☆1983年生まれのみんなの同盟☆

冷たい水の中を君と歩いていく


 泉のように澄んでいる。
 足を入れると冷たくて、体の芯まで冷え切っていく。
 ガラス越しに見る街は、ゆらゆらと歪んでいて、透明で、きれい。
 ソーダ水の中に沈んだ私は、何も見えない。何も聞こえない。
 流れていく水。流れていく、どこまでも。
 きれい。私の心を壊すほどに。

 夏の陽射しを浴びて、私は川岸の草原に寝ころんでいた。
 遠くで釣りをしている子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
 都会の唯一の避暑地を求めてやってきた人が、バーベキューをしている。
 薄汚れた川とはいえ、川縁が涼しいことに変わりはない。
 真夏の太陽は真上から私を照りつける。青い空。白い雲。
 緑も鮮やかな川縁は、最近変わってきた。白い壁で出来た、白い砂の公園が出来て、電車の車庫が見下ろせる高台も出来た。公園とは名ばかりで、そこに広がるのはただの広場。子供たちはそれでも満足しているようだが。
 小ぎれいな学校も出来た。どうしようもないほどに小さい校庭。隣の小学校と二百メートルほどしか離れておらず、生徒数も少ない。校舎は銀色で、暖かみがない。夏でも冷たく輝いている。
 私が歩いた空き地にはマンションが建ち並び、過去の面影は残っていない。マラソン大会で必死に走った土手は、いつの間にかなくなっていた。
 変わっていくのだ。私と一緒に。

「どうしたんだよ?」
 ふと目を開けると、見慣れた顔がそこにあった。私の弟。今年高校に入ったばかりで、合唱部に入部した。今まで頑なにバスケを続けていた彼が突然合唱部に入ったのは、確か私の一言がきっかけだったはずだ。
「何が?」
 彼が受験勉強のために部活を引退した頃、高校二年だった私は一枚のCDを聞いていた。別に興味があったわけではないけれど、菜の花をバックにたたずむ女の人を見たとき、これだと思った。家に帰って聞いてみると、思いも寄らぬ力にあっという間に引き込まれた。川が流れるように、静かで、星がきらめくように美しくて。
「こんな所で寝そべって、何やってるんだよって聞いてるの」
「うーん、お昼寝」
「ばか」
 彼は私の両手を引っ張って上半身を起こす。こつんと私の額をこづくと、隣に腰を下ろした。
「こんな所で寝るなよ。昼間だって変なのは出るんだから」
「はーい、わかりましたっと」
「わかってないだろ」
「だって、気持ちいいんだもん。水の流れを聞いてると」
 私は彼に向かっていった。歌っていいね。そうしたら、彼は合唱部に入った。いろんな歌を歌っていた。とても、とても綺麗な声で。
「亜矢、わかってないだろ。自分がどんだけ可愛いか」
「可愛いの? 私って」
「可愛くなかったら惚れません」
 そうなのだ。
 私は、彼とつき合っている。禁じられた恋だと知りながら。
 彼が水面を見つめている。その横顔があまりにも綺麗だから、つい見とれてしまう。
 私の視線を感じてか、彼は怪訝そうに首を傾げた。
「どうした?」
「うーん……」
 私は小さくうなって、言うべき言葉を探した。イメージはあるのに、言葉に出来ない。
「何でもいいよ。亜矢が思うとおりに言ってよ」
 彼は何でもわかっている。私が困ると、私が一番言ってほしい言葉を言ってくれる。
「そうね……なんか私、全てがぼやけて見えるの。でもきらきら輝いていて……そう、泉。泉の中にいるみたい。水を通して光が射し込んできて、どんどん沈んでいくの。深い泉の底に。でも、辺りは明るいままで。あまりにも綺麗で、心が壊れそうで」
「悲しいこと言うんだな」
「悲しい?」
「そう。まるで、俺たちの関係みたい。どんどん沈んでいくけど、明るいだろ? 俺たちの周りだけ。愛し合えば愛し合うほど、俺たちは壊れていく」
 そう言われればそうかも知れない。私が漠然と考えていたことは、私が思い描いていたイメージは、そういうことだったのかも知れない。
 深い泉の底に沈んでいく私たち。そのまま、心が壊れていく。
「でもね、私、これは仕方がないことだと思うの。だって、私は京一を男として見たんだもの。あなたのことを弟だとは思えなかったのよ。これはきっと過去から決められていたことなのよ。偶然愛し合っては行けない形で生まれてきて、愛し合っては行けない形で出会ってしまっただけ」
 風が彼の髪をかき上げる。風になびく髪を感じる。眩しい太陽が、私たちに照りつける。

 愛してはいけない。
 実らずに終わらなければいけない。
 だけど愛してしまった。
 私たちは、壊れていく。

「帰ろうか、京一」
「そうだな」

 父は知らない。母は知らない。
 友人も、誰一人知らない。
 彼以外は。

 青い空、白い雲。
 私たちは、日を追うごとに透きとおっていく恋を、隠し続ける。
 私たちは、壊れていく。

by.【No.183】セブン  ('00,11/15 up)