戦争の発端
Feb.2.99

戦争の発端【せんそうのほったん】


ユーゴのコソボ問題が、また深刻化してきた。NATOの空爆も、ソラーナgeneral secretary(日本語でなんて言うのか、わからん。事務総長か?)に空爆開始権限を委任した。
戦闘開始体制だ。私は、空爆反対論者だ。

ミロセビッチという、狂気の男は、その程度で、アルバニア系住民虐殺の手をゆるめるとは思えない。
ユーゴの内戦の、発端をつくり、ボスニア問題を、影で操作していた、黒幕の男だ。
いたずらに、この狂人を刺激したら、コソボ自治州に、ひとりのアルバニア系住民もいなくなるまで、徹底的に迫害を続けるだろう。
むしろ国連軍の監視派遣を強化して、最後はミロセビッチを国際軍事法廷にかけるべきではないかと、思う。

ユーゴ問題は、私にとって、背景がよく判らない、国際紛争の一つだった。
実に問題は、複雑だ。

タリバーンによる、アフガン制圧のような、革命的色彩の内戦だと、対立関係がわかりやすいが、ユーゴ問題を理解するまでに、実にいろいろな、文献を読み、時間を要した。

これについては、ここで深く掘り下げず、別の機会に判りやすく、説明する機会を設けたい。


今回は、戦争の発端が、実に小さな事件から始まるという事に、気付いた。
昔読んだ本に、「実は、戦争の始まりは、子供同志の喧嘩だったりする事もある」と書いてあったのを、思い出した。
世界史で、「バルカンの火薬庫」という表現を、教わった。
まさに、バルカン半島は、いつなにが発端で、戦争が起るかわからない程、緊張状態が常に続いてきた地区だ。
地理的にも歴史的にも、キリスト教徒と、イスラム教徒が、いりまじり対立する上、民族的にも、スラブ人と、非スラブ人が混在する。

また、キリスト教徒のなかでも、カトリックと正教の対立もある。
第一次大戦の発端が、ボスニアの首都サラエボで起きた、セルビア人による、オーストリア皇太子暗殺事件だった事は、有名だ。


ボスニアヘルツェゴビナでの、内戦の発端は、いろいろ調べてみると、どうもある結婚式の事件だったようだ。

ボスニアの独立に関する、国民投票の日に、セルビア人の結婚式で、花婿の父親がイスラム教徒により、殺害される事件があった。
軍事制圧の機会を狙っていた、セルビア人の黒幕カラジッチと、その後押しをする、ミロセビッチにとっては、治安部隊出動の名目で、警察と大統領軍をも退けて、乗っ取りをかけたのが、事の起りだったらしい。

もっとも、実はセルビアのミロセビッチと、クロアチアのツジマンがすでに、ボスニアヘルツェゴビナの分割の、密約を交わしていたらしい(この事は、あまり報道で触れられていない。証拠もないから、噂にすぎないが、事情通の中でも有名な話だという)から、両者ともに、挙兵機会を狙っていたのだろう。


今回の、コソボ問題も、もともとは14世紀のコソボの戦いまでさかのぼる、根の深い背景だが、緊張しはじめたのは、資料をさかのぼってみると、95年3月あたりが、その原点の様に思える。

ある日、コソボ自治州の、Vushtrriにある、中学校での、アルバニア語の授業中に、セルビア人武装警察が、乱入して、授業を中止。
その後、このアルバニア系の、教師を逮捕投獄した辺りが、どうも事の起りのようだ。
これに反発した、アルバニア解放軍が、セルビア政府軍と衝突したのが、それから始まる長い、虐殺の応酬の発端らしい。

いつまで、無益な内戦を続けるのか、単なる民族感情的な問題だけだ。

セルビアのミロセビッチ大統領と、クロアチアのツジマン大統領のような、極右民族思想を掲げる指導者が、政権の座に居座り続ける限りは、火種はなくならないだろう。


という話を、今日ユーゴスラビア人の、同僚にした。

彼は、セルビアではなく、モンテネグロの出身なので、完全にセルビアを支持しているわけではないが、ジャーナリズムが、セルビアだけを、悪者にしている論調はフェアでない、と言っていた。

もともと、コソボは、れっきとしたセルビアの領土で、アルバニアからの流民が増えたため、セルビア人が追い出される形で、ベオグラードに移住した経緯にあり、9割方の住民が、アルバニア系となった、現代に既成事実をもって、自治州になっただけで、独立の正当性はないという。

そもそも、何故、チトー大統領が、わざわざコソボや、ボイボディナ自治州を、つくったかというと、モザイク国家ユーゴスラビアの中で、セルビア勢力だけが強くなりすぎないための、安全弁として、西のクロアチアとスロベニアと並び、独立性をもたせ、牽制効果を狙ったものという、説である。

セルビア人は、他の共和国では、迫害、虐殺されてきた歴史があるのに(実は、クロアチアが大戦中に、ナチスと共謀して、セルビア人を何十万人と、大虐殺した事実は、あまり報道されていないが)、何故セルビア人が、加害者になったときだけ、大きくとりあがるのか?と不満そうだった。

とは言っても、子供を含む、無抵抗の一般人を、アルバニア系解放テロと決め付けて、処刑同然の形で、村毎皆殺しにするやり方は、かつてのベトナム戦争と全く同じレベルの、卑劣な制圧であるのは、間違いない。

本件に関して、アメリカが、あまり表にでないで、NATOの主導権をむしろ、英仏に委ねているのは、かつての、ベトナム戦争での、アメリカ自身の姿が、セルビアの姿勢に、投影されているのを意識しているのだろうか?

勿論、これは、私の推測の域を出ない話だが。