コソヴォの女【the girl from Kosovo】
今でこそ、有名になった、コソヴォ自治州だが、セルビアの民族浄化問題がなければ、だれも知らない場所だった。
私も、行ったことはない。
それまで、聞いたことすらない、地名だし、知人もいないと思っていたが、今日TVのニュースを見ていて、たまたま思い出した。
夜遅くなると、運行本数も減り、一本乗り逃がすと、暫く待たされる。
そんなときは、いつも停留所の前にある、小さなホテルのバーのカウンターで、一杯二マルクのビールを飲みながら、ボーっと、次ぎのトラムが来るまで、待つのがパターンだった。
次ぎのトラムが来たら、すぐ視界にはいるように、いつも出口に一番近いところが定位置で、カウンターに、片肘ついて、誰と話をするでもなく、顔を外に向けて黙っていつも飲んでいた。
いつも、一杯だけと決めていて、少しずつ飲んで、トラムが来たら、一気にグラスに残ったビールをのみほして、二マルクを置いていく作業を、私は忠実に繰り返していた。
「あなた、いつもその姿勢で外を見て飲んでいるわね」、とある日バーテンダーの、黒髪で緑色の目をした、陽気な女の子が、カウンター越しに、話し掛けてきた。
「いつ、次ぎのが来るか、判らないから、この姿勢が癖になった」と答えると、
「トラムが見えたら、私が、教えてあげるから、ゆっくり飲めば?」、といってくれたのが、キッカケで、彼女と話をするようになった。
彼女の名前は、アンナで、ユーゴから、ドイツに来ている留学生だった。当時、91年頃で、丁度ユーゴが、分裂して、内戦やクロアチア、スロベニアの独立で騒いでいたころの事。
彼女は、留学生なので、正式就労は出来ず、夜はそこのバーでバイトして、学費の足しにしていた。
ユーゴ情勢が、複雑になっていたので、立ち入った話を聞く事は無かったが、それでも、毎回、10分程度、少しずつ話をする内に、いろいろ判ってくる。
アンナは、故郷の話を、たまにしてくれたが、聞いた事ない地名で、セルビアの東の方の街から来ているけど、アルバニア系だと言っていた。
ユーゴの地理が、全く頭のなかに、入っていなかった当時の私には、ピンとこなかったが、それがコソヴォという場所だった事を、ようやく今日思い出した。
いつも、とりとめのない、世間話をするだけ。
しかし、私にとっては、仕事帰りのささやかな、楽しみだった。
3ヶ月くらい経ったときに、アンナは、店に来なくなった。
店のおやじに、彼女の消息を聞いたら、故郷に帰ったという事だった。
前もって、話してくれれば、何か餞別の、プレゼントでも渡したかったのに、と思い、残念だったが、私もそれっきり、彼女の事は忘れていた。
TV報道の、悲惨な状況を見ると、今どうしているやら、気になる。
どうか、無事に暮らしていてくれれば、いいのだが。