ユーゴ和平

Jun.11.99

ユーゴ和平【Peace in Yugoslavia】


ユーゴ人の同僚が、今日、故国が一日も早く、平和になって欲しいと、いつかはユーゴに戻って、普通の暮らしを過ごしたいと、切々と語ってくれた。
と昨日書いて、今朝のニュースを見たら、NATOとユーゴの間で、停戦の合意が出来てとりあえず、空爆は停止するらしい。

結局、勝者のない二ヶ月の戦い。民間人の犠牲者と、難民、インフラの破壊以外に、なにも変わっていない。

コソボの住民の意思とは、全く関係ないところで、始まって終わった。

はっきり言って、NATOの失策と言われても仕方あるまい。

破壊活動の後始末は、当然NATO加盟国で、責任もって回復するヴィジョンをもっていなければ、到底許される話ではない。

第二次大戦後の、マーシャルプランのような、国際協調に基づいた長期的な経済復興機構を設立して、市民生活をまともにするべき。


脱線するが、オルブライト国務長官という人は、ユダヤ系の人だ。

第二次大戦中に、チェコで生まれ、ナチスがその地を、蹂躪したときに、迫害を逃れて、ユーゴのベオグラードに移り住んだ経歴がある。

昨日書いた、アンネフランクは、逃れた先のオランダも、ナチスに占領されて、悲惨な運命をたどったのだが、オルブライト国務長官は、ユーゴで命拾いした。

そのユーゴを、爆撃する作戦を強硬に、すすめたわけだから、皮肉なもんである。


ナチスは、ユダヤ人の虐殺をしただけでなく、セルビア人も大量虐殺した事実もあるのだが、あまりこの事は、知られていない。

対戦中に、バルカン半島に侵攻した、ナチスが、クロアチアに傀儡帝国を建国し、クロアチア人と対立関係にあった、セルビア人を何十万人という規模で、虐殺した。

ユーゴスラビアが、チトー大統領の死後、分裂したきっかけになったのは、内戦のさなかに、ドイツがクロアチアを、独立主権国家として、認めた事だった。

EUが、まだ決断する前に、ドイツが独断で決めてしまい、後はなしくずしに、「内戦」が、「独立戦争」となった。

その是非を、ここで問うわけではないが、常にバルカン半島の騒動には、間接的にドイツが関わっているのも、歴史の皮肉だ。

この時に、何故ドイツが、クロアチアの独立を支援したか?

丁度、その時に、東西ドイツ統一の為の、外国活動に飛び回っていた、コール政権のゲンシャー外相は、「一民族一国家」をスローガンに、関係諸国を説得していたから。

それを、聞きつけた、クロアチアや、スロヴェニアとしては、

「じゃぁ、おれたちのやっている戦争は、同じコンセプトじゃねぇか。同じ夢を持つ同志として、一民族一国家を認めてくれるよね?」と、水面下で、アプローチしたのが成功した。

考え様によっては、ドイツが利用されたとも言えますけどね。


昨日の項で、書いた、ユーゴ人の同僚は、このユーゴの分裂を悲しんでいた。

冷戦下でも、NATOやワルシャワ条約機構にも属さずに、軍事的中立を保って、誰にも迷惑をかけたことがなかった、連邦国家、ユーゴを切り刻んで、NATOは、国土を蹂躪した、と彼は言う。

この場に及んで、もっと切り刻むつもりなのか?という疑問を、彼は呈している。

Jリーグで活躍する、サッカーのストイコヴィッチも、月間文芸春秋に、セルビア人の立場から、みた今回の空爆騒動について、似たようなコメントを、寄稿している。


その同僚と、ユーゴの話を、二人で、仕事の終わった後、延々としていた。

私は、まだユーゴに行ったことがない。

彼も、ユーゴで殆ど住んだことがないと言う。

アメリカで生まれ、アジアやヨーロッパで長く生活しているのだが、だから余計に、故国への、強い想いがあるそうだ。

すごく、奇麗な所らしい。

ユーゴ連邦の、モンテネグロ共和国は、気候は温暖。

海あり山ありで、夏は海水浴、冬はスキー、リゾートとしても、絶好の場所だそうだ。


今回の停戦は、今後のコソヴォ問題をどうするかの、具体的な解決は何もない。

壊滅的になった、ユーゴの、経済インフラの再興には、相当な時間が掛かる筈だ。

農業漁業等の、第一次産業では、経済復興の原動力には、なり得ないし、第二次産業の立て直しは、すぐには結果は出ない。

全くの私見なのだが、そんなに美しい場所なら、第三次産業の充実をはかり、観光リゾート産業を発展させるのも、外貨獲得効果が早く期待できるのではと考えている。

そして、オルブライト国務長官や、ソラーナ事務総長にも、そこで夏休みを過ごしてもらい、そんな美しい平和な国を、破壊したのは誰だったのか、自問して欲しいもんである。