美術品

Jun.15.99

美術品【art】


今日、フランス人の同僚に、昼飯を誘われて、一緒に食べに行った。

ロシアで長年、仕事をしてきた奴で、彼との付き合いは、結構長い。

いままで、仕事以外の話をすることは、それほどなかったが、飯を食べながら、趣味の話になった。

最近、私が、homepageを持っているんだよ、と話をしたら、彼も、是非自分で、作ってみたいと興味を示したので、いろいろ作り方を、教えてあげた。

呑み込みが結構、早く、昨日彼が作ったHPを見せてくれた。

てっきり、私みたいな、私小説的ひとりごとの、羅列コンテンツかと、思っていたら、もっと凝った内容で、「バーチャルギャラリー」という、美術品、絵画のページだった。

「何これ?どこのコレクション」と尋ねると

「実は、これ、俺の秘蔵コレクションなんだ」と言う


昼飯を食べながら、なぜそんな絵画を沢山持っているのか、質問すると、いろいろ面白い話をしてくれた。

彼は、ロシア暮らしが長かったので、ロシア語が、堪能でロシア事情には、やたら詳しい。

彼のコレクションは、200点以上あり、すべて、ソヴィエト時代に描かれた、ソヴィエト的印象派のものだと、説明してくれた。

話を要約すると、こうだ。

ソヴィエト革命で、芸術家活動も、国家の管理下に置かれ、反動的な作品や、極端なアヴァンギャルドは、ブルジョア的で制限されたが、その代わりに、プロレタリア労働を称えるコンセプトの絵画は、奨励され、農場や、労働者の絵画芸術の黄金時代を迎えたそうだ。

ロシア語で、その種類の絵画の名前があるらしいんだが、聞き流して忘れた。

アメリカのミネアポリスには、その時代の絵画の専門美術館があり、一種の特殊なカテゴリーとして、美術界でも、一つのエポックとして、認められているそうだ。

近いうちに、ベルギーのブリュッセルで、その範疇の絵画の、大展覧会があるらしく、買い付けに言ってくる積もりだと、話してくれた。


彼は、ロシア在住時代に、ロシアやウクライナの街で、画商を回り、こうしたロシア絵画を収集した。

得にソヴィエト時代は、絵画を投機対象として見る文化も無かった事もあり、結構安い値段で、絵が買えたそうだ。

画廊などの、設備もそれほど、充実していなかったので、その時代の芸術家が描いた作品の多くは、公的施設のインテリアとして、利用される以外は、お蔵入りして、芸術家の死後は、家族の間で、形見としてのこされ、物置で埃をかぶって、人知れず埋もれてしまっている作品が多いらしい。

これが、市場経済導入後、絵画が芸術品として、売ればお金になると、認められるようになり、お蔵入りしていた、作品を、遺族がお金欲しさに、結構手放すようになったという。

また、その時代の絵画が、美術界では、クローズアップされ、脚光を浴びるようになり、市場に出回り始めたのが、90年代初頭。

その同僚は、そうしてこつこつと、今のコレクションを集めた。

ゆくゆくは、ギャラリーを借りて、展示したいと彼は、話していたが、こうした作品は、その後結構価値が出て、売れば相当な利益が出る物ばかりだという。

最初は、趣味的に集めていたものが、投機的要素が出てきて、今では資産形成として、コレクションを増やしている。


話を聞いていて、芸術品収集と、投機は紙一重だなと、感じた。
私も、美術品鑑賞は、昔から好きで、日本にいた頃から、美術館通いを結構していたし、ヨーロッパの主要美術館は、ロシアのエルミタージュプーシキン以外の、主要美術館は、殆ど踏破した。

実は、私の一番好きな作品は、そのエルミタージュにあるのだが、、、

上野の西洋美術館で、かつてエルミタージュプーシキン展というのがあり、それを見に行ったときに、フランスの印象派画家、ウジェーヌ カリエールの「母のくちづけ」という作品を見たときには、しばしその場を動けないほど、感銘を受けた。

その絵をもう一度、この目で心行くまで、見たいのが、私の希望。

絵葉書や、画集でその絵を見たが、原画の美しさは、筆舌に尽くし難い。


私の場合、美術館に行って、網膜に焼き付けるだけで、満足してしまうので、絵画収集癖は、ないし、投資対象とも思ったことはない。
そんな、私も一点豪華主義と言おうか、一つだけ衝動買いしてしまった、有名画家の作品がある。

ドイツに在住していたときに、何気なしに行った、画廊の展示即売会で、気に入ってしまい、当時の月給一ヶ月分(さて、いくらでしょう?)をはたいて、購入した。

巨匠、ピカソの証明書付きの、本物の銅板画である。

油彩水彩画だと、とても私なんかに、買える代物ではないが、銅板画は、同じものを、何枚か刷るので、結構安く買える。私が入手したのは、300枚中の163枚目。

1950年頃の作品で、キュービズムを展開したピカソの画風とは、無縁の習作で、オーソドックスなものだ。

スイスに滞在していた頃の、ピカソがバレイ学校で、バレリーナをスケッチした、一連の作品で、練習を終えた、バレリーナの少年二人が、休憩しているシンプルな、素描です。

この銅板画は、非常に気にいっていて、見ていて全然飽きが来ない。


昼食が終わって、私が運転しながら、その話を彼にすると、彼は興奮して、
「それ、売らない?幾らなら売る?」と目の色が変わった。

「だーめ、これは絶対に手放さない。俺が一文無しになっても、この絵を抱えて路頭をさまよう覚悟だ。」

へへ、ざまーみろ。