以下は小石牧師の本よりの抜粋
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138 #この有名人たちがユダヤに処刑された
彼等のやり方を知るために、彼等の犠牲となったとおぽしき人々のリストを以下にあげる。もちろんすべ
てに確証がある訳ではない。まさか、あなた方がこれらの方々を処刑したのですか、と聞くわけにもいか
ないし、聞いたとしても答えるわけがない。すべては推測ないしは彼等のやり方にあきれて、反対者とな
った人々の証言に基づいて居る。そして、これはその犠牲者のほんの一部に過ぎない事をも付け加えてお
く。
ロシア皇帝アレクサンダー:すべてのメーソンロッジを蔡止して。
ジョルジオ・アンブロッソ:イタリヤの銀行家、P2に法的に介入して。
ランドール・ベアー:かつてのニューエイジのリーダー、クリスチャンになり秘密を暴露したために。
ウイリアム・ブラーナム牧師:、イルミナティの育てた魔女たちが教会に清入していることを暴露したた
め、アルコールで殺され名誉を失った。
ブロンソン上院議員: ニューディール政策に反対、飛行機事故で。
チャリニ教授:タルムードを訳そうとして。
トム・コリンズ: 喋りすぎたために。
グレース王妃: 知りすぎたために。
トスカー二大公 メーソンを非合法化しようとして
J.F.ケネデイ: 世界統一のシステムに加わっている一人一人をチェックしたため
リンカーン: ケネディと同じ
ウイリアム・モルガン:メーソンの事を書きすぎた。
ナポレオン三世: メーソンとの公約を破ったため。
ヨハネ・バウロ一世: カトリック内部のメーソンをチェックしたため。
ジョージ・ポーク: CBSキヤスター○チェース・マンハッタソ、メーソン、CIAとつながっているギリ
シャ人エリートを調査中行方不明に。
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I.B.ブラネチス牧師:タルムードを暴露しようとして。
サムエル・プリチャード:メーソンの事を暴露したため。
マクドナルド下院議員:反メーソンの有力者。大韓航空機でサハリン上空で処刑。
スチャル上院議員:ルーズベルトとュダヤの関わりを批判、車で礫殺される。
エレン・スレード:イリノイのロッジとの協力を拒んで。
マーピン・スミス:法廷に呼ばれる前に。
ノア・スミス:ー七九八年マンチェスターでメーソンに反対して。
ヴェルナのディダカス:クリスチャンユダヤ人。ユダヤ計画を暴露しようとして酷い殺され方をした。
(以上フリッツ・スブリングマイヤー著「へびのように聡く」より)
フリーメーソン、イルミナティの組織とその関連分野を描こうとするとそれは壮大な巻
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物になる。世界の政治、経済、学術、文芸、スポーツ、娯楽、宗教などあらゆる分野のほとんどトッブク
ラスが網羅されるだろう。そして、それらは広瀬隆氏の「赤い楯」によればすぺて閨閥によってつながれ
ていると言うのだから正に事実は小説より奇なりである。メーソンの組織は厳格なヒェラルキー(位階制
度または階級制度)によって築かれている。そしてそれぞれの階段を上って行くには、それぞれの学習と
儀式を通過しなければならない。前ぺージの図はメーンンの組織の名称である。しかし、明らかにこの組
織図はメーソンのヒェラルキーの一部分に過ぎない。実際にはアメリカの一ドル紙幣の裏側にあるピラミ
ッド(図参照)がその全体像を示している。最下部にはロータリークラブ、ライオンズクラブ、キワニス
クラブ、ポーイスカウト、ガールスカウトなどの社会福祉の団体がある。もちろんこれらの団体員は自分
たちがフリーメーソンと言う組織の一部などとは夢にも思っていないだろう。しかし、やがてそれらはア
メリカの実質的な支配者である外交間題評議会(CFR)、イギリスの王立国際間題研究所(RIIA)など
となり、これらの連絡機関であると思われるビルダーパーガーソサェティ、日米欧三極委員会(TC)、
国連などを産み、やがてキリストの十二使徒ならぬ、ルシファーの一三使徒ファミリー、二○人の王を経
由して謎の〃目〃にたどりつく。この
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目は「全てを見通す神の目」と言われていた。しかし、実際にはルシファーの目である。この目は国連の
瞑想の間にもあるという。しかし、実はこのピラミッドもルシファー王国の一部に過ぎない。各分野のヒ
ェラルキーは最終的に集まって図のようなコアとなる。従来この王国を組織図にすることは非常に難しか
った。それは各分野を一緒くたにして考えたからである。しかし、このように各分野をそれぞれのケーキ
の一辺と考えるならば実に分かりやすい。そして、中心となる最高権威は全て一点に集中している。
146 #エホバは誤読でものみの塔はユダヤの手先
ひところ若者たちの間でヒランヤなるものが流行った。それは正三角形を二つ向かい合わせに童ねたいわ
ゆる六角星の事で、ユダヤ人はこれをダビデの星と呼び、現在のイスラェル国旗にも使われている。しか
し、ダピデがこのような紋章を便ったという記述は聖書には全くないので、恐らくユダヤ人の伝承であろ
う。また、これをヒランヤと呼ぶように
なったのはいつの頃からだろうか。ヒランヤとは恐らくヒラムヤーの事であろう。それは「ヒラムはヤハ
ウェである」という意味になり途方もない冒漬のことばである。ヒラムは神、それも唯一全能の神だとい
うのだから正にフリーメーソンの思想そのものである。もともとユダヤ人の名前にはヤーという神の名の
短縮形がよく用いられている。例えばネヘミヤ、エレミヤ、アザリヤなどである。これらはそれぞれ「ヤ
ハウェは慰め」「ヤハウェは高き方」「ヤハウェは保護者」という意味である。また、いわゆるイェスと
はギリシャ読みで、ヘブル読みではエホシヤまたはョシュアの事であり、この場合は「救い主なるヤハウ
ェ」または「ヤハウェは救う」と言う意味になる。その点からも人類の救助者はヨシュアすなわちイェス
という名である事は定まっているのである。ヤハウェとは「在りて有るもの」という意味でYAHWEHと
現す。これはモーセがエジプトからイスラエル民族を解放するための指導者として、シナイ山で神から任
命を受けた時に、モーセがあなたの名前を教えて下さいと質間したのに答えたもので、言わば聖書の神の
国有名詞、本名である。ユダヤ民族はこれを非常に尊い名と考えた。それはモーセの十戒でこの名を「み
だりに唱えてはならない」と戒められたからである。そのために聖書を朗読する時この名の所だけ沈黙す
るか、アドナイという神の一般名詞の音を用いたと
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言われている。もともと聖書は書記の手により筆記して継承された。これを写本と呼んでいる。その際、
筆記の便のために母音を書かないで子音だけを書いた。そのためにヤハウ工はYHWHという四文字で書
き表された。この四文字を特にテトラグラマトンと呼び最も聖なる文字とされた。ところでこの四文字は
長い間発音されないうちに、いつしか本当の読み方が分からなくなってしまったと言われている。しか
し、やはり不便だと言うわけで一二世紀ごろ、ユダヤ教の教師(ラビ)たちはこのアドナイ(ado
nai)の母音aoaiをつけてYaHoWaHと呼ぶようにした。しかし、どうもそれではもともとの名ヤハウェに
近いというので最初のaをeに変えエホパと呼ぶ事にしたと言われている。宗教改革のころからキリスト教
会でもこの名が用いられるようになり、一般に定着してしまった。しかし、これは明らかに誤読であり、
しかも意図的に誤って読まれているのである。我々の名字でもその子音に勝手に母音をつけたら全く違っ
た名になるのだから、この呼び方は改めなければならない。最近ではキリスト教会でもエホパと言う呼び
名を使わなくなっている。それは例のものみの塔「エホパの証人」がこの名を「聖なる名」として盛んに
用いるからでもある。聖なる名なら正しく呼んだ方がいいだろうに、エホバに固執するのはもともとこの
宗教がユダヤ教的である事の証拠でもあるだろう。
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人々がいる。それでいて、偽書だと信じている人々のどれだけの人が本当にこの文書を読んだ事があるの
だろうか。この文書の珍しさは単にそれだけに止まらない。この文書の印刷、出版、搬送には時には軍隊
すら投入されて阻止されようとしたと言われる。翻訳者は翻訳しただけで殺されたと言われる。日本でさ
えこの文書の解説をした学者はその後なぜかかたくなに筆を折り、沈黙している。およそ書物の価値と言
うものはその内容によって決定される。聖書はその成立の過程も神秘的だが、二○○○年来読まれ続けて
きたのはその成り立ちではなく、内容によるのである。もし、ある書物が偽りであったら、すぐに馬脚を
あらわし人々に顧みられなくなるであろう。だからこの文書が偽書であるとしても大したものであるわけ
だ。私自身はこう考えている。もしある人が一枚の地図を手に入れたとしよう。ところが、だれかがやっ
て来てその地図は贋物だと教えてくれた。しかし、その人は構わずにその地図の通りに歩いて行ったら目
的地に着いた。ではその人はその地図とその地図が贋物だと言った人のどちらを信じるだろうか。「シオ
ンの長老の議定書」の価値はその内容が、事実その後の世界で証明された点にある。
150 #シオンの講定書はいかに読むぺきか
たしかにこの書物はあまりにもあからさまな悪徳に満ちている。一体これほど正直に自分たちの罪深さを
文書に記す事などあるだろうかと言う疑間はある。誰かを陥れようと計画したならそれは実に見事な手腕
である。しかし、全く火の気のないところから、ただ人を陥れるだけの目的で、これだけの思想を作り出
せるものだろうか。しかし、この文書が目的達成のために唱導している悪徳は、立場を変えれば悪徳では
なく、形を変えた軍事的な作戦計画である。本来、軍事作戦には卑怯も不道徳もあったものではない。考
えられる最悪の悪徳すら実施されるものである。
#議定書は世界支配のための軍事作戦計画
この文書の冒頭には次のように書かれている。「ある国が敵と戦っているとき、いかなる戦争の手段を用
いるとも、作戦の計画を敵に知らせず、夜陰に乗じて攻めても、不道徳だとは非難されずに済むが、『社
会の秩序と安寧を乱す』手段がなぜ不道徳と言われなければならないのか」その内容が、事実その後の世
界で証明された点にある。
この文書を実際的な軍事作戦計画だと考えれば、至極当然の事で、非難中傷する理由はない。ただ、それ
が平和な時代の真ん中で、しかも、世界的で、数十年(思想そのものから言えば数百年)の規模で行われ
るから、驚いてしまうのである。一体だれがこの様な文書を書いたのだろうという疑間は当然出てくる。
しかし、先程から述べている二つの立場から、それぞれの果てしない議論に巻き込まれてしまうので詮索
する事は無駄なことである。この文書の主張はひとことで言えば『ユダヤ人の帝王を頭とする世界政府を
樹立するための作戦計画』である。その内容についていちいち解説しようかとも考えたが、大変な作業と
なってしまうし、私にはそれだけの才覚もない、もっと有能な人々がすでに、幾つかの本を書き表してい
るので私は差し控えたい。とにかく一度、現物を手に入れて読んでほしい。この文書を実際に読まないで
発言する者は最も愚者である、発言する資格もない。読めば、今、世界と日本で起こっていることがすで
に事細かく予言されていることに唖然とするであろう。もしこの文書がただユダヤ人の評判をおとしめ、
彼等に対する追害と偏見を正当化するためだけの目的で書かれたと言うならば、どうしてその後の世界史
がこの文書の通りに動いてきたのか。不思議な事この上ない。読者は二○世紀がこの文書の予言
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通りに動いて来たことに気がつかれるだろう。それは決して偶然ではない。まさにフリーメーソンのF.D.
ルーズベルトが言ったように「政治には偶然起きるものは何もない。何かが起これば、それもそのように
計画されていたと考えて間違いないのだ」
#日本の政治経済の破壊も予定通り
「政治と道義とは全く没交渉である。道義を基礎とする為政者は政治家ではない。それだから、その地位
を持続することは出来ない。いやしくも為政者たらんとするなら、肝策偽善を弄しなければならない。す
なわち天真爛漫と正直とは政治にとっては罪悪である。その理由は、これらは最強の敵に勝っても、確実
に王位を転落せしめられるからである」(シオンの長老の議定書)
近年とみに日本の政治家の腐敗堕落が叫ばれている。次々と明るみに出る、取賄、贈賄疑惑、云々。新
間、TVは毎日これらの情報を流し続けている。「攻治家は清廉潔白でなければならない。天真爛漫、正
直でなければならない」
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この倫理感によって評価されるなら、日本からも世界からも政治家というものは無くなってしまうだろ
う。私だって金丸氏の蓄財には呆れ果てている。しかし、政治は汚いものだと思う。もともと人間が汚い
ものなのだ。その人間社会を統率する政治が清らかな愛の手で行われるなどということは絶対ありえな
い。あるとすればそれは神による直接統治であろう。民主主義はそれを構成している民衆以上の政治家を
生み出すはずはない。その意味において私は完全なペシミストである。それでもクリスチャンかといわれ
るだろうか。だから日本人は無知なのだ。キリスト教の根本は人間に対する徹底的な絶望から始まるので
ある。日本においてはなぜかキリスト教が、愛と善に満ちた人間の宗教という視点に置かれてしまった。
確かにキリスト者はそれを目標としている。しかし、そのためには人問の中にその様な資質はまったく期
待できないのだという確認から始まらなければならないのである。聖書は人間が全く罪に満ち、自分の努
力では、いかようにも救われないと言っている。それが旧約聖書の中身である。それに対して、新約聖書
はだから神が人となって救いに来たのだというのである。上記の議定書の言葉は好むと好まざるとにかか
わらず真理である。私は読者が必ず憤り批判をされるだろうと思う。しかし、これは人間の本性であっ
て、この文書は単にその本
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性を暴き出しているに過ぎない。今のように政治家が何をするにも明るみに出され、一から十まで清潔な
倫理感で動かなければならないとされるなら、日本は必ず破滅するだろう。そしてそれこそ彼等が目指し
ている目標なのである。彼等は自由、平等、博愛という互いに矛盾する言葉をもたらした。ゲーテは「自
由と平等が両立するなどと本気で考える人間がいるとしたら、それは狂人だ」と言っている。彼等は民主
主義、自由、権利という言葉を人間社会に持ち込んだ。これはあたかも絶対的な真理のようにすべての
人々に受け入れられた。しかし、これらは実際には有り得ない事だったのである。ちょっと考えてみただ
けでも、もしすべての人が互いの権利を主張したら、そこに平等な社会など成り立ち得ない事は分かるで
はないか。そのためには人間が、利己
欲望、嫉妬、憎しみなどの感情から完全に解放されていなければならない。「大衆はあらゆる機会に自己
の野蛮性を発揮するもので、大衆が自由を握れば、必ず無政府状態に変えてしまう」「我々が『自由、平
等、四海同胞』という言葉を民間に放ったのはすでに古代の事である。それ以来、これらの標語は、無意
識のおうむ返しによって、何度となく復習され、世界の幸福と、個人の自由とを破壊した」
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「かつては信仰が人心を掌握し、世が治められていた時代もあったが、自由の思想は、何人もこれを適度
に利用し得ないから、人民の自治を許しておけばたちまちに放縦になる。この瞬間から内乱が起こり、内
乱は社会闘争を誘発して、ついに国家は動乱の巷と化す」
156 #その時会ての白由ば奪われる
読者は「ではお前は自由や平等が悪いものだと言うのか。封建制度や絶対君主制がいいと言うのか、お前
はファッショがいいのか」と言うだろう◇この文書はこう言っている。「貴族は、人民の幸福と密接な関
係にある『自己の利益』のために、人民の自然的保護者となり、人民の扶養者であった。それを人民は
我々の指導の下に撲滅した。今や人民は無慈悲な成り上がり者や詐欺漢である、富裕農民の圧追の下に坤
吟している」この辺がこの文書の偽書と思わされるところなのだろうが、しかし、本当にフランス革
命、ロシア革命によって民衆は幸福になっただろうか。本当に貴族階級は搾取するだけだったのだろう
か。その後に出来た政府は民衆の幸福のために働いただろうか。我々が今受けとっている歴史感は本当に
正しいのだろうか。「我々は、従来の古代語(ギリシャ語、ラテン語)授業と、善例よりも悪例を教える
古代歴史の学習を廃する代わりに将来の諸方面に必要な学科の研究を第一とさせるであろう」彼らが世界
政府を樹立した後はこうすると言うのだ。善例より悪例を教えるとはよく言うものだ。要するにこういう
事である。人間は理想の政治を求めている。無私で清潔で倫理感に溢れ、理想に燃えた政治家を求めてい
る。だから、J.F.ケネディのような人が出ると熱狂して歓迦するのである。しかし、ケネディが本当に無
私で清潔で倫理感に溢れた人だったかどうかは多分に疑間である。また、実際ドイツ国民はあのヒットラ
ーを理想の指導者として熱狂して迎えた事もあったのである。歴史上本当に理想の政治家など果たして存
在しただろうか。恐らく一人として居ないだろう。それは本来、人間には無理な注文なのだ。しかし、彼
らは自分たちが権力を握るまではこの理想論をかざし、民衆を焚き付けて、無
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理難題とも言うべき基準を自分たちの指導者に要求させる。こうして秩序を破壊し、自分たちが絶対権力
を握った後は、彼等は絶対的な圧政をもってそのような要求をふみにじって行く。彼らははっきりと、自
由と言う言葉も抹殺すると言っている。「自由なる標語は、人間社会をしてあらゆる権力と抗争せしめ、
神および自然の威力に対してすらも闘争を仕掛ける。それゆえに、我々ユダヤ人が王位についたならば、
我々はこの標語を人類の語桑から抹殺しければならない。なぜならこの標語は大衆をして、血を好む猛獣
の如く化さしめるからである」
158 #日本の国債は国家を額波する額に達している
この文書はまた、どうやって国家財政を破綻させ、結局、国家そのものを担保に取ってその国を収奪する
かについてまで書き記している。それは国家の借金、国債によってである。この文書は国債の発行が、結
局は国家そのものの譲渡につながるものであることを明らかにしている。またその発行の仕方まで教えて
いる。そして、実にその通りになっている。株でも債券でもまず小出しにして、投機をあおり、売り切れ
たと公表すれば人々はあわてふためいて買い漁るだろうとも書かれている。私は経済には極めてうとい人
間だが、この辺りの描写となると、まるでここ数年の日本バブル経済の崩壊のシナリオを読んでいるよう
でおかしくなってしまう。すでに昭和六一年に失島鈎次氏は、日本の国債は今や絶対に返せない額になっ
ていると「ユダヤ・ブロトコール超裏読み術」に書いている。この本は極めて示唆に富む内容だったが失
島氏はそれ以来全くこの種の本を出していない。早い話が、命あってのものだねと言うわけだ。事態は決
して改善されたわけではない。いずれ日本は国家そのものをかたにして金銭で売り渡すか、さもなければ
我々の子や孫が必死に税金を支払っても支払っても足りないと言う事になるだろう。実際、ものごとはそ
んなに単純なのだろうか。人間は多く集まれば集まるほど単純化されていくものらしい。これはヒットラ
ーが単純化したスローガンで成功を治めた事でも証明されるだろう。とにかく一度読んで見る事である。
この文書をこんなに自由に読む事の出来る国もそう残されていないのだから。
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具体的な内容は以下へ;