マレーシアの話


これは2000年11月にマレーシアへ行ったときの話。少しだけ。

マレーシアの屋台街

マレーシアの屋台街は、マレー系ばかりの屋台街と、中華系ばかりの屋台街と、のように分かれていることが多いです。コタ・キナバルで私が入った屋内の屋台街では、西側半分がマレー系、東側半分が中華系で、その間が柵で仕切られていたりしました。最初なんでこうなっているんだろうと疑問でしたが、これは中華系料理に使われている豚肉を、イスラム教のマレー人が食べてはいけないからのようです。
マレー系の屋台のほうは、台湾の自助餐を小さくしたようなのが多く、色々好きなの選べて面白いです。自分で皿に盛って、屋台のおばさんが「はい、これは3.5リンギね。」とか勘定してくれます。マレーシアでは、屋台のおばさんでも皆英語を話せるし、しかも何故か日本人の私にも非常に聞き取りやすい英語を話すのでかなり楽です。で、マレー系の料理はスパイシーな炒め物系が多いですが、皆美味しかったです。
あと、マレーシアで有名なのはバクテー(肉骨茶)。これは福建系の食べ物なので台湾の屋台にも似た様な物があります。これは何と言ってもスープが美味しい。とてもあっさりしてますが、一体どうやって味を付けているのか謎な不思議な味です。ご飯付きセットで4リンギ(約120円)とか。

クアラ・ルンプールの詐欺師

これは私が詐欺師に引っ掛けられそうになった話。
空港からバスでクアラ・ルンプールの市内に着いて、予約したホテルのあるチャイナ・タウンで降りたのですが、降りた場所がどの辺りなのか全然判らず、「ここは何処?」という感じだったので、少し歩いてから見通しのいい交差点の角に立って、地図を広げてキョロキョロしながらホテルのある場所などを探していました。
すると、近くを通り掛ったマレー系のオジサンが、
「おや、どこかお探しですか?」
とか声を掛けてきたのです。その人、まあ割と普通の親切そうなオジサン、という感じだったんで、丁度いいや、と思って、地図を見せながら、
「今立っている所はこの交差点だと思うんだけど、そうでしょうか?」
と聞いてみたら、オジサンはそれには答えずに、
「君は日本人だろ。いやあ、僕は日本が大好きでねえ。」
「はあ」
「僕はエンジニアでね。日本にも行った事があるんだよ。そう、千葉だよ。知ってるかい?」
とか世間話をしてくるのでした。素直じゃない奴だなあ、と思ったけど、
「どれどれ、ホテルはどこに泊まるの?」
とか聞いてくるので、せっかくだから、
「ホテルはSWISS-INNなんですけど、ここからなら、こっちの方角でいいんでしょうか?」
などと言っていたら、オジサンは、
「なら、僕の妹に案内させるよ。妹はね、日本語が出来るんだよ。イシタンに勤めているんだ。イシタン、知ってるだろ?」
「イシタン?…ああ、伊勢丹ね。」
しかし何故ここで妹などが登場してくるのだろう?そしてオジサンは携帯電話を取り出して、
「今、妹を呼ぶから」
とか言って電話をかけ始めたのです。
「いやいや、それには及びませんよ。わざわざそんな。」
「いいから、いいから」
と、オジサンは電話で妹らしき人とマレー語で話し始めました。こりゃあ、ちょっと変だなあ、と思って、丁重にお断りしながらその場を去ろうとしていたら、オジサンは丁度目の前にあったハンバーガーショップに入り、
「まあ、ここに座って待ってろよ。今妹が来るから。何か飲むかい?コーラがいいかな。」
しかし全く、人に道を教えてあげるのに、電話で妹呼び出して、飲み物までおごったりするもんかいな。この時点で、もう露骨に怪しい。ここでもうサヨナラしてしまうのが正しいのだが、見た感じ黒社会系ではないようだし、周りに人が沢山いて危険度は低いので、面白がってちょっと話を続けて聞いてみました。
「君はいつまでマレーシアにいるの?そうそう、僕の下の妹が日本語を勉強しているんだけどね、ちょうどあさって日本に行くんだよ。同じ頃だよね。良かったら下の妹にも会ってやってくれよ。」
みたいな、まあ英語だったんで一部よく判らなかったのだけど、そういう話を続けるのだった。そうこうするうち、道案内役の上の妹が登場。それはちょっと気の弱そうなオバサンだったが、その人にバトンタッチすると、なんとさっきまでのオジサンはスッとその場から消えてしまったのだった。
そしてオバサンは、
「じゃあ、ホテルまで案内するから」
と、まるで仕事のように道案内を始めるのでした。まったくお前ら、段取り良過ぎるぞ。
で、そのオバサンは、確かに日本語が少し話せて、ホテルまで行く途中で、
「明日、明日の朝9時に、この先のマクドナルドで待ってるから」
というようなことを、一所懸命日本語で言っているのだったが、でもそれだけじゃ話しが解らんでしょう、という感じ。
そのうち、私が単に面白がって話を合わせているだけ、というのに気が付いたようで、段々やる気無さそうに、ただ決められた台詞を繰り返すだけ状態になってしまっていたので、ちょっと哀れではあった。彼女はさっきのオジサン程は芸が上手ではないようでした。
という訳で、ホテルまで案内して頂いて、どうもでした。

ところで、後になって旅行ガイドブックを読んでいて知ったのですが、この怪しい人達は、近年クアラ・ルンプールで頻発しているカード賭博詐欺グループらしいです。もしここで騙されて彼らについて行くと、いかさま賭博で大金を巻き上げられてしまうそうです。
それにしても、あんな露骨に怪しいんじゃ、騙される人なんかいる訳ないだろ、と思うんですが、それでも1000人に声掛けて1人でも引っ掛かれば、商売になるってとこなのかな。詐欺やるのも大変です。

コタ・キナバルの空港

コタ・キナバルは、クアラ・ルンプールのような都会と違って、のどかな田舎です。空港も少し古くて南国らしい雰囲気で、空港というより田舎の駅といった感じ。
空港で少し時間があったので、道路に面したベンチに座って椰子の茂みを見ながら涼んでいたら、近くで電話をかけていたマレー系の若い女の子が私の所へ来て、「何か書く物貸してくれる?」と言うので、ボールペンを渡してあげましたが、それがちょっと珍しかったのか、「おっ?なにこれ」とか言いながら電話の所へ戻って行って、そして電話が終わると「ありがとう」と返しに来てスタスタと行ってしまいました。
それからしばらくすると、ベンチの隣に座っていた華人の若い女の子が、「すいません、この荷物、ちょっと見ていてもらえますか?」とか言うので、そんなの頼んで大丈夫なの?と思ったけれど、OKすると、その女の子は荷物をベンチの上に置いてどこかへ行ってしまいました。しばらく5分位して戻ってくると、今度は「あっ」とか言ってトイレへ入って行って、出てくると今度は売店へ行ってしまうし、本当に暢気な奴でした。
その間、反対隣のベンチでは、華人の家族4人が、ずいぶん楽しそうに広東語で談笑してました。まあ、とても悪人が登場しそうな雰囲気で無いのは確かだったけれど。のどかです。
しかし私は台湾とかでも、よく人からものを頼まれたりするんですが、そんなに人が良さそうに見えるんでしょうか。日本でそういうことは全く無いのだがなあ。

ジャメ・モスク

クアラ・ルンプールの街の中心で、クラン川とゴンバック川の合流する三角部分にあるイスラム教の寺院。夕方になると椰子の木に囲まれた白い建物がライトアップされて非常にきれいです。高架鉄道のマスジット・ジャメ駅のホームからもよく見える。見学時間が決まっているので、お祈りの時間に行ったら警備員に止められて中に入れてくれなかった。

2001/4/8

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