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泉のように澄んでいる。
足を入れると冷たくて、体の芯まで冷え切っていく。
ガラス越しに見る街は、ゆらゆらと歪んでいて、透明で、きれい。
ソーダ水の中に沈んだ私は、何も見えない。何も聞こえない。
流れていく水。流れていく、どこまでも。
きれい。私の心を壊すほどに。
夏の陽射しを浴びて、私は川岸の草原に寝ころんでいた。
遠くで釣りをしている子供たちのはしゃぐ声が聞こえる。
都会の唯一の避暑地を求めてやってきた人が、バーベキューをしている。
薄汚れた川とはいえ、川縁が涼しいことに変わりはない。
真夏の太陽は真上から私を照りつける。青い空。白い雲。
緑も鮮やかな川縁は、最近変わってきた。白い壁で出来た、白い砂の公園が出来て、電車の車庫が見下ろせる高台も出来た。公園とは名ばかりで、そこに広がるのはただの広場。子供たちはそれでも満足しているようだが。
小ぎれいな学校も出来た。どうしようもないほどに小さい校庭。隣の小学校と二百メートルほどしか離れておらず、生徒数も少ない。校舎は銀色で、暖かみがない。夏でも冷たく輝いている。
私が歩いた空き地にはマンションが建ち並び、過去の面影は残っていない。マラソン大会で必死に走った土手は、いつの間にかなくなっていた。
変わっていくのだ。私と一緒に。
「どうしたんだよ?」
ふと目を開けると、見慣れた顔がそこにあった。私の弟。今年高校に入ったばかりで、合唱部に入部した。今まで頑なにバスケを続けていた彼が突然合唱部に入ったのは、確か私の一言がきっかけだったはずだ。
「何が?」
彼が受験勉強のために部活を引退した頃、高校二年だった私は一枚のCDを聞いていた。別に興味があったわけではないけれど、菜の花をバックにたたずむ女の人を見たとき、これだと思った。家に帰って聞いてみると、思いも寄らぬ力にあっという間に引き込まれた。川が流れるように、静かで、星がきらめくように美しくて。
「こんな所で寝そべって、何やってるんだよって聞いてるの」
「うーん、お昼寝」
「ばか」
彼は私の両手を引っ張って上半身を起こす。こつんと私の額をこづくと、隣に腰を下ろした。
「こんな所で寝るなよ。昼間だって変なのは出るんだから」
「はーい、わかりましたっと」
「わかってないだろ」
「だって、気持ちいいんだもん。水の流れを聞いてると」
私は彼に向かっていった。歌っていいね。そうしたら、彼は合唱部に入った。いろんな歌を歌っていた。とても、とても綺麗な声で。
「亜矢、わかってないだろ。自分がどんだけ可愛いか」
「可愛いの? 私って」
「可愛くなかったら惚れません」
そうなのだ。
私は、彼とつき合っている。禁じられた恋だと知りながら。
彼が水面を見つめている。その横顔があまりにも綺麗だから、つい見とれてしまう。
私の視線を感じてか、彼は怪訝そうに首を傾げた。
「どうした?」
「うーん……」
私は小さくうなって、言うべき言葉を探した。イメージはあるのに、言葉に出来ない。
「何でもいいよ。亜矢が思うとおりに言ってよ」
彼は何でもわかっている。私が困ると、私が一番言ってほしい言葉を言ってくれる。
「そうね……なんか私、全てがぼやけて見えるの。でもきらきら輝いていて……そう、泉。泉の中にいるみたい。水を通して光が射し込んできて、どんどん沈んでいくの。深い泉の底に。でも、辺りは明るいままで。あまりにも綺麗で、心が壊れそうで」
「悲しいこと言うんだな」
「悲しい?」
「そう。まるで、俺たちの関係みたい。どんどん沈んでいくけど、明るいだろ? 俺たちの周りだけ。愛し合えば愛し合うほど、俺たちは壊れていく」
そう言われればそうかも知れない。私が漠然と考えていたことは、私が思い描いていたイメージは、そういうことだったのかも知れない。
深い泉の底に沈んでいく私たち。そのまま、心が壊れていく。
「でもね、私、これは仕方がないことだと思うの。だって、私は京一を男として見たんだもの。あなたのことを弟だとは思えなかったのよ。これはきっと過去から決められていたことなのよ。偶然愛し合っては行けない形で生まれてきて、愛し合っては行けない形で出会ってしまっただけ」
風が彼の髪をかき上げる。風になびく髪を感じる。眩しい太陽が、私たちに照りつける。
愛してはいけない。
実らずに終わらなければいけない。
だけど愛してしまった。
私たちは、壊れていく。
「帰ろうか、京一」
「そうだな」
父は知らない。母は知らない。
友人も、誰一人知らない。
彼以外は。
青い空、白い雲。
私たちは、日を追うごとに透きとおっていく恋を、隠し続ける。
私たちは、壊れていく。
by.【No.183】セブン ('00,11/15 up)