フェルナン ピント
Mar.1.99

フェルナン ピント【Fernao Mendes Pinto 】


先日、先駆者の題で16世紀に、西洋に渡航し、ポルトガルで没した日本人、ベルナルドについて記した。

調べる途中で、関連史料で、面白い人物を発見した。

Fernao Mendes Pintoという、ポルトガルの商人。
波瀾万丈の半生を経て、東アジアにて、貿易に携わり日本とも関係を持っていた。

「Peregrinacao」なる書物を書き残しているが、あまりにも、自分で都合よく脚色した「ホラ話」が多く、歴史学者も、どこまで真実が書いてあるのか、頭を悩ましたという。

話の信憑性が問われているので、マルコポーロの「東方見聞録」などに比べて、注目度も低いが、和訳が ちゃんと出版されているそうだ。

日本に関する、いろんな事件は、全部「俺がやったんだ」「俺がからんでいる」と吹聴するが、裏付史料を見ると、まったくの嘘である事が判明している。

日本の企業の、営業部長が赤提灯で、語る自慢話のレベルである。

しかし、その中で、異論を唱える人がいないのは、「日本に到達した、西洋人は彼が第一号であろう」という事。

この男、1523年に、奉公先のリスボンの貴族の屋敷を抜け出し、船にのって東方に向かうが、フランス海賊に教われ、奴隷商人に、モロッコへ売り飛ばされる事になる。

ところが、輸送途中に、また海賊に襲われ、その海賊は、金目の積み荷を略奪したまま、ピントは船に置き去りにされて、奴隷になる運命から逃れた(この辺から、すでにホラ話しっぽいよね)。

ピントは、セパトゥールに向かい、サンティアゴ騎士団に仕えるが、一攫千金をめざして、インドに旅立った。

途中で、トルコ軍と戦い、捕虜になり、奴隷として売られた(またかいな、ほんまかいな)が、ホルムズの商人が彼を買い取り、無事インドに到着した(なんか、うそくせーな)。

その後も、種子島に漂着して、日本に鉄砲を伝来させ、大友宗麟に会い、鹿児島からヤジロウを脱出させた、事になっているが、全部ホラ話らしい。

こういうお調子ものは、それでも商売は、上手なもんで、貿易から巨額の利益を得ていたらしく、フランシスコザビエルに、金を貸したりしている(この話しは、本当らしい)。


この人物、ピントが面白いのは、実はこの後だ。

ザビエルは、1552年に、中国で没し、数ヶ月たった後、この遺体にピントは、対面した。

このザビエルの遺体が、死後数ヶ月たっているのに、まったく腐敗していない事実を見た彼は、聖人の奇跡に感動し、突然それまでの財産を全て投げ打って、イエズス会 "Companhia de Jesus"に入会し、宗教家になり、日本にも、布教活動をしに行っている。

しかし、その後彼に関する記録は、途絶え、イエズス会からも脱会しているらしい。 イエズス会の記録では、彼の名前が出ているところは、線で抹消されているというので、多分問題を起こして、破門になってしまったのでは、なかろうかと言われている。(まぁ、問題を起こしそうな、人ですよね)

1558年には、ポルトガルに帰国し、妻と共にAlmadaに居を構え、この冒険記録を執筆する事に専念したという。

この冒険記録は、彼の死後出版され、英語、仏語、西語に翻訳された。

ポルトガルでは、ピントは、小学校の教材に必ず出てくる英雄。

日本語訳は、「東洋遍歴記」というタイトルで、岡村多喜子氏の訳でが平凡社・東洋 文庫から全3巻で出ているそうです。