美術品【art】
今日、フランス人の同僚に、昼飯を誘われて、一緒に食べに行った。
ロシアで長年、仕事をしてきた奴で、彼との付き合いは、結構長い。
いままで、仕事以外の話をすることは、それほどなかったが、飯を食べながら、趣味の話になった。
最近、私が、homepageを持っているんだよ、と話をしたら、彼も、是非自分で、作ってみたいと興味を示したので、いろいろ作り方を、教えてあげた。
呑み込みが結構、早く、昨日彼が作ったHPを見せてくれた。
てっきり、私みたいな、私小説的ひとりごとの、羅列コンテンツかと、思っていたら、もっと凝った内容で、「バーチャルギャラリー」という、美術品、絵画のページだった。
「何これ?どこのコレクション」と尋ねると
「実は、これ、俺の秘蔵コレクションなんだ」と言う
彼は、ロシア暮らしが長かったので、ロシア語が、堪能でロシア事情には、やたら詳しい。
彼のコレクションは、200点以上あり、すべて、ソヴィエト時代に描かれた、ソヴィエト的印象派のものだと、説明してくれた。
話を要約すると、こうだ。
ソヴィエト革命で、芸術家活動も、国家の管理下に置かれ、反動的な作品や、極端なアヴァンギャルドは、ブルジョア的で制限されたが、その代わりに、プロレタリア労働を称えるコンセプトの絵画は、奨励され、農場や、労働者の絵画芸術の黄金時代を迎えたそうだ。
ロシア語で、その種類の絵画の名前があるらしいんだが、聞き流して忘れた。
アメリカのミネアポリスには、その時代の絵画の専門美術館があり、一種の特殊なカテゴリーとして、美術界でも、一つのエポックとして、認められているそうだ。
近いうちに、ベルギーのブリュッセルで、その範疇の絵画の、大展覧会があるらしく、買い付けに言ってくる積もりだと、話してくれた。
得にソヴィエト時代は、絵画を投機対象として見る文化も無かった事もあり、結構安い値段で、絵が買えたそうだ。
画廊などの、設備もそれほど、充実していなかったので、その時代の芸術家が描いた作品の多くは、公的施設のインテリアとして、利用される以外は、お蔵入りして、芸術家の死後は、家族の間で、形見としてのこされ、物置で埃をかぶって、人知れず埋もれてしまっている作品が多いらしい。
これが、市場経済導入後、絵画が芸術品として、売ればお金になると、認められるようになり、お蔵入りしていた、作品を、遺族がお金欲しさに、結構手放すようになったという。
また、その時代の絵画が、美術界では、クローズアップされ、脚光を浴びるようになり、市場に出回り始めたのが、90年代初頭。
その同僚は、そうしてこつこつと、今のコレクションを集めた。
ゆくゆくは、ギャラリーを借りて、展示したいと彼は、話していたが、こうした作品は、その後結構価値が出て、売れば相当な利益が出る物ばかりだという。
最初は、趣味的に集めていたものが、投機的要素が出てきて、今では資産形成として、コレクションを増やしている。
実は、私の一番好きな作品は、そのエルミタージュにあるのだが、、、
上野の西洋美術館で、かつてエルミタージュプーシキン展というのがあり、それを見に行ったときに、フランスの印象派画家、ウジェーヌ カリエールの「母のくちづけ」という作品を見たときには、しばしその場を動けないほど、感銘を受けた。
その絵をもう一度、この目で心行くまで、見たいのが、私の希望。
絵葉書や、画集でその絵を見たが、原画の美しさは、筆舌に尽くし難い。
ドイツに在住していたときに、何気なしに行った、画廊の展示即売会で、気に入ってしまい、当時の月給一ヶ月分(さて、いくらでしょう?)をはたいて、購入した。
巨匠、ピカソの証明書付きの、本物の銅板画である。
油彩水彩画だと、とても私なんかに、買える代物ではないが、銅板画は、同じものを、何枚か刷るので、結構安く買える。私が入手したのは、300枚中の163枚目。
1950年頃の作品で、キュービズムを展開したピカソの画風とは、無縁の習作で、オーソドックスなものだ。
スイスに滞在していた頃の、ピカソがバレイ学校で、バレリーナをスケッチした、一連の作品で、練習を終えた、バレリーナの少年二人が、休憩しているシンプルな、素描です。
この銅板画は、非常に気にいっていて、見ていて全然飽きが来ない。
「だーめ、これは絶対に手放さない。俺が一文無しになっても、この絵を抱えて路頭をさまよう覚悟だ。」
へへ、ざまーみろ。