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教会
ヴィリニュスの教会
ソ連のゴルバチョフ政権末期に起こった、“歌う革命”などと呼ばれた独立運動の盛り上がりまで、バルト3国というのは滅多に名前を聞かない国々だった。滅多に名前を聞かない国々は幾らでもあるかもしれないが、少なくともオリンピックや世界陸上のような国際スポーツのイベントなどの開会式では聞くことが出来る。しかしソ連に組み込まれていた3国については、そういう機会も無かった…
公には「大学でソ連の歴史などを学んだ」と言っている私が、丁度それをやっていた頃に発生した動きだったので、私はこの3国というものに大変な興味を覚え「何時か訪ねてみよう」と長く思い続けていた。数年を経て、そうした思いは現実のものとなった。
脚光を浴びた経過が3国がある程度足並みを揃えて進めた運動だったことで、“3国”とまとめられるが、各々個性的である。同じバルト海を望む国であっても、各々の歴史を持っていて、各々の現状は少しずつ違う。喩えて言えば、同じ家庭で育った兄弟や姉妹でも、各々の交友やたまたま興味を持ったものがそれぞれにあり、長じてから各々違う分野で仕事をしているようなケースがよくあるようなものだと思う。そうした意味で私は“魅力的な三人姉妹”とこの3国を呼んでいる。
リトアニアは、海上交易の国という印象は薄い。“姉妹”のラトビアとエストニアの首都は何れも港町だが、リトアニアの首都ヴィリニュスは内陸にある。隣国ポーランドとで強力な連合王国体制を築き、欧州中央部の少し東よりの平原に、強い勢力を誇っていた経過を有している。ローマ法王ヨハネ・パウロ2世がポーランド人であることから判るように、ポーランドではカトリックが最もポピュラーな宗教だが、過去の経過故、リトアニアでも状況は同じである。特段気にかけていた訳ではなく、たまたま通りすがっただけなので正確な場所は忘れたが、ヴィリニュス市内にはバチカン市国の領事館が確りあった。
“ソ連時代の教会”というのは政権に敵視-古くから社会で有していた求心力の故に警戒されていたと言う方が正確かもしれない…−され、教会の建物が破壊されたり、そこまでには至らずとも倉庫になっていたりと、厳しい途を辿った例が多い。リトアニアの教会も同様である。独立を果たした後は、少しずつ古くから人々に愛された教会を取り戻そうと努力をしている様子が、実際に訪ねると窺える。
ヴィリニュスには眼を惹くものは多いが、こうした経過に思い至らせてくれた教会の内部をご紹介したい…


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