夜の訪問客
Feb.4.99

夜の訪問客【unexpected visitor】


夜の訪問客といっても、艶っぽい話でもなければ、サスペンス物語でもない。

夜遅く、私は会社で残業していた。
長時間労働は、決して好きではないが、やらねばやらぬ時は、徹底的に夜中までやります。

私の勤務する会社のある所は、いわゆるオフィス団地のような、民家や商店のまったくない、新興の開発地域であり、夜ともなれば、ゴーストタウンのように、誰もいない。
夜、一人で過ごす時は、用心の為、かならずビルの玄関口を締め、部外者が、勝手に入れないようになっている。
夜9時を、まわった頃、ブザーが鳴った。こんな時間に、誰だろう?

恐る恐る、通用口にいくと、ガラス越しに、けったいなおっさんが、立っている。
なんか、いやだなぁと思いつつも、観察すると、危害を加えそうなものは、持っていないし、なんか書類をこちらにみせて、ニコニコしている。

とりあえず、ドアを開け、要件を聞いてみたが、要領を得ない。
オランダ語も、英語も通じない。
おっさんは、くしゃくしゃのメモを私に見せた。
ところどころ、英語のまざった、メモに、私の同僚のユーゴ人の、名前が書いてあるので、一応、ビジネスの関係だとわかり、中に入れと、ジェスチャーで示すと、片言の英語で、「俺のトラック、そこの駐車場に置いておくが、OKか?」と聞いてきた。
どうやら、このフレーズは良く使うらしい。暗闇のなかに、でーーんと、馬鹿でかいコンボイトレーラーが、聳えている。

断片的な会話から、理解できる部分を想像すると、どうやら、うちの会社が、販売する商品を引き取りに、マケドニアの顧客が、寄越したトラックの運転手であった。

商品の置いてある倉庫は、事務所からずーっと離れた、ロッテルダム港にある。
連絡がうまくいかず、倉庫に行かず、間違えて事務所に来てしまったらしい。

しかし、言葉が通じないので、うまく伝わらない。
ここで、めげては、国際ビジネスマンがすたる。

マケドニアってことは、ギリシア語か、セルボクロアチア語のどちらかは、話すだろうと想像し(公用語は、マケドニア語だが、歴史的にギリシア、ユーゴと関係は深い)、Do you speak Greek or SerboCroatian? と聞くと、セルボクロアチアなら、話せるという。
何故そんな質問をしたかというと、同僚にギリシア人と、ユーゴ人がいるので、自宅に電話して、通訳させようとした次第。

しかし、夜の9時に、商品を引き取りにくるとはねぇ。

ユーゴ人の同僚の家に、電話して、おっさんに電話を替った。
横で聞き耳を立てていたが、さすがにさっぱり理解不能の言語だ。

響きは、ロシア語に少し似ていた。


マケドニアという国を、ご存知だろうか?
恐らく、9割以上の読者は、「?えっと、歴史で習ったかな?」という程度でしょう。

旧ユーゴスラビアの崩壊で、1991年に独立した、新興国です。
首都は、スコピェ。人口二百万人程度の小国。

6、7世紀頃              スラヴ人が定住
15世紀以降              オスマン・トルコの支配下に入る
1918年                  セルビア人・クロアチア人・スロヴェニア人王国建国
1945年                  ユーゴ構成共和国の一つとして発足
1991年                  ユーゴより独立
1993年                  国連加盟

もっとも、昔々、アレクサンダー大王で、知られる、マケドニア王国が存在したが、かならずしも、このマケドニアを継承している訳ではない。
「マケドニア」の国名使用にギリシャが反対し、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国という暫定名称での国連加盟が承認された。
長野オリンピックの入場行進でも、Former Yugoslavia Republic of Macedoniaという、長い看板を上げていたのが、記憶に残っている。

長いので、ビジネス上は、FYROM(フィロム)という通称が、使われている。

主要産業は、鉄鋼やたばこの輸出だが、経済的にはまだまだ、立ち後れている。失業率は、35%(95年の統計)。


私は、実際にマケドニア人を見るのは、生まれてこのかた二人めだ。
ユーゴ人の同僚の、通訳のお陰で、おっさんは、倉庫が別の場所にあり、朝の9時まで、荷物の積み込みは出来ないという事は、理解した。

倉庫までの、地図を、書いてあげた。こういうのは、文字がなくても、ちゃんとわかるから、すぐ理解してくれた。

折角の機会だから、私も好奇心が湧いてきて、このおっさん相手に、話をもっとしたくなった。

しかし、言葉がなかなか通じない。身振り手振り、ありとあらゆる言語を駆使して、お互いに、世間話を始めた。
しばらく話すと、相手は、少しの英語と、ドイツ語、ロシア語も話せる事がわかったので、私もこの三つの言語を、ごちゃまぜにして、単語をならべた。

だんだん、意思の疎通が出来るようになってきた(たいしたもんだ、と自分でも感心した)

とりとめのない、会話だが、以下が、理解できた内容。