LIBOR【London Inter Bank Offered Rate】
金融に関係ない人でも、一度くらいは、LIBORという言葉を聞いた事があるだろう。
一般には、ライボと呼んでいるが、人によっては、リボーとも言われる。
早い話しが、コーヒーや牛肉の値段が、世界中でバラバラなのと同じように、金利というのは、一定で無い。
でも、国際社会でお金を貸し借りする時には、客観的に、毎日値段を決めましょう。というのが、このLIBORだ。
国際金融の世界では、契約書に、「その日のLIBORに、何%上乗せしたものを、借りた方は、貸した方に、金利として支払う」という条項を普通いれます。
実際には、複数の銀行が、ロンドン市場で、「この金利なら、貸してもいいですよ」という数値を出し、極端に高いところと、低いところをカットして、その真ん中のレベルを提示した銀行の、レートを平均して算出したのが、この指標です。
なぜ、ロンドンなのか。
今や、世界の基軸通貨は、US$であるのは、誰も異論はない。
じゃぁ、なぜNew York市場を、スタンダードにしないのか?
英国ポンドなんてのは、かつては基軸通貨だったが、今では、英国以外では、殆ど無視されている通貨に、成り果てた。
むしろ、ドイツマルクの方が、大陸ヨーロッパでは、ずっと通用する。
今年から、ユーロの誕生で、ますますポンドの陰は薄くなっている。
しかしながら、何がどうなろうと、世界の金融業界を動かしているのは、やはり、ロンドン市場なのです。
いくら、フランクフルト市場が、取引高がすごいといっても、金融関係一筋に、ずっと仕事をしてきた私には、ロンドン市場と、他の市場との層の厚さときたら、大学と中学校くらいの、差がいまでも感じられます。
昨年以来、ロンドンに行く機会が、やたら多いのですが、行く度に、そのレベルの高さと、人材の厚みに、感心します。
巷では、これからはユーロの時代、欧州中央銀行のある、フランクフルトが欧州の、金融センターになるのでは、という声もある。
しかし、私はこの見方には、否定的です。
ロンドンの、リーディングマーケットとしての、地位は揺るぎ無い。
たとえ、英国の経済が弱体化しようが、英ポンドが、無視されようが、変わらない。
英国人と、いろいろ接してきた私の感想は、
「とっつきにくい。慇懃無礼で、そつなく付き合えるけど、腹の中では、何考えているのか、わからない。形式を重んじ、なかなか本音を出してくれない。」
良く言えば、
「相手に対して思いやりがあり、名誉や対面を傷つけない心遣いをしてくれる。思慮深くて、素朴な一面もあるし、ユーモアのセンスなんかは、抜群で、社交の主役にはなれないけど、会話を上手にこなす」
というのが、私の英国人評。
人の気持ちを無視して、頭の中にあることを、ずけずけと、なんでも口に出して、ストレートに表現する、ゲルマン文化圏の、オランダ人や、ドイツ人とは、かなり違う。
相手が聞いていようが、いまいが、一人称だけで、ひたすら自説を喋り捲る、ラテン系のフランス人や、イタリア人とも、また違う。
金融市場というのは、一秒きざみで、世界が逆転するような、パニックの連続の世界だ。
ラテンの人たちが、危機に対する対処が、弱いのは、いまさら言うまでもない。
スラブの人たちは、危機を危機として、認識しない鷹揚な性質がある。
ゲルマンの人たちは、危機に直面すると、保身に走り、責任論を展開して、問題解決を二の次にする。
あくまでも、私の見てきた限りの判断なので、異論はあるだろうが、英国人は、危機に面したら、深呼吸して、分析を始め、原因を見つけ、その時点で、一番最適な解決方法を、実行に移す。
日本人だったら、全員の合意をとりつけるまで、目をつぶって、問題を先送りにするだろうし、ある時点で、最適な解決方法だったのだが、時機を逸してしまい、実行に移したら、状況が変っていたという、状況が普通。
別に、アングロサクソンを弁護する積もりはないのだが、彼等は、金融に非常に適した素養と、文化様式を持っているがゆえに、ロンドン市場の位置づけは、安泰であろうと、私はおもっている。