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■■■■■解 説■■■■■ チョコボール石原氏が1人で書き上げたつるダヴィの歴史。1996年時習祭のとき、芸術写真館の会場に貼り出された。あとがきにはなんと氏の髪の毛まで展示されている。名作の誉れ高い一品である。本文のみを抜粋して記載した。 |
●つるつるダヴィデ像の秘宝● | |
The History of Tsurudavi |
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THE HISTORY OF TSURUDAVI 〜つるつるダヴィデ像・愛と涙の歴史〜 ・名称の由来 つるつるダヴィデ像---みなさんは最初にこの名を聞いた時、どのように感じたであろうか。僕自身はというと忘れもしない、2年の新入生歓迎会をひかえた春、杉森洋平からこの名を聞き思わず笑ってしまったのを覚えている。インパクトがあった。何ともいえない絶妙感があった。いい響きだとも思った。---これが僕とつるダヴィ(略称されるようになったのは2年新歓後)との出会いだった。しかし同時に、僕や他のメンバーは、この名は2年新歓限りであって、まさか3年の時習祭まで使うとは夢にも思わなかった。とりあえず名称の由来は「ダヴィデ像は皆、陰部の毛に注目するから、そこがつるつるだとおもしろいから」(by杉森)だそうである。 |
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・発足の原因 何故つるつるダヴィデ像は発足したか。何故こんな奇人・変人(?)の集団ができあがってしまったのか。僕個人の考えを言わさせてもらえばこの理由は「水泳部の環境」に尽きると思う。御存知の通り、プールの位置は、この広い時習館の片隅にあるまさに「陸の孤島」である。従ってアットホームな雰囲気が常に根底に流れている。このことはメンバーの団結心を育てた。また、管理室は会議室、作業室として絶好の場所であり、プールサイドは良き練習場所であり、プール・シャワーは最高のリフレッシュポイントだった。つまり、皆で自由気ままに住ごせるところ、それが“部室”だった。この親にしてこの子あり、この環境にしてこの子あり、まさに「つるダヴィ」の誕生は必然であったのかもしれない。 ・変遷 2年時習祭で一応の成功をおさめたつるダヴィに変化があらわれはじめた。「ただ客を笑わすだけでいいのか?」「下ネタに頼っていてよいのだろうか?」こんな疑問がわきでてくるようになったのだ。つるつるダヴィデ像の会議(?)は楽しく行われているが、そうでないことも多い。ときには意見が対立し、話し合いが長時間に及ぶこともあった。そしてこのあくなき追求心はやがて社会的不満につながった。その1つの例が「つるダヴィ自身」(この芸術写真館のどこかにあるはず)この新聞は現在の教育制度に不満を持った杉森・高倉らが中心となり作成され、大反響をよんだ。ついで3年新入生歓迎会にも社会的風刺を多くとり入れ、笑いだけにとらわれない劇を目指したのだった。 |
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・現在 96年、つるダヴィ発足3年目(実際は1年半)の時習祭、最期にかける熱意は受験生にもかかわらず、史上最高のものとなった。まず劇は新歓の目標である「笑いにとらわれない、下ネタのない劇」を引き続き目指し、社会風刺を多く採り入れようとした。(失敗?)また、去年に続くこの企画「芸術写真館」は、写真はもとより、放送部協力によるこの3年間のつるダヴィの軌跡を収録したダイジェストヴィデオ、小道具、歴史など、つるダヴィの総大成を目指した。全体として、音楽、映像、サウンド・エフェクト、あらゆる手段を駆使して持てる力のすべてをつぎ込んだ。総人数(登録数)も過去最高の19人になった。 ・この後 つるつるダヴィデ像はこの後どうなるのだろうか。この問いに答えられる人間は地球上にはいない。しかし、これまで述べてきた歴史をもとにすれば、ある程度は予測できる。メンバー全員近い将来(本当は来年が望ましいのだが)大学生になり、それぞれ別々となるだろう。しかし、まだ数年は学生でありつづけ、自由な時間が多く持てるであろう。再結成はないにしても、それぞれつるダヴィで育んだ精神を生かし、もっと幅広い活動を展開する者もいることであろう。つるダヴィ精神は永遠に不滅なのである。 |
![]() ▲一番下にあるビニール袋の中には、チョコボール石原氏の髪の毛が入っている。 |
・あとがき 僕は本当は3年生になったら受験勉強に専念するつもりでいた。時習館という県下でも有数の進学校に入学したのだから、そのように僕が思うのも当然で、教師の方々もそう思っている方が多いであろう。結果として3年の時習祭まで活動し、受験勉強に大きく後れをとったが、損なことをしたとは微塵も思わない。むしろ、この学校の受験勉強の不属品(いやそれ以下かもしれない)としての文化祭・体育祭に疑問を抱く。この学校では文化祭に命をかけるような奴は阻害され、排除される。決して長い準備期間でないにもかかわらず、6時になったら帰れ、帰れと追い回され、授業、宿題、予習は当然の如く存在する。とどのつまり、「時習館の予備校化」は今後なんの処置もとられなくては、ますます促進されるであろう。「学校がつまらない」そんな奴が増加するであろう。よく考えて欲しい。時習祭をはじめとする行事がなければ、「時習館予備校」であることを。ただの良い大学に入るための通過期間になりうることを。いや、予備校より悪いかもしれない。時習館はやりたくもない授業を受けなければならないからだ。 つるダヴィは実に色々なものを僕に与えてくれた。僕は将来世界中でこんな仲間をつくれるといいなと思う。たとえ地位や名誉や富がなくとも、それさえあれば幸せだというのは言い過ぎであろうか。 終りに、浅学非才の身でありながら、批判めいた大言壮語をお詫び申し上げます。そしてつるつるダヴィデ像のために尽力して下さったメンバーを含む関係者のすべての皆様にお礼を申し上げたいと思います。 |