教を作ったジョセ
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フ・スミスもまたユダヤの血筋であった。驚くべき事にアメリカで生まれた多くの新興宗教の九○%がマサチューセヅッ州ピッツパーグを中心とする一五○マイル以内の、しかもほんのわずかの家系から出ている。その家系がユダヤ人であった。ジョセフ・スミスもそのひとりであり、その前の自称預言者たちも後もそうである。初期のモルモン教会の核となった家族集団はコネチカットからバーモントへ、さらにパルミラからニューヨークへと一緒に移動した。彼らは互いに結婚し、ユダヤ人であった。ユダヤ人ベネット家はジョセフ・スミスの思想に多くの影響を与えた。もっとも特出した家族はウオルター、ウインケル、ハールバットの三家である。他にコードリー、ヤング家、またロイヤル・パーニーにつながるヤベツ・カーター、オリン・ポーター・ロクヱル、サムエル・F.ローレンス、アルバ・ピーマン、エラストス・アイビスらである.
これらの家族の中から後にモルモン教を形成する重要な人々が出た。例えばヨーロッパに行ってオカルトを学んだ魔術師ルーマン・ウオルターズはジョセフ・スミスの妻とトーマス・タットルを共通の先祖としている。ウオルターズはウインケルと共にジヨセフ・スミスのオカルトの教師であった。ウインケルはスミスにオカルトの秘儀「アロンの杖』を紹
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介し、「杖の人の友愛会」(Fratanity オブ ロッドメン )と呼ばれるようになった秘密の信仰サークルを作った。彼らは自分たちがユダヤ人で、千年王国と正しい信仰の回復を信じ、いつの日か彼らがアメリカ大陸の主となると信じていた。その当時はだれもこの人々に注意を向けるものはなかったが、彼らが後にモルモン教会の元となったのである。さて、こうして見て行くと、モルモン教もエホパの証人もそれぞれジョセフ・スミス、チャールズ・ラッセルと言う男達が突然変異的に作り出した宗教ではなく、長いオカルトとりわけユダヤ教のカバラの影響下にユダヤ人家族集団によって作り出されたものだということが判る。ところでエホパの証人のラッセルが「ものみの塔」という別の特別な名称を用いた理由についてはすでに学んだ通りであるが、では、なぜジョセフ・スミスはモルモン教会を「未日聖徒イエス・キリスト教会」Lastday Saint Jesus Christ Churchと呼んだのであろうか。ここには驚くような秘密が隠されている。実は私も最近までは、モルモン教会がなぜ「未日聖徒イエス・キリスト教会」などという名称を使うのか不思議でならなかった。彼らはイエス・キリストが本当は嫌いなはずなのにというしごく単純な理由からである。彼らは単純にクリスチャンを騎すためにそんな名前を使ったのだろうと考えていた。ところがラッセルにしてもスミスにしてもそんな子
供騎しのトリックなどで彼らの宗教の第二の名称をつけたのではない。ジョセフ・スミスは自分がイエス・キリストの子孫だと言っているのである。フリーメーソンには「イエスの子孫」という集団がある。彼らはイエスがマグダラのマリヤという女性と結婚して子をもうけ、その正統の子孫が五世紀のメロビング家であり、その血統は絶えること無く今に続いているという罰当たりなオカルト物語を作った。さらに二世紀の弁証家ユスチヌス(ジャスティン・マーター)がキリストが異教徒の秘教のジュピターに対応するとしているように、はるか昔からキリストをジュピターの子とするオカルトの教説もあった。それでジョセフ・スミスと彼の家族は彼をイエスの子孫、またジュピターの子と言うのである。これらはすべてフリーメーソンの密儀であり、スミスはその信仰の再建または完成を自分の手で果たそうとしたのである。スミスは天使が自分にいくつかのフリーメーソンの階級に欠けていたキーワードを持って来たと言っている。それは彼にいかなる高位のメーソンよりも高い位を約束するものだと信じていた。ジョセフ・スミスは全てのフリーメーソンの階級にも勝る結社を作ったと思っていたのだろう。彼はカパラの魔術に際立った才能を示し、イスラエルの祭司制度と『イエスの宗教』の復元を計った。これはフリーメーソン、薔薇十字団の密儀的信仰のテ
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ーマであり、高位のメーソンに教えられるものである。一八三二年の『幻』でスミスは奥義のキリスト教について述べているが、これはマンリー・ホールがその著書「象徴哲学体系」の中で「神秘のキリスト教」と呼んでいるものである。スミスは創世記をモーセの書として書き直しているがそれはオカルト的神秘主義であり、グノーシス主義である。実はスミスはこれらの知識をインマヌエル・スエデンポルグの著書から学んだのである。スエデンボルグはヘルメス学哲学者であり、キリスト教神秘主義者であり、高位のメーソンだった。スミスはスエデンポルグの三重の天、空中の王国のこの上なき存在、と言う概念を採用している。ジョセフ・スミスを無学文盲、迷信家、うそつき、詐欺師と批評する事はかえって彼らのモルモン教会の源泉を隠す上で役立ってしまう。スミスの家族は極めて家系を重んじる人々であった。彼の母は彼に一六六六年までさかのぽる彼らの全ての家族の系図を教え、彼がいかに預言者として選ばれたか、彼の家族が幾世代にもわたって、いかにその信仰と霊的祝福を受けてきたかを示している。彼はダイナミックな人間であり、多くの能力に温れていた。またスミスはユダヤ・カパラ思想を聖なる知識であり、神からアダムへ、アダムからエノクへ、さらにノア、メルキゼデクを経てモーセに伝えられ、時を経て自分に天
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使が教えてくれたものだと言う。それは魔術の知識であった。カパラは極めて魔術に近く、多くの魔術がカパラから出てきた。ジョセフ・スミスは多くのメーソンや魔術のグループのようにモルモンの指導者たちと自分に新しい名前をつけた。彼の名はエノクであった。その後、モルモン教会はブリガム・ヤングなどの指導者によって導かれ、現在ではかなり変化もあるかも知れない。しかし、今回はここまで研究するのがやっとだった。私の前著と共に参考にされたい。
214 では新教はユダヤ教にどこまで犯されたか
中世の弾圧と迫害を経験したユダヤ人は、ルネッサンスによって反撃に転じ、宗教改革を背後から応援してカトリック教会を弱体化した。ルターは一時ユダヤ人とフリーメーソンに助けられたがやがてユダヤ人の真意に気付き激しく低抗するようになる。一方、宗教改革運動のもう一人の英雄カルビンについては彼自身がユダヤ人だったという説がある。カルビンとはイスラエル一二部族のレビ族特有の名前コーへンから来たものであるらしい。
カルビンについてはその強い「予定説」がユダヤ選民思想と似通っているとは思うが、彼の著書からはユダヤ・カバリズムの不気味な霊感は全く感じられない。むしろ、極めて健全で有能なキリスト教護教の勇士としか現在の私には思えない。私たちキリスト者には特別の能力が与えられていると信じられている。それは聖霊による賜物(カリスマタ)と言い、いくつかの分野があるのだがその一つに「霊を見分ける力」と言うのがある。だから大抵の場合はその霊が健全な霊か、不健全な霊か判別できるのである。カルビンがもしユダヤ人であったとしても彼の信仰と霊性はキリストの霊、聖霊からのものであるに違いない。そういう事があっても不思議ではない。なぜなら、キリストもバウロもユダヤ人だったのだから。ユダヤ人の全てがカパリストではない。むしろカバラやタルムードを忌み嫌っている人々もいるのである。しかし、今日ではそんな事を口にする事は出来ない事だろう。カルビンの時代はまだ自由があったに違いない。ユダヤ・カバリストはかつてのように、強制的に改宗させられたユダヤ人をマラノと蔑むのではなく、むしろまったく表面上は並のクリスチャン以上に熱心なキリスト教徒のように振る舞うようになった事だけは確かである。そのために特に一八世紀以降はどれがどれやらまったく判らなくなっている。そして最近では世界でもっとも有名な伝道者がフリ
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ーメーソン三三階級であるという驚天動地の事さえ起こっているのだ。これはカトリックのロヨラに匹敵するプロテスタント史上最大の珍事である。さて、そんな中で一つの事実を取り上げよう。それは今世界のプロテスタントの約半分が信じている教理であって、キリスト教徒がこの文章を読んだら必ず私を異端視するかもしれないほど重要な教えとなっている間題である。一八世紀に「携挙」Raptureという教えがプロテスタントに生まれた。それはキリストの再臨が二度起こるというものであった。よく知られているようにキリストの肉体での地上への帰還を再臨というが、その前に、「空中再臨」というのがあって、世界に襲い来る患難の時代の前に、キリストが空中に来られて忠実なキリスト教徒を生きながらに空中に引き上げそのまま天国に連れて行く、その後、地上には最終戦争が起こり、殺毅と荒廃が地を覆う、そして地上の人間が死に絶える寸前になってキリストが聖徒と共に地上に再臨し、世界の軍隊を滅ぽし平和をもたらすというものである。「患難期前再臨説」という。考えて見ればずいぶん手前勝手な御都合主義なのだが、これが真面目に世界のプロテスタントの半分で信じられているし、実をいうとつい昨日まで私も信じていた。実はこの教理の元になったという聖書の御言葉がある。
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「わたしたちは主の言葉によって言うが、生きながらえて主の来臨の時まで残るわたしたちが、眠った人々より先になることは、決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッバの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初によみがえり、それから生き残っているわたしたちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいることであろう。だからあなた方は、これらの言葉を持って互いに慰め合いなさい」Iテサロニケ4:15~18しかし、この言葉から再臨が二度あると読み取ることもできない。またもう一つの聖書の裏付けとして、マタイによる福音書24:37~42の言葉「人の子の現れるのも、ちょうどノアの時のようであろう。すなわち、洪水の出る前、ノアが箱舟にはいる日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲ってきて、いっさいのものをさらって行くまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう。そのとき、ふたりの者が畑にいると、一人は取り去られ、一人は残されるであろう。二人の女がうすをひいていると、ひとりは取り去られ、ひとりは残されるであろう。だから目をさましていなさい。いつの日に
あなたがたの主がこられるのか、あなたがたにはわからないからである。」が用いられている。しかし、ここも再臨が二度あるという前提で読むとそう思えるが、まったく白紙で読んだ場合、再臨が二度あることの証明にはならない。取り去られる、取り残されると言う言葉がその後もう一度本当のキリストが来るという意味を積極的に述ベているとは言えない。ここで注意しておきたいのは携挙と言う形態がないと言っているのではなく、二段階(または時間差)の再臨はないと言っているのである。ところが実はこれらの聖書の言葉から空中再臨と携挙が導き出されたのではないのである。もともと一八世紀のクリスチャンたちは今日言われている「千年期後再臨説」を信じていた。それは再臨は一度だけでその時クリスチャンたちはキリストに会う、それが本来この箇所の聖書の意味とされて来た。しかし、イエズス会と友好的なスコットランド、アイルランド、イングランドのプロテスタントのグループがこの秘密の携挙を説教し始めたのである。もう一度言うが、この教えは本当は上記の聖書の言葉から始まったのではない。それは全く別の方向から来たのである。ゴードン・メルトンの『アメリカ宗教辞典』によるとこの考えは一八三○年にマーガレット・マクドナルドから始まったとされている。イギリス人ロバート・ノートン博士はチ
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ャネラーまたは霊媒であるマーガレット・マクドナルドから彼女の見た幻について聞き、また彼女自身が書いたものを受け取った。一方、アーヴィング派もラビ・ベン・エズラというペンネームを持つスペインからの亡命ユダヤ人でイエズス会士のエマニエル・ラカンタから教えを受けてこの教えを広めている。マーガレヅト・マクドナルドはスコヅトランドのポート・グラスゴーに住んでいた一八三○年二月一日に「帰って来たキリストにクリスチャンたちが個々に携挙される」最初の幻を見た。ノートン博士はこれをThe
Restoration of Apostlesand Prophets; In Catholic Apostlic Church in 1861いう本の中に書いているがこれは非常に希にしか目にすることが出来ない本である。この教えはさらに「千年期前再臨説」Premilialismというのとセットになっている。それはこうして再臨されたキリストがュダヤ人の王として(この辺がうさん臭いではないか)世界を一○○○年間支配するというものである。ところがその時キリスト教徒はどうなるのかというとこれが全く判らないのである。読者は何をばかげた事を言っているかと思われるかもしれないがこのような論争は欧米では極めて重大な間題なのだ。
アイルランド人のジョーン・ダービー、ロバート ノートン、幾人かのアーブィング派、
その他の人々がマーガレットの家に行って幻について聞いた。エドワード・アーヴィングは手紙にこう書いている。「メアリー・キャンベルとマーガレット・マクドナルドの幻と啓示は私に表現し難い霊的な認罪と悔い改めをもたらした」アーヴィングがマーガレットの幻について説教を始めるのにはそんなに長い時間を必要としなかった。また彼はラカンタがイユズス会の僧侶であることを良く知りながらラカンタの著書を翻訳し始めた。ラカンタの患難期前再臨説の初期の言及ははすでに一八二○年代に現れていた。ダービーが大きな影響を与えたプレマス・ブレズレンと言う団体は、ダービー以前、一八三一年にキャプテン・バーシー・ホールによってこの患難期前再臨説を紹介されている。ダービーとスコフィールドと言う二人の法律家がアメリカでこの教説を広めた。ダービーは一八六○年代から七○年代にかけてアメリカを巡って携挙の教えを促進した。これらブレズレン派のエドワード・クローニンらはプロテスタント運動の行き過ぎを是正するオックスフォード運動を導いたが、クローニンは「自由、平等、博愛」のフリーメーソンのスローガンを掲げた。この運動を影で操っていたのはイエズス会であった。オックスフォード運動家の一人、ロパート・パクスターは天使とのコミュニケーションによる預言を発表したが、後年それはサタンからのものだったと述懐している。
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ところでプレマス・ブレズレンにしてもイエズス会にしてもそのトッブはかように怪Lげな思想を持っていたが、不思議なものでごく一般の信者や会士は至極純粋な信仰を持っていた。それと言うのもキリスト教というものは厳密に自発的なものであって、決して脅追や強制によって信仰を持つ事も継続する事も出来ないからである。キリスト教の最大の特徴はこの『信仰の自由』であってこれは何人も犯してはならないものである。だから、一般信者や長い年月の間には淘汰されて本当の信仰だけが残るものである。これに反して新興宗教の多くが強制、脅追、洗脳を拡大の手段としているのは人間の魂の尊厳に対する挑戦であり、結局、長い年月の試練には耐えられないものなのである。「中世の終りに現れた千年王国リバイパルは、中世まで生き残った旧約聖書と天文学の現象(占星術)の学びによるュダヤ黙示主義によるものであり、メシヤの現れとその王国の実現を断言するものである」V.ノルスコブ・オルセン「メシヤの希望はいかなる時もイスラエル民族から失われた事はない」アパ・ヒレル・シルパー「王なるメシヤは未来において現れるであろう、そして、昔のダビデの王国を立て直し、神殿を再建し、イスラエル民族を集め、すべての律法はかつてのように実施される」マイモニデス(偉大なユダヤ人哲学者)
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これらの信仰は、今日、プロテスタントの半分が信している、死者のよみがえり、最後の審判、新しいエルサレムを含んでいる。ただ違うのはその王メシヤが再臨のイェスその人ではなく、ダビデの血統を継ぐ人物と言うだけである。千年王国説とか千年期前再臨説とか呼ばれるこの信仰は、全くユダヤ思想に焼き印されたものだとマルチン・ルター、カルビン、アウグスブルグ信仰告白は言っている。
千年王国説の信仰とカパリステイック・オカルトはイギリスにスチュワート王朝の時代に入って来た。その時、極秘の内にイエスの子孫の血統と称する人々が王位についた。
この時代にイギリスでピューリタン(清教徒)が始まった。ピューリタンの中ではこの千年王国信仰は非常なスケールで広がった。ピューリタンのもう一つの重大な要素はユダヤ・カパリズムのオカルトであった。ビューリタンの拡大があまりにも急激だったのでイギリスでは政治的な圧迫を受けたために、彼らは新天地アメリカに移動した。この最初のピューリタン移民をピルグリムと呼ぶ。その子孫は今日アメリカのイルミナティの最高位にある。彼らはマサチューセッツとコネチカットに住んだ。彼らの中心的指導者はジョナサン・エドワースであった。この有能な人物は千年王国説を理論的に発展させた。来るべきュダヤ人のメシヤによる千年王国の信仰はピューリタンに、自分たちがこれを
世界に知らしめる、神からの使命を帯びていると思わせた。それは今日エホパの証人とモルモン教が取っている見解である。さてここまではプロテスタントの中にユダヤ・カパリストたちがいかに巧妙に入り込んでいるかを見て来た。他にも私など計り知ることもできない形で彼らは入り込んでいる。例えば聖書そのものの変更もひどい。重要な言葉や思想がなしくずしに聖書から消え失せている。その他、特に最近では「可能性思考」「繁栄の神学」「インナーヒーリング」などが巧妙にプロテスタントを骨抜きにしている。ユダヤ・カバリスト(またはいっその事サタニストと呼ぶほうが正しいだろうが)がどうしてそんなにも簡単にキリスト教内部に入り込む事が出来るのかと言えば、それらの教説には聖書的根拠と思われるものがあるからで、初めからサタンの教えですよなどとやって来るわけではないからである。エパを輻した時のサタンもちやんと神の言葉を使っている。しかし、最近多くの教派や学者たちがこの携拳について疑間を表明するようになった。聖書本来の趣旨とは違っていると言い出している。この携挙信仰の最大の問題はクリスチャンがサタンの働きに対して警戒心を持たず、破壊工作に寛容遇ぎる態度を持つようになった事である。おそらくクリスチャンたち(特にアメリカの)は近い将来起こる迫害の嵐を突然起こった突風のように思うだろうが、
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それははるか昔から計画されているのである。しかし、聖書も主キリストもはっきりと終末におけるクリスチャンの苦難を預言している。また、千年王国説もカパリスト・ユダヤの思いどおりになっている。プロテスタントでも改革派はこの説をまったく受け入れていない。空中再臨も千年王国も、それを信じているからクリスチャンである、信じないならクリスチャンではないと言った間題ではない。私自身はどちらもニュートラルである。はっきり言って判らない。判っていることは未来を握っている方を知っていると言う事である。ただ、末来の予言から教理を打ち立てようとは思わない。さて、二○世紀も終わろうとしている今、サタンがプロテスタント教会に対して行っている攻撃には非常に共通した特長がある。それは九九の正しい教えプラスーの誤った教えである。私の身近にもこのパターンの攻撃が激しく行われていて、ほとんどの牧師が気がついていない。今、一○○○リットルの水のタンクがあるとしよう。ここに九九九リットルの清らかな水を入れた。しかし、最後に汚い、細菌だらけの一リットルをこっそり入れたらどうだろうか。その水全体は汚れてしまう。今日、有名な伝道者、癒しの伝道者たちは(欧米にはこういう超能力者まがいのキリスト教伝道者がゴマンといる)九九九の正しいキリスト教を語るが、こっそりとサタンの教えをまぎれこませている。
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最近故人となったアメリカの有名な癒しの女性伝道者キャサリン・クールマンは、オカルチストたちにも有名であった。彼女は実はChief Witchだったというのである。彼女の名誉?ある地位を継いだのはカーター元大統領の妹ルース・カーター・ステイブルトンである。Witchとは日本語では魔女とか魔術師と訳されているけれど、そんなおとぎ話の世界ではなく、言うなれば自発的に献身した悪魔礼拝者である。私はこのような事を公表する事が、何よりもまず、神の前に責任を問われることであることを自覚している。だから私を批判する人々もまったく同様に、神の前に責任を間われる事を自覚されたい。無責任な言葉は要らない。
226 キリスト教はサタンユダヤ教に勝てるか
さて、ここまで書いてきて思う事は、あるいは読者はキリスト教会とクリスチャンはただ一方的にサタンや堕落天使たちにやられっぱなしになっている、何と情けないことか、と思われたのではないかと言う事である。一体キリスト教会にはこのような巨大な力に対抗するいかなる手立てもないのだろうか。それがあるのであって、決してサタンは思い通りにこの世で振る舞っているわけではない。
フリーメーソンと薔薇十字団、この二つが欧米の反キリストの霊的パワーシステムであった。前者は実際的権カシステムであり、後者は霊的権カシステムである。他のありとあらゆる結社、宗教団体はこれらになんらかの形で連携するか従属している。そして、これら全てのパワーの源泉は「イルミネイトされる」ということであった。光を受ける、啓明を受ける、特別な知識を受ける、一段階進んだ人間になるというのがその意味である。これは実はサタンがキリスト教にある強力なパワーシステムを模倣したのである。キリスト教会には全く正反対ではるかにパワフルな秘密の力があるのである。それは日本人がほとんど知らないし、キリスト教会自身も実は認識していない場合の方が多い。読者は「三位一体」という言葉をご存じであろう。そして、少しはキリスト教について学んだ方なら、それが「父なる神、子なる神、聖霊なる神」であるという事ぐらいは知っておられるであろう。よく誤解されているが父なる神だけがヤハウェ(エホパと誤称される)なる神ではなく、三位一体なのだから、この全てがヤハウユ神である。そして、父なる神、子なるキリスト・イエスについてはいくらかはご存じであろう。しかし、聖霊なる
神についてはよくて名前だけしか知らないのではなかろうか。ところがこの聖霊なる神こそが現在地球上のヤハウェ神のパワーシステムなのである。今日キリスト教会、特にブロテスタントがサタン陣営の強力な攻撃にも負けずに爆発的に発展しているのはこの聖霊によるのである。実はこの事を示唆する聖書の言葉がある。「だれがどんな事をしても、それにだまされてはならない。まず背教のことが起こり、不法のもの、すなわち、滅びの子が現れるにちがいない。彼はすぺて神と呼ばれたり拝まれたりするものに反抗して立ち上がり、自ら神の宮に座して、自分は神だと宜言する。…そして、あなたがたが知っているとおり、彼が自分に定められた時になってから現れるように、いま彼を阻止しているものがある。不法の秘密の力が、すでに働いているのである。ただそれは、いま阻止している者が取り除かれる時までのことである」2テサロニケ2:1〜12ここで「阻止している者」というのが聖霊であると考えられている。またそれ以外考えられない。聖霊とはサタンの働きを阻止する力、バリアーであるわけだ。日本の生んだ偉大な仏教僧と言われる鈴木大拙師はある牧師に「聖書の中で、神もキリストも判るが聖霊だけは判らない、いったい聖霊とはなにかね」と間いたそうだが。それ
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ほど日本人にとっては聖霊とは判りにくい神の姿であるようだ。聖霊は神の霊とか、キリストの霊とか呼ばれる。しかし、同じ神の三番目の様態である。父は全ての上にいます全能の神として天におられ、子は人間の救いのために姿を持ったものとして地上に現われた。そして、聖霊なる神は、今、地上におられるヤハウェ神である。この方は天地創造の時その重大な働きをされた。「はじめに神は天と地を創造された。地は形なく、空しく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた」創世記1:1かように聖霊は母のように生み出し、育て、慈しみ、力を与える方である。この後、聖霊が顕著に現れるのはキリストの誕生と、昇天後キリスト教会が誕生したときである。ところでイユスが世に出る時、キリストの先躯者であったヨハネはこれから来るキリストの事を非常にユニークな言葉で紹介している。「聖霊と火とによってパプテスマをお授けになる・…i」マタイ2:11、ルカ3:16「聖霊によってパプテスマをお授けになる……」マルコ1:8、ヨハネ1:33一般に良く知られている「世の罪を取り除く神の小羊」という言葉はヨハネしか書いていないのに対して、四つの福音書(キリストの伝記)の記者たちが異口同音に言っている言
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葉「聖霊によるパブテスマ」がイェスの特徴である、識別のしるしであり、アイデンティティであった。そしてこれこそがサタンの「イルミネイト」に対抗するクリスチャンのパワーシステムなのである。これは水によるバブテスマ(洗礼)の事ではない。わざわざ「聖霊による」とあるように人間が授けるパプテスマ(洗礼)ではなく、神自ら親しくクリスチャンに授けるバプテスマ(洗礼)である。すなわち、キリスト教会には本来二つのパプテスマがあった。水のパプテスマと聖霊のパプテスマである。そして、聖霊のパプテスマは一般の人がほとんど知らないミステリアスで底知れぬバワーを秘めたキリスト教会の秘密である。キリストは十字架上で死ぬ前、弟子たちにこう言っている。「しかし、わたしは本当のことをあなたがたに言うが、わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのだ。わたしが去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はこないであろう。もし行けば、それをあなたがたにつかわそう」ヨハネ16:7
ここで助け主とは聖霊のことである。イエスは『自分が地上に残るより、聖霊が来るほうが弟子たちには有益だ』と言っている。さらに復活の後も弟子たちに対して、「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ。あなたがたのゆ
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るす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう』」ヨハネ20:22 と言っている。今まさに昇天しようとしている時、地上に残し大きな使命を与えている弟子たちに言った最後の言葉なのだからこれはよほど重要なことであるに違いない。実際、それはサタンに対抗する最善、最高、最強力な方法である。ここでイエスは「息を吹きかける」という奇妙な動作をされたとヨハネは書いている。ここはギリシャ語で書かれているが、ヘブル語だと「息」と「霊」とは同じ言葉でルアッハだからキリストのした意味が判るだろう。しかし、実際に弟子たちが聖霊を受けたのはその後、十字架から数えて五○日目であった。
プロテスタントば今パワーを増殖している
さて、キリストが十字架に掛かったのは、「過ぎ越しの祭」と言う祭りの最中であった。ちょうどこの日、ユダヤ人はモーセがエジプトからイスラエルの民を連れ出す前夜を記念
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して、羊を殺して食べる習慣があった。キリストが十字架に掛かったのはまさにユダヤ中で何十万頭の羊が殺されている最中であった。この羊はイスラェル人の罪の身代わりとして、その血を玄関の鴨居と柱に塗っておくと神の怒りが「過ぎ越す」のであった。過ぎ越さなかったエジプトの長男は全て死んだ。だからキリストはこれらの羊の代わりに永遠に「世の罪を取り除く神の小羊」なのである。ュダヤ人はその「過ぎ越しの祭」から七 X 七日プラスー日の五○日目を「ペンテコストの祭」として祝う(ペンタとは五という意味)。この七X七というのは非常におめでたい数字で、七X七年目ブラスー年目をヨベルの年と言って、奴隷は解放され、借金は棒引きになり、売った土地は元の持ち主に帰ると言う面白い律法もあった。これもまた、キリストが人類の罪を贖い、世界が神の御手に帰る日を現している。欧米人が七X七、四九をラッキーナンバーとするのはここから来ているのである。元巨人軍のクロマティ選手、やグラッデン選手の背番号のように。このペンテコストの日に「集まって祈っていなさい」というイエスの遣言に従って、エルサレムの民家の二階で祈っていた弟子たちに驚嘆すべき事が起こった。「五旬節(ペンテコスト)の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、突然、激
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しい風が吹いてきたような音が天から起こってきて、一同がすわっていた家いっばいに響きわたった。また、舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、ひとりびとりの上に止まった。すると一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した」使徒行伝2:1~4これが聖霊のパプテスマであり、キリスト教会誕生の瞬間である。キリスト教会というものはキリストの十字架から始まったのでもなく復活からでもない。このペンテコストの日からである。もちろんそれからも長くユダヤ教と共存していた時期があったが、この日が出発点であることに間違いない。キリストの十字架のとき、おびえて逃げ惑った弟子たちが大胆に伝道を始めた、その原動力が聖霊のパブテスマであった。だからこそイエスは弟子たちに繰り返し聖霊を受けよ、聖霊のパプテスマを受けよと言ったのである。ここで起こった事は「風のような音、炎のような舌、他国の言葉」である。キリスト教は多くの人が考えているように難しい理屈を並べ、背負い切れない道徳を担いでうめいている、真面目で気の毒な人々の宗教ではない(しかし、キリスト者自身が判っていなかった向きがあるので、そう誤解されても仕方がなかったかもしれない)。キリスト教とはその出発点からして全てのオカルトも真っ青なダイナミックでバワフルで不思議な宗教なの
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である。この聖霊のバブテスマを「聖霊に満たされる」ともいう。この舌はギリシャ語でグロッサという。また他国の言葉とはグロッンラリアという。新約聖書のなかでこのグロッソラリアはまた「異言」とも訳されている。それはまた「天使の言葉」とも言われていて(Iコリント13:1)、通常は地上の言語ではない。ただ、この場合のように地上の言語で語る場合もあった。これは全くその人が知らない言葉で、語った事も教えられた事もない言語を超自然的に語り出すのである。これは聖霊のバプテスマの最大の特徴であった。これはまた初代の教会では当たり前の事で、バウロはコリントの教会に当てた手紙の中で「余りにも多くて混乱するから整理せよ」と命じているほどである。バウロ自身も異言を語ったと言っている。「わたしは、あなたがたのうちのだれよりも多く異言が語れる事を、神に感謝する。しかし、教会では、一万の言葉を異言で語るよりも、ほかの人たちをも教えるために、むしろ五つの言葉を知性によって語るほうが願わしい」1コリント14:18~19この言葉から〃健全な〃教会は異言などあるべきではないと考える。しかし、ここを素直に読めばパウロは異言を禁じたのではなく、その乱用を戒めたのである。という事は乱用と思われるほど多くの異言を語る者が居たのである。だれも居なくては話しにならない。
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ところで教会はいつの間にかこの聖霊のパプテスマも異言も失ってしまった。教会は地上の権力となり、宗教改革によって大いに是正されたが、初代教会のバワーシステムだった聖霊のバプテスマと異言はまだ回復しなかった。一九○○年、アメリカのカンサス州トペカと言う町の小さな神学校で教師と生徒が「何か我々には初代教会の持っていたパワーがない。それはなぜだろう」と改めて聖書を読み始めた。するとこの聖霊のバブテスマと異言がないと言う結論に至った。彼らがそれを求めて祈り始めるとあのペンテコストの日とまったく同じような事が起きたのである。それはその後、カリフォルニア州ロスアンジェルスのアズサストリートに飛び火し、やがて世界中に広がって行った。このアズサストリートの教会にアルメニアからの移民が来て、驚いた、実はロシヤやアルメニアではこの現象は初代教会以来絶えることなく保持されていたのである。私の最初の本「悪魔最後の陰謀」の読者はこのアルメニア移民の話をご存じだろう。この移民たちは聖霊のパブテスマと異言を持っていたのであった。このムーブメントは第二の宗教改革と言えるほど大きな影響をキリスト教会に与え、今や世界中で巨大なバワーとなっている。しかしまた、このムーブメントは激しい反対にも出会った。軽蔑、あざけり、恐れ、怒り、あらゆる反対が既成教会の中に起こった。時には銃弾が打ち込ま
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れるほどの迫害が起り、多くの人々は教会から追放された。牧師の場合は教会から追い出されたり、教団から除名された。今でも私の友人たちにはこのように教団を追い出されたり、教会を封鎖された牧師が何人もいる。二○世紀初頭に、これらの人々は仕方なくペンテコスト派という一派を形成した。今や、これらの派はアメリカを始め世界の最大のキリスト教派となっている。しかし、一九六○年代に既成教会の中にこのムーブメントが広がった。このムーブメントはペンテコスト運動へのイメージを避けるためだろうか「カリスマ運動」と呼ばれた。そして今や、世界中で爆発的な成長を遂げている。今日アメリカを始め全世界でもっとも成長率の高い団体はペンテコスト派かカリスマ運動の教会である。私は聖霊のバプテスマを受け、異言を語るキリスト者だが、聖霊のパブテスマを受けているクリスチャンと受けていないクリスチャンをすぐ見分ける事が出来る。後者が自分の努力で信仰を持続しようとしているのに対して、前者には委ねきったリラックスな姿勢を感じる。また前者には生き生きとした信仰があるからである。これはあくまで私の主観だが、ミスター・ペンテコストと言われたデイビッド・デュブレシス師もこれを「冷凍したステーキ肉とフライパンの上で焼かれているステーキ」に例えている。
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聖霊のバプテスマはカリスマ(賜物)と呼ばれる神からの、特別な力を引き出す狭き門である。しかし、特にプロテスタントの中に聖霊のバプテスマを受けると人間が劇的に、または決定的に「清くなる」というとてつもない放言を言った人間がいて、それを真に受ける人々はこのムーブメントに反対している。聖書のどこにもそんな事は書かれていない。聖霊のパブテスマを受けたからと言って人間が突然清くなるわけではない。それは大嘘である。聖霊のバブテスマは「証印」である(エペソ4:30)。この証印と言う言葉は、牛や馬に押す焼き印の事である。だから自分が神のものになったと言う実感が生まれる。牛や馬が焼き印を押されたからと言って突然従順で役に立つようになるわけではない。そのためには訓練と教育が必要なように、キリスト者も訓練と教育が必要なことに変わりはない。クリスチャンとは死ぬまで訓練と教育を受けている者、いわば建設途中、発展途上の人間である。これは実態から結論できる。ではなぜ神はそんなにも大切な聖霊のバプテスマに異言などという奇妙な現象を与えたのであろうか。ここで確認しておきたいのは神は人間とのコンタクトに「言語」を用いると言う点である。サタンが人間とコンタクトするのにイルミネイトという、かなりあいまいな手段を使うのに対して(結構自己満足もあるのではなかろうか)、神は言語という
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「他人にも確認できる現象」を与えた。そうでないと本当に聖霊なる神がやった事でないのに、自分は受けた受けたと言う事もできるからである。ましてや「清くなった」などと言う自己申告的で不確実なものではあり得ない。人間の言語中枢神経は人間の神経の全体を支配していると言う事が近年判ってきた。新約聖書のヤコブ書3章に「わたしたちは皆、多くのあやまちを犯すものである。もし、言葉の上であやまちがない人があれば、そういう人は、全身をも制御することができる完全な人である」「あらゆる種類の獣、烏、這うもの、海の生物は、すべて人類に制せられるし、また制せられて来た。ところが舌を制しうる人は、びとりもいない」とある。言い換えれば舌グロッサすなわち言語を支配すればその人の全体を支配したことになる。だから、人間が神に支配されたことの現象は言語以外には考えられないし、それで十分なのである。ただし、キリスト教の場合あくまで自発的に自分を捧げきった時だけ神は支配されるのであって、どこかの宗教みたいに強制や脅迫や洗脳で支配するのではない。だからこそクリスチャンになっても聖霊のバプテスマを受けるのはその内の全部ではないのである。それも、一時的であって、すぐに支配は解かれる。もし望み続ければ継続される。
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しかし、前にも言ったように聖霊のバブテスマを受けたクリスチャンは強い。必死に信仰を持つ努力をしないから一見受けていない人よりも不熱心に見える場合があるが、柔軟さ、内なる強さを持っているものである。そして、異言は他の賜物、カリスマ(賜物)というタレント(能力)を解放する。病の癒し、奇跡、しるしが起こる。日本では少ないがアジア、アフリカ、アメリカなどではそこいらのTV番組なんて間題じやあない事が起こっている。どうして日本で起こらないかと言えば日本のキリスト教会は内村鑑三など武士階級から入ったなごりなのか、理屈が先行して、単純ではないから、またあまりにも物質的に豊かで医療も整備されているので必要がないからではないかと思う。ところで、この聖霊のパプテスマは世界のキリスト教界に大変な論議を巻き起こした。それはあまりにも今までのキリスト教とは違っていたからである。それまでのキリスト教と言えば行い澄ました、道徳的な、上品な、敬虔な宗教で…・あるはずだった。ところがこのムーブメントと来たら気ちがいじみて、喧騒で、御利益主義で、第一聖書的ではない、と既成の教会は思ったのである。確かに一部は当たっている。時には行き過ぎもなかったわけではない。しかし、本来キリスト教とは人類の二−ズに答える実際的なバワーを持っていたのである。福音書の中のキリストの生涯を見ても判るように、水をぶどう酒に変え、
病を癒し、死人をよみがえらせ、悪霊を追い出し、海の上を歩き、嵐を静め、弟子のひとりヨハネに言わせれば「その全てを書くなら世界も収めきれないほど」の奇跡を行っているのである。その上、キリストは弟子たちに「お前たちも私がした以上の事が出来る」と言っている。また、「信じるものには、このようなしるしが伴う。すなわち彼らは私の名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、へびをつかむであろう。また毒を飲んでも、決して害をうけない。病人に手をおけば、いやされる」マルコ16:16~17とまで言っている。初代のキリスト教会はこのようなパワーを持っていた。だからあの様に急激に世界に広がったのである。しかし、間もなく教会は巨大なこの世の権力機構となった。その時からこれら全てのパワーを失ってしまった。
初代の弟子のペテロとヨハネは生まれつき足のきかない乞食の男を見て「金銀はわたしには無い。しかし、わたしにあるものをあげよう。ナザレ人イエス・キリストの名によって歩きなさい」と言って直してやった、という記事が新約聖書の使徒行伝にある。それから数百年の後に、ペテロの後継者を自認するローマ教皇が神学者のトマス・アクイナスに言ったという「トマスよ使徒たちは『金銀はわたしにはない』と言ったが、私たちには有り余るほどの金銀があるな」するとトマス・アクイナスは「おっしやる通りです教皇様、しかし、その後の言葉『イエス・キリストの名』は
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ございません」と言ったという。トマスとは気骨のある人だったらしい。こうしてキリスト教会は一八○○年近く本来のパワーを失ったまま過ごして来たのである。それが二○世紀になって突然回復したのだから信じられない人々がいても不思議で
はない。とりわけ異言は話し言葉だったから記録しておくことが出来なかった。テープレコーダーは無かったから。さらに反対する人々がその棋拠とする聖書の言集がある。「愛はいつまでも絶える事がない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう」Iコリント13:8ここに「異言はやみ」とあるではないか、だからあれは初代教会だけのものだったのだ、と言うのである。しかし、自分たちの好みの文字だけを選別する、この人々の目はどうなっているのだろうか、そのすぐ後ろに「知識はすたれ」とあるではないか。いつ、知識がすたれたのか。ここはその後の言葉に、クリスチャンがキリストと「顔と顔とを合わせて見る」とあるようにまだ実現していない末来の話なのである。また、異言を一応認めようという人々でも同じ書の一二章の霊の賜物(カリスマ)のところに「異言の賜物」とあり、神が各々の人に賜物を分け与えているのだから、今ての人が異言を語らなくともいいなど
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としたり顔で言うのである。ところがここには「信仰の賜物」と言うのがある。異言を語らなくともいいなら、信仰が無くともいいことになるではないか。こんな単純な間違いを犯しながら自分たちは聖書信仰に立っていると言うのだからあきれる他はない。これは神学の間題ではなく、眼科か小学校の国語の間題である。「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。努めは種々あるが、主は同じである。働きは種々あるがすべての中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊を賜っているのは全体の益になるためである。すなわちある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言葉、またほかの人には、同じ御霊によって信仰、またほかの人には一つの御霊によっていやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、また他の人には預言、またほかの人には霊を見わけるカ、またほかの人には種々の異言、またほかの人には異言を解く力が与えられている。すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えれるのである」コリント1 12:4~11これらのカリスマ賜物は全て種のように信じるものには与えられているのである。ただそれを自分で成長、開発、発展させるかどうかなのだ。
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聖霊のパブテスマはこのような賜物を開く鍵なのである。それは巨大なバワーを秘めていて「神のためには要塞をも破壊するほどの力あるもの」2コリント10:4を実現する。この「力」と言う言葉はギリシャ語でデュナミス、その後ダイナマイトの語源となった言葉である。サタンの要塞をも破壊する事の出来る力は聖霊のパプテスマである。さてここまでの議論は多くの読者にとって、何がなんだか判らないかも知れないが、キリスト教というものはあなたが考えていたものとは大幅に違っていて、なんだかひどく面白そうだと思っていただければ幸である(手前勝手かな)。どうしてこんな章を付け加えたかというと、サタン、反キリストの巨大な力に対抗するにはどうしたらいいかという質間を受けるからである。この聖霊のバプテスマはブロテスタントの一部の教会で受ける事ができる。特に「ペンテコスト派」または「カリスマ的な教会」に行かれて、キリストを信じた後に受けるよう祈ってもらうことだ。さて、読者は私の文章を読んでおよそ牧師らしからぬと思われた事だろう。実はそれには訳がある。サタンがキリスト教会からそのカを奪う手段として「女性化、幼椎化、父権の侵害」を諮っているのである。もともとキリスト教というものは男性的なものであった。カルパン、ルターの文章を読んで見られるとよい。私の文章など穏やかなものだ。それに
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引き代え今日のキリスト教会の何と女性化、幼椎化されたことか。また父権の侵害は神の『父』のイメージを破壊するために、父を馬鹿にし、笑い者にする遠大な計画が進んでいる。何とアメリカでは父なる神という表現は性差別だから聖書から父なる神という表現を取り除こうという計画さえあるというのだ。映画、文学、漫画などあらゆるものがそのために動員されている。これについて詳しい事は改めて別の機会に論しる事にする。*『ホームアローン』と言う映画は父を馬鹿にしていないが大人を馬鹿にしている。Iはそうでもないが2はひどい。
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おわりにユダヤ教は目論見通り世界支配出来るか
読者はこの書で、カトリックに対する検証に対してプロテスタントのものがあまりにも少ないと思われるかもしれない。それには訳がある、一つには資料が手に入らなかったことである。原資料であるスプリングマイヤー氏のWise as Serpentもプロテスタントに関しては十分ではない。もう一つは、カトリックが現世の権力を志向しているので一般の読者にも判りやすいと思われるからである。ブロテスタントの場合あまりにも信仰話になってしまって内輪の人間だけの読み物になってしまうと思われる。それにしても改めて、ユダヤ・カバリストの影響の大きさに圧倒される。そしてかくも邪悪な目的のために何と熱心な努力が払われていることだろう。キリストはパリサイ人にこう言っている。「偽善な律法学者、パリサイ人たちよ。あなたがたは災いである。あなたがたはひとりの
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改宗者を作るために、海と陸とを巡り歩く。そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする」マタイ23:15何と適切な予言であろうか。我々が見てきたユダヤ・カパリストの中核はパリサイ派であった。そして彼らはこの言葉の通りに熱心にこの世界を巡り歩き、自分たちの福音を宣べ伝え、その人々をサタンの子、フリーメーソンにしているではないか。一昨年と昨年、私はこれらのサタンの子らの働きを警告する「悪魔最後の陰謀」(正・続)という本を書いた。すると多くの方から「ではどうすればいいのか」という御質間をいただいた。ある方からの情報によればオランダでは今年一九九五年から国民全てにIDカードが配られ、不所持の場合はただちに逮捕されるという。イギリスでは一九九六年から、アメリカでは反対があって延期されたが遠からず実施されよう。ユダヤ・カパリスト反キリストの陰謀がかくまで現実となっている、事ここに至っては、私はあまりにも宗教的宣伝と言われる事を覚悟であえて申し上げる。この質間にはニつの答えがある。一つはノンクリスチャンに向けて。もう一つはクリスチャンに向けてである。日本人はほとんど知らないが一九九五年現在アジアにおいて爆発的な勢いでキリスト教は進展している。中国では国民の一○%、約一億人がクリスチャンである。韓国に至って
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は三○%、インドネシア、カンポジア、ペトナムでもクリスチャン自身がわが目を疑う勢いでキリスト教徒の増加速度は増しているのである。これはかつて一度もなかったもので正に歴史上初めての一大事である。ヨーロッバではかつての共産圏、ロシア、ルーマニアハンガリー、東ドイツなど軒並みに発展している。アフリカでも特に著しく間もなく九○%がクリスチャンになると言われている。これらの国々はかつて大きな動乱を経験した共通点を持っている。そしてその前は仏教や偶像崇拝の盛んな国々であった。ロシアもそのキリスト教的色彩の陰で極めて迷信と偶像の国であった。その国々に民族同士が血で血を洗う凄まじい動乱が起こった。ソビエトの共産主義革命、中国の革命と文化大革命、朝鮮戦争、ベトナム戦争、カンポジアのクメールルージュ。これらの悲滲な戦乱はそれまでの平和で素朴な国々の人々の心を根本的に変えてしまった。その時、これらの国々の人々のより頼んでいた宗教は何の助けにもならなかった。聖書は言う、「その日には高ぶるものはかがめられ、おごる人は低くせられ、主のみ高く上げられる。こうして偶像はことごとく滅びうせる。(中略)その日、人々は拝むためにみずから造ったしろがねの偶像と、こがねの偶像とを、もぐらもちとこうもりに投げ与え……」イザヤ2:17~20
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こうして彼らの飢え乾いた心を癒したのはキリスト教だったのである。ひるがえってわが国は、第二次大戦の敗北の後にも、アメリカの寛大な占領政策によって、その根本的な部分までは変更されなかった。もしそういう言い方が気に入らないなら、日本がソ連に占領された場合を想定してみられたらいい。今日のように、天皇制も、宗教も、経済的繁栄もあっただろうか。日本は三八度線によって分断されることも、主義主張によって圧追されることも、ほんの子供までが頭骸骨を叩き割られる(カンポジア)こともなかった。そう考えれば、今アメリカが突き付けてきている貿易の無理難題も、実は当然と言う考えが向こう側にあっても不思議ではない。戦後の恩を忘れたのかと言うわけだ。もちろん私は、太平洋戦争自体がアメリカによって突き付けられたヤクザもどきの脅しから始まった事を知っている。しかし、日本だって清廉潔自、純債無垢、正義の国ではなかったことは周知の事実である。それでも結果的にアメリカの保護の下に、戦後五○年日本は平和で繁栄したのであった。そして、日本は再び奢り高ぶり始めている。戦後の一時期、キリスト教会は人で溢れた。敗戦によって心のよりどころを失った人々が殺到したのである。しかし、日本の教会はこの事態に対処出来なかった。人々は再び教会を離れ、経済活動に活路を求めた。実に戦後の日本の男子の宗教の神殿は会社ではなかっただろうかと思うほどである。
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豊になると人間は宗教活動に熱心になる。余裕を持つとまた心のよりどころを求めるようになる。神社仏閣は新築され、新興宗教は人で溢れ、八百万の神々でも足りなくて、外国の新興宗教までが繁栄している。しかし、私は警告する。真の神を敬わない国は決して繁栄し続ける事はないと。間もなく、日本人が考えもしなかった悪の帝王が世界を支配するであろう。あなたはこれから起こる事態に、あなたの信念、あなたの信仰、あなたの宗教、あなたの神々で十分対処できる自信がお有りだろうか。クリスチャンとしてよくこういう質間を受けた。「なぜ日本人なのに日本の神を信じないで外国の神を信じるのか」日本の神と言う言葉自体がすでにおかしい事に気付かれないだろうか。早い話が、もし日本が地殻の大変動で海に沈んでしまったら、その〃日本の神〃は何処に行くのか(エドガー・ケーシーという霊媒はそう予言している。もちろんそんな事は起こらない。地球を創造された神はそんな無意味なことをして遊んだりしない)。もう少し身近に?言えば、たとえば数十発の水爆で日本が人っ子一人いない焼け野原になって、日本の全ての神社仏閣、無数の新典宗教の大伽藍が跡形もなく吹き飛んだら、それらの神々はどこに行くのか。神が一定の地域に限定されるということ、または人間によって移動する事も設立する事も破壌する事も出来るという事、言い換えれぱそうでなけれぱ
存在し得ない、または存在を失う神などというものは神ではない。しかし、日本の場合、神という概念自身が極めて内面的なものであって、具体的な形態を持っていなくてもいいからこの様な言い方でも説得力がないことは知っている。日木人の場合、神は形やバーソナリティがないので、その存立はひとえに個人の信心に掛かっている。今まではそれでもよかった。しかし、これから、恐らく西暦二○○○年からはそうは行かない。サタンが自分は神だと宣言し、他の宗教を信じる事は許さなくなる。この時までに、サタンを礼拝する荒くれ者たちが、人類の人口を3分1に滅少させる計画を持っている。その名を上げれば驚くような優雅な人々がこんな残虐なスケジュールを持って日夜その実現に励んでいるなどと言う事をだれが信じられるだろうか。しかし、パートランド・ラッセルは現実にそのような希望を公然と発表していた。その前か後に世界の全ての人間に番号がふりあてられ、世界の全ての人類が囚人、または奴隷となる日もそう遠い事ではない。エホパの証人は正にその証人である。人類全て。しかし、もしかすると例外があるかもしれない。聖書によるならば、終りの日に東の国からこのサタンの子、反キリストに対抗する二億の軍隊が派遣されるとある。と言う事は反キリストが全人類を完全には掌握できないことを示している。サタンは神で
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はない。彼は全能者ではない。彼もまた神の被造物に過ぎないのだから人類全てを奴隷化する事は出来ないのではなかろうか。人間の自由に対する欲求は決定的なものなのである。自由こそが人間の証明だからである。それは神が愛であり、愛は自由の中にしか生まれてこないものだからだと前の本で説明した通りである。これに反してサタンは束縛する。サタンは人類を自分の奴隷にするのである。しかし、自由を天与の賜物として持っている人間をサタンとてそうそう思い通りには出来ない。サクンが自由に出来る人間は洗脳されたもの、脅迫されたもの、そして自ら進んでその僕となるものである。我々が見てきたユダヤ・カパリスト、フリーメーソン、イルミナティ、新世界秩序、世界政府、パワーなどと呼ばれている人々は、この、自ら進んでサタンの僕になった者たちである。これらの人々は神を知っていながら反逆または背信した者たちだという事も前の本で説明した。だから神を知らない日本人は本当の意味でのサタン礼拝者にはなれないことになる。ところが彼らはサタンを神と思って拝んでいるのであり、それは単に無知のゆえである。だから本当に拝むべき世界の創造主が判ったら、そちらを拝むかもしれない。
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サタンはそれでは気に入らないのである。サタンは神への反逆と言う〃悪〃を通らなければ満足しないのである。悪こそが彼の存在理由栄養素であるからである。こうして、かすかな希望がある事が判る。アジアは本当の意味でサタンの支配下には置かれないかもしれない。しかし、もっと確実な希望は皆がキリストを信じる事である。私に対して、クリスチャンからも「もし売る事も買う事も出来なくなったら、どうしたらいいのか」という質間が来た。そのような方々にはもう一度自分の信仰を点検してほしいと申し上げたい。クリスチャンは神の僕である。そうならどうしてサタンが「他人の僕」を自分の自由にする事が出来ようか。もし、クリスチャンが迫害され、苦しみに会い、殺されるとしたら、それは本人の御主人がそれを許したからである。神が許すならそれでいいではないか。神は我々にとって常に最善の事をなさる。そうなら迫害も、苦しみも、死も最善なのである。恐るべきはサタンではなく、神である。サタンが神の許しなくしては何ごとも成し得ないと判っているのだから、何を恐れる必要があろうか。逆に下手に自分で何等かの防衛手段を講じようとしたらむしろその様なわらの防壁は狼のひと吹きで吹き飛んでしまい、かえって危険なものとなろう。聖書に教会はキリストの花嫁だとある。神は父であるとある。花婿が花嫁を忘れる事があろうか。子供が飢えて泣き叫んでいるの
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に心の痛まない親があろうか。「女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子をあわれまないような事があろうか。たとえ彼らが忘れるようなことがあっても、わたしはあなたを忘れることはない。見よわたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ」イザヤ49:15「ご自身の御子をさえ惜しまないで、わたしたちすべての者のために死に渡されたかたが、どうして御子のみならず万物をも賜らないことがあろうか」ローマ8:31「信ずるものはあわてることはない」イザヤ28:16「あなたがたは立ち返って、落ち着いているならば救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」イザヤ30:15何もすることはない。主が知っておられる。主にゆだねて静かにしていることだ。私に対して心配してくれる方もあったが、私の一連のささやかな仕事も神のうながしがなかったら実現しなかったし、だれがこんな仕事を喜んでするものか。だから、私は神が私をサタンの手に渡すなら喜んでそれに従う。それが私にとって最善なのであるから。私は神の僕であって、サタンの僕ではない。私の人生と永遠を決定するのはイエス・キリストである。あなたの人生と永遠の住まいを決定するのは誰ですか?